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ダークネス・クロス  作者: 秋月 菊千代
前日譚

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8/11

7 村での調査



 目覚めは最悪だった。

 やけに硬い枕だと思いながら目を覚ますと、隣にはユーベルが寝ている。

 なんの冗談だ、と眩暈と頭痛を感じて起き上がると、寝心地の悪い硬い枕がユーベルの腕だったことを知る。思わず盛大に顔を顰めた。

 自分で寝台に来た記憶はないので、途中で寝てしまったところを運んでくれたのだろうが、何故一緒に寝ているのか。

 しかも服が上下共に脱がされている。椅子の上にきちんと畳まれて置かれているところを見ると、皺になるからと気を遣ってくれたのだろうと思いたいが、ノエルだって思春期に差し掛かった年頃の女の子だ。一応は男性に勝手に肌着姿を見られるのは、さすがに羞恥よりも嫌悪を感じる。


 身体に絡みついていた腕を解き、寝台の下に落としてやろうと押してみる。――が、存外重たく、ちょっとくらいではびくともしない。腹が立つ。

 もう一度、今度は更に力を入れて押してみると、逆にその腕を掴まれて引かれたかと思うと、くるりと腹の上に抱きかかえられてしまう。


「起きてたの」


 ムッとして呟くと、くつくつと笑い声が零れる。


「女に寝顔を見られるのは趣味じゃない」

「よく言う。いつもみんなと昼寝してたじゃない」


 以前に一緒に暮らしていたときは、小さい子供達の昼寝の時間に、寝かしつけながら一緒に寝てしまっていることがよくあった。それなのにどの口が言うのか。


「子供の体温は心地いいからなぁ」


 そう言ってノエルを抱き締めてくる。

 言い方に腹が立ったので、手近にあった耳を思いっきり引っ張ってやった。


「痛てててててっ!」

「離せ、色情魔! 着替えるからさっさと出て行け!」

「お前はすぐに暴力に訴えるのをやめろ」

「暴力を振るわれるようなことをするのが悪い」


 ノエルだって誰にでも殴りかかるわけではない。孤児院の家族達はもちろん、村の子供達にだって絶対にしない。

 暴力的になるのはユーベルに対してだけだ。もちろんそのすべての原因はユーベルの態度にある。

 ふん、と鼻を鳴らして寝台から飛び降り、腕を組んでユーベルを睨みつける。大柄な神父は、やれやれ、と億劫そうに呟いて起き上がった。


「寝台に運んでくれたことには、一応、お礼を言っておく」


 感謝はきちんと示しなさい、と躾けられているノエルは、部屋を出て行こうとする背中に不承不承ながらそう言った。不本意だということを表すように、明らかにそっぽを向きながらだったが。

 それを受けたユーベルは、軽く振り返って面白そうに目を細める。


「風邪をひかせたら、マリーに申し訳が立たないからな」


 ノエルを無事で連れ帰るということは、体調面のことも含めてのつもりだ。多少の疲労などは目を瞑ってもらうにしても、病気や怪我などはさせずに連れ帰らねば。

 ふうん、とノエルは少し意外そうにユーベルを見遣った。そこまできっちと考えているとは思わなかったのだ。


「……ああ、そうだ。忘れ物」


 思い出したように呟き、踵を返して戻って来る。

 なによ、と不機嫌に言いかけたノエルに覆い被さり――首筋に噛みつかれた。


「ぎゃっ……、痛い! なにするのよ!?」


 突然のことに身構える隙もなかった。

 なんてことをするのだ、と睨みつけると、ユーベルはいつもの意地の悪い笑みをにやにやと浮かべている。


「それじゃ、あとで朝食のときにな」


 満足気にそう言うと、何事もなかったかのように出て行ってしまう。


「は? ちょっと。なんで噛みついたのか言いなさいよ!」


 残されたノエルはまったく以てわけがわからない。


「このド変態悪魔ーッ!!」


 噛みつかれてジンジンと痛む首を押さえながら、閉ざされた扉に向かって怒鳴りつける。肌着姿でなければ追い駆けて行って殴ってやれたものを。

 苛々しながら、取り敢えずは手早く着替えを済ませてしまう。また戻って来られたら堪らない。

 髪を結う為に櫛と手鏡を取り出し、ついでに噛まれたところを見てみる。やはり赤くなっていた。なんて奴だ。

 ユーベルは時々ノエルには理解が及ばない言動をする。以前はそれでよく泣かされたものだが、こちらでの生活に慣れてくるにつれて減っていったというのに、結局またぶり返したということだろうか。

