閑話 風の歌姫の事情
もし、作者に恋愛を期待していた方がいたら、ごめんなさい。
同族以外には誤解している者が多いが、風の民ハーピィは別に平和主義というわけではない。
目立って敵対と取られるような行動を行わないために平和主義と見られているだけで、実態は利己主義だ。
彼等の好奇心は強いものの、己の興味対象に入らない事柄に関しては、どうでもいいと考える傾向が強い。
ただ、興味がないから無関心と言い切れるかといえば、少し違う。
周囲の人間達が常時発する『音』を読むことに長けているからこそ、興味がないことに長く煩わされないようにするために、必要性があってサラリと上手く流せるだけの情報を得るのだ。
要するに、風の民は面倒事を避けるための努力を欠かさないので、個人的に交友がある者以外には勘違いされている民族である。
ハーピィとして誕生した者にとって、最も気に食わないことは皆、共通している。
他者によって、自分の自由が奪われることだ。
故に、自由気ままな放浪の旅をする自由を奪われる『長』の役目を望む者は非常に稀な事である。
皆無と言えないのは、ごく稀に自らその位置に就きたい望む人間がいるためだった。
とはいえ、一人で放浪していない限り、民族や一族や部族を纏める存在は何時の時代でも必要不可欠である。
一族や部族を纏める存在は決めることが容易い。
年齢による体力の衰えにより、旅をする事が出来なくなった者の中で一番責任感がある人間を選べばいいだけだ。
しかし、顔ともいえる民族長ともなるとそうはいかない。
風の民の族長は任命されれば生涯民族長で、前任者の死亡と共に選考が始まる。
一族単位で一人、健康で最も歌唱力の素晴らしい――有事の際、最も戦力となれるであろう者を一族の長が選出して競わせるのだ。
競うのは歌だけではない。
民族の顔としても恥ずかしくない素養――頭脳、知識、統率力においても。
彼女は例に漏れず、民族長などにはなりたくないと考えていた。
だが候補者は、普段の行動から一族の長にある程度まで把握されているので、手を抜くことが出来ない。
皆、選ばれたくないのだが不正は問題である――手を抜いたと見抜かれたら、逆に『リア』の称号が迫ってくるという意味で。
特に歌に関しては、偽れば体内の精霊から反発があって体調を崩すため、誰の目にも明らかにバレてしまう。
彼女はそれでも自分は選ばれないと考えていた。
彼女は候補者の中で最年少だったのだ。
外見で他民族から子供だと判断される不利な条件があったうえに、候補者の中には自分よりも優れている唄い手が居ると考えていたので。
しかし、何故か『リア』の称号と権力は彼女に与えられることになった。
当時、彼女はまだ知らなかったのだ。
「……ねえ、ロキ。どうして、私が選ばれたの?」
選ばれてしまったことに信じられなくて、彼女は思わず、総合で僅差だった――彼女自身が族長になると勝手に考えていた少年に尋ねた。
「多分、君が女の子だから、かな。歴代の『リア』は女性の方が多いよ」
「そういえば、言われてみると……」
彼女は一族の長に確認してみた。
結果。
総合成績が同等か僅差で性別が違った場合、子を産み育てる関係上、自由に動けない鬱屈が溜まりにくい女性の方が民族長として選ばれるということだった。
そして、彼女は勘違いしていた。
年齢は別に不利な条件とされない。
殆どの他民族は風の民を侮ることの愚かさを知っていたため、外見年齢程度では問題にならない。
幼いならば、それだけ長い期間、民族長が変わらないという優利な条件により相殺されるということを。
性別という自分ではどうしようもない点で、なりたくもない地位に就いたせいだろう。
彼女は自分の自由を奪う決め手となった己の性別を疎ましく感じ、故に、自分がいつか子を生むという事実も忌避するようになった。
彼女が殆どの異性に興味を持てないのは、おそらく、それがかなりの面で影響している。
恋から発展するその後から、己の性別を実感せざるおえない事態から、無意識のうちに逃げているのだ。
興味のある異性は一人だけいる。
興味といっても、良い意味ではない。マイナスの方向での興味だ。
もしも同性だったとしたら、彼女は彼を嫌わなかっただろう――彼女が男性であった場合でも、彼が女性であった場合でも。
何故ならば。
同性だったとしたら、性別という自分ではどうしようもない点を重視されて、民族長に選ばれたと考えずに済んだからだ。
そう。彼女は大嫌いな男が一人居る。
その大嫌いな男は、今、目の前で真剣な眼差しで、彼女に向かって己に降りかかった不幸を語り、復讐のための計画を語っていた。
「――と、いう事なんだ。是非とも君の許可が欲しいんだけど」
「そう……」
その申請に。
彼女は顎に軽く握った右手を当て、しばらくの間考え込んだ。
