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4.謹慎と家出

 はぁ。ユリウス様に会いたい。


 一週間を過ぎるとメルはだんだん不安になってきた。

 父王は「メルは病弱だから政略に使うことはない」と言っているのを聞いたことがあるから、きっとユリウスのことも大丈夫。そう思ってはみるものの、王侯貴族の常識も一応は理解している。家庭教師の言うことはもっともなことだった。


(ユリウス様はユリウス様なのに、身分が高ければ良くて、身分が低ければダメだなんておかしいじゃないの)


 そう憤ってもどうにもならないこともわかっている。でも何かに八つ当たりでもしていないと、不安に押しつぶされそうだった。

 気分転換に部屋から出て、庭を眺められるテラスへと向かう。そこの椅子に腰かけながらユリウスのことを思った。


 メルがこのような状態なら、ユリウスはもっと酷い立場に立たされているかもしれない。ただでさえ騎士団の中で壁があると言っていたのに、王女に求婚した身分をわきまえない若造という扱いになっていたらどうしよう。レイクルイーズの護衛隊長はユリウスにも理解があるみたいだったけど、他の人はわからない。


 鬱々とユリウスのことを考えていたせいか、庭を巡回中の騎士が彼のことを話題にしているのを聞いて、つい耳をそばだててしまった。


「それにしてもユリウスのやつ、よくやったよな。王女殿下に求婚なんて」

「ああ、殿下はまだ10歳だろ? マセてるよな」

「身分が高い人たちは子どものうちから婚約するって言うぜ。でもまあ、ほとんどが政略って聞くし、自ら10歳の子どもに求婚するやつはそうそういなさそうだけどな」

「たしかにな。辺境伯の命で団長に毎日しごかれてるし、国王陛下の返事によっちゃ追い出されるんじゃないか?」


 メルは息をのんだ。

 ユリウスが騎士団長にしごかれるなんて。はたして無事でいられるのだろうか。

 しかも辺境伯の命だと言っていた。辺境伯の客人という立場であるユリウスが、辺境伯の不興を買ったとなれば今後の生活自体が危ういかもしれない。


(ユリウス様が心配だわ。どうしたら……)


 メルは部屋へ戻る途中、ケイトにお茶の用意をお願いした。そして部屋に入ると急いでペンを走らせる。


 この求婚はメルの意志であること。メルが一方的にユリウスを望んで結婚の話をしたこと。ユリウスはメルの騎士としての立場を逸脱していないこと。


 あくまで自分が一方的にユリウスを望んでいると強調した。

 そして最後に、お転婆な自分の護衛はユリウスしか務まらないことを書き加えた。


 ペンを置くと、ちょうどケイトが戻ってきた。お茶とお茶菓子のクッキーがテーブルに並べられる。


「ありがとう、ケイト。お父様への手紙の内容を考えながらお茶をするから、一人で大丈夫よ。あ、そうだ。明日のおやつはフィナンシェがいいって厨房に伝えてくれる?」

「はい、伝えてまいりますね」


 ケイトが退室すると、メルはハンカチにクッキーを包んだ。それからクローゼットに向かい暖かそうなショールを3枚取り出す。もちろん父王への手紙を書くためではない。

 部屋からこっそり顔を出して誰もいないことを確認する。夕食の準備で慌ただしい邸内を横目に、メルは屋敷を抜け出した。


 先ほど書いた手紙は辺境伯に見てもらいたくて書いたものだった。メルが屋敷を抜け出したことに一番に気が付くのはきっとケイトだ。ケイトが手紙を見つけたら、そのあとは家庭教師や護衛隊長の目にも触れることになる。そして護衛隊長から辺境伯へ届けられるのではないかと予想したのだ。


