34.祝賀会の庭園
即位式が無事に終わりカイは新しい皇帝となった。
即位を祝う夜会が三夜連続して行われることになっている。メルは三夜とも出席してから帰る予定だ。父王は初日の夜会が終わった翌日には帰国の途についた。その際、父王がコンラッドに「メルを頼む」と言っていたのを聞いて、まだ諦めてないのかと遠い目をしてしまった。
「夜会も三夜目ともなれば緊張感も消えて賑やかですわね」
隣からシュテフィの明るい声が届く。メルはユリウスを探したくて夜会に参加していたのだが、まったく目的を果たせていなかった。皇妹であるシュテフィの友人であり、アバンダ王国の王女という肩書が邪魔をして、終始誰かが挨拶にやってくる。なかにはカイとメルの噂の真相を確かめたくて会話を誘導しようとする者もいた。穏やかな表情で話題をかわしてくれるシュテフィの隣に立ちながら、メルは何度も頬がひきつりそうになった。
(もっと会場を回ってユリウス様がいないか探しに行きたいわ。参加者だけじゃなくて、警備の騎士とか給仕とかも探ってみたいのに)
気付かれぬようため息をこぼしたメルの元に人影が差した。顔を上げればそこには皇帝になった凛々しい姿のカイが立っていた。
「メル様、疲れましたか?」
カイから声をかけられたのは即位式の後、父王と共に形式的な挨拶をしたとき以来だ。カイとまともに話す機会がなかったのでメルは思わず顔をほころばせた。
「カ……陛下。楽しんでおりますわ」
「よかった。ダンスに誘おうと思っていたのです」
この場でカイからのダンスを断れる者はいないだろう。メルはさりげなくカリーナの居場所を探したら、彼女はどこかの王族と踊るところのようだ。
「……光栄ですわ」
カイの左腕に手を添えてメルはしぶしぶホールへとむかった。
「カリーナと会ったそうですね」
「うん。お茶にお呼ばれしたわ」
「皇妃になることを勧められたでしょう?」
踊り始めれば周囲に会話を聞かれる心配はなくなる。カイがいたずらっぽく笑ってカリーナとメルのお茶会の内容を当ててみせた。
「……断ったわよ?」
「それは残念です」
カイがメルに笑顔を見せるたびに周りがざわついている気がするのは自意識過剰だろうか。自分たちの噂があることを知っているのにダンスに誘ってくるなんて。
「どういうつもり?」
メルはカイを軽くにらんだ。二人の身長差では上目遣いで見つめているように見えることにメルは気付かない。メルの手を握る力が強まったのは、自分が睨んだせいだと思っていた。
「どうとは?」
「誤魔化さないでよね。わたしたちの噂があるのに、この場でダンスに誘うなんて。みんなが期待して見ているじゃない」
「大丈夫ですよ。他の女性とも踊っていますし。それに私たちが仲の良いことは知られているのですから、ここで誘わない方が不自然に思われますよ」
「そうかもしれないけど……」
「なにか不安ですか?」
「……ううん」
メルは自分がカイと踊るところをユリウスに見られたくないと思ってしまう。
(もしユリウス様がわたしたちの噂を知っていたら誤解しないかしら)
どこか落ち着かない様子のメルにカイは急にリードを強めた。メルの腰を引き寄せクルクルと回転する。ダンスの得意なメルはなんとかバランスを崩さずについていけたものの、驚いてカイに密着したまま踊ってしまった。
「カイ?」
「私は噂を本当にしたいと思っていますよ」
「カイ……でも、わたしは」
「わかっています」
そこで曲が終わった。だがカイはメルを離さず、もう一曲踊ろうとする。この場でカイと何曲も踊ることは噂を増長することになりかねない。焦りを感じたメルがカイを見上げると、まっすぐな瞳とぶつかった。いつものような軽口で済ませられない熱を感じる視線にメルはたじろいだ。なかなかメルを離さないカイに周りがざわつき始める。
(カイ、ごめんなさい!)
メルはカイから握られていた手を外側にひねる。不自然な向きにされたカイの手がメルから離れた。そのすきにメルはサッと身を翻すと、カイと踊りたくてそばをウロウロしていた令嬢の一人の前に、カイの手が投げ出される形になった。
「え」
「陛下! 光栄です!」
思いがけず別の令嬢を誘うことになったカイに申し訳なさを感じながらも、メルは会場を抜け出した。
カイと踊って注目を浴びた以上、会場でユリウスを探すことは叶いそうにない。メルは仕方なく庭園へと出た。
明日はもう帰国する日だ。それなのにまだユリウスとは会えていない。
(また会おうって言ったのに……。もしかして帝国でじゃなくて帰国してからってことだった?)
