変革の予兆
夜、こそこそと人の病室で内緒話をする二人の声を聴いて、私は目が覚めていた。とはいえ、起きていることを悟られたくなかったので、寝ているふりをしていた。部屋は暗く、小さな蝋燭が作り出すゆらゆらとした二人の影が天井に僅かに映っていた。
「どうですか?」
「・・・・やはり、ないな。お前の薬は、完全に馴染んでいる。」
「それは、・・・はぁ、そういうものなのでしょうか?」
「わからない。他に例がないからな。何とも言えん。」
何の話をしているのだろう。わずかだが、左腕に触れられている感触がある。・・・左腕?いや、それはありえない。左腕は、自分の意思では動かせないのだ。エルドリックと、彼のお付きの魔導士、クレスが、何らかの魔力を使って生やした結晶物。欠損した腕を補完するためではなく、おそらく止血目的でこんなことをしたのだろう。確かに、食われた根本の傷を失くすことはできるが、それが動かすことも出来ない飾りのような腕では、魔力の物質化の技術も、まだまだと言ったところだろう。
「とにかく、様子を見よう。本人からしたら、何か変化があるかもしれない。」
「そうですね。未だ未知の領域であることには変わりないですな。」
二人の会話はそこで途切れ、蝋燭の光と共に、二人は病室を出ていった。
一体何の話をしていたのだろうか?今も左腕に力を込めても、動く気配すらない。布団に触れている感触すら感じないのだ。これはもう私の腕ではない。今頃アレンの体に吸収され、なくなっているだろう。
そういえば、龍族が龍の姿でものを食べると、どうやって消化するのだろう。アレンは、龍の姿に成るのは魔法だと言っていた。私はてっきり、魔法によって生み出された半物質的な存在だと思っていたけれど、彼が生物である以上、あの姿も血の通った体なのだろう。心臓もあれば胃もあって、肺もあって、脳もある。その構造については想像もつかないけど、まぁ、恐竜みたいなものだろう。
だとすれば、私の左腕は龍化によって鱗上の肌に変質していた。それはアレンの魔力のせいだと思う。だから、彼は自分の魔力を取り戻そうとしたのだろうか?だからと言って、腕ごと食べる理由にはならないと思うけど、相手は人間じゃない異種族だ。そういう思考回路にならないとは言い切れない。
とはいえ、今はアレンのことは考えないようにしておこう。彼との問題については、いずれ決着を付けなければならないけど、きっと、それは最後になるだろうから。
静まり返った病室で、うっすらと彼のことを思い浮かべながら、私は再び眠りに付いたのだった。
朝、窓から差し込む朝日によって覚醒すると、昨日よりも随分と頭がすっきりしていた。今までは、なにやら靄がかかっているような気がして、いまいち寝起きが悪かったのだが、今日はそう言ったことはなかったのだ。
いったい何が違うのだろうと思案していると、感覚としてなくなっていた左腕に変化があったのだ。
目で見てわかるくらいに肌の色が黒くなっていた。というより、以前の鱗上の皮膚に戻っていて、力を込めると、しっかりとした感触が戻っていることに気づいた。指が動き、肩や肘の関節、引っ張られる筋肉など、なくなったはずの生身の体が完全に戻っていた。
「・・・どういうこと?」
これを施したクレスが行ったのは、魔力の物質化で傷口を塞いだ粗治療だ。深水を使った、天然の魔力を用いた肉体の再生。魔力の物質化は、私も自身の体で試しているから、不可能ではないと思っていた。けれど、天然の魔力を使った場合、同じことが出来るのかという点は不明だった。
前提として純度の高い魔力、すなわち人間の魔力を使って行うのは、失敗するということがある。龍の魔力のように混じり気のない魔力を用いれば、可能であると。だから私はアレンの魔力で翼の再生を行えたのだ。
しかし、深水は純度で言えば天然物ということでまごうことなき、純度100%のものだ。だが、生物ではないものの魔力を取り込んで同じことが起こるかというと、現実は起こらなかった。肉体の再生は成功したものの、形ばかりの肉の塊だったのだ。動かすことも出来ず、人形のような腕だった。それでも、当初の目的である止血には成功したし、私に龍化が起きていなければ、異形として悩むことは無くなっただろう。
だが、今日起きてみれば、腕は元に戻っている。それも、食われる前の腕に。・・・できることなら、龍化する前の腕に戻って欲しかったけれど、これだけでも驚くべき現象だった。この物質化という現象自体、まだまだ謎の多いものだが、論理的な説明が思い浮かばない。エルドリックは、魔力は混ざることはないと言っていた。だから深水の魔力で補えるのは、意志のない腕だけだと思っていたのに。
しばらく思案にふけっていると、クレスがやってきた。
「起きられましたか。体の具合はどうでしょうか?」
「これ、この腕、貴方はこうなることを知っていましたか?」
私が彼に向かって左腕を差し出すと、クレスはまじまじとその皮膚を観察し始めた。
「・・・・・・昨晩見た時よりも、こんなにも変化が起こるとは。」
「昨晩?」
「失礼ながら、昨夜のロウ様がお眠りになっている最中に、様子を見に来たところ、左腕の血色がロウ様の肌色と同じようになっているように見えたのです。」
そういわれて、昨夜エルドリックとクレスが、こそこそ話しているのを思い出した。あの時から既に変化が起こっていたのか。
「主に確認してもらったところ、どうやらロウ様の左腕に流れる魔力は完全にあなた様のものと同一のものだとおっしゃられました。」
「流れる魔力?・・・エルドリックは、それを確かめる術があるのですか?」
「はい。エルドリック様の目には、魔力が流れとして見えているのです。」
魔力の流れが見える?それは、初耳だった。いや、情報として彼から聞いていないという意味ではない。単純に、そんな人間が存在するのかという意味での初耳だ。
魔力は目で見えるものではない。それを感じ取ることが魔導士としての資質の一つだと思っていた。目で見えないものだからこそ、それを感じ取る力が必要だと。感じ取り自分の意思で操れなければ、魔法など扱えない。
だが、クレスの言うことが本当ならば、彼は見るだけで相手がどんな魔法を使っているかわかることになる。そんな反則じみた能力を、彼は持っているというのだろうか?
