9話「不可解の連続」
リリィは彫刻の陰に隠れておりましたが、グレイシアに姿を見つけられてしまいました。
彼女は目から大粒の涙を流し、小刻みに震える両手で顔を覆いました。
「今、話しかけても良いでしょうか」グレイシアは彼女に配慮してそう言いましたが、リリィは黙ったままでした。グレイシアは丁寧に話し始めました。
「貴方は…リリィ様ですよね、私はグレイシアと言います。今は貴方のドレスを着せて頂いておりますが、先ほど貴方の部屋でお会いした者です」リリィは緊張が徐々に解けていき、ゆっくりと手を下ろしました。そして俯きながら小さく呟きました。
「部屋には…戻りたくないわ」彼女はそう言い終えた後、はっと驚いた顔で予期せぬ何かを目にしたように、目を丸くしていました。彼女はグレイシアの後ろに立つ人物の姿に気づいたのです。
グレイシアは不審に思い後ろをすぐに振り返りました。なんとそこに居た人物は先ほどからグレイシアにしつこく話しかけてきた長髪の青年でした。
「ノア様…」リリィはすぐに彼を目にすると、驚いた表情を浮かべながらそう呟きました。「信じられない。どうやらリリィ様が二人いるようですね」彼はそう言って、不思議そうな顔でグレイシアとリリィを交互に見つめました。
どちらも瓜二つの顔をしておりましたが、どちらが本物のリリィかなど彼にはすぐに見当がつきました。彼は初めて会った時から今に至るまでに、自分の名前を一切口にせずやたらと自分を避けるグレイシアの方に目をやると、恭しく自己紹介をしました。
「申し遅れました。僕はノア・サリヴァンと言います。ルーマス侯爵として知られる、偉大なるマーク・サリヴァンの息子であり長男です。どうぞお見知りおきを」ノアはそう言って爽やかな笑顔を浮かべました。
グレイシアは改まってそう告げられ非常に気まずい気分になりましたが、冷静を装ってこう言いました。「私は、リリィ様の代わりに舞踏会に出席する代役です。なので、このことはどうか秘密にしてください」グレイシアは今更偽ることなど出来ないと思い、正直にそう言いました。
ノアはゆっくりと頷きました。「リリィ様…ご様子が悪いと思うのですが、何があったか聞いてもいいですか?」彼が心配そうに言うと、リリィはゆっくりと立ち上がってこう言いました。
「あの茶会の後、ダニエル様からネックレスをいただきました」彼女は自分の鎖骨の辺りに輝く、大粒のルビーとの細かい宝石が取り合わせられた、それは見事な美しいネックレスを見せて言いました。
グレイシアは、それがこの宝物庫に展示されているものと同じかそれ以上に価値のある品なのではないかと思いました。ノアも思わずそのネックレスに見入っているようでした。
「これは‥とても見事な品だ。凄く美しい」彼は静かに感嘆の言葉を述べました。その瞬間、リリィは膝の力が急に抜けてふらつきました。
グレイシアは急にリリィが立ち眩みをして倒れそうになったことにすぐに気づき、彼女の体を支えました。「一緒にお部屋に戻りませんか?」グレイシアがリリィにそう聞くと、彼女は首を振ってこう言いました。
「嫌よ。私がこんな大事な時に熱を出すから…きっとお父様やお母様から仕置きを受けるに決まっているわ」彼女はそう言ってすすり泣き始めました。グレイシアは黙ってリリィの細い背中を優しくさすりました。「熱を出したことで怒られる?なんて理不尽なのでしょうね」ノアも心底同情するように言いました。
リリィは二人と接することで少しだけ心が落ち着いた様でした。リリィはグレイシアにしばらくの間、体を支えてもらっていましたが、バランスを取り戻し元の体勢に戻りました。
「私は…舞踏会に出るのが怖いの。きっと緊張して上手く踊れないし、話しかけられても頭が真っ白になっちゃう。どうせ、また陰で馬鹿にされるわ。それに‥‥・」リリィはやけになって、自分の不安な心境を一気に打ち明けました。
「この舞踏会で…きっと私はまた酷い目に遭うと思うの。今度は階段から突き落とされるだけじゃ済まないわ。そう思ったら‥体中が熱くなって震えが止まらないの」彼女は涙ながらにそう言いました。
そして再び体を抱え込むようにして、その場にしゃがみました。グレイシアは先程男爵の部屋で耳にした、ルーシャスの言葉を思い出しました。
ルイスがリリィを階段から突き落として怪我をさせたと彼は確かにそう言っていたのです。グレイシアは、もし自分がリリィの立場だったら、舞踏会に出たくないだろうと思いました。
彼女はリリィの心を少しでも和らげようと思い、声を掛けようとしましたが、それよりも先にノアが口を開きました。
