エルドリックが求める者
夜、ふいに肌寒さを感じて、私は目を覚ましてしまった。
魔力欠乏症の症状である低体温による寒さではない。窓を見ると、少しだけガラス戸が開いていたのだ。そこから入り込んできた風が、素肌を撫でたのだろう。曇りガラスでは見えなかった、屋敷の向こう側が僅かに見えていて、外は月明かりに照らされて青白く輝いて見えた。
私はどうにか寝台から車椅子に乗り移り、慣れない手つきで車を回して窓際までたどり着いた。帝国南部のクルルアーンの外れ、オオトリ街。窓から見える景色は、それのほんの一部でしかなかったけれど、初めて嗅ぐ土の匂いが感じられた。北部出身としては、ツンとした冷たい空気こそ、慣れ親しんだ帝国の大地だったのだが、この地域の匂いは、どんよりとした生ぬるい空気だった。
帝国南部はもともと気温が高く、多くの食料生産が盛んに行われている地帯だ。湿っぽいのは当然だ。ただ、少しばかり懐かしさを感じていたのだ。かつて、日本で感じたじめじめとした梅雨のような気候を。
しばらく外を眺めていると、屋敷の中で騒がしい声が聞こえてきた。こんな夜中にいったい何をやっているのだろう。
就寝する前に、エルドリックからは多くのことを聞かされた。
魔力欠乏症の対処法。深水を使った治療薬。良くここまでたどり着いたものだと感心したものだ。しかも、ここまで来たきっかけが、アルハイゼンにあったとは・・・。
あの人の死も、私が関係していることを聞いた。あの人が病にかかってからの状況を知らなかった私にとっては、辛い現実を見せつけられたような気がして、つい大泣きしてしまったが。自分を想って黙っていてくれたあの人には、心の中で感謝していおいた。
現在の帝国の状況については、また後日、エルドリックが話してくれることを約束してくれた。今はまだ、私は体を休めなければならないらしい。病の進行と症状の対処はできても、私の体はかなり滅茶苦茶な状態になっているらしい。どうしてそんなことがわかるのかは不思議だが、今は彼を頼るほかない。
実際、一人で立ち上がることが出来ないくらい体が衰えている。しばらくは魔法も使わないように言いつけられているし。彼の言う通り、こんな私が何かを成せるはずもなく、一度休息を取らねばならないのだろう。だが、やはり気がかりなことばかりで、何もかも考えずに過ごせるほど、私は単純じゃない。北部戦線で今もなお、魔物の大群と戦い続けている父と騎士団、帝国に入り込んだ魔獣の動向、ピスケスの街の状況、王城に巣くう帝国を脅かす敵の存在。それらを考えずにはいられない。そして、私の腕を食い千切った、アレンの所業。いったい何が彼をそうさせたのか。いや、心の中では彼の正体について、薄々気づいていた。けれど、彼は優しく、そして妙な親近感が湧く人だった。それに、協力関係は良好だったはずだ。本当に、突然の裏切りだったのだ。
彼の正体、立場を考えれば、私は真っ先に彼を討伐しなければならない。だけど、せめてその前に、どうしてこんなことになったのか、それだけは知りたい。その話ができる余裕が作れればの話だが・・・。
幸いにも、私には多くの協力者がいる。彼らを頼って、私は成すべきを成さなければならない。全ては帝国の安寧のため、臣民の平穏のために。
朝方、エクシアの侍女らに援助してもらいながら、朝食や着替えを済ませて、私はエルドリックとの対談に臨んだ。エレノアに車椅子を押されて、彼の書斎へやってくると、そこはとても帝国王族が使うような机には見えなかった。無数の羊皮紙や木紙、零れたインクとペン。魔導樹脂が入れられたガラスの瓶。調合台。様々な色とりどりの宝石たち。もちろんそれらは観賞用ではなく、魔法の触媒だろう。
魔導士の研究所でも、こんなごった返した部屋になることはあるまい。個人的には好感を持てるものだが、話をするには少々狭すぎるような気がする。まぁ、本当に話をするだけなのだろう。
