深夜の不意打ちと朝一番の動揺
――ふわり。
まぶたの奥が、月光を透かす。
ぬくもり。やわらかな気配。
「……ん、う……?」
蓮はぼんやり目を開けた。
そこには、金の髪が月を映すように輝く青年の顔――レナトス。
「――っっっ!?」
数秒、脳が停止する。
距離、近い。いや近すぎる。
ベッドの縁に、片膝をつき、見下ろす魔王。
吐息が触れ合うほどの至近距離。
「ちょっ……近い! な、何して――」
言い切る前に、彼の顔がわずかに近づき、
羽根のようなキスがそっと触れる。
「っっっ!?」
蓮は反射的にベッドを揺らし、慌てて後ずさった。
しかしシーツに足がもつれ、ベッドの端でバランスを崩す。
「わっ――」
倒れかけた身体を、レナトスが片腕で支えた。
その胸元に引き寄せられ、再び近づく顔。
琥珀色の瞳が、慌てる蓮を見つめ、わずかに揺れる。
耳まで真っ赤にして蓮は押し返そうとする。
だが、レナトスの腕はゆるやかに支えたまま。
月明かりの中、ふたりの息が交じる。
レナトスは肩をすくめ、微かに眉を下げる。
「君が可愛すぎて……抑えきれなかった。すまない。」
「可愛っ――!? だ、だからって夜中に忍び込んで、キ、キスなんてすまないで済むと思ってるの!?」
黄金の瞳が一瞬だけ淡い青へ。
「……二度と君の許しなく触れたりしない。約束する。」
その言葉に、怒りと一緒に胸の奥がきゅっと締めつけられる。
(…そんな風に言われたら、何か意識しちゃうじゃない。)
「もう、色々なことが起こり過ぎて訳が分からないわ……ほんとに、現実?」
「現実だ。……君が夢なら、どれほどよかったか。
こんなに心を乱されることはなかっただろうに。」
低く響く声と青みを帯びた瞳に、蓮の心臓がひどく跳ねた。
「っ、だめっ! これ以上近づいたら――!」
レナトスは苦笑を浮かべ、ようやく腕をほどく。
「分かった。今夜は退散しよう。
だが、いつか君が望むなら――その時は。」
そう言い残し、月光を背に静かに去っていく。
扉が閉まる音とともに、蓮の胸の鼓動だけが部屋に残った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
――コツ、コツ。
扉を叩く軽やかな音で、蓮はまどろみの中から引き戻された。
「……ん、だれ?」
「おはようございます、蓮様。朝食のご案内ですわ。」
鈴のような声。ミレーヌだ。
「……っ!」
昨夜の出来事が、脳裏に一気に蘇る。
琥珀色の瞳、熱い吐息、胸に感じた鼓動――
(わあああああ! 夢じゃなかった!)
顔から耳まで一瞬で熱くなる。
慌ててシーツを直しながら声を張った。
「は、はいっ! いま行きます!」
「ふふ。ゆっくりで大丈夫ですわ。
レナトス様も、まだ執務室からお戻りではないそうですし。」
ミレーヌの足音が遠ざかる。
安堵の息と共に、蓮はシーツに顔をうずめた。
「……ほんと、なにやってんのよ、あの魔王。」
夜中に忍び込み、しかもキス――
思い出しただけで心臓がまた暴れ出す。
服を整えながら鏡に映る自分を見て、ため息。
髪は乱れ、頬は赤い。まるで……恋する女の子の顔じゃないか。
(だめだだめだ。絶対に、あいつの思い通りになんかならない。)
心を落ち着けようと深呼吸し、扉を開けた瞬間――
「おはよう、蓮。」
「ひゃっ!?」
廊下の真ん中、レナトスが背を預けて立っていた。
淡い朝光に、黄金の瞳が柔らかく光る。
昨夜と同じ瞳――いや、どこか穏やかで、少しだけ……青みを帯びている?
「……おはよう。って、なんで待ってるの。」
「一緒に朝食を。君を独りで迷わせるのも、私の本意ではないから。」
「……昨日のこと、覚えてる?」
レナトスは一瞬目を細め、苦笑した。
「ああ。後悔は、していない。」
「っ……!」
蓮は言葉を飲み込む。
否定もできず、でも肯定もできない。
ただ、胸の奥がざわめくまま、レナトスに並んで歩き出した。
フォルトゥナ城の長い廊下を、朝の光が金色に染めていく。
その背後で、ミレーヌが意味ありげな笑みを浮かべていた。