 やれやれ、と溜め息を零して手鏡を一睨みし、部屋を出た。


 お世話になっているのだから、食事の仕度くらいは手伝わなくてはいけないだろう、と食堂へ向かう。礼を欠いてしまって、どういう育てられ方をしたのだとか、そういうことは思われたくない。

 食堂の扉を開けると、先にいた僧衣(カソック)の男が振り返った。

 カロリーヌの他にも人がいたのか、と気づいたノエルは、慌てて姿勢を正した。


「お早うございます」

「早ぇな、お嬢」


 ノエルのきちんとした挨拶に返ってきたのは、欠伸交じりのそんな言葉だった。

 昨日一日で随分と耳に馴染んだその声音と口調に、ノエルは思わず目をまんまるにした。


「……チェレスティーノ?」


 目の前のものが信じられず、半信半疑で尋ねてみる。眠そうに「おぅよ」と返された。やはりチェレスティーノなのだ。

 昨日の薄汚れた浮浪者みたいな格好が嘘のように、身に纏うのは清潔さのある僧衣であり、癖のある髪は綺麗に撫でつけて後ろで括られていて、無精髭もなくなっている。まるで別人だ。


「どうしたの?」


 目を丸くしたまま尋ねると、チェレスティーノは小さく吐き出すように「ケッ」と呟いた。


「どーもこーも、村ん中を歩くからきちんとしたんだよ」


 依頼されて呼ばれたとはいえ、よそ者はよそ者だ。こういう小さい村では特に警戒されるのはわかっているので、それを多少なりと緩和させる為には、やはり身形を整えておくのが手っ取り早い。服装などは真っ先に目につくので、信用を得る為にはきちんとしておくのが一番だ。


「持ってたなら、普段から着てればいいのに」

「こいつは俺んじゃねーし」


 呆れて言うと、嫌そうに顔を顰めながら返される。どうやらユーベルに借りたらしい。

 言われてみれば、裄や丈は丁度よさそうだが、下衣(ズボン)の裾が僅かに余っている。脚の長さはユーベルの方がほんの少し長いようだ。それもまた気に入らないらしく、チェレスティーノはおおいに不満顔だ。


「それに、いっつもこんな堅苦しいもん着てたら、綺麗なオネーチャンを引っかけに行けねぇだろうが」


 そんなチェレスティーノの個人的な事情などはノエルには関係ないし、今は本当にどうでもいいことだ。

 眉間に皺を寄せて溜め息をついたとき、薪を抱えてユーベルが外から入って来た。その陰につやつやとした笑顔を浮かべているカロリーヌもいる。


「本当に助かりますわ、シュタイン神父様」


 貯蔵庫が外にあるのか、彼女は籠に野菜を抱えてユーベルに語りかける。お安いご用ですよ、とユーベルも微笑みながら薪を下ろしていた。

 相変わらずの気色の悪い外面笑顔と甘ったるい声音に、うへぇ、と顔を顰めながら、ノエルはカロリーヌの許へ駆け寄った。


「お早うございます、シスター。なにかお手伝いします」

「あらぁ、ありがとう。小さいのに偉いわね」


 そう言って頭を撫でられたので、ノエルは思わず顔を顰める。カロリーヌには悪いが、その猫撫で声がちょっと気味が悪かったのだ。小さいと言われるほどに幼くもない。

 大人というものは、どうしてこうも相対する人によって態度を変えたりするのだろうか。なにを考えているのかわからなくて、それが不気味に感じる。

 ユーベルの場合はまだいい。なにを考えて態度を変えているのかわかっているし、もう随分と慣れた。けれど、こういうよく知らない大人の人が、明らかに含みを持って態度を変えているのを感じると、途端に不愉快な気分になってくる。


