6 旅は道連れ
そんなこんなで列車強盗団を退治したのだが、今度はまた別の面倒に巻き込まれる羽目になった。
駅に到着し、乗客達で協力して縛り上げた強盗達を降ろして駅員に突き出したのだが、全員が事情聴取だなんだと足止めを食らってしまったのだ。お陰で発車予定時刻を一時間近く遅れての発車となった上に、強盗団撃退の一番の功労者であるユーベル達は更に詳しく事情を聞かれ、その列車に乗れなかったという不運さだ。
これにはさすがにノエルも申し訳ない気持ちになる。強盗をやっつけようなどとノエルが言わなければ、今頃は目的地のハーヴィーの森に隣接しているリリベル村に辿り着いていたことだろう。
もう夕暮れという時間になった頃、ユーベル達はようやく解放された。
「悪かったなぁ」
駅舎の外で待っていたノエルに、チェレスティーノが笑いながら声をかけてくる。その隣ではユーベルがぐったりと疲れた顔をしているのが珍しい。
待たされていたといっても、ノエルも弾丸はなくとも猟銃を所持していた為に結構しつこく聴取を受けたし、終わったあとは駅員の人達がお菓子をくれたりお茶を出したりしてくれていたので、そんなに苦ではなかった。
「どうかしたの?」
珍しい様子を見せるユーベルに、怪訝に思って声をかけてみる。まずは大きな溜め息が返された。
「チェレスティーノが、身分証を持っていなかったんですよ」
「? それで?」
そんなものノエルだって別に持っていない。国境を越えるわけでもないのだから、そんなに問題になるようなことでもないと思うのだが。
「身分証は持ってただろぉ」
ぐったりと呟かれたユーベルの言葉に、チェレスティーノは子供のように唇を尖らせて反論する。そんな様子に呆れ半分怒り半分のユーベルが、じとりと半目を投げた。
「そうですね。国境越えてロスティバルから来たんだから、旅券は持っていますよね。そうじゃなくて、祓魔師資格の認定証のことですよ」
ユーベルが腰に下げている三本の鎖――そのうちのひとつに下がっている十字架が、教皇庁管轄下の祓魔師協会に所属する認定祓魔師の証らしい。エテルノ聖教会に所属している祓魔師なら誰でも持っているもので、それだけで身分証として通用するものであり、常に携帯しておくことを義務づけられているとか。
チェレスティーノも同じく祓魔師協会の認定祓魔師なので、当然その証の携帯を義務づけられている筈なのだが、未所持だった為に怪しまれて聴取が終わらなかったのだという。
ノエルは胡乱気な目でチェレスティーノを見上げた。
「そんな汚い格好しているからじゃないの?」
服地が破けていてみすぼらしいとか、汗染みなどで変な色をしているとかではないのだが、全体的に埃っぽいといえばいいのか、なんだか薄汚れている感じなのだ。皮長靴なんかは履き潰される寸前の汚れ具合だ。
こんな身形をしていて、聖教会に所属している人間だと言われても、大抵の人は信用してくれないことだろう。
「言うねぇ、お嬢」
チェレスティーノは豪快な笑い声を上げ、またノエルの頭をガシッと掴んでぐるんぐるん揺さ振る。――やはりこれは頭を撫でているのだ。
「ノエルさんの言うとおりです。そんな浮浪者みたいな格好しているから、不審がられるんですよ。僧衣はどうしたんですか?」
その乱暴な頭撫でをやめさせて、ユーベルも呆れたように呟く。いつもは着ているのに、と非難を込めて睨んだ。
「怪しさで言ったら、ユーベルも似たようなものじゃない。すぐに声かけられて」
今度はユーベルの手を振り払いながら、ノエルは顔を顰める。
ノエルは知っている。彼が街中をフラついていると、男娼に間違われて、男性からも女性からも声をかけられることを。
幼い頃はどういうことなのかよくわかっていなかったが、さすがにこの年齢になって性的な話題も多少は耳にするようになってくると、あのときのあれはこういうことか、となんとなく理解した。
