38.束の間の
コンラッドが窓の外を伺う。
「確認できた追手は二人です。他にも隠れていそうですが」
二人だけならコンラッドとユリウスで対処できるだろう。だが、他にも隠れていた場合はこちらが不利になる。
「私が囮になり、やつらを引き付けます。その間にお二人は逃げてください」
「待って! 危険だわ」
コンラッドの申し出をメルが慌てる。いくらコンラッドが優秀でも敵の中に一人残るのは了承できなかった。
「心配はいりません。敵に突っ込んでいくのではなく、二手に分かれて敵を分散させるのです。幸い私の服はユリウス殿と似ています。敵の半分は引き付けられるでしょう」
「ではメル様と私はその隙に馬車から降りて林を抜けることにします。上手くいけば追手はコンラッド殿と空の馬車を追うはずだ」
たしかにコンラッドの服は黒かった。遠目から見たらユリウス様が逃げたのかと思うかもしれない。だが狙われているメル本人よりもコンラッドに危険な役割をさせることに罪悪感を覚える。メルは瞳を揺らした。こうしてメルが迷っている間にも追手は近づいてくる。メルはグッと手を握り締めた。
「コンラッド様。お願いします。でも無理はしないで」
「承知いたしました。ユリウス殿、メルティナ殿下を頼みます」
「命に代えても」
コンラッドは御者席に移ると、馬を一頭はずし、それに乗って少しのあいだ馬車と並走した。わざと追手にその存在を気付かせてから馬車道のわきに広がる林の中へと入っていった。
メルたちも追手がコンラッドに気を取られているうちに、馬車から飛び降りた。草むらになっている場所があったことと、ユリウスがメルを抱えてくれたことで、メル自身はそれほどの衝撃を受けずにすんだ。
「ユリウス様、大丈夫?」
「ええ、私は平気です。それよりも早く行きましょう」
腰を低くして木の陰まで移動すると、そこからはユリウスに手を引かれながら小走りで林を進む。見つからないように、あえて草木が生い茂る場所を行くため、思った以上に体力を奪われた。だんだんと息が上がってくるメルにユリウスが心配そうに何度も振り返る。
「メル様。やはり私が背負いましょう」
「ううん、まだ大丈夫。頑張れるから」
今にも屈んでメルを背負いそうなユリウスに笑顔を見せる。さすがにユリウスは息を上げてはいないが、だんだんと顔色が悪くなっている気がする。彼の負担になることなくメルは自分の足で進もうとした。
メルが足を踏み出したとき、木の根につまずきよろけてしまった。ユリウスが咄嗟に支えてくれ何とか転ばずにすむ。足元を確かめようとメルが下を向いたとき、ユリウスの足が目に入った。
「ユリウス様……足が……」
見間違いかと思い、よく目を凝らす。黒い服とブーツのせいでわかりにくいが、左ひざ下の色が濃く変わっていた。メルは確認しようと手を伸ばす。
「メル様! いけません」
「これ……血?」
メルの指先が赤く染まった。ユリウスの左足が血に染まっている。
「もしかして傷口が開いていたの?!」
「これくらい大丈夫です。心配しないで。レイクルイーズまで急ぎましょう」
ユリウスにうながされ足を前に進めながら、メルは必死に記憶をたどった。
(どこかにユリウス様を休ませる場所があれば……)
馬車を降りてからかなり歩いた気がする。レイクルイーズの邸まではもう少しだろう。林の景色は先ほどから同じように思えるが、メルはなんとなく見覚えがあった。
「あ……! ユリウス様こっち!」
メルはユリウスの手を引いた。メルの視線の先には、むかしユリウスと二人で秘密の場所として遊んだ木のトンネルがあった。
「これは……」
「なつかしいね。まだあったんだ」
ユリウスは木のトンネルの前で懐かしそうに目を細めた。メルもまたユリウスと二人でこの場所に来られたことに心が震えている。
「ユリウス様。この中に隠れよう。その間に手当てもするから」
木のトンネルの中に入り、ユリウスのブーツを脱がせる。メルはスカートのすそを破いて彼の足に巻き付け止血をした。
「メル様。私に寄りかかって少しでも体を休めてください」
「ありがとう」
メルはユリウスの足の間に引き寄せられる。彼の胸に背をあずけると、背中から抱き込まれた。
「ふふ。覚えてる? ここでユリウス様がわたしにプロポーズしてくれたの」
「忘れたことなどありません。私はあの頃からいつもあなたを想っていたから」
「謹慎になって、この場所に家出した時も、ユリウス様が迎えに来てくれたんだよね」
「そうでしたね。メル様はおてんばだった」
思い出の場所で、もう会えないと思っていたユリウスと一緒にいられる。奇跡のような幸福だ。ユリウスも同じ気持ちでいるのか、切なさと愛おしさを込めた瞳でメルを見つめていた。
どちらともなく二人の顔がゆっくりと近づき、その距離がなくなる。窓越しに感じた冷たく硬い口づけではなく、お互いの温かさと柔らかさを感じて、涙が出そうだった。
離れがたくて、頬をくっつけたまま、しばらくお互いの存在を感じていた。
そうしてメルは決心をした。
「ユリウス様。わたし、助けを呼びに行ってくる」
「私はもう動けます。一緒にレイクルイーズを目指しましょう」
突然の言葉に驚いたユリウスはメルの腕をつかんだ。
「ううん。無理はしないで。ここでユリウス様の血が流れ過ぎて死んじゃったら……わたしは絶対に後悔する。だからわたしが助けを呼びに行くの」
メルはユリウスのために動きたかった。かつてこの地で100日間の試練があったときも、動いたのはユリウスで、メルは待っているだけだった。二人の未来のために今度はメルが動く番だ。
「……道は覚えていますか?」
「うん。大丈夫。きっと助けを連れてくるから、ここで待っていてね」
ユリウスのブルーグリーンの瞳が苦し気に揺れている。本当はメルを一人で行かせたくないのだろう。メルをレイクルイーズに送り届けるためならその身さえ犠牲にしそうだ。だが、ユリウスはメルの意志を尊重してくれた。このままユリウスが歩き続けて倒れた時、きっとメルの心には大きな傷が残るだろうから。そして、その事態を想定するほどユリウスの足の傷は深いのだろう。
「念のためにこれをお持ちください」
それはユリウスの銀のナイフだった。
「いいの? ユリウス様のは?」
「私のぶんもありますから大丈夫です。くれぐれも気を付けて」
彼の分身を持たせてくれたようでメルは心強くなった。それを胸元へと隠すとメルはユリウスを木のトンネルに残して、レイクルイーズへと走った。