40.ユリウスの過去
コンラッドらが駆け付けてきてくれたおかげで、ユリウスを助けることができた。
レイクルイーズの邸でユリウスを診た医師からこれ以上出血していたら危なかったと聞かされて、メルは床にへたり込んでしまった。それからはユリウスが目覚めるまでそばから離れず、ベッド横に椅子を置いてずっと看病していた。
あとでケイトから聞いた話だが、ユリウスは翌日の午後に一度目を覚ましたらしい。でもそのときメルは彼のベッドに頭を預けて眠ってしまっていたため気が付かなかった。
そしてメルが目を覚ましたのはその翌朝だった。寝ぼけ眼のメルはごろんと寝返りを打って温かい何かを抱き込んだ。それを抱いていると妙に安心する心地よい温もりだ。すりすりと撫でながら、こんな抱き枕を置いていたかしらとぼんやり思った。
「ふっ、ふふ……メル様、くすぐったいですよ」
(……ん?)
メルはゆっくりと瞬きを繰り返しながら声のほうへ顔を向けた。そこには優しく細められたブルーグリーンの瞳。少し薄目の唇は笑いをこらえきれず口角が上がっている。
「ユリウス様?!」
「おはようございます。メル様」
「お、おはよう?」
ユリウスは包帯の巻かれた手を伸ばし、頬にかかっていたメルの髪を優しくどかしてくれた。その仕草がなんとも甘やかに感じられて、メルは視線をさまよわせる。
「ええと……わたし、どうしたんだっけ?」
「メル様は私の看病をしてくださっていたんですよ。ですが疲れて眠ってしまわれたのです。そのままでは風邪をひいてしまいますので私のベッドへと移動してもらいました」
たしかにベッド脇にはメルが座っていた椅子が置いたままになっていた。
「ごめんなさい! わたし、なんてことを……」
メルは慌ててベッドを降りようとした。そんなメルの身体ごとユリウスが引き寄せて、その動きを止めさせる。
「大丈夫ですよ。このことはケイト殿しか知りませんから」
「そ、そう?……でもユリウス様はゆっくり寝られなかったわよね。寝相が悪くてユリウス様の怪我に触れたりしなかった?」
ユリウスに抱き寄せられたのが恥ずかしくて、メルは心なし早口になった。
「いいえ。眠り姫のごとく静かに美しく寝入っていましたよ」
「もう。ユリウス様ったら」
爽やかに微笑むユリウスに、メルは彼が怪我人だということを忘れてしまいそうになる。ついつい彼の腕の中で甘えたくなるのだ。
「ユリウス様、食事は食べられそう?」
ユリウスの腕から抜け出そうとメルは上体を起こす。だがすぐにユリウスから引き戻されてしまった。
「ユリウス様?」
「今は食事よりも私の体に必要なものがあるのです」
「え? なに? すぐに用意するわ」
薬か? 包帯か? メルは医者から渡された品を頭に浮かべながらユリウスを見上げた。彼の手がそっとメルの頬に添えられる。
「私にはメル様のぬくもりが必要なのです。触れていてもいいですか?」
「ユリウス様……」
ユリウスの親指がメルの頬を優しくなでる。ただ頬に触れられているだけなのに、どうしてこんなに体が熱くなるのだろう。メルの赤く染まった顔をユリウスの両手が包み込んだ。
「メル様。もっと触れてもいいですか?」
「うん……。もっと触れてほしい」
ブルーグリーンの瞳に熱がちらついている。その瞳を見ていたら、メルは暗示にでもかかったように瞼を閉じてしまった。
ユリウスの唇がメルのそれと重なる。メルのぬくもりをあますことなく感じるように、ユリウスは何度の角度を変えてメルの唇を食んだ。
それはケイトが朝食をもって現れるまで続いて、メルの唇をぽってりと色づかせた。ケイトから生温い目で睨まれたユリウスが居心地を悪そうにしているのを見て、メルはこっそりと笑ってしまった。
午後になってからユリウスの部屋へ父王が見舞いにやってきた。
ユリウスの体調が良かったこともあり、これを機にお互いの情報を共有するための席が設けられた。
「ユリウス様の差支えがなければ、どうしてあの時レイクルイーズからいなくなってしまったのか、教えてもらいたいの」
6年前のあの日、あと1日で婚約が認められるというときに、ユリウスは消えてしまった。メルたちはユリウスが湖に落ちて亡くなったと思っていたのだ。ユリウスが急に消えたのは、彼が皇帝の血を引いているという話と関係しているのだろうか。
「もちろんお話できますよ。隠しておく必要もなくなりましたし」
ユリウスはそう言って王に視線を向けた。王がひとつ頷くのを確認して、ユリウスは話し始めた。
「99日目の帰り道、私は使者殿に呼び止められました。そうして告げられたのです。メル様との婚約を認めるわけにはいかないから、身を引くようにと」
メルはその話に驚き、父王をにらみつけた。
「お父様! どういうこと? はじめからわたしとユリウス様を認める気がなかったの?!」
「そうではない。はじめは認める気でいたのだよ。彼の素性を知るまではね」
「素性って……」
「100日間という期間を設けたのは、彼の気持ちを試す意味が大きかった。だがそれだけではなく、彼の出自をその期間に調べるためでもあったのだ。何もなければ辺境伯の養子にでもなってもらい、メルと婚約させるはずだった」
当時の父王の思惑を聞いてメルは押し黙る。父王はメルの気持ちを十分に汲んでくれていたのだ。
「使者殿から自分の父親が帝国の皇帝である可能性が高いと知らされたとき、私ははじめ嬉しかった。それならば身分的にもメル様に釣り合うようになれると喜んだのです」
ユリウスが自嘲気味に微笑む。苦いものを飲み下したあとのように唇をゆがめた。
「だが使者殿から内情を聞いて、私はどん底に突き落とされた気分でした。母は正式な皇妃ではなく、皇妃の従妹であり侍女であったこと。私がこのままメル様と婚約して、もし皇帝の血を引いていると発覚したら、メル様まで皇位継承争いに巻き込まれるだろうこと。私はメル様の安全のために身を引くしかなかったのです」
「そんな……」
ユリウスは正式に認められた皇子ではないものの、皇帝の落とし胤であることは間違いないと思われた。それだけでも皇位継承争いの種になりそうなのに、アバンダ王国の王女と婚約しているとなれば、王国をも巻き込んだ争いに発展しかねない。それがわかるだけに、メルは言葉を失った。
「打ちのめされた私は一人になりたかった。馬車に乗せてくれるという使者殿の誘いを断り、一人で雪道を歩いていました。そこに現れたのがゼーバッハ公爵です」
「なんですって?! どうして彼が!」
突然出てきたゼーバッハ公爵の名に、メルは何か悪いことがユリウスに降りかかったのではないかと彼の手を握り締めた。