その事情を知っているらしいチェレスティーノは、また豪快に笑った。
「お前、こんなおチビにもそんなこと知られてんのかよ! あっはっはっはっ」
「……うるさいですね。あなたと一緒にしないでくださいよ、前科者さん」
腹を抱えて笑い出したチェレスティーノに、ユーベルは腹立たしげな目を向けて吐き捨てるように言う。その発言にノエルはギョッとした。
チェレスティーノも「うるせぇな」と舌打ちしながら呟き、荷物を抱える。
「そろそろ次の汽車が来るんだろ。行くぜ」
「はいはい。ノエルさん、行きましょう」
「あ、うん」
手を差し出されたので思わず掴んでしまったが、もうそんなことをするような年齢でないことに思い至り、振り払う。小さな子供みたいで恥ずかしいではないか。
ユーベルは振り払われた手を不思議そうに見つめたが、肩を竦め、いつもの皮肉気な笑みを浮かべて先を歩き始めた。
途中下車してしまった列車の切符代は全額返還され、新しく用意されたのは一等客車の乗車券だった。列車強盗を捕縛してくれた功労者へのささやかな礼だという。
広々とした客車には座り心地の好い座席が用意されていて、そこは列車の中ではなく、まるで領主様のお屋敷の居間のような様相だった。
「いいねぇ」
チェレスティーノはにやにやと笑みを浮かべ、適当に荷物を放って座席にどっかりと腰を下ろす。あんな薄汚れた服で座ったら、綺麗で立派な椅子が汚れてしまうのではないか、とノエルは心配になったが、チェレスティーノは気にしない。
豪華な車内を興味深く見回したあと、ノエルも静かに着席する。ふわふわの座面は想像通り座り心地がよくて、二等客車の長椅子とは大違いだ。
それから程なくして汽笛が鳴り響き、ゆっくりと列車は走り出す。ノエル達の当初の予定よりも四時間ばかり遅れて、目的地へと向かって動き出したのだ。
「こりゃ気が利くもんだ。酒があるじゃねぇか」
適当に視線を投げた先の机に飲み物が用意されていることに気づいたチェレスティーノは、いそいそと立ち上がり、これまた高価そうな硝子の杯を手にして琥珀色の水をたっぷりと注ぎ入れる。それを一息で飲み干し、顔をくしゃっとさせて「かーっ!」と実に気持ちの好さそうな声を上げた。
その様子を見ていたノエルは、ユーベルを振り返った。
「ねえ。この人本当に祓魔師なの?」
明らかに不審を滲ませた質問に、ユーベルは大きく頷く。
「困ったことに、これでも本当に祓魔師なんです。しかも、結構有能な」
「信じられないなぁ」
その会話に不満気な声を上げたのは、もちろんチェレスティーノだ。
「おいおい。随分と言うじゃねーか、お嬢」
「だって、身分証も持ってなかったんでしょう? 持ち歩くのが義務の身分証を」
本当にその資格があるのか怪しいものだ。騙りではないのか、と嫌味な言葉が口をつきそうになるが、さすがにそこまで疑うのは失礼だろうから飲み込んだ。
それでも心の内を雄弁に物語るノエルの目つきに、チェレスティーノは大きく溜め息をついた。
「そういや、きちんと自己紹介もしてなかったからなぁ……」
初めの出会いもあまりよくなかったし、疑われて当然か、と呟く。
よし、と頷き、背筋を伸ばしてシャツの襟を直すと、キリッと表情まで改めた。
「俺はチェレスティーノ・アントニオ・ディノッツァ。年齢は二十五。出身はロスティバル共和国南のシシーリ島。職業は祓魔師で、所属先は聖都の協会本部だ。そこで来月からはユーベルと同僚になる」
必要最低限ながらもきちんとした自己紹介をされ、ノエルは目をぱちくりとさせた。
そうして、自分も彼に対してはっきりと名乗ってさえいないことに気づく。
「ノ、ノエル・ブランカ。年は十一……ううん、十二歳」
「ブランカ……」
