37.メル、逃げる
隠し扉はから出た先には目立たぬようにひっそりと馬車がとめてあった。コンラッドの先導でその馬車に乗り込むと、メルはひそめていた息を吐き出した。
「この馬車は?」
「コンラッド殿が用意してくださいました。私はメル様を救出することで頭がいっぱいだったので、彼がいてくれて助かりました」
メルがコンラッドに感謝の視線を向けると、彼はいつも通り生真面目な顔をしていた。
「陛下よりメルティナ殿下をくれぐれも頼むと仰せつかっておりますので」
「お父様が帰国するときに『メルを頼む』って言ってたこと?」
「それだけではありません。陛下はこのような事態になることをご懸念されていらっしゃったのです」
父王が今日の事態を想定していたということだろうか。メルは驚いてコンラッドとユリウスを交互に見やった。
「どういうこと?」
「私もメル様を助けに行く途中で話を聞いたのです」
ユリウスがメルの背を撫で落ち着かせようとする。ユリウスの手がなかったら、メルはコンラッドのほうへと身を乗り出していただろう。
「この馬車はまもなく宿へと到着します。そこにケイト殿を待機させていますので、今後のことを含めて部屋で落ち着いて話しましょう」
コンラッドの言葉にうなずいたメルは、おとなしく座って宿に向かった。
人目を忍んだ宿に向かうのかと思っていたら、到着したのはいかにも貴族御用達の高級宿だった。こんなに目立つ場所に入って大丈夫なのかと不安に思うメルだが、コンラッドもユリウスも堂々としている。すでに話は通っているようで、何も聞かれることなく部屋へと案内された。
「姫様! 心配しましたわ。ご無事でよかった!」
部屋に入ったとたんにケイトに抱き着かれて、メルはやっと人心地ついた気がした。周りを見渡せば見知った護衛たちもいて、メルはコンラッドの周到さに驚くばかりだ。
「ケイト。心配かけてごめんね。これからコンラッド様たちと話をしたいからお茶を入れてくれる?」
「はい。もちろんですわ」
お茶の用意が終わるとケイトはメルの後ろに立った。それを合図にコンラッドが話し始める。
「国王陛下は上皇がメルティナ殿下を皇妃にしたがるのではと考えておいででした」
「そうなの? お父様はわたしのことを皇妃の器ではないから大丈夫だろうって安心しているように見えたけど」
「当初はそうでした。ですが実際に帝国へ赴き、新皇帝陛下がメルティナ殿下へ向けるまなざしを見て考えを改められたようです。それに情報収集もなさっておいででしたので、何か感づかれたのかもしれません」
メルから見ればのんびりしているように思える父王だが、実は色々と動いていたらしい。
「陛下は一旦レイクルイーズに立ち寄り、メルティナ殿下を待っておられます」
「レイクルイーズに?」
その懐かしい響きにメルは思わずユリウスと顔を見合わせた。
「はい。もしメルティナ殿下が帝国から逃げ出してくることになったら、陛下ご自身が国境に近いレイクルイーズにいた方が対応をとりやすいと仰っていました」
「それってユリウス様も一緒だとわかったうえで?」
「はい。ユリウス殿の存在にも気づいておいででした」
「そこまで見越していたの……」
上皇もしくは皇帝がメルを皇妃にと狙っていることがわかっていたが、メルを茶会に呼び出して説得を試みるなど穏便な方法をとると予想していたらしい。そこでコンラッドはメルを帰さないと言われた時のための逃走ルートを用意していた。それゆえにメルが連れ去られたあと、すぐにケイトや護衛を動かして対応できたのだ。
「ユリウス殿にお聞きしたい。上皇陛下は追手を差し向けてくるだろうか」
「おそらく追手は来るでしょう。メル様と私の両方を狙って」
「ユリウス様も狙われるの?」
ユリウスの顔が強張っているのがわかり、メルは彼の手に自分の手を重ねる。その手のぬくもりを感じるようにユリウスは一度目を閉じた。
「私の容姿はあの人が愛した女性……母の面影を色濃く受け継いでいるようで、私を手元に置きたがっているのです。私が強く思いを残しているメル様を皇帝の妃にして、私を諦めさせようとしているのだと思います」
「そんな……」
メルは上皇の真意に驚く。上皇は愛しい人の身代わりをユリウスに求めているのか。そしてメルを妃に望むのは、国益のためではなく、自分がユリウスを手元に置くためだとは。
「ユリウス様」
「大丈夫です。あなたを渡したりしません」
ユリウスの手を強く握ると、彼はその上に手を重ねてくれた。ユリウスはメルを安心させるように微笑んだ後、コンラッドに視線を向けた。
「皇帝陛下の寝室にメル様がいないことがバレるのは明日の朝……いえ、皇帝陛下が上手く誤魔化してくれるなら昼近くでしょう。それから上皇に情報が流れるとすると……夕刻前には国境を越えたいですね」
「では我々は今夜中にこの宿を出て国境を目指そうと思います」
視線を下げて思案していたコンラッドがそう提案した。そうしてメルの後ろに立っていたケイトに視線を向ける。
「ケイト殿と護衛たちはここに残していきます」
「なぜ? 逃げるならみんなで逃げないと」
「上皇が気に掛けているのはメルティナ殿下とユリウス殿だけです。夜のうちに我らだけで逃げて、ケイト殿や護衛には囮になってもらいます」
「わかりました。わたくしはここに残り、姫様がまだ滞在されているように装えばいいのですね?」
メルよりも早くコンラッドの提案を飲み込んだケイトは、メルを見て温かな笑みをくれた。
「姫様。せっかくユリウス様と再会できたのですもの。なんとしても逃げてくださいね」
「ケイト……ありがとう」
「ケイト殿、ありがとうございます」
メルはケイトの気持ちが嬉しくて瞳を潤ませる。目の端から零れ落ちそうな涙をユリウスの指先でぬぐわれた。その光景をケイトが微笑ましそうに見ている。幸せな瞬間だった。
そのあとは慌ただしかった。
ケイトと護衛たちは、なにもなければ翌日の午後に宿を立ち、ゆっくりと休みながら進むことになった。
メルとユリウスとコンラッドの三人は夜中に馬車を走らせて、できるだけ国境に近づくようにした。途中、小さめの宿で休憩を取り、馬を変えて出発する。それを繰り返し、昼過ぎには国境を超えることができた。
やっと自国に入りメルは安堵の息を吐いた。ここまでくれば大丈夫だろう。
「あと一時間も走ればレイクルイーズに着くわ。楽しみね」
弾むメルの声にユリウスが頬を緩める。コンラッドの表情も心なしか柔らかいようだ。
「コンラッド様はレイクルイーズに寄るのは初めてよね? ユリウス様と一緒に案内してあげるわ。本当に綺麗な場所なのよ。ね、ユリウス様」
「そうですね。私も久しぶりに見て回りたいな」
「楽しみにしています。セアラが羨ましがるでしょう」
そうだ。セアラの一言がきっかけで、メルは帝国の学院に興味を持ち、色々あったけどユリウスと再会できた。彼女にも何かお土産になるものをもって帰りたい。
「ユリウス様。セアラ様はね、わたしの友人で」
メルが機嫌よくユリウスに話しかけているときに、コンラッドのまとう雰囲気が一変した。
先ほどまでは柔らかい表情を見せていたのに、今は緊張した面持ちだ。
ユリウスは表情も態度も変わらないが、メルを守るように抱き込みながら、いつのまにか手に銀のナイフを握っていた。
「どうやら追手のようです」
窓の外をうかがっていたコンラッドの声で馬車内の緊張が一気に高まった。