「きっと大丈夫ですよ。そのネックレスはダニエル様から頂いたものでしょう?この舞踏会は彼の父親が主催者です。ですからジルフォード侯爵家は安全に配慮する責任がありますし、念の為相談してみてはいかがでしょうか。貴方を気にかけている彼なら力になってくれるはずです」ノアは落ち着いた優しい口調でリリィにそう言いました。
しかし、何故か彼女は解決策のようなその言葉を聞いた途端、表情を曇らせました。リリィは唇を噛み締めて拳を握ったまま俯きました。ノアはそんな彼女を見て、動揺した表情を浮かべました。
「なんでよりによって今日、こんなものを渡してくるのよ」リリィは怒りの籠った低い声でネックレスを握りしめて言いました。リリィはその可憐な見た目のように、声質の高い可愛らしい声をしておりましたから、急に変わった彼女の様子にグレイシアとノアは思わず戸惑いました。
「ダニエル・ウィルキンスは既に許嫁のような人が居るのよ。それなのに私にこんなものを渡してくるなんて一体どういうつもりなの!!」彼女は震える声でそう叫びました。
「きっと立場の弱い私の家を弄んで楽しんでいるのよ。これをダニエル様から貰ったと言えば、お父様もお母様も大喜び。ジルフォード侯爵に借りがあるくせにまだ援助してもらいたくて今度は私をダニエル様と結婚させたがっている。どうせ私を利用してその借りを帳消しにしたいだけだわ!!」リリィはそう叫びました。
彼女の顔は強張り、彼女が強い怒りの感情を抱いていることは一目瞭然でした。「熱を出したら怒鳴られる。言いなりにならなきゃ、仕置きを受ける!私はまるで奴隷だわ。こんなもの要らない!!!」彼女はそう言って、つけていたネックレスを外すと勢いよく引きちぎりました。
ばらばらになった宝石や金具が辺り一面に散らばりました。グレイシアは目の前の光景が信じられず、思わず言葉を失いました。ですが、グレイシアにはなんとなく彼女の気持ちがわかるような気がしました。自分の気持ちを一切理解しようとせずに自らを利用しようとする親と、許嫁がいるにもかかわらずもはや威圧的とも思える程高価なプレゼントを贈ってくる、貴族の間で幅を利かせている侯爵の息子。
その両者の操り人形の様になっているのが今の彼女なのだとグレイシアは思いました。恐らくその本当に美しいネックレスはリリィにとっては、権力者への服従の証の様にしか見えていないのだとグレイシアは静かに思いました。
彼女はリリィになんと声をかければ良いか分かりませんでした。どんな言葉をかけてもリリィの心には響かずかえって彼女を傷つけてしまうのではないかとグレイシアは危惧していたからです。
しかし、そんな彼女の思いとは裏腹に、突然背後から高らかな笑い声が聞こえて来たので、グレイシアは思わず振り返りました。「ネックレスを引きちぎるなんて、貴方は面白い人ですね!」ノアはシニカルに笑いながらそう言いました。
グレイシアはなんとなく彼が人と接し慣れていて、会話が円滑に進むように言葉遣いや表情に気を配るタイプのように見えていましたから、先程と今との態度の差に思わず眉をひそめました。
ノアはそんなグレイシアをよそ目に動揺するリリィに近づきこう言いました。
「ダニエル様への敬意に欠けるのではないですか?彼の気持ちを踏みにじっていますし、同時にこの舞踏会の主催の息子である彼のメンツも潰しています。礼儀知らずで、駄々をこねる貴方も所詮、貴方のお兄様と血は争えないようですね」
グレイシアは、ノアが様々な要因が絡んで混乱しているリリィの心をさらに折るようなことを淡々と言ってのけたものですから、逆に彼の方が彼女への配慮が足りていないと思いました。
ただ、ノアの言葉には棘があるものの客観的に見て一理ある言葉のようにも思えました。彼は、先ほどはリリィに気遣うような言葉をかけていましたし、単にストレスのはけ口や優越感に浸りたいがためにそう言ってのけたようにも思えなかったので、グレイシアは敢えて何も言わず黙っていました。
「貴方のご両親がジルフォード侯爵家に、貴方を嫁がせたい理由はただ一つ。権力を得たいからですよ。話を聞く限り貴方からは優れた貴族になりたいという意思が感じられない」彼は軽蔑したような眼差しで、リリィに諭すようにそう言いました。
彼女は咄嗟にこう言い返しました。「優れた貴族って何ですか?両親の都合のいい操り人形の間違いでしょう?」彼女の言葉を聞いて、ノアは思わず目を見開きました。リリィは自分自身を抱きしめながら、再びノアに訴えるように言いました。
「それに、最近の社交界はどこかおかしいです。誰かを蹴落としたいとか誰かより秀でていたいとかそんな欲望がむき出しになっている方たちが増えたと思うのです。貴方もそう思いませんか?」リリィは泣きはらした顔でノアを見つめて言いました。
