第4話:「時空空母・四色機、発進!」
パラレルワールドの足立区。
空はインクのシアン(C)100%でベタ塗りされたような、人工的で薄気味悪い青色をしていた。遠くに見えるスカイツリーらしき建造物は、まるで巨大な四色ボールペンのようにそびえ立っている。
しかし、大宇宙印刷のシャッターの内側では、外の異常な光景など完全に無視して、けたたましい金属音と溶接の火花が散っていた。
「……だから! ここに『タキオン粒子コンバーター』を噛ませないと、次元跳躍の時に莫大なエネルギーが逆流して、工場ごと吹き飛ぶのよ!」
トレンチコートの袖をまくり上げ、顔に油汚れをつけたクロエ・マクスウェルが、ホログラム端末と謎のスパナを両手に持ちながら叫ぶ。
「馬鹿を言え。そんな得体の知れない金属の塊を、インクローラーの駆動軸に直結できるか!」
四色機の機長、高木裕太(34)が、油まみれのウエス(布切れ)を床に叩きつけて怒鳴り返した。
「ただでさえこの機械は、毎時一万回転でコンマ数ミリの見当を合わせる精密機器なんだぞ! お前の言うその『コンバーター』とやらの重量バランスが少しでも狂えば、ローラーに偏心が生じて、印刷面に横スジが入るだろうが!!」
「横スジくらい我慢しなさいよ! 宇宙が白紙に戻るかどうかの瀬戸際なのよ!?」
「横スジが入った印刷物を納品するくらいなら、宇宙と一緒に消滅した方がマシだ!!」
時空物理学の天才と、足立区が誇る偏執狂的印刷職人。
言語も次元も違うはずの二人だが、なぜか「機械をいじる」という一点においてのみ、奇妙なコミュニケーションが成立していた。
「いいか、クロエ。次元の波とやらを推進力にしたいなら、ブランケット胴の圧力を利用しろ」
裕太はチョークを手に取り、工場の床に巨大なオフセット印刷機の構造図をガシガシと描き始めた。
「紙にインクを転写する時の『印圧』。これを極限まで高め、お前の言うタキオン粒子とやらをインクに混ぜて紙に定着させる。その瞬間、紙の上に発生する超高密度のエネルギーを、排紙部から後方へ噴射するんだ」
「……あっ!」
クロエの目がカッと見開かれた。
「天才……! 次元エネルギーを『印刷』という物理現象に変換して出力するのね!? それなら、機械の駆動系に干渉せずに、既存の四色機をそのまま時空エンジンのコアとして使えるわ!」
「そうだ。ただし、そのためにはインクのタック(粘度)と、タキオンの混合比率を完璧に計算しろ。俺は機械のセッティングに集中する」
「了解、ダーリン! すぐに計算式を出すわ!」
二人は顔を見合わせ、ニヤリと笑い(裕太は無表情のままだが、目だけは職人のそれに燃えていた)、再び機械の改造作業へと没頭していった。
その様子を、工場の隅にあるスチールデスクから、底冷えするような視線で見つめている女がいた。
経理担当の若槻さん(39)である。
彼女は、銀縁メガネのブリッジを中指で静かに押し上げ、手元の電卓をカタカタと信じられない速度で叩いていた。
(……タキオン粒子コンバーター。時価不明。減価償却資産の耐用年数表には当然載っていませんし、そもそも固定資産として計上していいものか。それに、あの工場の外壁に張り巡らせている『次元シールド発生装置』。あれは建物の『資本的支出』にあたるのか、それとも『修繕費』として一括計上できるのか……税務署にどう説明すればいいのよ)
若槻さんは深くため息をつき、淹れたてのコーヒーに口をつけた。
視線の先では、クロエが裕太の肩に身を乗り出すようにして、ホログラムの数式を説明している。裕太もそれを嫌がる風でもなく、ルーペを片手に真剣に覗き込んでいる。
(……距離が近すぎるわね。セクハラ防止規程、第4条に抵触する可能性があるわ。……ええ、あくまでコンプライアンスの問題よ。職場の風紀が乱れるのは経理・労務担当として見過ごせないだけ。別に、あの機械バカの高木くんが、ぽっと出の金髪女とイチャついているのを見て、心がザワザワしているわけじゃないわ。絶対にない。そもそも私、あんなインク臭くてつまらない男、全然タイプじゃないし。来月には絶対に転職サイトに登録するんだから)
若槻さんは、自分の中の微かな「もやもや」を、税務処理とコンプライアンスという分厚い鎧で必死に押し殺していた。嫉妬などではない。断じて違う。私はクールでスマートなアラフォーなのだから。バインダーの端を握りしめる指が白くなっていることには、彼女自身も気づかないふりをした。
「おーい! みんな、聞いてくれ!!」
その時、パイプ椅子の上に立ち上がり、両手を広げて大声を上げた男がいた。
工場長(60)である。
彼は、どこから持ち出してきたのか、安全第一と書かれたヘルメットに、なぜか水泳用のゴーグルを装着し、首には赤いマフラーを巻いていた。完全に「宇宙戦艦の艦長」を気取っている。