ノエルの名に、チェレスティーノは僅かに片眉を持ち上げる。
彼も知っているのだろう。フランデル王国内の孤児で、親もわからない捨て子の場合は、便宜上『ブランカ』という苗字が与えられていることを。
そのことが少しだけ恥ずかしくて、ほんのりと俯き加減になると、怪訝そうな「で?」という端的な声がかけられる。
「で、って?」
「いやさ。お嬢とこいつはどういう関係なのよ? 兄妹ってわけじゃないだろ。こいつはアーデブルクの出身なんだから」
ユーベルの名前をつけたのは亡きイザベラだ。彼女が何故、地元であるフランデル王国風ではなく、隣国のアーデブルク帝国風の名前を与えたのか、幼かったノエルは知らない。
そのあたりはどういう設定になっているのだろう、とユーベルの方を見てみる。彼は小さく溜め息をついた。
「事情があって引き取られた先が、ノエルさんのいた孤児院だったんですよ。だから、俺達は――家族みたいなものです」
ねえ、と話を振られ、誰がお前なんかと家族なものか、と内心で思いつつも、話を合わせて頷いておいてやった。
「ふうん?」
気のない風に頷き返しながら、チェレスティーノは二杯目の酒を注ごうとする。
再びたっぷりと注がれたそれを口許へ持っていったとき、それを横からユーベルが奪い去った。
「おい。なにすんだよ、ユーベ……っあ、ぁあーっ!」
奪われた琥珀色の液体が一気にユーベルの胃の中へ納められてしまう様子を見て、チェレスティーノは悲鳴を上げる。
「お前……!」
「なにすんだはこっちの台詞ですよ。いろいろ動いて頂いたので一杯くらいは大目に見ましたが、それ以上は駄目です。ノイマン大司教から禁酒を言いつけられてるでしょう」
空にしたグラスを机に戻し、呆れたように溜め息を零す。
「さっき、この人が前科者って言ったじゃないですか」
呆気に取られているノエルを振り返り、ユーベルが話を振ってくる。
確かにそんなことを言っていた。言われたチェレスティーノは僅かに不機嫌そうな様子を見せたので、事実なのだろうと思いはした。
「なにやったかっていうと、酒場で暴れて傷害罪で訴えられたんですよ。それが五回」
いずれも示談が成立して和解し、服役するような事態にはならずに済んでいたが、それでも反省しないので、数日間留置所に入れられたことがある。それを皮肉って前科者と呼んでいるのだ。
うわあ、とノエルは呟き、不貞腐れたような表情のチェレスティーノを見た。
「そんなことを何回もやった上に、毎度僧衣で暴れてたもんだから、上の人が物凄く怒ってしまいましてね。更生施設代わりに二ヶ月ばかり神学校に入れられてて、そこで俺と出会ったんですよ」
祓魔師は基本的に僧衣か、それに準じた服装をしている。祓魔師と認定されるのに出家して奉職している必要はないが、聖教会の関係者だとすぐに判別出来るように、職務遂行の際には僧衣を制服代わりにしている者が多いのだ。
その格好で何度も酒場で暴れていたので、聖教会の評判が悪くなる、と怒られた結果、十歳近く年下の少年達に混ぜられて、神学校の初年課程に在籍させられていたのだという。礼節と信仰心を鍛え、僧衣を纏うに相応しい態度を身に着けさせる為に。
それが結構屈辱的な罰だったのだろう。チェレスティーノは苦いものでも飲み下したかのような顔をしている。
因みに、禁酒を申しつけたノイマン大司教というのは、本部のまとめ役のことだとか。つまりは二人の上司に当たる人物らしい。
「そういうわけで、ノエルさんもこの人が酒を飲まないように見張っててください」
「わかった」
ユーベルからの要請にノエルは力強く頷く。対象者は不満げな声を上げながら座席に引っ繰り返って文句を垂れている。
「さて。無駄話が長くなってしまいましたが、銃の扱いについて教える約束でしたね」
