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31.ベランダの密会

 

 メルが自室に戻ったのは日付が変わる頃だった。

 手早く湯浴みを終えるとケイトたち侍女には下がってもらう。なんだか疲れてしまってすぐに寝ようとベッドに入ったメルだったが、神経が昂っているのかなかなか寝付けなかった。


 メルはごろりと寝返りを打ち、先ほどの会話を思い返す。

 カイに噂のままで終わらせたくないと言われて困惑したメルは、彼にユリウスが生きていたことを伝え損ねてしまった。


(ユリウス様といい、カイといい、意味深な言葉で惑わすのは止めてほしいわ)


 メルは気分を落ち着けるように深呼吸をした。胸の中にたまっているユリウスへの不安な感情をすべて吐き出すように深く息を吐く。それでもメルの中からユリウスのことは消えなかった。


(お茶でも飲んで落ち着きたいけど、さすがにケイトを呼び出すのは申し訳ないし)


 メルは起き上がって水差しに手を伸ばした。


 カタン――


 そのとき、ベランダから微かな物音が聞こえた。風が窓を叩いたのかと思い、特に気にすることもなくメルは水を飲む。メルがグラスを置いたとき、トントンと微かに窓に触れる音が響いた。


(ウソ……誰かいる?)


 ベランダに人の気配を感じとりメルはじっと目を凝らした。


(もしかして刺客が……)


 心臓がばくばくと鳴り始める。メルは視線を扉へと向けた。寝室の扉を出たらリビング兼応接間がある。その部屋の扉を開ければ警備の者がいるはずだ。


(叫んで助けを呼ぶ? でもそれだと警備が来る前に逃げられるかも。相手にバレないように部屋を抜け出してこっそり警備を呼んだ方がいいのかな)


 メルはベランダの気配を伺いながら、じりじりと扉の方へ下がる。そのとき、ベランダの人影が動いた。


 トントントン――


 まるでノックをしているようだ。そこでメルは足を止めた。


(刺客がわざわざノックする? 音を立てる? なんかヘンね)


 もう一度、トントントンと音がする。指先で軽く窓を叩いているような音だ。


(……あ)


 メルはあることに気が付いた。

 ベランダの人影に目を凝らすが、長身の人物ということしかわからない。だがメルの脳裏には一人の人物が浮かび上がっていた。

 恐る恐るベランダへ近づくと、カーテンをほんの少し開けた。その隙間からベランダをのぞいてみる。ベランダに立ち月明かりに照らされた人物はメルの思い描いていた人だった。


「ユリウス様……!」


 メルは急いでベランダの窓を開けた。夜の空気が流れ込んでくる。冬間近の冷たい空気だ。


(あの頃みたい)


 レイクルイーズでユリウスが毎日メルの元へ訪れていた頃。寒い寒い雪の中をこうして会いに来てくれた。ブルーグリーンの瞳を細めて、優しい笑顔を見せてくれた。メルとの結婚を夢見て。


「メル様」

「ユリウス様……入って。寒いから」


 あのころと違うのは、ユリウスを部屋に入れてもいいこと。彼と話をしてもいいこと。

 でもメルは何と言っていいのかすぐには思いつかなくて、言葉少なにユリウスを部屋へと招き入れた。護衛に勘づかれないように、そっと窓を閉める。


「ありがとうございます。よく私だと気が付きましたね」

「うん。むかしのユリウス様を思い出したの。最後に会ったとき、指先で窓をコンコンって叩いてたから」


 あのときメルとユリウスは窓越しにキスをした。ほんの一瞬だけの甘い記憶だ。

 ユリウスが会いに来てくれた嬉しさから、大切にしまっておいた思い出の一部を思わず話してしまった。もう6年も経っているのに、彼のそんな些細な仕草を覚えているなんて。メルは恥ずかしくなって視線を泳がせた。