「ついに我が大宇宙印刷は、真の『大宇宙』へと旅立つ時が来た! この工場長たる私が、時空空母・大宇宙号の初代艦長として、お前たちを輝かしい未来(と新規顧客)へと導くぞ!! さあ、全員、私の指示に従うのだ! まずは第一種戦闘配置ッ!!」
工場長の熱いシャウトが、パラレルワールドの足立区にこだまする。
「…………」
「…………」
「…………」
完全な無視である。
裕太はスパナでボルトを締め続け、クロエはホログラムを叩き、若槻さんは電卓の「00」キーを連打していた。
「あ、あれ……? おかしいな。おい高木! 艦長の命令が聞こえんのか! 右舷弾幕、いや、右舷インクローラー薄いぞ、なにやってんの!」
「工場長。そこをどいてください。次元シールドの配線を這わせる邪魔です」
裕太は一切目線を上げずに、冷たく言い放った。
「あ、はい……」
工場長はすごすごとパイプ椅子から降りた。相変わらず、この工場において彼のヒエラルキーはヤレ紙(損紙)よりも低い。
(皆様、お疲れ様です。お茶が入りました)
カオスの中心に、低く、しかし妙に安心感のある声が響いたと思われる。
巨漢のアルバイト、鈴木さんである。
彼は、いつの間にか工場の片隅に長机を設置し、その上に純白のテーブルクロスを敷いていた。
そして、その上には。
「……鈴木さん。これは、何ですか?」
若槻さんが、メガネを光らせて長机を見つめた。
そこには、最高級の玉露が入った清水焼の急須と湯呑みセット。さらに、湯気を立てる焼きたての「メロンパン」、フランス直輸入と思しき「マカロンのタワー」、そしてなぜか、料亭でしか見ないような「伊勢海老の活け造り」が綺麗に並べられていた。
(無言で親指を立てる鈴木さん)
「いや、親指を立てられても。ここにはガスコンロ一つありませんし、さっきまで白亜紀にいたんですよ? 外はパラレルワールドの足立区ですし。この伊勢海老、どこで仕入れたんですか? 領収書は?」
若槻さんの鋭いツッコミに対し、鈴木さんはスッと目を伏せ、無言で伊勢海老の身を醤油につけ、若槻さんの口元へと運んだ。
「……んむっ。……美味しい。プリプリしてる……じゃなくて!」
若槻さんは頬を赤らめながら後ずさりした。(美味しいのは事実だった)。
「鈴木さん、ありがとな。糖分が欲しかったんだ」
裕太は全く疑問を抱かず、マカロンを無造作に掴んで口に放り込んだ。
「モグモグ……うん、このメロンパンも、甘すぎなくて最高ね! 鈴木さん、時空監視員のくせにケータリングスキル高すぎ!」
クロエも呑気にメロンパンにかじりついている。
(……この人たち、適応能力がおかしい。鈴木さんのポケットは四次元で繋がっているの? なぜ誰もその異常性に突っ込まないの?)
若槻さんは頭を抱えたが、これ以上追及しても「時給150円アップ」の条件を引き合いに出されて経費が嵩むだけだと判断し、黙って最高級の玉露をすすることにした。疲れた胃に、玉露の旨味が染み渡る。
「よし、組み上がったぞ!!」
数時間後、裕太の声が響き渡った。
全員の視線が、工場の中央に鎮座する菊全判四色機へと集まる。
見た目はいつもの無骨な鉄の塊だ。しかし、その周囲にはクロエが組み込んだ無数の次元ケーブルが這い回り、機械全体が微かなシアン色のオーラを放っていた。
工場のスライド式シャッターは完全に閉じられ、内側から青白い「次元シールド」が展開されている。外の景色はもう見えない。工場そのものが、外部の時空から切り離された独立空間となっていた。
「素晴らしいわ、ダーリン! 既存の印刷機構と次元エンジンが完全に同期している! これなら歴史のどんなバグにも飛べるわ!」
クロエが興奮で顔を紅潮させる。
「喜ぶのはまだ早い。時空を飛ぶには、俺の『見当合わせ』が成功するかどうかにかかっているんだろ」
裕太は静かに、いつものようにコンソールパネルの前に立った。
その横顔は、もはや一介の町工場の職人のものではなかった。宇宙の命運を握る、孤独で孤高の操舵手のそれだ。若槻さんはその横顔を見て、またしても心臓が小さく跳ねるのを感じ、慌ててバインダーで胸元を隠した。
「最初の座標はどこだ」
裕太が問う。
クロエはホログラム端末を展開し、真剣な表情で告げた。
「目標座標……19世紀、産業革命期のロンドン。テムズ川沿いの印刷工場よ」
「ほう。ロンドンか。なぜそこだ」
「この時代のロンドンで、最初の巨大な『版ズレ』が起きているの。歴史上、初めて蒸気機関を利用した高速輪転機が稼働した日……。デリート(白紙化教団)の連中は、その輪転機に細工をして、ロンドン中に『白紙の新聞』をバラ撒き、情報伝達の歴史を根底から消し去ろうとしているわ!」
「情報伝達の歴史を消す、か」
裕太は鼻で笑った。
「俺たち印刷屋の先祖に喧嘩を売るとは、いい度胸だ」
「飛べるわね、ダーリン!?」
「愚問だな」
裕太は、手元の操作盤のスイッチを次々と入れていった。
「インクローラー、回転開始。次元湿し水、供給オン」
プァァァァン!!
