回想2
俺とは違い、アルハイゼンには王城に多くのお友達がいる。彼らは良くも悪くもアルハイゼンに取り巻いて、媚びを売ったり、情報を聞き出そうとしたりしている。アルハイゼンは、口が軽いというか、相手が腹の内にどれだけ黒い計画を立てていようと、気にしない。自分にとって不利益になる相手だろうと、気にしたりはしなかった。なにせ、あいつは自力で対処できるからだ。アルハイゼンを貶めようとする輩は少なからずいたけれど、誰もそれを成功させたことはない。むしろ、あいつにとってはそれすらも戯れになってしまう。そういうことを望んでいるかのように。
それでも暗躍する者はいつだって好機を窺っている。見ているこっちはハラハラして仕方がないというのに。
「今日は、なんだか顔色が優れないな?」
いつものように日が沈んだ見張り塔で、アルハイゼンと二人で語らっていたけれど、いつもの明るさがなかった。
「・・・まぁ、・・・・な。ちょっと、いろいろあって。」
「いろいろ?」
習慣のようにあっているから、彼がこのような姿を見せるのには驚いたものだ。狼狽えているような、驚いているような。それでいて、何かを隠している。隠し事が得意なアルハイゼンが、こうも無防備に見えるのが初めてだったのだ。
「・・・自分の伴侶に手を出して返り討ちにでもされたか?」
「ばっ!?そんなことするか!いや、似たようなことはしたが・・・・じゃなくて!」
・・・・したのか。まぁ、王子とはいえ15の青年だ。年相応に性欲くらいあるだろうし、ちょっとしたふれあいくらい既に済ませているのだろう。
「・・・声が、聞こえるんだ。」
「声?」
「・・・いろんな人の、声が。」
その時のアルハイゼンの言葉の意味を、もっとよく理解できていれば、俺はこの時、あいつが不治の病にかかっていると気付けたかもしれない。ただ、あまりにも情報が少なすぎて、どうあがいても、そんなことは不可能だっただろう。
「すごく小さい声で、声が飛び交っているんだ。口から発せられた声じゃない。心の、声。みたいな・・・。」
「・・・疲れてるんだろう?早めに休んだらどうだ?」
「あぁ、そうだな。いや、・・・もう少し話を聞いてくれよ。」
らしくないいとこを見るのは、どうしてか辛かった。お互い父親が親族ということで、幼いころから付き合いはあったものの、何もかも知っているわけじゃないのだ。
「ロウの奴、ここ数日で大分腕を上げてな。今じゃまともに打ち合っても一歩も引かなくなったんだ。才能があるっていうのは、本当にすごいな。」
「それで?稽古の最中に押し倒しでもしたのか?」
「だ、か、ら、違うって言っただろう。はぁ。なんていうか、長く一緒にいると、今まで見えてこなかった部分に目が行ったりしてな。あいつの、その・・・・。」
もどかしい。ついでに、何を聞かされているんだという気持ちになる。惚気話は、反応に困るのというのに。
「・・・あいつが歌を歌ってくれるんだ。いや、俺が歌ってほしいと言ったんだ。綺麗な歌声でな、それを聞いていると、夢を見ているような、洗脳されているような気がするんだ。」
「それ、大丈夫なのか?好きな女の声でどうにかなってしまうなんて。」
「いや、心地よいのはそうなんだけど、つい聞き入ってしまうんだ。ただ、ふとある時、自分でもよくわからない衝動に駆られてな、その歌声を発する唇を、塞いでしまったんだ。」
「・・・アルハイゼン。体に異変はないのか?」
「あ?ああ。いたって健全だ。ただ、あんな形で、あいつの唇を奪ってしまったことに、少し罪悪感を覚えてしまってな。」
またまた青臭い悩みだ。思春期の時期ならば、もう少し気持ちに素直になればいいものを。第一あの令嬢がその程度のこと気にはしないだろう。むしろ、喜んでいるんじゃないだろうか。客観的な予想だけど。
「いいじゃないか。いずれはそういうことも平然とやってのける仲になるんだろうさ。君のそれは、若さゆえの悩みだ。あと2,3年もすればもっと違う感情になっているよ。」
「・・・ジジくさい感想だな。なぁ、心の中で、俺に悪態でもついてるか?」
「あ?まぁな。惚気話を聞かされているんだ。少しくらいいいだろう?」
「そうか。・・・・ふむ、やっぱり嫌な感じだな。」
「声が聞こえるのか?俺から?」
「声って言っていいのかわからない。けど、ものすごく小さな声が聞こえるんだ。聞き取るのも、大変なくらいに・・・。」
この時のアルハイゼンは、本当に変だった。何か、目に見えない何かを見つめてるような気がして、まるで別人だった。