途中までは――申請に入るまではロキの身に起こった出来事に、心底腹を立てていた。
個人的にロキは嫌いだが、彼女は『リア』の立場からも、己の意思でも憤っていたのである。
自由を奪われることは、ハーピィにとって何よりも辛いことだ。
まして、ロキは長期に渡って人間として扱われずに、自我すら薬によって封じ込められていた。
「……許すとしたら条件付きになるけど、それでも構わない?」
その考えに至ったことに理解は出来る。
その復讐心は理解出来るが、何とも面倒な申請を持ってきてくれたものだ。
万が一の時は、ロキを切り捨てることに『リア』としては全く躊躇はない。
降りかかる火の粉を振り払うのに躊躇ってしまえば、多くの者が巻き込まれるのだから。
だが、彼女個人の考えは違う。
ずっと、彼女は自分の手でロキを不幸にしてやりたいと思っていたのだ。
ほんの少しだけの差と性別で、重りの無い見えない鎖に繋がれた彼女と違って、自由を謳歌出来ていた彼が妬ましくて。
彼女の手で不幸にすることに成功するまでは、生きていてくれないと困る。
「君に迷惑はかけないと誓うよ。可能性はかなり低いと思うけど、もしも仮に露見しても、君や一族には無断で実行したと証言する」
彼女が安易に許可出来ないと、事前に理解していたらしく、ロキは神妙な顔できっぱりと言い切った。
「そう……先に言っておくけど、貴方のしようとしている事は犯罪。理由や行動はどうあれ、犯罪は犯罪。捕まれば確実に殺されるでしょう。それは、ちゃんと分かっているわね?」
「ああ。でも、俺は……実際に体験した。自分は無事に逃れられたからと言って、忘れたふりをするのは、見過ごす事は出来そうにない」
感情を押し殺したような低い声でそう呟き、目を伏せて、ゆるゆるとロキは首を振る。
再び、彼女に向けられた眼差しは酷く静かに凪いでいて。
彼女は大きく溜め息をついてみせた。
「…………覚悟出来ているのなら、私から忠告しても無駄ね。分かったわ。申請を認めてあげる」
認められなかったら、彼は他で何とかしようとを模索するだろう。
その手段は、この申請が許可された場合よりも格段に危ない橋を渡ることになる。
ロキは充分その点を理解していた。
そうでなかったら――申請しなくても何とかなるなら、計画も今後の展望も含めて彼女に語らない。許可するしかないではないか。
ほっと安堵の表情を見せるロキを、彼女はじっと見据えた。
ふと、彼女は良い事を思いつき、真面目な表情が崩れそうになる。
良い思いつきだった。
彼女の抱える面倒がひとまず回避出来て、ロキは不幸になるという一石二鳥の。
「許可の条件は2つ。1つは貴方も理解しているように、これは私の黙認であって正式な許可ではないという事。露見した場合、私や貴方の一族以外にも迷惑をかける事になるから。もう1つは――ロキ。私の婚約者になりなさい!!」
ロキは大きく眼を見開き、思いっきり顔を引き攣らせた。
彼女の正気を疑っているかのように、マジマジと見つめてくる。
「――どうして? リア・ノイン。君、俺が嫌いだろう」
「その通りよ。貴方なんて大っ嫌い」
「もしかして……君はむしろ、俺が失敗しても良いと考えているのか。世界に還った俺に対する嫌がらせになるから」
「それは違うわ。私個人に利点があるからいっているの。周りがそろそろ確保ぐらいしておけって煩くなってきててね」
彼女は心底うんざりとした様子を隠さず、溜め息を吐きながら愚痴った。
「私、男に興味がないから誰にするか考えるのも面倒でたまらないの。誰でも同じように関心すら持てないんだから。その点、貴方なら仮面夫婦でも文句言わないでしょう? 復讐で、それどころじゃない心理状態だから」
仮面夫婦。素晴らしい言葉だと彼女は思っている。
長年子供が出来ない夫婦も――そういう気になるとは全く思えないが――それなりに居るので、周囲もとやかく言わないだろう。
『リア』の称号を抱く彼女に婚約相手として正式に指名されれば、護符のないロキは絶対に断れない。
彼女が思いついた段階で決定事項である。
「それに。貴方が恋をしても、私に指名されたのだから一緒になることは絶対出来ずに、不幸になるでしょう?」
彼女が理由を続けると、ロキは生ぬるい眼差しを彼女に注いだ。
おそらくは、呆れているのだろう。
将来の自由を奪われることに葛藤でもしているのか、しばらく無言で考え込んでいたものの、結局ロキは許可が降りる事を優先したらしい。
困ったような顔をしていたものの、結局ロキは首を縦に振った。
「……分かったよ。その条件を呑む。じゃあ、機会があればまた……」
「ええ。またね」
現在のリア・ノインはカタストロフ(異性)に興味を持っていますが、恋愛的な意味ではなく、珍獣的な興味です。