重厚なブザー音とともに、改造された四色機が唸りを上げる。
「目標座標、1814年11月28日、ロンドン!」
クロエが叫ぶ。
「鈴木さん、給紙セット!」
(無言で親指を立てる)
鈴木さんが、タキオン粒子をコーティングした特殊なヤレ紙をフィーダー(給紙部)にセットする。
「いくぞ。時空見当合わせ、開始!!」
ズドッ、ズドッ、ズドッ、ズドッ!!
猛烈な速度で紙が機械へと吸い込まれていく。
それと同時に、工場全体が凄まじい震動に包まれた。重力が反転し、床に置かれたスパナやコーヒーカップが宙に浮き上がる。
「うおおおおおっ! 艦長席(パイプ椅子)が飛ぶぅぅぅ!」
工場長が空中で手足をバタバタさせている。
若槻さんは冷静にデスクにしがみつきながら、空を飛ぶ伊勢海老の残骸を目で追っていた。(もったいない、と思いながら)。
「次元の波が来るわ、 ダーリン! 網点を合わせて!」
排紙部から吐き出されてくる紙の束。
裕太は空中に身を乗り出し、凄まじい速度で流れていく紙面の一枚に、50倍のルーペをピタリと押し当てた。
常人なら視神経が焼き切れるほどのスピードと閃光。しかし裕太の目は、紙の上に展開される極小の「宇宙の座標」を確実にとらえていた。
「シアン、コンマ02ミリ前! マゼンタ、天にコンマ01!」
裕太は叫びながら、見ずにコンソールパネルのインクキーを叩き、ダイヤルを微調整していく。
「イエロー、ブラック……ヨシッ!!」
四色の網点が、紙の上で完璧な角度で重なり合った瞬間。
息を呑むほど美しい、亀甲模様の「ロゼットパターン」が完成した。
「見当、ピタリだ!!」
その宣言とともに、四色機から爆発的なエネルギーが放出された。
紙の束が後方へ吹き飛び、それが光の尾となって推進力へと変わる。
「時空跳躍!!」
バチィィィィン!!
極彩色の閃光が弾け、次の瞬間、大宇宙印刷はパラレルワールドの足立区から完全に姿を消した。
無に等しい次元のトンネルの中を、巨大な印刷機をエンジンとした一軒の町工場が、弾丸のような速度で突き進んでいく。
「……ふう。とりあえず、無事に飛べたみたいだな」
裕太はウエスで額の汗を拭いながら、コンソールのメーターを確認した。
「完璧よ、ダーリン! あなたの腕、最高! 愛してる!」
クロエが背後から裕太に抱きつこうとするが、裕太はヒョイと体をかわし、クロエは空のパレットに突っ込んだ。
「機械に触るなと言っているだろうが。油がつく」
「……コホン」
若槻さんが、乱れた髪を指で梳きながら立ち上がった。
「無事に飛べたのは結構ですが。高木くん、クロエさん。次からはジャンプの前に『シートベルト着用』の社内アナウンスを義務付けます。労災が下りない可能性がありますからね。……工場長、降りてください。見苦しいです」
天井の蛍光灯にしがみついていた工場長が、ボトリと床に落ちた。
(お茶が入りました)
鈴木さんが、なぜか19世紀の英国風のティーセットで、アールグレイの紅茶を差し出した。スコーン付きである。
「……鈴木さん、だからどこから持ってきたんですか」
若槻さんの疲れ切ったツッコミは、機械の駆動音にかき消された。
かくして、ただの印刷工場は、宇宙を救う「時空空母・四色機」へと進化を遂げた。
行き先は、産業革命期のロンドン。
歴史の版ズレを直すため、職人と未来人と宇宙人と経理とポンコツ工場長の、ドタバタ時空修正ツアーが、いよいよ本格的に幕を開けた。