そうだった。列車に乗る前にそんな話をしていたのに、それから機会を逸したまま列車強盗に遭遇したりして、その話を聞かないままになっていた。
ノエルは銃帯を外して膝に置き、真剣に話を聞く姿勢になった。
そんな様子にユーベルも真面目な顔で頷き返し、まず、と言って銃を手に取った。
「この型の銃は、このレバーを引くことで使用済みの薬莢の排出と新しい弾の装填を行えます。引き鉄はこっちです」
動作を交えて、各部位をきちんと指差しながら説明してくれる。ノエルはその動きをしっかりと目で追いながら頭に叩き込む。
「ノエルさんは実弾の代わりに自分の『力』を弾倉に込め、銃口を対象に向けることで狙いを絞り、引き鉄を引くことでそれを弾き出す――という風に使っていくんです」
「そんなこと出来るの?」
やってみるといい、と言われて銃を返してもらうが、そのやり方がノエルにはいまいちよくわからない。
「出来ないと思ってても、ちゃんと出来ますよ。さっきも出来たでしょう?」
訝しげに首を傾げるノエルに向かって、ユーベルは笑う。
確かにさっきも、いきなり透視をしろと言われて、そんなもの出来るわけがないと半信半疑ながらやってみたら、意外にも出来た。
けれど、見事に成功したのは最初だけで、あとでやってみたときには上手く見えなかったのだ。あれではきちんと『出来る』と言い切ってしまっていいものか悩ましい。
難しい表情で黙り込んだノエルに、ユーベルもかけるべき言葉を選ぶ。
「お嬢は恐い幽霊を追っ払うとき、いつもどうやってる?」
不貞寝を決め込んでいたチェレスティーノが口を挟んできた。
「普段から見えてるなら、追っ払ったことの一度や二度あるだろう? どうやってるよ?」
「えっと、……箒で叩いてる」
害虫を叩き潰す要領で箒でバシバシと殴ったり、掃除するように掃いたりしているのだ。
その答えにチェレスティーノは可笑しそうに腹を抱えた。
「そいつは想定外だ! そんなことで追っ払えるのか?」
一般的には、聖書を読み上げたり、祈りを捧げて浄めた水を撒いたりなどして、場を清めて追い出すことが多い。怪異が嫌う匂いを発するお香を焚くというやり方などもあるが、箒で叩いたり掃いたりということはあまり聞かない。
大笑いしたあと、興味深そうに尋ねてくる。真面目に頷き返すが、これは普通のやり方ではなかったのか、とノエルは頬を染めた。
「私のやり方、変なの?」
「変てこたぁねぇだろうが、変わってはいるな。よくそれで祓えるもんだ。誰かに習ったのか?」
無言でユーベルを指差す。チェレスティーノはまた笑った。
「ノエルさんは小さい頃から、そういうのに好かれやすかったんですよ」
溜め息混じりに零し、ユーベルは肩を竦めた。
「ちょっとした存在なら近づくだけで浄化出来るようなんですが、少し大きいものになるとさすがに無理があったみたいで。棒かなんかで叩いてみろって言ったら祓えたんで、それでいいかな、と」
「なるほどなぁ……。お嬢は常に力を垂れ流している感じか」
勝手に納得している様子のチェレスティーノに、どういうことか、と問い返せば、彼は子供にわかりやすく説明してくれようと、言い方を考える素振りを見せた。
この男、粗暴な言動をしてやることが大雑把で横柄だが、存外優しいのかも知れない、と思っていると、言葉が見つかったのか「つまりな」と前置かれる。
「俺等祓魔師は、自分の中にある力――霊力とか呼ぶのが多いが、それを怪異に対する攻撃と防御に使っているわけだ。で、お嬢の場合は、自分のまわりにそれを常に垂れ流している状態だから、防御の方はだいたい問題ないとユーベルは考えているわけだろ?」
「ええ、そのとおりです」
「だがお嬢はそれを意識してやっているわけじゃねぇから、なにをどうすればいいのか、いまいち理解出来てない。そこで、力を攻撃に集中させる為の補助道具として、箒と銃なわけだ」
