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第一話 音は、無かった。

テセオ城の城下町。

その夜の繁華街には、今日も眩い灯りが満ちていた。

酒場から漏れる笑い声。

石畳を叩く無数の靴音。

煌びやかに着飾った女性の呼び込みの声。

一寸の疑いもなく、当たり前の夜の日常を過ごす。

誰もが、明日も同じ夜が来ると信じている。

その喧騒を縫うように、一つの黒い影が屋根を走った。

誰も、通り過ぎたことに気付かない。

その影は、繁華街の空気を乱すことなく、痕跡も残さず走り去る。



──静かだった。



繁華街を向けた先、貴族達の屋敷が立ち並ぶ貴族街。

その一角の屋敷の二階。

明かりのついた部屋で、窓に背を向ける形で事務机が置かれている。

上質な木の光沢があり、机には書類の他に、アンティーク調のスタンドランプや小さな彫刻の置物が一つ置かれている。

その事務机に座り、書類に目を通す、貴族の男がいた。

上着を脱ぎ、少しラフな白いシャツに胸元には三段ほどのフリルがあしらわれている。

半開きにされた両開きの窓から、夜風が入り、纏めていないカーテンが揺れ、微かに事務机と男の周りを揺らした。

誰もいないベランダからは、テセオの夜景が遠くに煌めいた。

風に揺らめくダークブラウンの短髪は、両サイドを少し刈り上げていた。

チョビ髭を綺麗に整えた険しい顔で、忙しく動く釣り目と共に細い眉がピクリと動く。

事務机の延長線上の扉が、規則的に三度鳴った。

釣り目の男は顔を上げた。

扉が開くと、補佐の男が落ち着いた声で断りを入れ、トレイを事務机の前まで運んだ。

「これが本日の成果になります」

事務机の上に差し出されたトレイの上で、積み上がった金貨が鈍く揺れた。

「ほう、上々だな」

釣り目の男は書類を置き、身を乗り出して、目を輝かせた。

「これが上手くいけば、私の出世も保証されるというもの」

釣り目の男は満足そうに、椅子の背もたれに背中を預け、安堵した。

「はい、それは約束されるかと」

補佐の男は、静かに会釈程度の頭を下げた。

「このまま続けろ」

釣り目の男は口元に笑みを零した。

補佐の男は、返事をすると、一礼し、踵を返した。

再び一人になった瞬間、静寂が落ちた。

釣り目の男は、トレイの金貨を一枚手に取り、目の高さまで持ち上げ、眺めた。

「……ようやく、ここまで来たか」

釣り目の男はうっとりするような目で、部屋の明かりに金貨をキラキラと照らした。


開いた窓の先のベランダには、髪すらも黒いバンダナに全てを隠し、目元のみを残してマスクを付け、全身黒装束に身を包む影があった。

その影の首元に巻き付く白蛇だけが、異様に浮きだっていた。

まるで、テセオの夜景と貴族の部屋を遮るようだった。


そこに音は、無かった。


いつからそこに影があったのか、誰も知らない。

影が動いても、地面を踏む音さえも聞こえない。

影が窓から部屋へ踏み込んでも、釣り目の男は金貨に目を奪われている。

懐から長物を取り出し、鞘を抜きながら近付く。

その動作に、一つも音は、無かった。

釣り目の男の後ろに立ち、銀色の少し太い針を構えた。

光で光沢のある銀色は輝き、先端は怪しく光った。

釣り目の男が、金貨を見上げながら、堪え切れない笑みを零す。

「これで議席も近い……」

言い終える前に言葉が止まった。

釣り目の男の首に、熱が走った。

何かが押し込まれ、皮膚が裂けていく衝撃。

次の瞬間、喉の奥で何かが弾けた。

痛みに叫ぼうにも、声は閉ざされ、身体だけが震え始める。

何が起きたのか理解するより先に、口から熱い液体が溢れ、顎から首へ伝う生ぬるい感触だけを感じた。


影は首を貫通させた針を少しだけ引き抜き、首の中で針を止めた。

影の首に巻き付いていた白蛇が、影の腕を伝い、針の柄の付近に口を寄せた。

白蛇は大きく口を開けると、尖った牙から、透明な雫を二滴、針の上に垂らした。


──毒。


それは針を伝い、傷へ、血へ、体内へと流れ込んでいく。

白蛇が舌をチロチロと出し入れしながら、釣り目の男を眺める。

釣り目の男は声無く、泡を吹き、ガタガタと激しく身体を揺らした。

ほんの数十秒で、釣り目の男の身体は動かなくなり、両腕はだらんと椅子の横に垂れた。

影はそれを見届けると、静かに全ての針を引き抜いた。

貫通した首の穴からは、ドプッと鮮血があふれ出て、白いシャツを赤く染めた。

支えを失くした釣り目の男の身体は、金貨を押し潰しながら事務机の上に倒れた。

胸元の三段ほどのフリルが上からじわじわと赤く染まった。

その様子を眺め、静かに影は呟いた。

「苦しかったな……」

それだけでは男女の判別が付かない、中性的な声だった。

影は懐紙で針の血を拭うと、使った懐紙と針を鞘にしまった。

さっと収納用の空間魔法を出すと、針をしまった。

影は再び音無く動き、ベランダから夜の闇に姿を消した。


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