「彼、エルドリックは、どちらに?」
「今、読んでまいります。少しお待ちください。」
ほどなくしてエレノアとともにやってきたエルドリックに左腕を見せると、彼は顔色一つ変えずに、観察を始めた。
「この鱗上の皮膚はなんだ?」
「龍化の産物です。アレンの魔力を手にしてしまったときから、徐々に体に変化が起きていました。」
「俺は、龍化とは、君の中に入ったアレンの魔力が物質化したものだと考えていたのだが?」
「ん?その通りではないのですか?この翼も彼の魔力を補ってできたものですし・・・。」
「翼は間違いなくそうだ。だが、この腕は違う。君と、アレンの魔力が完全に混じり合っている。俺の仮説では証明できない現象だ。」
「混じり合っている・・・。」
始め私は、魔力は混ざるものだと思っていた。だが、エルドリックは、それでは物質化は起きないという。だが、彼の目には、私の左腕が、彼の理論の破綻を意味しているのだとすると、答えは二通りになるだろう。
一つは、彼の理論が間違っていた。だが、これは今までの出来事を踏まえると肯定しにくい。現に彼は一歩一歩検証を行って、魔力欠乏症の完治を目指している。彼のここまでの実績は間違いなく正解へ繋がっているだろう。
もう一つは、私が異常な場合だ。
「その、見るだけで魔力がわかるというのは本当なのですか?」
私がそう言うと、エルドリックはクレスをちらりと見た。クレスがそれにうんと、頷くと、再びこちらに向き直った。
「ああ。だが、勘違いするな。君が思っているほどくっきりと目で見えているわけじゃない。むしろ、体外にある魔力はほとんど見ることはできない。魔法を目で見て解析できるほど便利なものじゃない。ただ、生物が纏う魔力は大抵見ることが出来る。初めて君と会ったときから、君の中に二つの魔力があることを気づいていた。」
「それが、もしやエクシアの魔法特性ですか?」
「おいおい、俺はエクシアの魔法特性を継承していないから、君へのプロポーズを断られたはずなんだがな。」
「そ、そうでしたね。・・・・プロポーズって言い方はやめてください。」
どうやら間違いは内容で、本当に魔力が見えているらしい。信じられないことだが。
「俺は、深水に魔力あることをずいぶん昔から知っていた。いや、正確には水とは違う何かが含まれていることを知っていた、か。それが魔力なんじゃないかと思ったから、俺は君に飲ませた薬の可能性を見出せたんだ。この能力が何なのかは俺も知らない。生まれ持った能力だからな。不思議にも追わなかった。」
「ですが、それも異常なことだと思います。あるいは、エクシアの血筋を辿れば、似たような能力を有する一族と交えていたのかもしれません。」
ただ、それだと彼以外にそれが継承されていないのが気になる。彼のように継承できなかったにしては、話がうますぎる。ただでさえこの国では、嫌というほど子供をこさえさせているのだから。
「心当たりがないわけじゃないが、今は置いておけ。それよりも君の体に起きている現象だ。」
「私の魔力と、アレンの魔力が混ざっている、という点ですね?」
「そうだ。魔力が混ざれば、純度が下がる。そうなれば物質化は起こらないはずだ。今まで何度も失敗を繰り返してきたから、それは間違いないだろう。」
「なら、私のこれは、物質化とはまた違った現象ということでしょうか?」
「それも考えられなくはないが、もっと単純に、突然変異と考えることも出来るだろう。」
「当然変異って、そんな動物じゃないんですから。」
「人間だって立派な動物だ。かつて人は猿に近い生物だったと、地質学者がよく言っているだろう?君も、龍の魔力に触れて、あるいは、異世界の魔力に触れて、体に何らかの変化が起こったのかもしれない。」
そうなると、もう検証のしようがないだろう。こうして論理的な会話をしているうちは何とも思わないのだが、ふと冷静に変えると、自分の体のことなんだなと、思い知らされる。他人事で済ませられない。何もかもイレギュラーな出来事で、どう受け止めればいいのか・・・。