貸してみろ、と言われ、銃を渡す。
「ふん……回転式弾倉銃みたいに撃鉄を持ち上げるってだけより、明確に『弾を込める』ってぇ動作がある分、意識はしやすいかも知れねぇな」
慣れた手つきでくるりと銃身を回し、軽く検分したあとで返してくれる。
「箒で叩くとき、あっちに行けとか、消えろとか、そういう気持ちを箒に込めてただろ?」
確かにそのとおりだと思う。恐らく無意識でも、追い払おうという気持ちを込めながら箒を振っていた。
「装填する動作をするときに、その気持ちをはっきりと意識するんだ。それでイケる筈だろうよ」
「……こうするとき?」
言われたようにレバーを引いて構えて見せる。そうだ、とチェレスティーノは頷いた。
ノエルは満足気に頷き、何度かレバーを引いては構える動作を繰り返した。引き鉄は引かないので、実際に効果があるのかはわからないが、練習は必要だと思う。
「助かりました」
ユーベルがぽつりと呟く。
「まあ、お前よりは俺の方が銃器にゃ詳しいからな」
チェレスティーノも銃を持ち歩いている。これは退魔の道具というより旅路の護身用だが、もちろん退魔に使うときもある。そのときのコツを教えてやっただけだ。
「お嬢の銃を選んだのは、お前さんか?」
「いいえ。銃を使うことを提案したのは俺ですが、あれがいいと言ったのはノエルさんですよ」
「へっ。お嬢は子供のくせに見る目があって、お前はとんだ過保護野郎だな」
にやりと笑われたので、ユーベルは軽く肩を竦める。
力を集中させる、という行動は、実はノエルにはもう基本が出来ている。本人は今はまだ上手く出来ないと思っているが、箒で怪異を追い払っている時点で成功しているのだ。
けれど、箒という短距離に限定してしまっているので、もっと遠距離から出来るように、とユーベルは考えたのだ。ノエルを危険から遠ざける為に。
遠くから飛ばす、という動作を当て嵌めるだけなら、弓でもスリングショットでもなんでもよかったのだが、至近距離でもいざというときに攻撃手段となる拳銃の方がいいと思った。想定していたよりも大型の猟銃になってしまったが、それは問題ない。
そして、いずれはそういう道具による補助を必要とせずに力を制御出来るようになるだろう、とユーベルは考えている。身ひとつで行動出来た方がなにかと便利だ。
もう一度「過保護だねぇ」と、今度は苦笑しているような口調でチェレスティーノが言った。
なにが悪い、とユーベルは笑って答える。
「ノエルさんは俺の大切な人なんですから、過保護でいいんですよ」
そう言って双眸を細めるので、チェレスティーノは呆れたように鼻を鳴らしたが、決して馬鹿にしたり揶揄ったりするような言葉は口にしなかった。ゆるく口許を歪めて「そうかよ」と小さく頷き返す。
「……ところでよ」
「はい?」
「その大切なノエルさんは、なんでさっきからお前のこと標的にしてんだ?」
「的があった方が、狙いをつけやすいからじゃないですかね」
微妙な笑みで返ってきた答えに、チェレスティーノは嘆かわしげな溜め息を零す。
「大馬鹿野郎だな、お前さんは。――お嬢。練習熱心なのはいいが、その前に、銃口を人に向けてはいけませんって常識を覚えろ」
目的地の手前、鉄道の停車駅であるフォーレに着いたときには、既に陽は暮れていた。
ほんの僅かに残る茜色に薄暗く照らされた駅舎に降り立つと、申し送りを受けたらしい駅員達からの歓迎を受けたが、やんわり躱して外へと出る。
丁度いい街道馬車があればいいのだが、と駅員に停留場所と時間を訊きに行くと、目的地の地名を聞いたあとに物凄く嫌そうな顔をされた。
「やめた方がいいわよ、お客さん」
ふくよかな中年の女性駅員は、窓口越しにそう忠告を寄越した。
