42.来たる日にそなえて
父王を交えて話し合いをした翌日、メルはユリウスの部屋にいた。
ユリウスは傷口が回復するまで安静にしているようにと言われていて、基本はベッドの住人だ。そのユリウスの横でメルは編み物をはじめた。
「ユリウス様、疲れたら眠っていいのよ」
「眠くはありませんよ。メル様が編む姿を見ていたいのです」
「そんなのを見て面白いの?」
ユリウスにじっと見られていると感じると、なんだか照れくさい。
「6年前にいただいたスヌードがこんな感じで作られていたんだと思うと感慨深いですよ」
「そうね、そういうことがあったわね。あのときは初めて編み物をしたから、こんなにスムーズには編んでなかったのよ」
「そうだったんですか。一度目のスヌードも2度目のスヌードもとても暖かかった。私のお気に入りなんです」
そういえば、とメルは思い出す。ユリウスが消えた日、メルがあげたスヌードも一緒に無くなっていたと聞いた気がする。
「もしかして今でも持ってるの?」
「はい。ただ帝国に置いてきてしまったので、いつか取りに戻れればいいんですが」
「大切にしてくれていたのね。ありがとうユリウス様」
本当に残念そうな顔をしているユリウスを見て、メルは彼がすぐにでも取りに戻ろうとするのではないかと一抹の不安を覚えた。
「でもユリウス様の体の方が大事なんだから、取りに戻るのは上皇の問題が解決してからね」
「……そうですね」
「もう。そんなに悲しそうな顔をしないで。いま、新しいものを編んでいるんだから」
メルは膝から編みかけのスヌードをとり上げて見せた。まだ編み始めたばかりで全然形になっていないそれを、ユリウスは食い入るように見つめる。
「それは私のために編んでくださっているのですか」
「そうよ。これはユリウス様の新しいスヌードなの。6年間練習してたから、あの頃よりも上手にできるわよ」
ユリウスが消えた冬の季節になると、メルは気分がふさぎ込んでいた。その気持ちを紛らわすために始めたのが編み物だった。ユリウスを想いながら編む時間はメルのことを慰めてくれた。メルの部屋のクローゼットには6年分のスヌードが隠されている。
「今回は青い色のスヌードなのですね」
「うん。……前回はユリウス様の瞳の色だったでしょ? だから今回はね、わたしの瞳の色にしようと思って」
「メル様の瞳の色に……」
ユリウスは感動の瞳をメルに向けた。その眼差しに照れながらメルは今年の冬の編み物計画を打ち明ける。
「それでね、ユリウス様のができたら、次は自分用にブルーグリーンのスヌードを作ろうと思ってるの」
「メル様のは私の瞳の色?」
「ふふ。いいでしょ? お互いの色を少しでも感じられたらいいなぁと思って」
「メル様」
ベッドボードに背を預けて座っていたユリウスが、メルを呼び寄せるように腕を広げた。熱を帯びたブルーグリーンの瞳に求められたメルは彼の元へ吸い寄せられる。ギュッと抱きしめられて、メルは抵抗どころかその胸に頬を寄せて体を預けてしまった。
お互いの体温を感じられる距離にいる。その幸福にメルは浸った。
コンコンコン
「……きっとケイトだわ」
「もう少しだけ」
いったん体を起こしたメルはユリウスに素早く引き寄せられた。止める間もなくその唇を奪われる。
「ん……」
コンコンコンコン!
