第28話 魔素と魔核
その日も、朝はいつも通り目が覚めた。
窓の外は明るくなっていて、朝日がカーテンの隙間から差し込み、
部屋の中を眩しく照らしている。
今日の授業は二コマ目からだ。だから、本来ならまだ寝ていてもいい。
布団に潜り直して、回復魔術からもう少し目を逸らしたい衝動に襲われる。
だが、体を起こす。眠気は残っている。体も重い。昨日までの疲れが抜け切っていないが、
それでも、寝ている時間がもったいなかった。
机の上には、昨日から置きっぱなしになっている枝がある。
寮へ戻る途中で折って持ってきた、細い木の枝だ。
折れた部分は白く裂け、
そこに焦げ跡と黒ずみが混ざっている。
何度も回復魔術(笑)をかけた結果だった。
治すどころか、明らかに悪化している。
俺は椅子に座り、枝に手をかざした。
魔素を魔核に集める。魔核の内側を意識する。
教師が何度も言っていたことを、
頭の中でゆっくり繰り返す。
理屈は覚えている。言葉も覚えている。手順も、一応は分かっているつもりだ。
「……回復魔術、第一等級。リペア・ヴェイン。」
小さく唱えると、指先に淡い光が灯った。
光は枝の折れた部分に触れる。けれど、それだけだった。
裂け目は塞がらない。黒ずみも消えない。枝が元気になる気配もない。
もう一度だ。
「リペア・ヴェイン。」
今度は折れ目の周辺が少しだけ白く光った。けれど、やはり傷は変わらない。
三度目。
「リペア・ヴェイン。」
折れた部分の端が、ぷすっと小さく焦げた。
「…………」
違う。
俺は枝から手を離し、深く息を吐いた。
朝から何をやっているんだろう。
俺は人を治す魔術を覚えたいのに、
全く上手くいかず枝に傷をつけているだけ。
俺はもう一度、枝に手をかざした。
「リペア・ヴェイン。」
光る。けれど、やはり治らない。
「リペア・ヴェイン。」
何も起きない。
「リペア・ヴェイン。」
今度は折れ目の周りが少し焦げた。
「……駄目だ。」
小さな声で呟く。
授業で教師は何度も言っていた。
魔核の内側を意識しろ、と。
魔力になる前の段階で、魔素の性質を変えろ、と。
でも、その魔核の感覚が分からない。
分からないものを意識しろと言われても困る。
しばらく練習していると、
背後で布団が擦れる音がした。
振り返ると、
カイルがベッドの上で体を起こしていた。
眠そうに目をこすりながら、こちらを見る。
「……魔術の練習?」
「ああ、うん。少しだけ。」
「少しだけには見えないけど。」
カイルはそう言いながら、顔を見て、
その後、机の上の枝を見た。
枝は、
昨日よりも明らかにひどい状態になっている。折れ目は黒ずみ、焦げ跡も増えている。俺が何をしていたかは、見れば分かるだろう。
「うまくいかない?」
「全然。光るだけか、焦げるだけ。」
「そっか。」
カイルはベッドから降り、軽く伸びをした。
「朝ご飯行くよね?」
俺は枝から手を離し、
椅子の背もたれに体を預ける。
「うん。もちろん。行くよ。」
「よしじゃあ、着替えるよ。」
カイルは少しだけ笑った。
俺も、息を吐くように笑う。
俺たちは支度をして、食堂へ向かった。
朝の食堂は、いつも通り騒がしかった。
授業前の生徒たちが、
あちこちの席で朝食を取っている。
眠そうにパンをかじっている者。
友人と今日の授業の話をしている者。
朝から妙に元気に笑っている者。
俺とカイルは飯を受け取り、
空いている席に座った。
今日の朝食は、硬めのパンと、
野菜の入ったスープ、
それから薄く焼いた肉が少し。
贅沢ではないが、腹にはたまる。
俺はパンをちぎり、スープに浸して口に運んだ。
温かい。味は悪くない。
けれど、あまり頭には入ってこなかった。
ずっと、回復魔術のことを考えていた。
「魔核を意識する。」
その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
カイルはスープを飲みながら、
ちらりとこちらを見た。
「今日、二コマ目からだよね?」
「ああ。基礎魔術理論。」
「回復魔術の授業じゃないんだ。」
「今日はないよ。」
「そっか。」
カイルはパンを手で割りながら、小さく頷いた。
