3話 鳥かご
被疑者の声が、組織と連絡を取り合っていた男性の声と同じだった。
あの特徴のある声は忘れない。だから間違いないと思う。
逆に、その男性が私のことに気づいているのかは分からなかった。
組織は私の昔の顔は知ってるけど、30歳近い年齢差がある。
あの時の私が、こんな若いと思うはずがない。
また、私が検事になっているなんて思わないだろうし。
そう、この男性を刑務所に入れてしまえば、私は安泰。
私は警察から提出された証拠で、5年の懲役刑だと主張した。
最終的に、私の主張がとおり、刑務所送りとなる。
でも、その男性は去る時、私の方を見て妙な顔をしていた。
そういえば、私の声にも特徴がある。もとは男性だから。
もしかしたら、過去に聞いたことがある声だと、そんな顔だった。
でも、気にしても仕方がない。前に進むだけ。
何か気づいていたとしても、刑務所に入ってしまえば何もできない。
私は、順調に、各所を巡り、検事として仕事を回していた。
同期でもトップクラスの有罪率で次々と成果を出している。
そんな時、上司から呼び出しがあった。昇格の通知かしら。
自分のしたことが周りから高い評価を受けることは嬉しい。
男性の頃の失敗を反省し、評価を受けるよう、女性になってからは努力を続けてきた。
私は、いそいそと上司のところに向かうと個室に通された。
「佐久間さん、君にも言い分はあるだろうけど、検事をやめてもらいたい。」
「いきなり、どういうことですか?」
上司は、怒りと戸惑いが複雑に絡み合ったような表情を私に向ける。
書類を持ち、力が入り過ぎたのに気づいたのか、書類を机に伏せて置いた。
何が起こったのかしら。
「君が、昔、ハニートラップのバイトをしていたって匿名の動画が送られてきたんだ。」
「そんなのフェイクですよ。その動画を見せてください。」
私を検事から引き下ろそうとする圧力がかかっているに違いない。
でも矛盾はたくさんあるはず。矛盾を付き、間違いだと説得しよう。
それは私の得意分野だし。
動画をみると、国会議員に暴力を受けたときの動画。
しかも、バーカウンターで国会議員と話している音声もあった。
「この動画はいつのものかわかりませんが、私より歳とっているじゃないですか。別人ですよ。」
「いや、化粧で歳なんてごまかせるだろう。君とそっくりだ。」
「合成じゃないんですか?」
どこかに矛盾はないのかしら。
でも、想像もしていなかった国会議員とのやりとり。
バーカウンターでの音声も、私の声に間違いない。
「その可能性も考えて専門家に確認したが、合成ではないと判定が出て、警察にも同じ動画が保管されていたことが判明した。さらに、刑務所にいる三角元国会議員からも、君の写真を見せたら、この女性に騙されたと証言がある。なんだったら、一緒に国会議員の所に行き、違うと言ってみるかな?」
「犯罪者の言うことを信じるんですか? 違うのに・・・。」
急に、想定もしていなかった動画を見せられて、手と声が震え、頭が真っ白になる。
口元が震え、黙ってしまった私を見て、上司は頭を抱える。
「その慌てようだと、本当なんだね。検事は品行方正でないといけないから、辞めてもらいたいんだ。」
「そんなことできません。私、今の仕事に誇りを持っているので。」
「そこまでいうなら、懲戒審査会にかけて懲戒にしてもらうしかない。犯罪者にしないで済ましてあげるといっているんだから、感謝してもらいたい。懲戒になったら、再就職も難しくなるんだが、今、自己都合で辞めれば、退職金もでるし、経歴に傷はつかない。」
三角議員には言い訳ができる。
あなたと寝たときは、私は中学生の計算になる。無理があるでしょうと。
私には、戸籍があるから年齢は証明できる。
でも、これ以上、抵抗するのは無理みたい。外堀は埋められている。
これ以上反論すると、いろいろ複雑なことになりかねない。
闇バイトの組織が手を回したに違いないから。
私は、退職届けを出して、その場を去ることにした。
どうして、こうなっちゃったんだろう。
涙を流しながら、黄色一面になったイチョウ並木の下を歩いていた。
昔は明るい将来を象徴するイチョウだった。
でも、今は、枯れ葉として落ちるイチョウとしか見えない。
その時、後ろから声をかけられる。
「少しいいですか?」
「誰ですか?」
「闇バイトの組織の一員と言えば分かりますよね。」
振り返ると、そこには、私が先日、刑務所に送った男性がにやけて立っていた。
もう、私のことをはっきりと分かっているみたい。
刑務所に入っていないのは、組織から警察に圧力がかかったのかもしれない。
「よく分かりませんが、なんですか?」
「とぼけなくてもいいでしょう。でも、あなたのお母さんか、お姉さんですか、我々の組織と一緒に働いていたのは。あなたは、あの女よりははるかに若い。でも、声はとても似てるし、苗字も一緒だ。だから、裁判所でぴーんときたんですよ。あの女の親族ではないかと。それから、組織は、あなたを監視してきた。そして、あの女は、あなたの友達の殺害を我々に依頼した。あなたが、あの女に頼んだんでしょう。だったら、あの女が残した責任を、あなたが果たしてもらわないと。」
