運命
目が覚めたその日は、ほとんど情報を得られずに日が暮れてしまった。体が不自由な状態では、もどかしいけれど、回復に専念する他ない。頭の中の心配事は増える一方で、夜はなかなか寝付くことが出来なかった。
あれからどれくらいの日にちが経ったのか。ピスケスの状況はどうなったのか。王城では何事も起きていないか。北部戦線は?私を裏切ったアレンは、いったいどうしているんだろうか。
ただ横になっているだけでは様々なことが浮かんできて仕方がない。そもそもアレンに関しては、突然すぎる出来事だったため、気持ちの整理すらついていないのだ。
いったいどうして、こんなにも突然裏切ったのだろう。それとも、初めから相容れぬ関係だったのだろうか。この世界で、少なくとも帝国で初めて遭遇する種族違う人類と協力。そんなものは初めから儚い幻想だったのだろうか。だけど、彼は物言わぬ獣ではなかった。言葉を交わし、譲歩してくれて、コミュニケーションは取れていたはずだ。ならば、私の何らかの行動で見限られた可能性はある。私の何が気に入らなかった、協力するに値しないと思わせたのだろうか。
裏切られた側だというのに、私は自分が悪者のように思えていた。腕も食われて、本当だったら復讐心を燃やしてもいいだろうに。
「・・・・・・アレン。」
名前を呼んでも、小さな病室に答える人はいない。しばらくの間、ずっと一緒に行動を共にしていたせいか、一人が異様に心細く感じている。それに加え、夢の中であの人と再開してしまっているから余計だろう。
その日はそのまま、いつ眠りついたのかもわからずに、気づけば夜が明けていた。
日が昇ってしばらくしたころ、病室にクレスがやってきた。
「おはようございます。ロウ様。早速ですが、主がおかえりになりました。お体さえよければお会いになることが出来ます。」
「・・・随分早いですね。予定では今夜だと・・・。」
「はい。どうやら早くご用事が済んだようで。・・・いかがいたしますか?」
てっきり夜に会うものだと思っていたから、身も心も準備が整っていなかった。だが、早く話ができるなら好都合だ。今は少しでも時間が惜しい。私はエルドリックに会うことにした。クレスは車椅子を用意してくれて、エレノアが椅子を押してくれた。
屋敷は随分簡素なつくりだった。よく言えば素朴なつくりと言える。趣のある建物で、帝国では珍しい木造の建築だ。いや、貴族たちにとって珍しいというだけで、一般市民の間ではごく普通の建築物だ。
帝国はもともと鉱物産出が多いため、いわゆるお金のかかった建物というのは石造建築となってる。石切りの技術もそうだが、権力者となれば大地の記憶の魔法で鉱物を自在に変形させることも可能なため、そう言った建物が多く使われているのだ。だからこそ、アーステイルの血筋を求める貴族は多いのだが・・・。
そんな中での木造の屋敷というのは、ある程度現在位置を特定できる。要するに田舎なのだ。そんな田舎で、いったいこの屋敷の主はいったい何をしているのだろうか。好奇心半分、警戒心半分でいるべきだろう。
「こちらです。・・・エルドリック様、ロウ様が、お会いしたいと。」
クレスが扉越しに声をかけると、中から返事はなかった。その代わりに、扉の呼び鈴が唐突に揺れて音を鳴らした。それを見届けたクレスは何事もなく扉を開けたのだ。
(今のは、魔法?)