悩みながら歩いてきたメルは庭園の奥のガゼボまで来ていた。会場付近の庭にはまばらに人がいたのだが、ここまでくると誰も見当たらない。メルはベンチに腰掛け、ぼんやりと月を眺めた。
「会いたいな……」
メルのつぶやきは晩秋の夜空へと吸い込まれる。
このガゼボは柱や屋根にツタが絡まり庭に溶け込んでいた。メルはここに座っていると、子どもの頃にレイクルイーズでユリウスと見つけた秘密の場所を思い出す。
(こっそり家出して、ユリウス様が迎えに来てくれたことがあったわね。なつかしいなぁ)
メルは温かな気持ちで夜空に向かい息を吐いた。これまでメルがレイクルイーズを振り返るときは常に切なさと寂しさが共にあった。レイクルイーズのすべてがユリウスを失った思い出につながってしまうから。
でも今は違う。彼は生きていた。メルの前に姿を見せてくれた。それだけで過去の思い出が温かいものに変わっていく。
「月の夜はいつも秘密の場所にうずくまるあなたを思い出していました」
急に背後から駆けられた声にメルは勢いよく振り返る。そこには待ち望んだ人がいた。
「ユリウス様!」
メルは立ち上がりガゼボの入口へと急いだ。ユリウスもまた静かな足取りでメルの元までやってくる。
「ユリウス様、会いたかった!」
「メル様!」
たまらずユリウスに飛びついたメルを彼はしっかりと受け止めてくれる。ユリウスの手がメルの背に回り、彼に包み込まれてメルはようやく安心した。
「もし会えなかったらどうしようって心配だったの。よかった」
喜びと安堵をにじませるメルの声を聞いたユリウスはさらにメルを強く抱きしめた。
「私もすぐにお会いしたかった。あなたと離れるのは耐え難い苦痛です」
「ユリウス様……だったら離れないで」
ユリウスの胸にうずめていた顔を上げたメルは彼に懇願する。
「わたし、明日は帰国しないといけないの。ユリウス様も一緒に来れない?」
「メル様……」
ツラそうに目を細めるユリウスを見てメルは望みが叶えられないことを知る。だがこのまま離れたくはなかった。せめて彼の状況を知り、いつでも連絡を取れるようにしておきたい。
「ユリウス様は……何者なの?」
「申し訳ありません。まだ身分を明かすことは許されていないのです」
聞きたいことがありすぎて、うまくまとめることが出来ず、端的な質問になってしまった。メルの真っ直ぐな問いかけにユリウスは苦しそうにした。それでもメルの瞳を真摯に見返して今告げられる最大限の言葉を紡ごうとする。
「ですが新皇帝の御代が落ち着いたら、私の身分を明かせるようになります。そのときは」
「そのときは?」
「あなたにもう一度求婚することをお許しください」
ブルーグリーンの瞳がメルをひたと見つめている。
「あなたと離れてから闇の中を生きているようだった。それでも何とかやってこられたのはメル様という光が私の胸にあったからです。どうかもう一度……あなたのそばに」
あの頃と同じユリウスの優しい瞳。そのはずなのに、ブルーグリーンの瞳の奥に燃えるような熱が隠されている。大人になったメルはそのことに気が付いた。だけど怖いとは思わなかった。むしろもっと見たいとさえ感じていた。
「わたしにはユリウス様だけ。ずっと……ずっとそう思って生きてきたの。夢みたいで嬉しい!」
メルの満面の笑みを見て、ユリウスも柔らかく瞳を細める。子どもの頃から端正な顔立ちだったユリウスは、美しさにさらに磨きがかかり、月あかりに照らされた姿は妖艶な空気さえ醸し出していた。その彼の顔がゆっくりとメルに近づいてくる。メルはユリウスの上着をギュッと握りながらも彼を受け入れようとした。その時――。
急にユリウスのまとう空気が変わった。素早く振り返りメルをその背に隠したと同時に、ザリッと足を踏みしめる音が聞こえた。複数人の気配を感じる。ユリウスの背に緊張が走るのを感じ取ったメルはそっとその背に手を当てた。
「メルティナ殿下をこちらに渡してください」
聞こえてきた要求にメルは息をのんだ。