 ユリウスではなく、メルが悪いのだと伝えることができたら、彼へのしごきが終わるかもしれない。彼を追い出さないでくれるかもしれない。


 本当はメルが直接辺境伯へ手紙を渡しに行きたかったが、きっと止められるだろう。陛下からの返事を待ってからにしろと。でもそんなに悠長に待っていたらユリウスの心身がボロボロになってしまう。ふつうに手紙を渡してくれるように頼んでも、いつどのタイミングで渡してくれるかはわからない。メルは一瞬でも早くユリウスを助けたかった。


 夕暮れの林を歩き目的の場所までたどり着くと、そこにショールを一枚敷き座り込んだ。体が冷えると咳が出るかもしれない。念のため、もう一枚のショールを体に巻き付けた。







 どれほど時間が経ったのだろう。

 日は完全に落ちてしまい、林の中は月明かりのみ。腹ごしらえにクッキーを食べている頃はまだ冒険気分を味わえたが、あたりが暗くなるにつれ、ふつふつと恐怖心がわいてきた。風で木々がザワつくたびに、獣が近づく足音なのではないかと怯えてしまう。メルは残りのショールを頭からかぶった。


(もう辺境伯様に手紙が渡ったかな。ユリウス様はしごきから解放されたかな)


 ユリウスが悪くないことをわかってもらえたなら、すぐに帰ると記してはいた。あまり遅くなると大掛かりな捜索になるかもしれない。それではお世話になっている隊長の失態になってしまう。いや、メルがここに居る時点で隊長に迷惑が掛かっているだろう。申し訳ないことをしてしまった。

 それにメル付きの侍女であるケイトも責められるかもしれない。ケイトが責任を取らされたらどうしよう。


 ユリウスのことだけを考えて突発的にここまで来たメルは、今更ながら自分に関わるたくさんの人に迷惑をかけていることに気が付いた。


 ユリウスの心配。ケイトや隊長たちへの罪悪感。申し訳ない気持ち。暗闇の怖さ。


 いろんな思いが混じり合ってメルの胸をいっぱいにする。王女の立場なら、邸でじっとしているのが一番適切だったのだろう。ユリウスが辛い目に合っているとわかっていても、先を見据えて。グッとこらえて。


 メルにはそれが出来なかった。大事な人が辛い目にあっていたら、どうにかして助けたい。そう思って行動した先は、別の大切な人を困らせる道だった。メルは膝に顔を埋めて肩を震わせた。


「……ユリウスさま」


 救いを求めるようにユリウスの名が口からこぼれた。その名を口にしたとたん、不安と寂しさがせり上がってきてメルの瞳に涙の膜が張る。


(まだ泣いちゃダメ。泣く前に、邸に帰って。皆に謝って。ユリウスさまの無事を確かめて。それからよ。泣くのはそれからよ)


 メルは自分に言い聞かせた。

 もう帰ろうかと腰を浮かせたとき、ガサガサと草を踏みしめる音がした。先ほどまでメルを怖がらせていた風のざわめきとは違う、あきらかに人が歩く音だ。


(護衛が探しに来てくれた? でも私を探す声は聞こえてこない)


 人探しにしては足取りに迷いがない。メルの心臓がバクバクと嫌な音を立てはじめた。こちらへ徐々に近づいてくる足音に体がこわばり、尻もちをつく形で座り込んでしまう。


(このあたりに盗賊がいるなんて話は聞いてないけど。万が一……)