「よその人だから知らないかも知れないけど、今リリベル村の近隣で恐ろしい惨殺事件が続いててね。警吏も解決出来ないって言うし、魔物の仕業かも知れないってんで何人か祓魔師が来たんだけど、それも返り討ちに遭っちゃったらしくてね……」
どう考えても危険だから近づかない方がいい、と恐い顔で告げてくる。
「その後釜に派遣された祓魔師なんですよ」
苦笑して肩を竦めると、あら、と女性は目を丸くした。
「じゃあ、結局原因は怪異なの?」
「その調査も兼ねてます。――で、街道馬車はないんですか?」
「ええ、残念ながらね。あと一時間早ければあったんだけど」
初めの事件が起こってから約一年も経ち、それでも解決の目処が立たないものだから、近隣の者達はリリベル村を避けるようになっている。街道馬車でさえ、日暮れ以降は決して傍を通らない。
「どうしても今夜行かなきゃいけないって言うんなら、馬を借りて来てあげるわよ」
あまりお勧めはしないけど、と顔を顰めながらも提案してくれるので、それに甘えることにした。
女性はすぐに近所の農場主に掛け合って馬を借りて来てくれ、今夜は雲が多くて月明かりが細いから、と駅の備品らしいランタンも貸してくれる。とても助かった。
「あたし等も恐いけど、被害に遭ってるリリベル村の人等が本当に気の毒でさ。早く解決してあげてよ」
そう言いながら見送ってくれる女性と別れ、ノエル達はハーヴィーの森の入り口にあるリリベル村を目指す。
馬車を借りてくれればよかったのに、とユーベルに抱えられながらノエルは思った。そうしたらこんなことにならなくて済んだ筈だ。
「ノエルさん、ちゃんと前を照らしてください」
持たされたランタンをなおざりにしていると、注意を受けた。唇を尖らせながら言われたようにする。
「一時間もかからないでしょうから、少し我慢しててください。あと、寝ちゃ駄目ですよ」
「寝ないよ」
ムッとして即座に言い返す。少し眠気を感じていたことを見抜かれたようで、それもまたなんだか腹立たしい。
これから恐ろしい獣らしきものが人を襲っている地域に行くのだから、本当ならもっと緊張感があっていい筈なのに、二人が平然としている所為か、ノエルはまったく恐ろしさを感じなくなっていた。もっと気を引き締めなければ、と思うのだが、背中に感じるユーベルの体温に気持ちが落ち着いていってしまう。
ちらりとチェレスティーノを振り返ると、のんびりと欠伸を零している。緊張感の欠片もない。
「大丈夫ですよ」
こんなことでいいのだろうか、と俄かに不安を感じ始めると、後ろから囁かれる。
「ノエルさんは普段どおりでいいんです」
「普段どおり?」
「変に身構えなくていいってことです。ノエルさんは俺に『目』を貸してくれればいいんですから」
余計ないことはしなくていい。見えるものをユーベルに伝える――それをすればいいのだ、と彼は言う。それ以上のことはしなくても問題はない。
銃を与えたのは護身用の為だが、それを使うような事態にはならないようにするつもりだ。そうするのが祓魔師の仕事なのだから。
わかった、とノエルは珍しく素直に頷く。その様子にユーベルは苦笑した。
基本的にノエルは聞き分けのいい真面目な性格なのだが、ユーベルの言うことだけは絶対に素直に聞かない。そんな子が反論もせずに素直に頷いたので、彼女なりにいろいろ考えているのだろうと思われる。
身を守ることの第一条件としては、柔軟な判断力が重要だろう。ノエルはまだ幼いながらにもそのあたりはしっかりしているし、普段から小さな子供達の面倒を見ているので、危機管理能力も優れている。こうやって言っておけば、変な無茶や無謀は侵さない筈だ。
危険な場所へ連れて行こうとしている時点でどうかとは思うが、無事にマリーの許へ帰す為にも、勝手な行動はしないでいて欲しい。そうでなければ本当に危ない。
「すみませんね」