「ああいうのは初めてだったから、忘れられなくて。ユリウス様は覚えてないかもしれないけど」


 早口になりながら言い訳をするメルの手をユリウスが握る。外にいたせいでひんやりしている彼の手は昔よりも大きくて節くれだっていた。それでも長くて綺麗な指だとメルは思う。


「覚えていますよ。メル様を忘れたことは一日たりともありません」


 ユリウスの言葉にメルは顔を上げた。真っ直ぐにメルを見つめるブルーグリーンの瞳にウソは見当たらない。メルは無意識に彼の名をつぶやいた。


「ユリウス様」

「はい、メル様」


 小さな声だったのに、ユリウスは律義に答えてくれる。それが嬉しくてメルはふんわりと微笑んだ。


「今日はメル様の笑顔が見られて良かった」


 嬉しそうに目を細めたユリウスにそう言われて、メルははにかんだ。


(わたし、きっとひどい顔をしてたわ……)


 前回ユリウスに会ったときは、襲われた直後だったことと、彼が生きていると知ったことの衝撃とで笑顔どころではなかった。恐怖に引きつった顔か、驚きに引きつった顔か。どちらにしても引きつった変な顔をしていたに違いない。メルは思い出すと恥ずかしくて、それを誤魔化すように口を開いた。


「そういえば、まだお礼を言ってなかったわ。あのとき助けてくれてありがとう」

「いえ、助けられたとはいえ、ギリギリになってしまった。怖い思いをさせて申し訳ありません」

「ううん、そんなことないわ。ユリウス様がいなければ連れていかれたかもしれないもの。本当に感謝してるの」


 メルがユリウスの手をギュッと握る。あのときユリウスが来てくれたからこそ、今こうしていられるのだ。


「ユリウス様はどうしてあの場所にいたの?」

「……メル様に危険が迫っていると情報を得たのです。それで居ても立っても居られず」


 ユリウスがメルの手を握り返す。メルがその手の中にいるのを確かめるようにしっかりと。


「メル様が無事でよかった」

「ユリウス様……」

「メル様……私はもう……もうあなたと離れたくない」


 ユリウスがメルの両手を握り締める。静かに発せられた言葉はメルの耳に慟哭のように響いた。


「うん。わたしも……わたしも離れたくないっ」

「ずっと、ずっとあなたを思って生きてきたのです」

「うん。わたしもユリウス様だけをずっと思ってたの。死んだと聞かされたけど、それでもずっと。ずっとユリウス様だけなの」


 打ち明けられたユリウスの思いに、メルは必死に応えた。きっとこれは衝動的な告白なんかじゃない。ずっとずっと抑えてきた想いがあふれ出したのだ。震えるユリウスの指先がそう語っている。


「本当は遠くからあなたの幸せを願うつもりでした。でも、あなたを一目見たら……触れてしまったら……もう私は」

「離さないで。ずっと一緒にいて」

「もう離れたくない。たとえこの手を血で汚してもあなたが欲しい」

「ユリウス様……」


 今まで見たことのない激情を秘めたブルーグリーンの瞳にメルは吸い込まれそうだ。ユリウスの顔が近づいてくる。メルはどこか現実感のないまま受け入れようとしていた。


 コンコンコン。


 隣の部屋から響く音に二人はハッとした。


「メルティナ殿下。起きていらっしゃいますか?」


 扉の向こうからくぐもった声がする。

 興奮してしまい二人とも声を抑えるのを忘れてしまっていた。護衛が異変を感じたのかもしれない。


「ユリウス様! はやく逃げて」


 メルは声をひそめて告げるとベランダの窓を開けた。


「大丈夫? ここから逃げられる?」

「ええ、ご心配なさらず」


 ユリウスは素早くベランダへ出るとメルに振り返った。


「メル様。またお会いしましょう」

「ええ。必ず」


 メルは急いで扉を閉めてカーテンを引く。

 護衛には眠れなかったので星を見ていたとでも言おう。頭の中で言い訳を考えながらもメルはユリウスがうまく逃げてくれることを祈った。




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