 早く帰りたい、と真剣に思う。

 ただでさえ来たくなかった用事だというのに、あまり気分のよくない人の許で世話になることになるのは、更に気分が沈む。憂鬱で仕方がない。

 今日か明日ぐらいで片がついてくれればいいのだけれど、と願いながら、昨夜よりも随分と豪華になった食卓の上を眺めた。





 食事を済ませて身支度を整えると、案内する、と意気込むカロリーヌの申し出をやんわりと断り、まずは村長の家を訪ねることにした。

 本来なら地域の代表者である村長よりも、統治者である領主に会った方がいいのだろうが、邸宅は隣村にあるうえに、数日前から王都の臨時議会に召集されていて不在らしい。

 変な時期に来てしまったものだ、と思ったが、そういう時期に当たってしまったのだから仕方がない。


 村長の家の戸を叩くと、警戒心剥き出しの女性が顔を覗かせ、不審げに「どちら様?」と尋ねながら三人の姿を見た。

 昨夜と同じように身分と名前を名乗ると、少し警戒を解いたようだったが、大歓迎という雰囲気ではないまま中へ招き入れられた。


「祓魔師様なら、先日も来ておられた」


 村長という壮年の男が居間にやって来て、少し嫌そうに告げてくる。


「そうらしいですね。殉職したことも伺っております」


 ユーベルはすっかり顔に貼りついてしまったのではないかと思える胡散臭い笑顔で応じ、自分達はその後任だ、と説明した。

 村長は三人の姿を怪訝そうに見てから、小さく「随分と若いな」と呟いた。前任者達が三十代後半から四十代にかけての中堅層だったからだろう。

 例え本当のことだとしても、前任者達より実力は上だから安心しろ、とは言えない。見た目の年齢だけで判断するならば、ユーベルもチェレスティーノもまだまだ若造と呼ばれる頃であるし、大口を叩いているだけだと思われ、更に不審そうに見られては堪らない。

 当たり障りなく言葉を濁し、実績があることだけは伝えると、多少なりと信用するような雰囲気を持ってくれたのは幸いか。


 被害の概要を詳しく尋ねようとすると、二番目の被害者だった若者は、村長の息子の一人だったことを教えてくれた。

 膝の上で拳を握り締め、唇を戦慄かせながら吐き出した村長の表情には、深い悲しみと悔恨と、憤りのようなものが浮かんでいる。


「警邏は当てにならん。頼みの綱だった祓魔師も、すぐに殺られてしまった。ご領主様も逃げ腰で、もうこの村は終わりだと思っていた」


 僅かに上擦って震える声で胸の内を吐露され、ノエルは痛ましく感じて神妙に頷いた。

 僧衣を着た二人も静かな表情でその話を聞いていて、まるで告解室で懺悔を受ける神父様のようだ。

 その落ち着いていて、親身になってくれているような様子に安堵を得たのか、村長は身を乗り出す。


「この村の産業は林業と木工だ。それが、森に入れば死ぬとなって、どちらも上手くいかなくなった――助けて欲しい」

「お救いする為に我々は伺ったのです。どうぞ頭を上げて、これまでの詳しい被害状況を聞かせてください」


 頼む、と深々下げられた薄くなった頭頂部を見つめ、真摯な口調で語りかけると、村長は僅かに赤くなった目を向け、礼の言葉を呟いた。


 それから、この一年程の間にあったことをゆっくりと語り出す。

 村の男達の殆どは林業を生業としている為、被害に遭ったのは十代後半から四十代くらいの働き盛りの男達ばかりだ。その所為で、無力な女子供は怯えて家に引きこもるようになり、余計に村が寂れいく。

 その割には家を棄てて村を出る者が少ないのは、働き手がない状態で外に行くよりは住み慣れた場所に留まり、残された者同士で協力して生きている方がいくらか現実的だと判断しているからだという。森に入らなければ安全なようだということも関係している。


「被害は森の中に限ったことなのかい? 村の中では襲われないと?」


 遮って申し訳ない、と断りながら、チェレスティーノが疑問に感じたことを尋ねる。


「今までに村の中での被害はない。――と言っても、端に接している家では、二軒ほど被害に遭っている」


 そこは殆ど森の中のような位置なので、と答えながら、立ち上がって窓のところへ行き、場所が何処のあたりなのか指し示した。

 確かにもう殆ど森の中といえる。木々の陰に家らしきものが見えるような状態だ。


 片方は四十代の男の一人暮らしで、荷物を運び入れる為に扉を開けていたときに襲われ、室内で絶命しているところを発見された。

 もう一軒は薪割りの為に外に出ているときに父親が襲われた。室内にいた幼い娘は怯えて隠れていた為に無事だったが、父一人子一人の家族だった為に孤児になってしまい、よそへ預けられてしまったということだ。可哀想に。