部屋の向こうから何らかの魔法を放って呼び鈴を揺らしたのだろうか?だとしても、見えてもいない呼び鈴に向かってどうやって魔法をかけたのだろうか。
エレノアに椅子を押されてはいると、そこには黒板に何らかのメモを取っている青年の姿があった。この世界にも黒板があるんだと、初めて知ったが、さすがにチョークまではなかった。彼が使っているのは筆のような形をした・・・よくわからない道具だった。インクが付いているようには見えないのに、その筆でなぞった黒板には白い線が描かれていく。まさか、あれも魔法なのだろうか。
「エルドリック様、ロウ様をお連れしました。」
「あぁ、ご苦労。クレスは下がっていいぞ。例の仕事を済ませてくれ。」
「はっ。」
彼はそう言ってゆったりと部屋を後にした。エレノアの方は、私の車椅子の車輪止めをしてくれた後、部屋の隅で待機していた。
「ロウ・アダマンテ・スプリング殿。こうして顔を合わせるのは初めてだったかな。」
「・・・・・・、お初にお目に掛かります。エルドリック・アーステイル・エクシア様。今回は、お命を拾っていただき、誠に感謝いたしております。」
「礼などいらない。君に死なれては困るから、助けたのだ。」
「・・・困る?」
エルドリックは、決してこちらを見なかった。話しながら黒板にメモを書き連ねている。なんというか、好感は持てないが、共感できる立ち居振る舞いだ。私との話よりも、自分のことが大事なのだろう。
「体の調子はいかがだろうか。」
「・・・無事、と言っていいのかはわかりませんが、ひとまずは大丈夫そうです。」
「ふむ。まぁ、表面上だけだろうがな。」
「え?」
「君は運が良い。そんな状態で生きているのは、正直驚いているよ。」
私の体の状態を知っての物言い。彼が私を助けたというのなら、治療を施したのは彼か、あるいは彼に付き従う医術士、治療師だろう。当然容体は、エルドリック自身も把握しているはず。私の体の異変を彼はその時知ったのだろう。龍化、という現象まで結論付けてはいないだろうが、もしかしたらこの現象をある程度理解したのかもしれない。
「エルドリック様。私はすぐにでもやらなければならないことがあります。ですが、この様ではまともに動くことすらできません。私の体の容態をご存じでしたら、お教えいただけないでしょうか。そして、出来れば体が言えるまでの治療をお願いしたいのです。」
「・・・・・・治療はしてやるさ。だが、今すぐ君をどこかへ向かわせるわけにはいかない。」
「なぜです?」
そこまでしてようやく、彼は筆を止め、私の方へ振り向いた。
「今君が一人問題に注力したところで、この帝国を取り巻く状況は何も変わらない。君は自身の回復に努めるべきだ。」
「それでもできることはあるはずです。病床に着いていても、やれることはいくらでもあるはずです。」
気高に私はそう言うと、彼はおおきくため息をついて、呆れているようだった。
「まぁ、いいさ。君はこの屋敷から出ることすら出来はしない。」
「・・・それは、貴方がそうするからですか?」
「いいや、君の病状は、君が思っているほど楽観視できるものではないからだ。」
病状というと、腕を食い千切られたことがそんなにも大きなダメージになっているのだろうか。そんなもの治療すればどうにかなる、そう言おうとした時だ。ふいに龍化の発作のような息苦しさが襲ってきた。全身から嫌な汗が噴き出してきて、体が重くなっていくような感覚になる。それを見たエルドリックは、足早に駆け寄ってきた。
「始まったか。エレノア、クレスの薬を持ってきてくれ。」
「はい、ただいま。」
二人は、至極落ち着いている様子だった。どうやら隣の部屋に薬とやらがあるらしく、エレノアはすぐに戻ってきた。彼女が手にしているのは、小さなガラスの小瓶に入っている、青白い液体だった。いかにも薬という見た目をしたものだった。少なくとも、人が飲食するものに、こんな色は存在しないだろう。
エルドリックは薬を受け取ると、瓶の栓を抜いた。
「ゆっくりと飲むんだ。少しずつ、舌の上になじませるように。」
私は瓶を受け取り、言われたとおりに、少量の青白い液体を口の中へ流し込んだ。味という味は、ほとんどしない。なんというか、鉄っぽい風味が感じられる。言い方は悪いが血の味がしたのだ。だが、それとは別に強烈な欲情が湧き上がってくるのが分かった。舌の上にのせて、口内で液体を転がしているうちに、どうしようもなく満たされるような感覚が私の理性を奪おうとしていた。初めてアレンと唇を交わした時のような、理性でどうにかできるものではない。私は思いっきり瓶を仰いで残りの液体を飲み干そうとしたのだが、エルドリックはすぐさま私の手を掴み、そうさせまいとしてきた。
「ゆっくりだ、少しずつ、少しずつ飲め。」
彼の制止になおも抗おうとしたけれど、弱った体で抗えるはずもなく、挙句瓶を取り上げられてしまって、結局彼に少しずつ構内へと流し込まれる形となった。何度か口にしているうちに、だんだんと理解してきた。これは、おそらく中毒性のある薬物が混じっているのだろう。そうでなければ、こんなにも欲する理由が浮かばない。あるいは、そういう理性を刺激するようなものなのだろう。
全てを飲み込んだ後、体の重さは消えてなくなり、息苦しさも無くなった。ふわふわと酒に酔ったような気分となり、視界がおぼつかなくなった。
「気分は、どうだ?」
「はぁ、はぁ、今のは?」
「魔力欠乏症の、禁断症状だ。魔力の無い状態で、長時間過ごしていると、体の生体機能が限界に達し、過呼吸や血流の異常な増加。心の臓に過剰な負担がかかって、そのまま死ぬこともある。」
「魔力、欠乏症?」
「そうだ。君は、魔力欠乏症を患っている。不治の病と言われる、あのアルハイゼンの命を奪ったものと、同じ病をな。」