「興味無さそうだね。
基礎魔術理論って、ノア好きそうなのに。」
「好きだよ。」
それは本当だった。
俺は魔術のことを知りたい。魔素の仕組みも、魔核のことも、
この世界の魔術体系も、全部知りたい。
この世界に来てから、
分からないことだらけだった。だからこそ、授業で一つずつ仕組みを知っていくのは、普通に面白い。
魔術がどうやって成立するのか。なぜ等級によって扱える現象が変わるのか。魔素と魔力の違いは何か。この世界の人間が、どのように魔術を体系化してきたのか。
そういう話は、本当なら全部聞き逃したくない。
だが、今は少し事情が違う。
「聞きたいけど、今はそれより回復魔術のことを考えないといけない。」
俺がそう言うと、カイルは少しだけ眉を下げた。
「ごめん。僕の学費のことがあるから。」
俺はすぐに首を振った。
「カイルのせいじゃないよ。」
「でも。」
「僕だって金がいっぱいあるわけじゃないし、冒険者で稼がなきゃいけないのは僕も同じだよ。それに、魔術師だけのパーティじゃ厳しいってのはカイルのせいじゃないよ。」
カイルは黙った。
俺はスープを一口飲んでから続ける。
「彼女が入ってくれれば、依頼の幅が広がる。稼げる可能性も上がる。だから回復魔術を覚える。それだけの話だよ。」
「……うん。」
カイルは小さく頷いた。
表情はまだ少し申し訳なさそうだったが、
さっきよりは落ち着いている。
俺はパンをちぎって口に放り込んだ。
本当は、もっと余裕を持って学びたかった。魔術の仕組みを一つずつ理解して、試して、
失敗して、成功して、そうやって進みたかった。
でも、現実には金が必要だった。
学びたいから学園にいる。けれど、学園にいるためには金がいる。金を稼ぐためには冒険者として依頼を受ける必要がある。
依頼を受けるためには、強い前衛が必要になる。その前衛を得るためには、回復魔術を覚えなければならない。
時間が無さすぎる.....
でもそれをカイルのせいだ。とは言えない。
時間が足りないのは俺に才能がないからだ。
朝食を食べ終え、俺たちは食堂を出た。
部屋に戻ると、授業までまだ少し時間があった。
カイルは自分の荷物をまとめ始めた。俺はまた机に向かう。
「まだやるの?」
カイルが聞いてきた。
「少しだけ。」
「無理しすぎないでね。」
「うん。」
カイルは何か言いたそうにしたが、結局口を閉じた。
俺は枝に手をかざす。
「リペア・ヴェイン」
光る。だが、やはり治らない。
「リペア・ヴェイン」
何も起きない。
「リペア・ヴェイン」
折れ目の端が少し焦げる。
また失敗。
俺は手を下ろし、額を押さえた。
目を瞑りもう一度、
授業の中での教師の言葉を思い出す。
「魔核の内側を意識してください。魔力を作る前の段階です。」
分かる。いや、分かっている気になっているだけかもしれない。魔核を意識する。
それができない。
どうすれば、魔核を意識できるんだ。
「……時間だよ。」
カイルの声で、俺は顔を上げた。
いつの間にか、授業の時間が近づいていた。
「ああ。行くよ。」
俺はノート紙と羽根ペンを持った。机の上の枝を一度だけ見て、部屋を出る。
廊下を歩きながらも、
頭の中では回復魔術のことばかり考えていた。
今日の授業は基礎魔術理論だ。
基礎魔術理論は、嫌いではない。むしろ興味がある。
だが、今日の俺の頭には余裕がなかった。
教室に入ると、
すでに何人かの生徒が席に着いていた。
俺も席に座り、ノート紙を広げる。羽根ペンを手に取る。
授業が始まると、
教師は黒板に大きく文字を書いた。
魔術の生成プロセス。
その文字を見た瞬間、
俺は少しだけ残念に思った。
基礎だ。
魔術の基本的な仕組み。魔素がどう流れ、魔力へ変わり、魔術になるのか。
本来なら、しっかり聞きたい内容だった。
魔術の仕組みを理解することは、
俺にとって大事だ。俺がこの世界に来た理由を知る手がかりになる可能性もある。
ただ....今の俺は回復魔術で頭がいっぱいだった。
この授業を聞きたい。でも、今はそれよりも、回復魔術をどう成功させるかを考えなければならない。
聞きたい授業を前にして別のことを考えなきゃいけない。もどかしい....