 村長は重々しい溜め息を零しながら、戸棚から名簿を取り出した。


「以前に警邏に言われて用意していたものの控えだ。役に立つなら見てくれ」


 亡くなった人達の名前や発見場所などがまとめられたものだという。

 ありがたく受け取って礼を述べ、三人は村長の家をあとにした。


「村の中で被害がないというのは、ちっと気になるところだな」


 名簿を捲くって歩きながら、チェレスティーノがぽつりと呟く。

 ユーベルもそれに同意を示したが、ノエルにはその疑念がいまいちよく理解出来ず、首を傾げた。


「実際に来てみて気づきましたけど、これだけ森に食い込むように村が出来ているというのに、森の中でだけの被害というのが不思議だな、という話です」


 言われてみれば確かに、リリベル村はハーヴィーの森に埋もれるように存在している。伐採して出来た僅かな場所へ家を建てながら広がっていったのか、実に歪に、彼方此方に森だった痕跡が残っていた。


「暴れ回ってる化け物は、森の中でしか動けない制約があるのか、村人に姿を見られたくないのか」


 チェレスティーノは煙草に火を点けて呟く。鬱蒼とする森を睨む目つきは剣呑だ。

 その呟きを反芻しながら、ノエルも森の木々を見遣った。なにか見えやしないだろうか、と念じながら。


「森の中でしか動けない場合、理由はなんだろ?」


 ノエルの疑問に、二人は少し首を捻った。


「仮定のひとつとして、陽の光に弱い習性を持っていると考えられますかね」

「まあ、悪魔憑きの場合は、大抵が日光には弱いがな」


 太陽というものは、その強い輝きだけで浄化の力を持っているとされている。その為か、大抵の怪異は暗闇を好み、活動範囲は屋内か夜間に限定されていることが多い。


「あとは、闇に紛れやすい外見をしているとか、ですかねぇ」


 皮膚や体毛が黒っぽいとか、そういう存在のことだろう。

 挙げられた二つの仮定を意識しながら、ノエルは森の中を透かしてみるように目を凝らす。けれど、やはりあまり上手くいかない。

 溜め息をついて目を擦り、瞬きを何度か繰り返して気持ちを切り替え、もう一度目を向けようとすると、やんわりと止められた。


「まだいいですよ」


 訝しむノエルに向かい、ユーベルは微かに苦笑する。

 今から根を詰めてしまうとあとで疲れが出て、本来必要なときに使いものにならなくなる可能性がある。それでは意味がない、と言われ、ノエルは黙って頷いた。


「取り敢えず、午前中は村の人達に話を聞いて回りましょうか。そのあとに森を下見して、日暮れ前には一度教会へ戻りましょう」


 黙り込んで森を見つめているチェレスティーノに、ユーベルはそう提案する。

 それがいいだろう、とすぐに視線を逸らして同意をしてくれたので、まずは一番手近な家へと足を向けた。





 予定のとおりに村人達への聞き取りを終えたあとは森の中も見分して回ったが、特になにがしかの痕跡は見つけられなかった。

 遺体発見現場という場所の周囲には、幹などがなにかに抉られたような傷があったりもしたが、どうも獣の爪というには形状が異なる。これでは村人を襲った存在がいったいなんなのか、まだよくわからない。

 取り敢えずわかったことは、襲われたのは働き盛りの健康な男性達がほとんどで、老人や子供に被害はなかった。殉職した三人の祓魔師達も同じような年代の人物達だった。

 そして、家畜にも一切の被害は出ていない。あくまでも人間の男達が襲われている。


「三十や四十の男なんて、肉が硬くなってきてて美味くもないだろうに」


 ほぼ一日中歩き回って疲れた脚をぶらぶらとさせながら、チェレスティーノは呟いた。


「そういうもの?」


 よくわからないノエルは首を傾げて尋ねる。


「牛でも豚でも羊でも、若い肉が柔らかくて美味いもんだ。人肉は食ったことないから知らねぇが、同じ動物なんだからそんなもんだろ」


 なあ、と話を振られ、ユーベルも頷いた。

 いつも既に処理をされた食用の肉を買って来るだけなので、それが若いのか年寄りのものかとか、そういうことは考えたことはなかった。今度からはそういうことも少し意識してみようかと思う。


