正しい道
それから、俺と小室さんは廊下を歩いてジャージ組の部屋に戻っていった。
扉を叩くと、程なくして椿先生が顔を覗かせる。
「あら? どうしたの?」
「あ……先生……その……ちょっと相談があって……」
「え? 相談? ……あ! もしかして夜のことね!?」
椿先生はポンと手のひらを叩いて顔を輝かせる。
確かに間違ってはいないのだが……なんとも言い出しづらかった。
「あ……そ、そうです。だから、ちょっと……」
俺が不思議な態度をとっていることに気付いたのか、椿先生はようやくジャージ組の部屋の扉を閉め、廊下に出てきてくれた。
「どうしたの? 何か問題?」
「あ……その……先生、車、持ってますよね?」
俺がそう言うと椿先生はキョトンとした顔で俺を見た。それからしばらくして小さく頷く。
「ええ。持っているわ。小さい車だけど……ずっと、校舎裏の駐車場に停めてあるわよ」
「そ、そうですか……その……車の鍵も持っていますよね?」
俺がそう言うと椿先生はジッと俺のことを見る。
そもそも……椿先生には、ジャージ組には囮になってもらうことを言っていないのだ。
ここで車の鍵を貸してくれと言うのは、それこそ、その事実をあからさまにしているようなものではないか。
自分で自分が情けなくなったが……今更もうどうしようもなかった。
「……ええ。持っているわ」
椿先生はそう言って、ポケットから熊のキーホルダーがついて鍵を取り出した。
「あ……そ、それ……貸してもらえませんか?」
もはや今更後戻りはできなかった。ここまできたら言うしか無いのだ。
すると、椿先生は少し悲しそうな顔をしたかと思うと、躊躇わずに鍵を渡してきた。
「え……い、いいんですか?」
「ええ。だって……必要なんでしょ?」
椿先生は笑顔でそう言った。その時、俺は目の前の女性が、思っていたよりも賢く、強い女性であると強く意識した。
「え、ええ……でも――」
「赤井君」
と、椿先生はいつものにこやかな表情ではなく、キリッとした顔で俺を見た。
「は……はい」
「アナタは……すごいわ。私なんかよりもきっと多くの修羅場をくぐり抜けてきたと思うの。だから……アナタの信じた道を行けばいいと思うわ」
「え、ええ……」
「それがアナタの判断したことならば、私は何も言わないし、言う資格もない。だけど、覚えていて。私が先生で、生徒を守る義務があるように、アナタも一人じゃない。アナタを信じてくれる人を守る義務がある……私はそう思うわ」
ハキハキとした調子で、椿先生はそう言った。
なるほど。教室で園芸用のチェーンソーを振り回していた方ではなく、こちらが本当の椿先生なのだ。
「だから……道を間違えないで。それはアナタだけの問題じゃないから」
そこまで言うと、椿先生は恥ずかしそうにはにかんだ。
「ふふっ……ちょっとだけ、先生らしかったかしら?」
「え、ええ……とても」
「そう。なら、良かったわ……アナタもそう思う?」
椿先生はそう言って小室さんの方を見る。小室さんはゆっくりとだが、小さく頷く。
「わたし、せんせいのほうが、ただしいと、おもう」
「ふふっ。ありがとう。じゃあ、夜、また会いましょう」
そういって、椿先生はジャージ組の部屋に戻っていった。
俺は、ただその後姿を見ているだけである。
「……あかいくん、どうするの」
小室さんにそう言われて、俺は我に返った。
……そうだ。今まで俺は、自分の意思で決めてきた。
鍵を貰って、ジャージ組を囮に逃げる……これは、平野さんのアイデアじゃないか。俺の意思じゃない。
だったら、俺がすべきことは……
俺はギュッと鍵を握り締めると、小室さんの方に顔を向ける。
「……俺も、椿先生が正しいと思ったよ」
俺がそう言うと、小室さんは無表情ではあるが、満足そうに頷いたのだった。