「なら、休むしかないな。私室に戻って寝ろ。あるいは、上手い飯でも食えば、元気になるさ。」
俺はこの時、気付いていなかった。この声が、かの公爵家に継承されている魔法特性を受け継いでしまっているなど。いや、それに気づけても、その魔法を既に発動してしまっていることには気づけなかっただろう。
仮にここでアルハイゼンが、魔力欠乏症にかかっていることに気づけても、治療薬は、まだ存在しない。助けられる術は、なかったのだ。
それからすぐに、アルハイゼンは床に伏した。魔力欠乏症を診断されてからは、見るからに弱っていくあいつの姿に、俺はどうにか救えないかと奔走した。既にエクシアには、クレスが従士として仕えていた。しかし、彼は医術士ではない。魔導士だ。容態を観察し、記録することしかできない。正確な診断を下せるわけではない。それでも、俺もクレスも、小さな変化も逃すまいと、つきっきりでいた。必ず、帝国初の魔力欠乏症克服を成し遂げてみせると。
病床に着いても、夕方ごろになると、アルハイゼンの私室には、数人の顔なじみたちが集っていた。あいつの取り巻きたちは、いつ消えるかわからない命を前に、それでもアルハイゼンに尽くそうとしていたのだ。ただ、それが善意だったのか悪意だったのか、それはこの時見極めることはできなかったのだ。
クレスの診察の時間になると、取り巻きたちは部屋の端っこまで下がる。それ自体はごく普通のことだと思ったから、気にも留めなかったが、彼らは俺とクレス、そしてアルハイゼンの話を聞いていたのだと思う。
「・・・それが、お前たちが見出した推論か。」
「あくまで可能性の話だ。君が、ロウ殿と口づけを交わしたと言った日から、声が聞こえるようになった。その際に、君は彼女の魔力を受け継いでしまったんだ。」
「はっ、それを無意識のうちに発動して、声が聞こえるようになったって?興味深い話だが、信じがたいな。」
「君が信じる信じないは関係ない。君は、他者から受け継いだ魔力が枯渇しているせいで、この病にかかっているんだ。すぐに、ロウ殿に事情を話して・・・。」
「だめだ。」
俺とクレスが何とか見出した解決策は、ロウ殿から魔力を供給してもらうことだった。口づけによって魔力が受け渡されるのなら、定期的にそれを行うことで、魔力は満たされ、症状の緩和につながるはずだ。少なくとも、命を落とす可能性は低くなるはずなのに。それでも、アルハイゼンはそんな方法を受け入れてはくれなかった。
「今回は俺だけだったが、そんなことをして、あいつまで病に掛かったらどうする?お互いに共依存関係で一生を過ごせっていうのか?俺は・・・そんな重石をあいつに背負わせることはできないな。」
「だがそれで君の命は助かるんだぞ!」
王子の命。さらに言えば、次期国王の命だ。公爵家の娘の命も、帝国にとっては大きなものだ。だが、国王の命より大きなものがあろうか。
命の価値を計ること自体、人として間違っているかもしれない。けれど、アルハイゼンほどの王の器を失うのは、誰にとっても大きな損失であるはずだ。だが、アルハイゼンの決意は、固かった。もともと王の器なんていう評価を嫌うやつだ。俺たちが思っているよりも、彼女を巻き込みたくないという思いは強いのかもしれない。
「自分のせいで、俺が死地に追いやられてしまったと知ったあいつの気持ちを考えてみろ。この病は不治の病。俺も、あいつに命を奪われるなら本望さ。」
馬鹿を言うな、と大声で怒鳴りつけてやりたかった。大きな声は体に障るからという名目で、寸前のところで留まった。愛する伴侶に重荷を背負わせたくないという気持ちも、唯一無二の王たる存在を助けたいという気持ちも、何も間違っていなかったはずなのに。誰も、悪くはないはずなのに。
結局この議論は、天命に身を任せるという形で収まった。アルハイゼンは最後まで、強情に俺とクレスの判断を聞き入れてはくれなかった。陛下に伝えることさえも、止められた。
この時は、所詮推論に推論を重ねた不確実な治療法だったのだ。本当に助けたいと思っているならば、確かな治療法を見出すべきなのだ。
アイツの気が変わらないのをみて、俺はもう死に目に向かうアルハイゼンと会うのをやめた。それまでに記した資料を基に、この病の治療法を模索することにしたのだ。この時には、もうアイツを救えないとわかっていた。だが、近い将来また同じ病にかかるかもしれない者のために、俺は、立ち止まるわけにはいかなかったのだ。それが、アイツの願いでもあったのだから。