「そんなことよりもノエルさん。日没までまだ少し時間がありますから、仮眠をとっておいてくださいよ」

「えぇ……眠くないよ」

「今は眠くなくても、今日は夜更かしになるんですから。夜遅いの苦手でしょう?」


 ほらほら、と腕を引いて立たされ、そのまま素早く部屋を追い出される。

 確かにノエルの生活は、基本的には早寝早起きで、夜の十時頃にはいつも布団に入っている。今夜はそれよりも遅くまで――もしかすると朝まで起きていることになるかも知れないとなると、確実に途中で眠ってしまいそうだ。

 仕方がない、と言われたとおりに自分の部屋に入り、寝台に潜り込んだ。

 隣の部屋で物音の調子を伺っていたユーベルは、ノエルが素直に仮眠に入ったことを把握し、安心して座り直す。


「過保護だねぇ」


 チェレスティーノはまた呆れたような口調で呟く。それに対してユーベルも、昨日と同じように「いいんですよ」と返した。


「あぁ、ノエルさんは大事な人だから、ね」


 やれやれ、となんとも言えない表情で肩を竦められたので、ユーベルもただ静かに口角を上げて微笑む。まったくそのとおりなので、改めて答える必要はない。


「そんな大事な大事な可愛いノエルさんの首に、年齢に見合わない随分と色っぽいものがあったが……犯人はお前さんかい?」


 自分の首筋をトントンと指先で叩いて示しながら、僅かに眉根を寄せる。


「あれ? 気づかれていましたか」

「気づくに決まってるだろーが」


 すっとぼけた口調と笑顔で返されたので、僅かな苛立ちを込めてチェレスティーノは舌を鳴らす。


「まさか本当に手を出したワケじゃねえだろうな」


 さすがにそれは勘弁して欲しい、と思いながら睨みつけると、ユーベルは意味深な笑みを浮かべる。その笑顔を見ただけで、これ以上は踏み込んではいけない話題なのだろう、とチェレスティーノは思った。

 どうせ、自分のものだから手を出すなとか、そういう牽制かなにかなのだ。チェレスティーノがノエルにベタベタ触っていたことが気に入らないのだろう。


「面倒臭ぇ野郎だなあ」

「なんですって?」

「なんでもねぇよ。それより、さっさと今夜のこと話合っちまおうぜ」


 心底うんざりして追い払うような仕種で手を振り、借りてきた名簿を捲くった。


「なにか気になったことはありましたか?」


 ユーベルは懐中時計を取り出して時間を確認してから、珍しく仕事熱心な様子を見せる先輩祓魔師の横顔を見遣る。


「そうさな……森の中に残されていた傷痕かな。ありゃなにがつけたんだと思う?」

「さあ、なんでしょうね?」


 はぐらかすつもりはないが、見当がつかないことで曖昧な答えを返してしまう。


「話を聞いている限りだと、正体は人狼(ライカンスロープ)かなにかだと思っていたんですよね」

「ああ。俺もだ」


 遺体に残された傷痕が大型の獣の歯形のようなものであり、夜陰に乗じて活動することと、月のない晩にはあまり出て来ないらしいことを聞き、人狼の眷属の可能性が高いと思っていた。もちろんチェレスティーノも同意する。

 しかし、遺体発見現場付近に残されていた傷痕は、獣の歯形や爪痕とは少し形状が違っていた。その結果、結局なにに襲われたのか、一から考え直さなければならなくなった。


「人狼以外の獣人か、或いは……吸血鬼(ヴァンピール)


 夜陰に紛れて人間を襲い、血肉を好む性分の怪異で代表的なものは、人狼か吸血鬼だ。世の中で起こる怪異事件の中で、霊的な存在による被害に次いで多いのは、夢魔や淫魔に因るものだという。その次がこの二種族に因るものだろう。