 ガサリ――


 暗かった視界を急に明るく灯された。まぶしくて思わず目を閉じたメルは、次の瞬間ぎゅうぎゅうに抱きしめられていた。


「メル様っ! ご無事ですか?!」


 その声にハッとして目を開けると、そこにはランプに照らされたクリームのような金髪。


「ユリウス様?」


 まさかユリウスが来てくれるとは。メルは呆然として彼の顔を見つめる。そんなメルの髪を愛しそうにひと撫ですると、ユリウスはメルが怪我をしていないか確認し始めた。


「見た所、怪我はなさそうですが。メル様、お辛いところはないですか?」

「……胸が」

「胸に怪我を?」

「胸がいっぱいで……。ごめんなさい、ユリウス様。私のせいで辛い立場に立たせてごめんなさい」

「私のことなど」

「どうしてここがわかったの?」

「メル様がいるのは二人の秘密の場所以外にないと思ったんです。それに」

「それに?」

「みんなもメル様のことを思っていたんですよ」


 そう微笑みかけられると、今度は優しく抱きしめられた。


「私は大丈夫です。団長からの訓練は自分から願い出たものなんです。はやく正式な騎士になれるように強くなりたくて。だからメル様はなにも心配することはないんですよ」

「そっか……。わたし、早とちりして。……っ、みんなに迷惑を……ふっ……ごめんなさい」


 泣くのをこらえようとして、途切れ途切れの話し方になってしまった。それでもユリウスはメルの言いたいことを汲み取ってくれた。


「メル様。本当に大丈夫なんです。みんなちゃんとわかっています。実はメル様の居場所は護衛隊が把握していたんですよ」

「……え」

「メル様はお転婆ですからね。陛下からの返事が来るまで大人しく待ってはいないだろうと侍女のケイトさんも護衛隊のメンバーも思っていたようです。いつか私に会いに行くために屋敷を抜け出すだろうと予測して、メル様に気付かれないように護衛していたらしいのです」

「え、じゃあ……」


 メルは驚きに瞬いた。溜まっていた涙の粒がころんと落ちて頬を濡らす。それをユリウスが優しく指先で拭った。


「この周囲もはじめから護衛がいたようです。私の元へ行くのではなく、手紙を残して訴えるというのは予想外だったようですが。大慌てで私の元に隊長が来てくださいました」

「そっかぁ。……よかった」


 ユリウスはいじめられているわけではなかった。メルの逃亡でケイトや隊長たちが責任を問われることもなくなった。なんとなく肩透かしな事実だったが、メルはホッと息をついた。

 そんなメルの髪をユリウスが優しくなでる。


「メル様。私のことを心配して下さりありがとうございます」

「うん」

「ですが、もう無茶なことはしないでくださいね」

「……」

「メル様?」

「……うん」


 ユリウスに何かあったらメルは何度でも無茶をやらかしてしまいそうだと自分でも思っている。でも、大切な人たちに迷惑をかけないように注意しなければいけないことは学んだはずだ。善処しよう、とメルはうなずいた。


 さあ、帰ろう。ユリウスから差し出された手を握り立ち上がろうとしたら動けなかった。メルは首を傾げて足に力をいれるが、動かない。どうやら先ほどのことで腰が抜けていたらしい。


「メル様、どうぞ」

「ごめんなさい」


 ユリウスが差し出してくれた背中におぶさる。木のトンネルを出ると、メルたちから少し離れた所にポツンポツンとランプの明かりが見えた。おそらく護衛の人たちが見守ってくれていたのだろう。


「メル様」

「なあに?」

「泣いてもいいですよ」

「……」

「ずっと我慢していらしたのでしょう? 私の背に顔を預けてしまえば暗くて誰にも見えません」

「ユリウス様」

「無理をしないでください。私はメル様にとって安心できる居場所でありたい」

「うっ……、ううっ」


 先の見えない不安。ユリウスとの将来。王女としての生き方。ユリウスを愛しく思う気持ち。

 まわりに迷惑をかけてしまったこと。それでも感じられる優しさ。いま、この瞬間の安堵。

 

 すべてがメルの胸にうずまいて、涙となってあふれ出た。

 ユリウスのあたたかな背中がメルの思いを優しく受け止めてくれる。それが幸せで切なくて、メルの涙はしばらく止まりそうになかった。




 邸に戻ったとき「ご無事でよかった」と涙声のケイトに抱きしめられた。メルはケイトをはじめ、護衛隊や邸のみんなに謝ったが、みんなは温かな眼差しで見守ってくれていた。




 その翌日、王都の父王より手紙が届いた。




 そこに書かれていたのは――。


『100日間、欠かさずに王女のもとに通うこと。それが出来れば婚約を認める』



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