第19話:力の暴走と、カインの過去
奴隷商人たちを縛り上げ、救出した子供を保護して街に戻った頃には、もうすっかり夜も更けていた。ギルドに事情を話し、衛兵に犯人たちを引き渡す。ギルドマスターからは特別な報酬と、何よりも賞賛の言葉を貰った。
「見事だったぞ、『赤錆の剣』。いや、もうそんな名前は似合わんな」
そんな言葉に、ゴードンとリーシャは、照れくさそうに、しかし誇らしげに笑っていた。
宿屋に戻り、ささやかな祝杯を上げる。いつもの気まずい沈黙はなく、そこには確かな一体感と、戦いを乗り越えた者たちだけが分かち合える高揚感があった。
私は、その輪から少しだけ離れて、温かいスープを飲みながら彼らの笑顔を見ていた。心が、ぽかぽかと温かい。仲間がいるというのは、こんなにも心強いものなのか。
けれど、その温かさとは裏腹に、私の身体の奥深くでは、静かに、しかし確実に異変が進行していた。
戦闘中、仲間との絆のおかげで、力の代償である「痛み」は和らいでいるように感じられた。しかし、痛みが消えたわけではなかったのだ。
奴隷商人たちの抱いていた「邪な欲望」。
人質に取られた子供の「純粋な恐怖」。
そして、ゴードンとリーシャがトラウマを乗り越える瞬間に放った、強烈な「過去への決別の感情」。
それら全てを、私の魂は確かに吸収していた。キャパシティを超えた情報量が、私の精神の器に満ち、今にも溢れ出しそうに表面張力を起こしている。
「……少し、先に部屋に戻りますね」
指先の微かな震えを隠しながら、私は席を立った。
「おう、ルシ。今日は本当にありがとな」
「ゆっくり休んでね」
ゴードンとリーシャの優しい言葉に笑顔で応え、私は自分の屋根裏部屋へと向かう。
部屋に入り、ドアを閉めた瞬間、私は壁に手をついて崩れ落ちた。
「はっ……ぁ……ぅ……!」
全身が、内側から引き裂かれるような感覚。頭が割れそうだ。魂に溜め込まれた他人の感情の濁流が、ついに私の精神の堤防を決壊させた。
ドクン、と心臓が大きく脈打つ。
紫色の、不吉なオーラが、私の身体からゆらりと立ち上り始めた。
部屋の中のものが、ガタガタと小刻みに震え始める。水差しに入っていた水が、ひとりでに波紋を描く。魔力が、私の制御を離れて暴走を始めているのだ。
(嫌だ……止まって……!)
必死に制御しようとするが、私の意志など無関係に、魔力の奔流は勢いを増していく。このままでは、この宿屋ごと吹き飛ばしてしまうかもしれない。
その時だった。
バン!
私の部屋の扉が、外から蹴破られるようにして開いた。
「――ルシ!
飛び込んできたのは、私の異変を誰よりも早く察知したカインだった。彼は部屋の惨状と、紫色のオーラをまとう私を一瞥するなり、顔色を変えた。
「……くそっ! ここまで溜め込んでやがったか……!」
カインは、暴走する魔力が渦巻く危険な空間に、一切の躊躇なく踏み込んできた。そして、傷つくことも厭わずに、私を背後から強く、強く抱きしめた。
「しっかりしろ! 俺の声が聞こえるか!」
彼の声が、すぐ耳元で響く。けれど、私の意識はすでに混濁し始めていた。
「俺だ……カインだ……」
彼は、私を落ち着かせるように、今まで誰にも話したことのないであろう、自らの過去を語り始めた。その声は、必死で、切実だった。
「俺も……お前と同じだったんだ。自分の力が、怖かった」
彼の腕に、力がこもる。
「騎士団にいた頃……俺には、人の心の裏側が見えた。賞賛の裏にある嫉妬も、忠誠の裏にある侮蔑も、全部だ。誰も信じられず、俺は独りだった」
「そんな俺を、唯一、ただの『カイン』として見てくれた親友がいた。だが……俺の力を妬んだ連中の策略で、俺は、その親友を陥れたという濡れ衣を着せられたんだ」
彼の声が、苦しみに震える。
「全てを失った。力も、名誉も、たった一人の友も……。俺の力は、他人を不幸にする呪いだと思った。だから、ずっとこうして、力を抑えて燻ってきた」
カインの魂からの叫びが、暴走する私の魔力と共鳴し、空間がビリビリと震える。
紫色のオーラは、それでも収まることなく、彼の身体をも蝕もうと牙を剥く。
しかし、カインは決して私を離さなかった。
まるで、私の痛みと呪いを、全て自分の身で受け止めようとするかのように。
彼は、私の耳元で、血を吐くような声で、続けた。