 人間に擬態する能力を持つこれらの種族は、人知れず社会に溶け込んで眷属を増やしているので数が多く、それ故に事件を起こすことも多くなるし、必然的に討伐対象として挙げられるのも多くなる。民間には吸血鬼討伐を専門とする者もいるくらいだ。


「吸血鬼は肉は食いませんよ」


 聞き取りのついでに村の診療所から借りてきた死亡診断書を捲くりながら、ユーベルは首を振る。もちろんわかっていたチェレスティーノは「だよな」と頷いた。

 被害者達のほとんどの死因は、全身のあちこちを食い破られたことに因るものらしく、共通して『なにか大型の獣に襲われたと思われる』とされている。吸血鬼が犯人である場合、固形物は摂取出来ない彼等が肉を抉るほどに食い破るようなことはない。

 そして、どの被害者からも、心臓がなくなっていた。


「他に人間の肉を好む種族ってぇと、食人鬼に屍鬼あたりか……。けど、食う為に殺したってより、殺す為に食ったって感じだよな」

「確かにそうですね。傷口の大きさも、そういう連中のものに酷似しているようにも感じます」


 一般的な人狼にしては少々小さいが、野犬などよりは大きい。成人と同じような体格の食人鬼や屍鬼に因るものだと、だいたい同じくらいになる。

 けれど、食人鬼も屍鬼も特に陽の光に弱いということもなく、日中は多少は動作が鈍くなりはするが、夜間のみに活動を限定する種族ではない。


「お前さんはなにか気になったことはないのか、ユーベル?」


 ただ単に夜間を好む個体だろうか、と考え込んでいると、話を振られた。

 顔を上げて頷き、昼間に聞き取りをしたときのことなどを反芻する。


「そうですね……引っ掛かりを感じたことといえば、村長の息子の話でしょうか」

「死んだ息子か? 確か、一人目の捜索に加わっているうちに、被害に……」

「ああ、そちらじゃなくて。行方知れずだっていう長男のことです」


 村人達に話を聞いているときに、中年の主婦達がそんなことを口にしていた。

 村長には出来のいい長男がいたのだが、ある晩に父親と大喧嘩して家を飛び出し、それっきり行方がわからなくなっているのだという。その為、末っ子の三男が街の学校を卒業して帰宅し、家を継ぐことになっていたらしいのだが、死んでしまったというわけだ。

 因みに次男は、街で小さいながらも自分の工房を構える職人として生活していた為、跡を継ぐという選択肢はなかったらしいのだが、三男が亡くなってしまったので、数年以内には工房を畳むか移転するかして戻って来る予定になっているとか。

 村長さんのところは不幸が続いて可哀想だわ、と家人に被害者のいない主婦達は溜め息を零しながらそんな話を教えてくれた。


「いなくなった時期は最初の事件と同じくらいらしいので、見つかっていないだけで、被害に遭っているのではないか。もしくは、犯人なのではないかと気になりまして」

「なるほど。行方不明の長男が、知られていない本来の第一犠牲者であるか、逆に村人殺しの犯人じゃねーのかってことか」

「そういう可能性は、無きにしも(あら)ずかと」

「無きにしも非ず、だな」


 最悪の予想ではあるが、と二人は揃って顔を顰めた。

 犠牲者ならまだいい。遺体を発見して遺族の許へ還してやり、冥福を祈ってやればいいのだから。

 だが、犯人であった場合は本当に最悪だ。二十人にも及ぶ同胞殺しを行っている上に、恐らく異形と化している筈だ。混血でもない普通の人間が怪異となる例はあまり見かけたことはないが、まったくないわけではない。その場合、二度と人間としての生活には戻れないし、こちらとしても事件を収める為には生命を絶つしかない。

 怪異に因る憑依型の場合でも、もう一年もそんな状態であるのなら、肉体の方はとうに死んでいるだろう。どちらにせよ、犠牲者の合計が一人増えるだけだ。


「参ったなあ……」


 チェレスティーノは呟く。ユーベルも同じ気持ちだ。

 二人とも人狼あたりなら今までにも何度か討伐したことがあるので、指令を受けた時点ではそんなに大変な任務だとは思わなかったし、すぐに解決出来るだろうと思っていた。それなのに、いざ現地に赴いてみれば、怪異の仕業であることは明白ではあったが、その正体は杳として知れない。