ふと謝罪の言葉が口をつくと、ノエルは怪訝そうに首だけを振り返らせる。
「今更、なに?」
呆れたような口調は、少し笑っているようにも感じる。その様子にユーベルは少しだけ驚いて瞬いた。
「私とあんたは、どうやっても離れられない運命……なんでしょ?」
言われて、ユーベルは僅かに口許を強張らせたが、笑みらしきものを浮かべて「ああ、そうだな」と頷いた。
ノエルとユーベルは、出会ったあの日から、お互いの存在に縛られている。
家族ではないけれどそれ以上に近く、恋人ではなく友人のようではあるけれど何処か主従のような、曖昧で歪だけれど確かで強い繋がり――それが二人の関係だ。
このことは誰も知らない。二人だけが感じている。
いや。マリーも亡くなったイザベラも事情は知っている。けれど、それがどんなに根深く刻まれたものかは、恐らくわかっていないだろう。
本当なら、孤児院と国境を隔てた聖都の学校に離れ離れなど、出来るようなことではなかった。それでも、この先のことを考えていけば、そうすることが最善だった。それくらいに二人は運命を共にしている。
微かに苦く笑いながら、ノエルは自分の腹に触れる。
ここに刻まれた醜い傷痕が、二人を繋ぐ確かな証だった。
決して離れられない。ノエルが死ぬまで――いや、もしかすると死んでからも、その先も永遠にずっと、こうして囚われたままかも知れない。
それは酷く恐ろしいものであるようでいて、微睡にも似た心地よいもののような、不思議なものだ。吐き気がするほどに甘く優しくさえもある。
嫌い嫌いと言っていても、傍に寄れば落ち着くし、離れれば胸の奥がぎゅうっと悲しい気持ちになる。それを気持ちが悪いものだとは思わず、寧ろ当然のことだと思っている節があるのは事実だ。
いつのまにかノエルはすっかりとこの歪な絆に毒されてしまっているのだろう。それくらいにユーベルとの関係は居心地がいい。
胸の内に抱えていたその感情に意識を向けているうちに、どうやらハーヴィーの森が近づいて来たようだ。細い月明かりの中でも、鬱蒼とした木々の姿が黒々と見えてくる。
その手前のリリベル村はというと、家々に僅かな灯りが見えてはいるものの、奇妙なほどに静かなものだった。寝静まるにはまだかなり早い時間帯である筈なのに、活動している人の気配が薄い。
「静まり返ってんなぁ」
チェレスティーノも同じことを感じたらしく、手綱を引きながら呟く。
「まあ、そうなるでしょうね」
そんな呟きにユーベルも同意した。
いつ襲われるかわからない恐怖に怯えているのだ。息を潜めるようになっても仕方がないことだろうし、それが当然の状況だと思う。
元々特に観光資源もない小さな村であるし、宿屋はないと思われる。教会の宿坊に泊めてもらおうということで、村の中心地に見える鐘楼を目指した。
「ごめんください」
辿り着いた教会の扉を叩き、声をかけてみる。返事はない。
「ごめんください、どなたか」
「勝手に入りゃいいじゃねーか」
律儀に断りを入れる必要があるか、とチェレスティーノは面倒臭そうに言う。
教会の門戸というものは常に施錠されることなく解放されている。いつでも誰でも神に祈りを捧げたり、許しを請えるようにという配慮でもあり、旅人への一時の安息を提供する為でもある。
当然この村の教会も、扉に鍵はかかっていなかった。
中に入ってみると、埃臭さや黴臭さはあまり感じられない。きちんと手入れがされているということは、村人の信仰と奉仕を受けているということだ。
それならば管理している司祭がいる筈だろう、と祭壇の横手にある扉から、裏手にある管理者の居住場所の方へ行ってみる。
その通路もきちんと手入れされていて、人が住んでいる印象だった。つまり、やはりここに人は住んでいるのだ。
「ごめんください」
ここでも一応戸を叩いて声をかけてみると、今度は物音がした。