しばしその場に沈黙が流れました。やがてノアが口を開きました。「確かに、王が居なくなった今、貴族が司るようになったこの国では、様々な策略がより渦巻くようになりましたね」ノアは冷淡な口調でそう言いました。そして、緊張して顔を強張らせているリリィに彼は顔を近づけてこう言いました。
「それなら尚更、誰よりも完璧で優れた貴族を目指すのみです。どんな手を使ってでも、権力を勝ち取るのです。そうすればこの社会の見え方が変わるでしょう。汚かったものが美しく見える日が来ますよ」彼はそう言ってにこりと笑いました。しかしリリィは納得のいかない様子で俯き、力なく小さな声でこう呟きました。
「そんな日は来ませんよ。だって誰よりも優れていたのはアンドレア女王でしょう」ノアは眉をひそめて再びリリィにこう言い放ちました。
「その名前を口にするとは、貴方は本当にどうかしていますね」ノアは呆れたような表情を浮かべると、これ以上話すのは時間の無駄だとでも言うかのようにリリィから目を逸らしました。彼は貴族らしい上品な立ち振る舞いを心がけていますが、その根底には権威主義に似た心理的な一面があるのだとグレイシアは思いました。
彼と彼女の間に強固な透明な壁が築かれているその一方で、グレイシアは散らばったネックレスのパーツを静かに拾い集めていました。そして、それらを全て集め終わると、放心しているリリィの前にやって来てこう言いました。
「私は‥そうは思いません。誰だって本当に傷ついている時に、冷静に振舞うことなんか出来ないから。だけど、このネックレスは貴方にしか似合わないと思います。きっと貴方はこれまで華やかな社交界の裏で酷い思いをしたとしても、ヒューバートン男爵家の娘として頑張って来られたのでしょう?そうでなければ、こんなに素敵なネックレスを、ダニエル様が貴方に贈るはずがありません」グレイシアはリリィの前に集めたネックレスのパーツを差し出すとこう言いました。
「このネックレスは貴方への気持ちがこもったものだと私は思います。貴方は立派なお嬢様です。どうか、自信を持ってください」グレイシアはそう言って優しく微笑みました。
リリィはグレイシアの言葉を聞いて、静かに涙を流しました。グレイシアは集めたパーツをそっとガラスケースの上に置きました。「ありがとう、私はずっと‥‥認めて欲しかったの」彼女は感情を高ぶらせ、嗚咽交じりに言いました。
グレイシアは震える彼女の体をそっと抱きしめました。その光景を目にしたノアは、リリィを抱きしめる彼女がまるで慈愛に満ちた天使の様に見え、呆気に取られてその場に立ち尽くしていました。
「リリィ様!!!こんなところにいらっしゃったのですね!」聞き覚えのある声がして、グレイシアとリリィが振り返ると入り口からこちらへ向かってくるメアリーとローラの姿がありました。
グレイシアは彼女達が一目散にやってくるのに気づき、リリィを抱きしめていた手を解き、少し彼女から離れました。「お姉様!!大丈夫?」ローラはそう言うと、心配そうな表情を浮かべながらリリィの顔を見上げました。リリィはメアリーとローラを強く抱きしめました。
3人はしばらくそのまま抱きしめ合っていましたが、リリィが腕をゆっくりと解き二人を交互に見てこう言いました。
「ごめんなさい。心配をかけて」メアリーは首を振ると、穏やかな表情を浮かべてこう言いました。「辛かったんでしょう。でも私がついていますから、お部屋に戻りましょう。皆心配しております」メアリーは優しい眼差しをリリィに向け、彼女の頭を優しく撫でながらそう言いました。
グレイシアはそれを目にして、なんだかメアリーがリリィの本当の母親の様に思えました。リリィはもう落ち着いた表情を浮かべており、躊躇いがちにおずおずとグレイシアの方を見ました。
「情けないところを見せてしまいましたね。これから部屋に戻ります。グレイシアさん、舞踏会では私のふりをする必要はあるかもしれないけど、堂々と振舞って欲しいわ。どうかよろしくお願いします」リリィはグレイシアに向かってそう言うと、メアリーに支えてもらいながらその場をゆっくりと後にしました。
「では、舞踏会でお会いしましょう。グレイシア。いやリリィ様」ノアは意味ありげにそう言って微笑みました。「ええ、ノア様」グレイシアが短く答えると、彼はすぐに何事もなかったかのようにこの部屋を後にしました。
グレイシアはふとガラスケースの上に置いた、自分が先ほど拾い集めたリリィのバラバラのネックレスのパーツがふと視界に入りましたが、なんだか追及する気になれず何も見なかったことにしました。