全てバレている。
こんなところで、偶然に苗字が一緒だったことでバレるなんて。
でも、それは推測に過ぎない。ここでは、とぼけるしかない。
「組織って、何かわかりません。」
「そうなんですか。それにしても、検事を退職されたなんて残念でしたね。」
「どうして、そのことを知っているんですか?」
「だって、手を回したのは我々の組織ですから。」
「じゃあ、動画を送ったのもあなたなの?」
「そうですよ。我々は、警察幹部にも顔がききますしね。侮りましたね。」
もう、私の逃げ道はないということだと、はっきりと分かる。
もともと、自分の素性がバレて拘束されないようにしていたつもりだったのに。
結果は、組織のことは何も分からず、私は逃げられなくなってしまった。
「ひどい。」
「そうでもないと思いますよ。検事なんて公務員だし、儲からないでしょう。私達のことをサポートする弁護士事務所で働けば、稼げますから。ところで、お母さんですかね、その人が約束していたんですよ。あなたの友達を殺せば、また組織に戻ってくれるって。お母さんが見つからない以上、その娘?のあなたには約束を守ってもらわないと。だって、その女を殺して利益を得たのはあなたでしょう。」
目の前の男性は、いきなりビルの壁を叩いて大きな音が響き、周囲の人達は振り向く。
言うことを聞かないと、次は暴力で言うことを聞かせるという脅しなのだと思う。
インテリヤクザの振りをしても、暴力に立脚した品性は隠せない。
「わけが分からない。」
「そんなことないでしょう。あの女から、あなたは脅されていた。ある女性から戸籍を奪われたと、あの女は叫んでましたよ。最後には、声も出ないほど苦しんでいましたけどね。聞きたいですか。最後、その女がどうなったかを。まあ、いずれにしても、その女がいなくなって、あなたは他人の戸籍で生活を続けている。メリットを受けたのは、あなたじゃないですか。」
今の私には、この男性の力には敵わない。
壁を叩く音に、私は一気に脱力した。
その姿をみて、男性はニヤつき、計画通り行ったと満足げに笑う。
私は検事として論理で戦ってきたけど、力の世界では無力。
力の前では、ただ怯えるしかない。
しかも、昔の私との関係は分からなくても、今の私の弱点は全て把握されている。
そういえば、この組織は強大で、組織力もあり、情報収集も並外れていた。
もう、観念するしかない。
やはり、闇バイトなんかに手を染めたのが間違いだった。
でも、仕方がなかった。あの時は、そうでもしないと生きていけなかったから。
人生は、理想だけで生きていけるわけじゃない。
そもそも、60歳を過ぎたおじさんで人生が尽きようとしていた。
それが、ここまで女性としての人生を経験できたのだから、これぐらいはしかたがない。
得るものがあれば、失うものもある。それが人生というもの。
「そこまで知ってるなら、逃げられないのね。」
「お察しのとおり。頭がいいあなたなら、そう言ってもらえると思ってましたよ。じゃあ、事務所に一緒に行きましょう。捨てる神あれば、拾う神ありと言うじゃないですか。」
私は、その男性に連れられて事務所に向かった。
「あなたが組織のボスなの?。」
「ボスはあなたなんかに顔を見せませんよ。でも、まさか、検事が、昔、この組織で働いていた女と関係があったとはね。どういう関係なんですか? あなたが今お持ちの戸籍となる前のあなたの素性は不明だが、本当に娘ということでもなさそうだし。」
「それは言えない。」
皮肉な表情で笑う男性の影には、いくつもの修羅場を乗り越えてきた迫力がある。
私のような人のことなんて、何もかもお見通しなのかもしれない。
「まあ、あなたが働いてもらえるのなら、別にどうでもいいですけど。」
「で、何をしたらいいの?」
「私達は、政治の中枢にいる人をバックに、強い組織力を使って、いろいろな活動をしているんです。闇バイトという体裁をとっていますけど、実際には、よりよい世界にするためという信念に基づいた活動だったんですよ。でも、その過程で、今の法律の不備というか、犯罪と言われるような行為も出てきてしまうんです。そんな時に、法律違反じゃないと弁護してもらいたいんです。」
「言いたいことは分かったわ。」
「あなたは賢い。だから負けることもないと思います。成功のたびに3,000万円をお渡しします。あなたもそれで楽しく暮らせる。お互いにいい話しでしょう。」
もう、笑いが止まらなかったあの時代はない。
日々の生活は自由のままだけど、心は犯罪組織に縛られ、檻の中。
どこにも逃げ道はなさそう。
もう忘れたけど、おじさんだった頃と置かれた環境は似ている気がする。
会社で大きなノルマを課されて針のむしろのうえで働かされていた、あの時代と。
今の私には、もう、心から楽しく笑える時間は来ない。
すさんだ地下にあるカウンターバーに向かって降りていった。
消えかかった蛍光灯で暗く、急な階段をゆっくりと。
表情もなく、うなだれた私が。
それから弁護士登録を行い、事務所所属の弁護士となった。
そして、闇の世界へまっしぐらに進んでいく。