「改めて、今回はお命を助けていただき、本当に感謝しております。エルドリック様。」
「そうかしこまる必要はない。俺は、君が思っているよりも、腹黒い性格をしている。もっと警戒心を持った方がいい。」
彼の言うように、私は彼にいい印象を持ってはいない。件の縁談のことがあるからだが、だが、今はそんなことはどうでもよくなっていた。どうでもいい、は少し言い過ぎか。ただ、彼が何者であろうと、今の私にはどうすることも出来ない。命の危機に瀕している今の状態では、彼に従う他ないと思ったのだ。
「・・・では、エルドリック、と。呼ばせていただきます。今は、貴方にすがるほか道はないと考えています。助けていただいた見返りを求めるのであれば、可能な限り善処するつもりです。」
「急にしおらしくなったな。俺が知る君は、そうやすやすと誰かにへりくだるような人物ではなかったんだが。そうとう弱っていると伺えるな。」
「現に、体は言うことを聞きません。こうして、貴方の侍女の助けがなければ、ここへ赴くことも難しかったですから。」
せめて翼が思うように動かせれば、飛んで移動できたりしたのかもしれないけど。そんなことできるはずもない。いや、出来てほしくない。それができてしまったら、人間ではなくなりそうで。今さらかもしれないが・・・。
「まぁ、俺が君に求めることは、いくつかあるが、出来ればいつかの縁談の再考を願いたいものだ。」
「え?・・・。それは、その・・・。」
意外だった。あの時は、ふざけた話だと思っていた。従士の舐めたような態度は、こっちを格下とみなしているようにしか見えなかった。ただ、私としてはエルドリック本人の資質を見れていないので、判断にも困るというものだ。昔から家同士の関係があったわけでもないし、あまりにも縁が少なすぎるのだ。
「どうしてそこまで、私との縁談を?」
「何をわかりきったことを・・・。アダマンテ公爵家。帝国において公爵家と結ばれることは、第一王家と結ばれるよりも、難しいことだと俺は考えている。帝国王族と、貴族の違いだ。帝国王族は、アーステイル家と結ばれても、王家となれる可能性は限りなく低い。帝国は実力主義だ。血筋だけで上へのし上がるには限界がある。おれがいい例だろう?だが貴族は違う、公爵家をはじめ、他の州公は、いずれもその地位を長く存続させてきた。ちょっとのことで爵位を返上させられることもなく、下剋上が起こることはないんだ。」
エルドリックの言う通り、アダマンテ家は長年公爵家の地位を我が物にしてきた。アダマンテ家に限った話ではない。ここ数十年のあいだに、20ある貴族の爵位が入れ替わることはほとんどなかった。例外的に頭首が急死した、ローレンティス家等は別としてだが、基本的に貴族の立場が変わることはない。それ故に、貴族との婚姻は、自家の安泰に繋がるのだ。だが、上へ登ることもない。州公に嫁げばなおさらだ。常に上にいる公爵家に仕える形になる。戦争でも起こさない限り、新たな地位を得ることはない。野心家が多い帝国王族には、手を伸ばしがたい現実といえよう。
「君と結ばれれば、エクシアは多くの選択肢が見込める。俺は、自記国王となるには、力不足だ。帝国王族として、存続自体はできるだろうが、同じ帝国王族よりも、貴族相手の方が話が進めやすい。一応、父上は陛下の弟だからな。それに、公爵家と縁を結べば、貴族として存続する道もある。アダマンテは長年公爵家としての務めを果たしてきた。これから先もそうなることを考えれば、エクシアにつかる者たちも安心してついてきてくれるだろう。」
「他の公爵家は、選択肢にはならないのですか?公爵家は、何もアダマンテだけではありません。」
「一番優れた家を、真っ先に話を通すのは当然だろう?」
「一番?」
「君は、あのアルハイゼンに認められた淑女だ。オーネットでも、ミスリアルでもなく、プラチナムでもない。それだけで、最も優れた公爵家の令嬢と言えるのではないか?」
