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プロローグ

 4月。

 午前5時11分。


 死んでから初めて迎えた4月を、僕は数学の試験に追われながら過ごしていた。


 窓の外には、まだ夜の闇が広がっている。


 壁に掛けられた電波時計を横目に、僕は黙々と解答欄を埋めていた。


 眠い。とにかく、眠い。


 まだ太陽すら顔を覗かせていない時間帯だ。


 飛びそうになる意識をどうにか繋ぎ止め、込み上げてきたあくびを手で押さえる。


 このまま眠ってしまいたい――。


 そんな誘惑に耐えながら、ふと隣を見る。


 宮村琴那(みやむらことな)が、気持ち良さそうに眠っていた。


 整った顔立ちに、長いまつ毛。桜桃色の唇がわずかに開き、規則正しい寝息を立てている。


 ほんの数秒、僕は彼女の寝顔に見入ってしまった。


 いつもは冷たい口調で僕に毒を吐いてくる彼女だが、この寝顔は反則だ。


 不覚にも、ドキッとしてしまう。


 できればもう少し眺めていたいところだが、残念ながらそんな猶予はなさそうだ。


「宮村さん、起きて。もう試験終わる時間だよ」


 周囲に聞こえないよう、声を潜める。


「…………」


 反応はない。


「宮村さんってば」


「…………」


 やはり起きる気配はなかった。


 そうこうしているうちに、無情にもタイムリミットが訪れる。


「試験終了! 後ろの席の者は解答用紙を回収してきてくれ」


 僕は宮村を起こすのを諦め、自分の列――男子側の解答用紙を集めて、担任の本郷先生の元へ運んだ。


 そのまま席へ戻ると、宮村はまだ寝ていた。


 女子側の解答用紙も、一向に集まってこない。何しろ最後列の宮村が、いまだ夢の中なのだから。


「宮村さん、どうなさいましたか?」


 宮村の前の席に座る三日鈴蘭子(みかすずらんこ)が、不思議そうに振り返る。


 机に突っ伏して眠る宮村を見つけると、


「あら、まぁ」


 口元に手を当て、小さく微笑んだ。


 その直後だった。


「宮村ぁっ! 試験終了だと言っただろう! さっさと用紙を回収しろぉ!!」


「っ!? は、はいっ! すっ、すみません! た、ただ今……!」


 本郷先生の怒声に、宮村の身体が跳ね上がった。


 完全に寝ぼけているらしい。ふらふらと危なっかしい足取りで女子側の解答用紙を回収し、教壇まで持っていく。


 当然、そこで本郷先生からもう一度お叱りを受ける羽目になった。


「次の試験は10分後に開始する。小休憩」


 気まずそうな顔で戻ってきた宮村は、席に着くなり僕を睨みつけた。


「ちょっと、野間くん。どうして起こしてくれなかったのよ!」


「いや、一応声はかけたんだよ。小声で、だけど……」


「あなたの普段からぼそぼそしたその話し声で小声なんて、聞こえるわけないでしょ? 馬鹿なの?」


 気を遣って起こそうとした人間に対して、なんて情け容赦のない言い草か。


「試験中だし、話しかけたら罰則があるかもしれないじゃないか」


「だったら、頬をつねってくれるとか、声を出さずに起こす手段はいくらでもあるでしょう?」


「そんなこと……! 女子の頬をつねる真似なんて、僕には……! それに、本当にそんなことしたら、宮村さんは怒るでしょ」


「当たり前じゃない! 頬をつねるとか以前に、許可もなく女性の肌に触れるなんて、人として論外よ! それ、普通にセクハラだから。訴えてやるから」


「理不尽すぎやしないか」


 どうしろというのだ。


 触らなければ怒られ、触っても怒られる。どうやら僕には、最初から正解の選択肢など用意されていなかったらしい。


 だが、ここで「そもそも寝ている方が悪い」と言い返せば、さらなる状況悪化は避けられないだろう。


 こちらが一言返せば、彼女は二でも十でも返してくる。


 まだ知り合って日は浅いが、それくらいはもう分かっていた。


「単位、貰えなかったらあなたのせいよ」


「それ、試験で合格点に足りてなかった時の言い訳にも聞こえるよ」


「あり得ないわね。あんな簡単な問題。満点だって確信してるから」


「……さいですか」


 真顔でさらっと言い切る宮村に、僕は呆れるしかなかった。


 その後もしばらく似たようなやり取りを続けていると、貴重な10分間の休憩はあっという間に消えていった。


 教室にようやく朝日が差し始めた頃。


「では今から国語の試験を始める。制限時間は50分」


 本郷先生から、非情にも第二ラウンドの開始が告げられた。


 長い戦いは、まだ始まったばかりだ。


 眠いからといって、手を抜くわけにはいかない。僕はこの学校で、何が何でも単位を取り続けなければならない。


 ――『転生者』になるために。


 窓の外には、夜の名残をとどめた淡い青空が広がっていた。


 それを眺めているうちに、初めてこの世界の空を見上げた日のことが頭に浮かぶ。


 あの頃の僕は、まだ何も知らなかった。


 なぜ、この学校の校門前で目を覚ましたのか。

 これから何が始まるのか。


 そもそも――。


 自分が、すでに一度死んでいるということさえも。

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