学びたいことがあるのに、
金と条件に追われて目の前の授業に集中できない。
そんなことを考えている間にも授業は進み、
教師は黒板に人体の図を描き始めた。
頭。胴。肩。腕。手。
そして胸の奥に、丸い形が描かれる。
魔核だ。
その魔核から肩へ、腕へ、手のひらへと、
何本もの線が伸びていく。
教師は黒板の前に立ち、説明を始めた。
「ご存知とは思いますが、
魔術というのは、手から出しますが、
手から魔素が発生しているわけではありません。」
教師は胸の部分に描かれた魔核を指した。
「魔素はこの胸の奥にある、魔核という部分から発生します。そして、それが肩、腕へ伝い、手のひらに集まっていく。そして魔素が蓄積され、魔力へと変換されることで、魔術として外へ発現します。」
俺はノートに書こうとして、手を止めた。
これは知っている。
魔術は手から出る。でも、魔素は手から発生しているわけではない。魔核から発生し、体の中を通って手に集まる。
基礎だ。何度か聞いた話でもある。
けれど、教師の黒板の図を見ながら、
俺はぼんやりと別のことを考えていた。
回復魔術では、
魔核の内側を意識しなければならない。
魔核の中で魔素の性質を変える必要がある。
でも、俺はその魔核を意識できない。
いきなり魔核そのものを掴もうとしていたからではないか。
教師の図では、魔素は魔核から手へ流れている。
胸の奥から、肩へ。肩から腕へ。腕から手のひらへ。
魔素は流れている。
流れているということは、通り道がある。
俺は普段、
手のひらに魔素を集めることはできている。攻撃魔術の時もそうだ。手に熱が集まり、魔力へ変わる感覚がある。
手のひら。手首。前腕。肘。二の腕。肩。鎖骨。胸の奥。
俺は黒板の図を見つめた。
魔核から手へ伸びる線。
手のひらに集まる魔素の感覚。その流れ。その出どころ。
「そうか!!!!」
思わず大きな声が出た。
教室中の目が、一斉に俺へ向いた。
教師も黒板の前で動きを止めている。羽根ペンを持っていた生徒も、
隣で居眠りをしていたカイルですら、
こちらを見て固まっている。
あっっっ。
やったわ。
「す、すみませーん……」
俺は小さく頭を下げた。
教師は一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、
すぐに咳払いをして授業を続けた。
「……ええ、では続けます。魔素の流れを意識できるようになると、魔術の安定性は大きく向上します。特に第三等級以上の魔術では、この流れの乱れが失敗の原因になることも多い。」
教師の説明は続いている。
やはり、全部ちゃんと聞くべきだった。今の言葉もそうだ。
だが、
もう俺の頭は完全に別のところへ行っていた。
早く試したい。
今すぐ寮に戻って、枝に回復魔術をかけたい。
今なら、できるかもしれない。
そんな感覚があった。
俺はその後の授業を、
表面上は真面目に聞いているふりをしながら、
必死に頭の中で手順を組み立てた。
回復魔術を唱えるシュミレーション。
何度も何度も頭の中で繰り返す。
早く授業が終わってほしかった。
普段なら、
知らない知識が増える授業は嫌いではない。むしろ好きだ。
でも、今日ばかりは鐘の音を待っていた。
ようやく授業終了の鐘が鳴った瞬間、
俺はノート紙と羽根ペンをまとめた。
教師への礼もそこそこに、教室を飛び出す。
後ろからは俺の名前を呼ぶカイルの声が聞こえる。
廊下を走る。
階段を下り、連絡通路を抜け、寮へ向かう。
途中で何人かの生徒とすれ違ったが、
気にしている余裕はない。
早く。
早く試したい。
部屋に戻り、ドアを勢いよく開け放ち、
机の上に置いてある枝を見る。
ノートと羽根ペンを置いて、焦るように、椅子に座り、机の上にある枝に手をかざして、目を瞑る。
集中だ。
集中することが、必要なのだ。
もちろん、今までだって、
集中していなかったわけではない。
だが、今回は意識を向ける場所を変えるのだ。
今までは、魔核自体に意識を向けていた。それなのに、
魔核自体を上手くわかっていなかったせいで、
失敗していた。
今回は違う。
そう思い、手に魔素を集める意識をする。
瞬時に手のひらに熱が集まり、
ゆっくりと徐々に手に熱が篭もる。
来た。
これだ。
この熱が、魔素の集まりなのだ。
魔素というのは、魔核から出ている。だが、塊で一気に集まっている訳ではない。
胸の奥から、腕を伝って、
少しずつ手のひらへ集まっている。蓄積してきているのだ。
だからこそ、
この腕から本当に薄くだが流れてくるこの熱を、ゆっくりと辿っていけば良いのだ。
