シーズン2外伝第3話:コードを鳴らす夜に
シーズン2外伝の第3話をお届けします。今回は、かつて駆がそのポケットで見守った「夢を諦めないバンドマン・レン」のその後を描く。
インディーズから這い上がり、初めての全国流通シングルを手にした彼は、どんな景色を見ているのか――。それでは、シーズン2外伝第3話「コードを鳴らす夜に」の本編をどうぞ!
一:スポットライトの裏側
東京・下北沢の小さなライブハウス。
開場前の静まり返ったフロアに、ジャキリ、と乾いたギターの音が響いた。
ステージの中央でアンプのツマミを微調整していたのは、バンド『レイニー・デイズ』のボーカル兼ギタリスト、レンだった。
ボロボロだったエレキギターは相棒として彼の身体の一部になっているが、その肩にかかるストラップや、足元に並ぶエフェクターボードは、以前のものよりもずっと上等で、使い込まれたプロの道具としての風格をまとっていた。
「レン、そろそろチケットの取り置き分、確認してくれよ」
ドラムセットの調整を終えたメンバーのベースが声をかけてくる。
「おう、今やる」
レンはアンプから手を離し、ステージの端に置いたボストンバッグからノートパソコンと小さな革の財布を取り出した。
その財布のチャットポケットの最も奥には、いつからか入れっぱなしになっている一枚の古い一万円札が収まっている。
ふと、レンはその札に視線を落とした。
――もうずいぶん長持ちしているな、この札。
かつて、音楽を辞めようと本気で悩んでいた時期があった。バイトを掛け持ちしても楽器の修理代やスタジオ代ですぐに金が消え、親からは「いつまでそんな夢みたいなことやってるんだ」と冷たい言葉を浴びせられた。自分の才能のなさに絶望し、ギターケースのフタを閉めようとしたあの日の夜。なぜか財布の中に、嘘のように真新しい一万円札が紛れ込んでいた。
あのときの不思議な温もりを、レンは今でも鮮明に覚えている。
誰かに見られているわけでもないのに、背中をぽんと押されたような気がしたのだ。
――まだやれ。お前の音を、どこかで聴いている奴がいる。
そんな幻聴のような、けれど確かな意志のようなものが、あの紙切れから伝わってきた気がした。
「……あのときは、助けられたよな」
レンは小さく呟き、財布をそっと閉じると、再びステージの中央へと戻った。
二:新しいメロディ
あれから、状況は劇的に変わった。
インディーズの零細レーベルから出した自主制作盤が音楽SNSで奇跡的なバズを起こし、ついには『ミネ&サトウ・ホールディングス』が文化・芸術支援の一環として立ち上げた新人アーティスト育成プロジェクトの目に留まったのだ。
大資本のバックアップと聞くと、どこか商業的で冷徹な管理社会の歯車に組み込まれるようなイメージを抱きがちだったが、実際に担当として現れた若き経営者――佐藤駆と無糖峰はまったく違っていた。
彼らはアーティストの表現の自由を最大限に尊重しつつ、活動資金やプロモーションの最適解を冷徹なまでの頭脳で組み立ててくれた。
「僕たちは音楽のプロじゃない。だから、君が鳴らす音の価値を決めるのは君自身だ。ただ、その音が最高の環境で届くように、資本の側から足場を固めてやる。それが僕たちの仕事だ」
当時、佐藤駆がそう言って笑ったのを覚えている。
その瞳には、かつて自分と同じように「何者かになりたくて、でも何も持っていなかった凡人」の熱量が宿っていた。だからこそ、レンはその言葉を心から信用できた。
おかげで、今の『レイニー・デイズ』はメジャーデビューを控え、全国ツアーのチケットは軒並みソールドアウトを記録している。
夢が形になり、お金というエネルギーが自分たちの音楽を正しく支えてくれる。その循環の中に身を置くことで、レンはかつて感じていた「お金に対する恐怖や焦燥感」が、綺麗に消え去っていることに気づいていた。
「なあレン、今日のゲスト、すごいらしいぞ」
リハーサルの合間、ベースの男がスマホの画面を見せながら言ってきた。
「ゲストって、誰が来るんだよ?」
「業界関係者席にさ、あの若手経済界のホープ、無糖&佐藤の二人組が来るってよ。なんでも、今回のライブハウスツアーの最終出資者としての視察を兼ねているらしい」
レンは思わず手を止めた。
「あの二人柄が、こんなライブハウスに?」
「あぁ、なんでも『原点の場所で、生きた音がどう響くのかこの目で確かめたい』とか何とか。社長自ら現場主義ってやつらしいぜ」
それを聞いたレンの胸の奥で、ふつふつと熱いものが湧き上がってきた。
あの二人――特に佐藤駆という男は、かつて自分と同じような痛みをどこかで知っている目をしていた。ならば、今日のライブで自分たちが鳴らすべき音は一つしかなかった。
三:コードを鳴らす夜に
開場時間が近づくにつれ、下北沢の街は熱気を帯びていった。
外はあいにくの小雨だったが、ライブハウスの階段にはすでに入場を待つ若者たちの長い列ができている。
楽屋の鏡の前で、レンはギターのチューニングを念入りに行っていた。
弦がピンと張りつめ、正確なピッチを刻む。
ふと、控室のテーブルに置いたボストンバッグの中から、あの古い一万円札が挟まった財布を思い出した。
お金は、ただの紙切れじゃない。
それは、誰かの汗であり、誰かの涙であり、未来へ向かうための「祈り」そのものだ。
多重債務で絶望していた人間も、夢を諦めかけていたバンドマンも、冷徹に世界を計算していた天才も、そして、一万円札に転生してすべてを巡ってきたあの少年も――すべてはこの複雑で、だけど愛おしい世界のドラマのなかに生きている。
「おおい、レン! そろそろステージ袖行くぞ!」
スタッフの声に、レンは力強くうなずいた。
「よし、行こうか」
ステージへと続く暗い廊下を歩きながら、レンはギターのピックを強く握りしめた。
フロアからは、待ちきれない観客たちの熱狂的な歓声と、ハンドクラップの音が地鳴りのように響いてくる。
そのVIP席のあたりに、あの二人の姿があるはずだ。
暗幕をくぐり、ステージのまばゆい照明の下へ踏み出す。
観客の海が、一斉に歓声を上げて手を伸ばしてきた。
レンはマイクスタンドの前に立ち、愛用のギターを体にしっかりと構えた。
そして、歪みを効かせたアンプの電源を入れ、最初のコードを強くかき鳴らす。
ジャキイィィン――!
轟音のようなギターのフィードバックが、ライブハウスの空気を完全に支配した。
それは、どん底から這い上がった者たちが奏でる、最高に美しくて力強い「生還のメロディ」だった。
ポケットの中の古い紙切れが、今夜もどこかで静かに微笑んでいるような気がした。
世界は闇ばかりではない。人と人が繋がり、誰かの想いを乗せたお金が回り続ける限り、物語のコードは何度でも新しく鳴り響いていく。
レンはマイクに向かって叫び、仲間たちとともに最高の一曲目をブチかましたのだった。
シーズン2外伝第3話「コードを鳴らす夜に」をお読みいただき、ありがとうございました!
バンドマンのレンの視点から、夢を支える経済の循環と、駆たちがもたらした波紋を描いてみました。じっくりと味わっていただけたなら幸いです。
次回の外伝更新もどうぞお楽しみに!