 結局今回は、実際に対峙してみないことにはなにもわからないのだ。

 こんなことは珍しい。大抵の場合は、事前の調査でおおよその見当がつき、それを基に有効な対策や手段を用いるのだが。

 それでも上手くいけば、今夜中に片はつけられる。ユーベルもチェレスティーノもそれくらいの実力者ではあるし、今まで共闘したことはあまりないが、性格的な相性はとてもいいので容易なことだと思われる。


 取り敢えず今夜の装備としては、浄化の祈りを捧げた聖水と銀製の武具を持てばいいだろう、と話していると、控えめなノックの音が響いた。


「あのぅ、神父様」


 シスター・カロリーヌの声だ。

 ユーベルがさっと立って戸口に行く間に、チェレスティーノはだらなしなく寛げていた襟を素早く直した。


「どうかなさいましたか、シスター?」


 扉を開け、相変わらずの胡散臭い外面笑顔と甘ったるい声で尋ねれば、カロリーヌは頬を染めて微笑みながら、少し早いが夕食が出来たことを告げてきた。

 もうそんな時間になっていたのか、とユーベルは懐中時計を確認してから、すぐに食堂へ行く、と答えて扉を閉めた。


「そういや昼もたいして食わなかったし、腹が減ったな」


 立ち上がって伸びをしながら、チェレスティーノが思い出したように呟く。昼は村を回ったあとにすぐに森に行く予定だったので、途中の家々で何度も茶菓子を出されていたこともあり、食事らしい食事もせずに歩き回っていたのだ。


「ノエルさん、食事が出来たそうですよ」


 隣の部屋の戸を叩きながら声をかけてみるが、ノエルの返事はない。昨日の移動疲れも残っていたのだろう。熟睡しているようだ。

 まだ時間はあるので、もう少し寝かせておいてやれ、とチェレスティーノが助言する。食事は出かける直前でも大丈夫だろう。

 そうですね、とユーベルも同意し、二人だけで食堂に向かうことにした。

 食堂に入ると、よく煮込まれたスープの匂いが狭い部屋の中に充満していた。空腹を感じていたところだったので、更に食欲を刺激される。


「すぐにお持ちしますね。座ってお待ちください」


 二人が入って来たことに気づいたカロリーヌは、鍋を掻き混ぜながら微笑む。

 いいねえ、とチェレスティーノが小声で囁くように言った。

 彼が言いたいことはわかる。若く愛嬌のある女性が、煮炊き場に立って食事を作り、優しげな笑顔でそれを供してくれる――まるで新婚家庭かなにかのような平穏なやり取りだ。誰でもホッと心が落ち着く光景だろう。


「あのお嬢さんはどうなさったんですか? 何処か具合でも……?」


 食事を盛りつけながら、ノエルの姿がないことに気づいたカロリーヌは、心配そうに小首を傾げる。大丈夫ですよ、とユーベルは笑顔で応じた。


「夜に備えて少し仮眠をとらせているんです。食事は出かける前に軽く食べさせますから、ご心配なく」

「そうですか。では、簡単に食べられるものをあとで用意致しますね」


 お気遣いなく、と首を振り、人数分の水をコップに注いだ。


「今夜は長丁場になるとおっしゃられていたでしょう? なので、精をつけて頂こうと、お肉を分けて頂いて来たのですよ」


 器に盛られて出されたのは、昨夜のスープとは違い、なかなかに具だくさんのものだ。ほう、とチェレスティーノが笑みを零し、嬉々としてパンの籠を引き寄せる。


「これは豪勢ですね。ありがたいことです」


 ユーベルも頷いて微笑み返しながら、けれど、とその皿をそっと押し返す。


「わたしは、パンと水だけで結構ですよ」

「……なにかお気に召しませんでしたか?」


 カロリーヌは驚いたようにユーベルを見つめ、困惑気に表情を曇らせた。


「ええ、そうですね」


 はっきりと頷き、双眸に剣呑な笑みを乗せる。


「わたしは毒入りも、人肉入りのスープも食べない主義なので」




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