そう思い、手のひらに集まる熱を意識して、その意識を手首、前腕、肘、二の腕、肩と、徐々に上に向けていく。
わかる。
この微弱な流れが魔素。
魔素なのだ。
今まで気にしていなかっただけで、
確かに流れていた。
手に集まっている熱は、
手で突然生まれたものではない。もっと奥から、細く長く続いている。
さらにその意識を、鎖骨からゆっくりと魔素の流れを見失わぬよう、体の中に向けていく。
少しでも気を抜けば、流れを見失いそうになる。
意識が手に戻りそうになる。
いつもの癖で、
手のひらに魔力を作ろうとしてしまう。
だが違う。
今は手じゃない。
その奥だ。
魔素が来た道を、逆に辿る。
肩から胸へ。胸の奥へ。さらに奥へ。
そして、魔素の流れを最後まで追うと、体の奥から魔素を出している何かがあった。
これだ。
これなのだ。
これこそが魔核なのだ。
胸の奥に、確かにある。
形が見えるわけではない。触れるわけでもない。
だが、そこから魔素が生まれ、
流れていることだけは分かる。
今なら行ける。
直感的にそう感じる。
俺は目を閉じたまま深呼吸をして、ゆっくりと、魔術を唱える。
「……回復魔術、第一等級。リペア・ヴェイン。」
唱えると、手の中が、一層明るい光に包まれた。
その光は枝全体を包むように広がっていく。
俺はその光が枝に包まれ、明るくなるのを見て、枝自体が発光しているのかと錯覚してしまった。
その光は、
今までのような頼りない光ではなかった。
淡く、けれど確かに広がる光。強すぎず、弱すぎず、枝に染み込んでいくような光だった。
見ているだけで、
胸の奥が少し軽くなるような気がした。
そして、枝がより一層強い光を発し、徐々に光が収まっていく。
光が完全に消えると、枝の傷口は塞がっていた。
焦げや黒ずみも消えていて、
枝全体にも、さっきまでの乾いた感じはない。
ほんの少しだけ、
生命力のある雰囲気が戻ったように見える。
成功だ。
成功したのだ。
「よっしゃ……」
声が漏れる。
「よっっっっしゃあっっっ!!!!!!」
俺は思わず椅子から立ち上がった。
胸の奥が熱い。手のひらにも、まださっきの感覚が残っている。
できた。リペア・ヴェインが発動した。
何度やっても失敗した。光るだけだった。焦げるだけだった。何も変わらなかった。
でも、今は違う。
魔核の感覚を掴めた。魔素の流れを辿れた。そして、枝の傷を塞ぐことができた。
俺は魔術を掛けた枝を手に取り、じっと観察する。
すると、少しだけ違和感に気づいた。
折れた部分。そこだけは、完全には治っていない。
焦げや黒ずみは消え、裂け目もかなり滑らかになっている。
だが、
折れた部分そのものは元に戻っていなかった。
枝が完全につながったわけではない。
「......やっぱり、第一等級だとこのくらいが限界なのか?」
俺は枝を見ながら、小さく呟いた。
リペア・ヴェインは、浅い傷を塞ぐための第一等級魔術だ。
教師もそう言っていた。
なら、折れた枝を元通りにするほどの力はないのだろう。深い傷や、時間が経った損傷には、もっと上の回復魔術が必要なのかもしれない。
まあ、それは仕方ない。
今はこれで十分だった。
黒ずみは消えた。裂け目も塞がった。少なくとも、昨日までとは明らかに違う。
俺は回復魔術を発動できた。
その事実だけで、胸の奥が一気に熱くなる。
「……できた。」
もう一度、枝を見つめる。
できた。
本当にできた。
俺は、回復魔術を習得したのだ。
まだ第一等級。まだ浅い傷しか治せない。折れた部分を完全に戻すこともできない。
それでも、これで彼女の条件クリアだ。
カイルの学費を稼ぐための道。
俺たちが冒険者として前に進むために、
どうしても必要だったもの。
その一歩を、ようやく掴んだ。
俺は枝を机に置き、もう一度手のひらを見た。
そこにはもう光はない。
けれど、さっき辿った魔素の流れの感覚だけは、
まだ微かに残っていた。
胸の奥から、肩へ。腕へ。手のひらへ。
そして、その奥にある魔核。
今までずっとあるはずなのに分からなかったもの。
それを、初めて掴めた気がした。
その後、枝にもう一度小さな傷を付けて、
もう一度回復魔術をやってみる。
先程と同じように、魔素の流れを意識して、
その意識を魔核へしっかりと向けて、
呪文を唱える。
先程と同じ強い光が手と枝を包み、
その後、枝の傷は治癒していた。
そうして、俺は回復魔術を会得した。
今日朝起きたら、布団の中に
玉ねぎの皮が.....あったんですよ.....
怖いですよねぇー。