強くなるノックの音にメルが焦る。
「もう!」
メルはユリウスを押し返すと、ベッドから降りて椅子に腰かける。そしてやっと返事をした。
「ど、どうぞ」
入ってきたのはやはりケイトだった。ケイトはいつもの生温かい目をユリウスに向ける。ケイトにはこの部屋で何があったのか察することができたようだ。メルは恥ずかしくて慌ててケイトに声をかけた。
「ケイト。どうしたの?」
「辺境伯夫人からお届け物ですわ。いずれユリウス様が独り立ちしたら渡そうと保管していたそうです」
届けられたものは、ケイトでも抱えられるほどの小さな箱に入れられていた。
「ありがとう、ケイト。そうね、ユリウス様のベッドの脇に置いてくれる? 二人で確認してみるから」
「かしこまりました」
実は昨日の話し合いで、上皇にユリウスの母の形見を渡そうという話になっていたのだ。
昨日、気を落とすユリウスに父王がたずねた。
「ユリウスは今後どうしたい?」
父王の問いに項垂れていたユリウスがハッと頭を上げる。二人は互いに真っ直ぐ見つめ合った。
「私の気持ちは変わりません。メル様と一緒になりたい。ただそれだけが望みです」
ユリウスの曇りない意志を聞いた父王は一つ瞬きをした後、ゆっくりと頷いた。
「わかった。上皇が君を息子と認めなかった場合は、元々予定していた通り、辺境伯の養子になってもらおう。それからメルと婚姻を結ぶ形をとる」
「お父様!」
喜ぶメルに父王は落ち着けと視線で促した。
「問題は上皇がユリウスを手元に残したがった場合だ。上皇はユリウスをさらってでも自分の元に戻そうとしたくらいだ。話し合いで理解してもらえるかどうか」
メルの喜びが急速にしぼんでいく。やっと見えた希望に、上皇という大きな壁が立ちはだかる。
ユリウスはしばし思案顔をしていたが、ためらいながらも口を開いた。
「上皇が私をそばに置きたがるのは、私に母の面影を重ねているが故でしょう。私自身を愛しているわけではないと思います。でなければ、いくら人目に付かせぬためだからといって、特務隊の影の仕事をさせることはしないはずだ」
ユリウスが特務隊に入れられたのは14の頃だ。上皇ならもっと別の方法でユリウスを匿うことができたはずだ。それなのに、まだ大人になりきれていない少年に影の仕事をさせる。ユリウスはそれをどこかで疑問に思いながらも、上皇が自分を助けてくれたんだからと自分自身に言い聞かせてきたのかもしれない。
「今回、国王陛下とこうしてお話しできて、その事実を受け入れることができました。私はメル様だけが欲しいと言いながらも、上皇の……父の愛も欲していたようです」
苦しそうに言葉を吐き出すユリウスをメルは胸を痛めながら見つめていた。
「上皇は……今でも母を求めているのだと思います。私ではなくても母の代わりになるものがあれば、私にこだわらなくなるのではないでしょうか」
「なるほど……となると辺境伯が使えるかもしれんな」
ユリウスの話を聞いた父王はしばらく顎を撫でながら考えていたが、辺境伯に希望を見出したようだ。
「なぜ辺境伯なの?」
「辺境伯夫人とユリウスの母君は親戚同士で仲が良かったのだよ。だから形見の品を残してあるかもしれないと思ってな」
「形見の品を上皇にあげるってこと?」
「ああ。そこまで母君を思っているのなら、実際に本人が使っていたものに価値を見出すのではないかと思ってな」
母親の形見の品でユリウスへの執着がなくなるなら、それに越したことはない。ユリウスもそれに賛同したので、辺境伯へ遣いを出し、形見の品があればレイクルイーズへ送ってもらうことにしたのだった。
ケイトが部屋を出て行ったあと、ユリウスはベッド脇に置かれた小箱をそっと開いた。
その中には、愛用していたアクセサリーが数点、本人が刺しゅうを施したハンカチが一枚、そして日記が入っていた。ユリウスは日記を取り出すと、静かにページをめくる。いくつかページをめくるうちに、彼は乾いた笑いをもらした。
「どうしたの?」
「メル様。この日記は使えるかもしれません」
首を傾げるメルに、ユリウスは日記を見せ、その内容を説明した。その日記に書かれていた内容を読んで、メルは眉を寄せる。
「これは……」
「上皇にはこの日記を渡しましょう」
ユリウスがにこりと綺麗に笑う。その笑顔がなんとも毒を含んでいて、メルはドキリとしてしまった。そんなあくどい顔のユリウスも好きだと思ってしまうのだから重症だ。ほんのり頬を染めて見上げるメルにユリウスは嬉し気に口づけを贈った。
レイクルイーズにお忍びの来訪者がやってきたのは、その翌日のことだった。
「え?! 上皇が来たの?!」
メルの驚きの声が部屋に響いた。