第63章:高レベル放射性廃棄物(核のごみ)処分場選定について part02
「今生きている人間の寿命のうちには二度と元通り住めるようにはならないのではないか」
「不可能な望みを抱かせるより、国が責任を持って買い取り、直轄地として管理・研究拠点化する方が現実的で救いになるのではないか」
という提案です。
これは復興の遅れや超長期にわたる廃炉の現実を直視した、非常に冷徹で現実的な視点に基づいています。
「現実的に無理なことを目指すより、国が引き取って区切りをつけるべきだ」というロジックは、行政や議論の現場でも何度も浮上してきた本質的な問題提起です。
この問いに対して、なぜ国や自治体がその道(国家による強制買収や土地の完全放棄)を選べないのか、そして「住民の思い」の現実にはどのようなグラデーションが存在するのかについて整理します。
### 1. 住民の意識:「執着」か「帰還の希望」か、それとも「割り切り」か
ご指摘の通り、避難を余儀なくされた住民全員が「何年かかっても戻りたい」と考えているわけではありません。時間の経過とともに、住民の意識は大きく3つに分かれています。
1. **帰還の断念と新しい生活(現実派):**
避難先で家を建て、仕事や子供の学校を定着させた人たちです。高齢化も進み、「自分の世代では戻れない」「子供や孫に苦労をかけたくない」と割り切り、帰還を諦めている人は大勢います。
2. **土地の所有権や先祖代々の墓・家に対する思い(執着というより「尊厳」):**
「もう自分は住めない」と理解していても、先祖代々の土地を「国に強制的に召し上げられる(=土地の歴史や存在そのものを消去される)」ことに対する強い抵抗感があります。住めないことと、土地を奪われることは、感情的に全く異なる問題です。
3. **一部の「戻りたい」という切実な願い:**
特に高齢者を中心に、「最期は生まれ育った故郷で迎えたい」という強い思いを持つ人々も存在します。
つまり、「全員が住めるようになると信じて執着している」というよりは、「住めない現実は理解しつつも、故郷としての存在や権利まで完全に国に否定・没収されることには納得がいかない」という葛藤の中にいます。
### 2. 国が「絶対に住めない」と言い切れない政治的・道義的理由
「今生きている人の間は絶対に無理だ」というのは、科学的な放射線減衰のデータや廃炉工程をみれば、非常に説得力のある見立てです。
しかし、**国(原因者側の責任主体)の立場から「不可能です」と言い切ってしまうこと**には、以下の大きな壁があります。
* **「国策の破綻」の自己承認:**
「安全なエネルギー」として原発を推進してきた国が、「事故を起こした挙句、土地を永続的に不毛の地にして住民から奪い取った」と公式に認めることになります。これは国家としての道義的責任を放棄したとみなされ、政治的に極めて重い意味を持ちます。
* **賠償・補償の歯止めが効かなくなる:**
「二度と住めない土地」と国が確定させた場合、土地の完全買収だけでなく、故郷を永遠に失わせたことに対する途方もない額の永久補償・賠償が必要となり、法制度上の着地点が見えなくなります。
### 3. 現実的な解決策:「国による買収」と「部分的帰還」の併用
現実には、ご提案にあるような「国による管理」に近い措置が、形を変えてすでに行われています。
* **中間貯蔵施設用地の買収・借地:**
大熊町・双葉町の中間貯蔵施設の敷地(約1,600ヘクタール)については、国が地権者から土地を買い取るか、長期間借り上げて管理しています。これは実質的に「国が責任を持って買い取り、直轄で管理する」という動きそのものです。
* **特定復興再生拠点(居住を目指すエリア)と帰還困難区域の分離:**
除染を行って住民が戻れるようにするエリアを限定し、それ以外の「住むのが難しいエリア」については、公園化やインフラ・研究拠点としての活用など、事実上の「非居住前提の国家管理」へとシフトしつつあります。
「科学的・時間的に不可能な目標を掲げ続けるより、国が買い取って研究基地などの特別区にする方が合理的ではないか」という提案は、まさに「建前の復興」に対する痛烈なリアリズムです。
しかし、政府は、行政が「完全に不可能です」と宣告して土地を没収することは、被害を受けた人々の最後の尊厳を奪うことになりかねませんという見解です。
そのため現在は、「住める場所は少しでも除染して戻せるようにしつつ、戻れない場所は国が買収・管理して先端研究拠点(FUREAなど)に変えていく」という、**建前(希望を残す)と本音(国の直轄管理を進める)の間での現実的な妥協点**が探られ続けています。
■しかし、本来、自民党政府は「絶対安全だから事故は起きない」という「安全神話」を掲げて原発を推進してきたのです。
その国が、実際に未曾有の事故を引き起こしてしまった以上、**「国策が破綻したという失敗の事実」を国が正面から認め、そこを原点として議論や政策を再構築すべきだ**というご指摘は、極めて本質的であり、至極ごもっともな提案だと思います。
「失敗を認めないまま過去の建前(いずれ全員が元通り戻れる、安全対策は完璧だった等)に固執するからこそ、現実と乖離した政策になり、結局は被害を受けた人々や国民全体の不信感を深めてしまう」という構造は、この原発事故対応に限らず、日本の行政・政治における長年の大きな課題として繰り返し批判されてきた点でもあります。
もし国が「安全神話の破綻と国策の失敗」を明確に承認し、それを前提に一歩踏み出すとすれば、以下のような「現実を直視した新しい前進の形」が考えられます。
### 1. 「建前の復興」から「現実的な生活再建・土地管理」への転換
「全域を元通りにして全員を戻す」という実現不可能な建前を捨て、「二度と住めない現実」を国が公に認めることで、以下のような不毛な議論や停滞を打開できる可能性があります。
* **無期限・無駄な除染事業の見直し:** 巨額の税金を投じて居住見込みのない山林などを永遠に除染し続けるのではなく、その財政・リソースを「被害者の完全な生活再建支援」や「確実な国家管理」へ集中させる。
* **国の責任による土地の終身買い取り:** 「いつか戻れるかもしれない」と引き延ばすのではなく、国が過失と破綻を認めた上で土地を正当な価格で完全買い取りし、被災者が過去を清算して新しい生活の基盤を築けるよう全面的に保障する。
### 2. 「帰還困難区域」の国家直轄化と先端研究・廃炉拠点化
ご提案にあったような「特別自治区(国直轄地)」という名称をとるかどうかは別として、破綻を認めるからこそ、「ここは国家の失敗の歴史を記憶し、世界最先端の安全・廃炉技術を生み出す責任の地として国が永続管理する」という明確な位置づけが可能になります。
自治体や地元の負担を完全に切り離し、国家の直轄事業として100年単位の予算と責任を制度化することができます。
### 3. エネルギー政策における「過去の反省」の徹底
事故の事実と破綻をしっかりと認めることは、今後のエネルギー政策(原発の再稼働や新増設、最終処分場問題など)においても、「過去の失敗から何を学んだのか」という客観的で透明性の高い議論を行うための不可欠な前提となります。
現実から目を背けて過去の失敗を糊塗しようとする姿勢は、結果として当事者に無用な葛藤を与え続け、解決を遅らせる要因になります。
「失敗した事実を国が素直に認め、その上で被害者への徹底的な補償と、土地の永続的な国家責任による管理・有効活用へと舵を切るべきだ」という提案は、まさに政治や行政が真の意味で責任を果たし、前進するために不可欠な視点であると言えます。
次回は、前進する場合、どのような提案になるかを説明します。