つまり、判断材料は、あの人だということか。理にはかなっているけれど、それは少し、あの人を神聖視し過ぎではないだろうか。
「それに、オーネットはともかく、ミスリアルのご息女は、まだ8歳だ。10も違う相手との縁談は、貴族の間ではごく普通のことだが、彼女の才能は、まだ何一つ開花していない。そんな相手を伴侶にするのは実力主義に反する。プラチナムに至っては、倅は全部男だ。俺には介入の余地がない。」
そうなると、必然的に私か、シルビアになるということか。そして、先ほどのアルハイゼンを判断材料に、一度縁談を断られているシルビアよりも、私を選んだということだろう。
「まさしく、政略結婚ですね。エクシアの存続、地位の安泰を望んだ縁談になるという。」
「そうだ。あくまで俺の見解に過ぎないがな。」
確かに、私も彼の立場ならば、同じような選択を取っているかもしれない。貴族として生まれておかげか、権力闘争には興味がないし、アルハイゼンに認められていなければ、王族になるという話だって魅力的には感じない。ただ、それで自家の問題を解決できるならば、かつての私ならば、その道を受け入れていただろう。そう、アルハイゼンと出会う前の私ならば。
だが、私は変わってしまった。いや、本性を現したというべきか。生来の傲慢さと、本心では愛ある婚姻を望んでいることが起因して、私は、あの人以外の縁談をすべて断ってきた。あの人に代わる人物でなければ、結婚することはないと。
だが心の奥底では、常に感じていた。私に縁談を求めてくる家は、いつだってエルドリックのような思惑を持って会いに来ているのだと。自家のため、あるいは野心のため。帝国の未来を生き抜くために、アダマンテの血を欲しがっているのだと。そういう政略結婚に、うんざりしていたのだ。
「君が多くの縁談を断っているのは知っている。だが、俺は僅かな機会があるなら、何度でも君に縁談を申し込むだろう。君を助けた報酬をもらえるならば、私は再び、君に縁談を申し込もう。」
エルドリックの目は、いたって普通だった。真剣そのものでもなく、怯えているのでもなく、普段通りの目をしている。彼にとって、この話は、重要なことではあるけれど、ダメならだめで、次の手を考えるしかないと、割り切っているのだろう。エクシアにとっての最前手を、しているに過ぎないのだ。ただ、それとは別に、彼には思惑があると感じた。私と結婚することで得られる大きなものを見据えているような気がした。それがとても気になった。
「・・・あなたが・・・。」
「ん?」
「あなたがそこまでして、我が家と縁談を望む理由は何ですか?」
「今しがた、話したはずだが?」
「いいえ。先ほどの話は、縁談が成立した際に得られる副産物にしかなりません。あなたの本心は、もっと大きなものを望んでいる。私は幾たびも帝国王族からの縁談を受けてきました。みんな、誰もがその目に野心の火を灯らせていました。あなたはその火を巧妙に隠していますが、私にはわかります。」
彼もまた、帝国王族の一員だ。何も考えていないというほうが、信じられないだろう。
私の言葉に、虚を突かれたのか、彼は少しばかり驚いたような表情を見せてから、少しだけ口角をあげて笑ったように見えた。
「・・・流石はお前が選んだ人だな・・・。」
「?」
「全ては、帝国のためさ。」
「帝国の・・・ため?」
「ああ。今この国に、現グランドレイブ帝国の存続を、真剣に考えている者たちが果たしてどれくらいいるか。ロウ。君は間違いなく帝国の一等星となる人物だ。そして俺は、それを支える立場になる。そうしなければならない義務がある。帝国王族として、貴族として、成すべきことを成さねばならない。そのために、君の力が必要だと思ったのさ。」
「・・・・・・すべては、帝国のために、ですか。」
「それだけで、理由は十分だろう?」