「――…どなたでしょう?」
恐る恐るといった調子で返された声は、まだ若い女性のものだった。
これはいけない、と思って、ユーベルは即座にチェレスティーノに目配せする。彼も自分の風貌が女性にはあまり好感を抱かれないとわかっているのか、すぐにユーベルの後ろに隠れ、ノエルも共に隠すように引き寄せた。
ややして、扉の上の方にある小さな覗き窓が開いた。
「夜分に申し訳ない。聖都の祓魔師協会本部から派遣された祓魔師です。教会の方でお呼びしたのですがお返事がなかったもので、失礼かと思いましたが、こちらまで入らせて頂きました」
前にいるユーベルがそう名乗る。後ろからはどんな顔をしているのかはわからなかったが、甘ささえ含んだ気色の悪い声音から、いつもの外面笑顔を浮かべているのだろうと予想された。
「まあ! お待ちしておりましたわ」
応じる女性の声が明るい。すぐに小窓が閉じられ、鍵を外す音が続く。相手が女性である場合、ユーベルの容貌は結構――いや、かなり役に立つものなのだ。
そうだということはわかっているのだが、元々の性格を知っているノエルは気持ち悪さを感じて顔を顰める。ふと見ると、チェレスティーノも同じような表情をしていた。
「気が合うな、お嬢」
お互いの表情に気づいて言われ、ノエルは大きく頷いた。
「こんな辺鄙な場所までお運び頂いて、ありがとうございます」
ややして扉が開くと、声のとおり若い尼僧は満面の笑みを浮かべて迎え入れてくれた。視線はユーベルの顔に釘づけだ。頬も僅かに上気しているように見える。
効果は絶大だな、と思いながら後に続いて行くと、そこはノエルの暮らす孤児院にもよく似た雰囲気の部屋だった。なんとなくホッとする。
「本当に困っておりましたの。来て頂いて助かりましたわ」
「状況は既に上から伺っております。わたしは祓魔師のシュタイン、こちらは同僚のディノッツァ」
「私はこちらを預かっております、シスター・カロリーヌですわ。よろしくお願い致します。シュタイン神父様、ディノッツァ神父様」
紹介を受けて微笑み返した若い尼僧の表情は、チェレスティーノの方を向いたときに僅かながら奇妙に引き攣った。
そんな反応は予想していたチェレスティーノは気にもせず、厳めしい顔のまま「俺は神父じゃねぇ」と呟いて溜め息を零した。
カロリーヌは戸惑ったような表情を浮かべ、ユーベルに助けを求めるように視線を送ってくる。その様子に小さく咳払いした。
「祓魔師ではありますのでお気になさらず。こちらの少女は見習いで同行しています」
稀有な能力故に、祓魔師と認定されるのは一般人でも可能だ。全員がエテルノ聖教会に奉職する聖職者というわけではない。ノエルのこともそういう類の立場だと説明され、カロリーヌは納得したように頷く。
「今夜は移動の疲れもあるので、出来れば休ませてもらいたいのですが……例の被害は、どういった場合に起きるのか、規則性のようなものはありますか?」
パンとお茶の軽い食事を用意してもらいながら、ユーベルは相変わらずの外面笑顔で尋ねる。
「さあ。特に決まった周期のようなものはないように思いますけれど。こういう月の陰っている晩はあまり被害は出ていないと思います」
最近の記憶を辿ったカロリーヌは、僅かに青褪めた表情で答える。
そうですか、と頷いて微笑んだユーベルは、今夜は休んで疲れを取り、明日の日中に森の中を見回るように提案してきた。チェレスティーノもそれに同意し、ノエルも反対する理由はないので頷いた。
明日は朝から忙しそうだ、と思ってパンをお茶で流し込みながら、ちらりとカロリーヌの様子を横目に見て見る。彼女はユーベルのことを熱心に見つめたまま話を続けている。
本当にこの容貌は女性受けするのだな、と改めて感心しつつ、ノエルは小さく欠伸を零した。