「グレイシア、行こう」ローラはグレイシアのドレスを引っ張りそう言いました。グレイシアは頷くとローラに手を引かれてこの部屋を後にしました。
グレイシアが宝物庫に入る随分前、エリオットとジェイスは長い廊下を足早に駆け抜けていました。廊下にはちらほらと人々が行き交っていましたが、二人はその間をすり抜けて通ると、階段を駆け上がりこの船の最上階であるデッキまで足を進めました。
デッキに辿り着いた二人は辺りを見回しました。照り付ける日差しの中、やや強い風が吹いていました。デッキからの眺めは圧巻で、陸からは見られない迫力のある景色が目に飛び込んできました。
エリオットとジェイスはすぐにデッキの中央の辺りに目を凝らしました。そしてそこに誰かが立っていることに気づきました。
急いで二人はそこまで駆けつけると、その立っていた人物がルーシャスだと分かりました。しかし彼よりも先に無残にも頭から血を流して、目を開いたまま倒れている少年の姿が目に留まりました。
「ルイス様!!!」ジェイスは思わず大声を上げて叫びました。ジェイスとエリオットはすぐさま駆け寄り倒れているルイスの生死を確認しましたが、やはりもう息をしていないようでした。
なんということでしょう。ルーシャスが決闘を挑んだ相手だったはずのルイスが亡くなっていたのです。ジェイスはふと傍に居るエリオットの顔とルイスの顔を見比べて、驚いた表情を浮かべて思わずこう発しました。
「え‥‥ルイス様とやっぱり似ている」その少年は、紺色の豪華なコートを着て中にフリルのついたブラウスを着ており、刺繍の施されたズボンを履いていました。
そしてなんといっても、彼の髪はミルクティー色をしており、瞳の色は紺色で顔のパーツでさえもエリオットにそっくりだったからです。
「やめろ」エリオットは思わず怪訝な顔をしてそう言いました。まるでドッペルゲンガーの死体を目前にしているようでとても気味が悪かったのです。
ルイスの表情は強張り開いたままの紺色の瞳には生気がこもっていませんでした。そして不可解なことにルイスの死体のすぐ傍には拳銃が落ちていました。
「一体、何が起きているんだ」ルーシャスが唖然とした表情でそう呟き、立ち尽くしていました。
「おかしい!!!そんなはずはない!!」ルーシャスは酷く混乱している様子でそう叫ぶと、手に持っていた父親から奪った長剣を無造作に床に置き、ジェイスとエリオットをどかしてもう意識のないルイスの側に近寄りました。
ジェイスは思わず眉をひそめてルーシャスを見ました。彼の行動はルイスに決闘で勝利した後の反応とはとても思えないからです。
すると、ズカズカと歩きながらこちらに向かってくる3人の気配にエリオットは気づきました。ミルクティー色の髪をまとめ綺麗な花飾りをつけ、ふんだんに宝石のあしらわれた濃い黄色と金色の派手なドレスを身に纏っているスタイルの良い美しい夫人が彼らの目の前に現れました。
そして彼女の後に続いて、不服そうな顔で煙草をふかしながら、シルクハットを片手に持ち、濃い紫色と金色の見事な刺繍の入ったコートを着た恰幅の良い紳士と、彼らの使用人らしき、赤毛のおさげにそばかすのついた顔をしたメイドが現れました。
彼らはすぐにやって来て、一気に場の空気が悪くなりました。ジェイスはこの場から気まずくなって逃げ出したくなりました。何せルイスの父親であるリーフウッド男爵とその夫人、そしてそのメイドがこの場に現れてしまったからです。
ジェイスが次の行動に移す暇もなく、夫人は真っ先に甲高い悲鳴を上げ、ルーシャスを跳ね除け、ルイスの亡骸を抱きしめて大きな声で泣き出しました。
しかし、側にいた男爵は無反応で冷淡な表情を浮かべ、ただルイスの亡骸を抱く夫人の姿を見ているだけでした。メイドは夫人の側に駆け寄り、ハンカチを取り出して彼女に渡しました。
「あの男性がジャック・スミスことリーフウッド男爵ですよ、そこで泣いているのはジェシカ・スミス、彼の奥様です。そして、側に居るのはメイドのアイラですよ」ジェイスはエリオットにこの場を上手くたち振舞うためにそう耳打ちしました。
別にエリオットは説明されずとも目の前の夫人が殺されたルイスの母親だということは彼女の行動から察していましたから、面倒なことになったと顔をしかめました。
「お前は確か茶会で私の息子と決闘をすると、喚きたてていたな。だが、まさか私の息子もお前の希望通りにデッキまで来ていたとは。理解出来ん」リーフウッド男爵がまじまじとルーシャスの顔を見て言いました。
ルーシャスは大柄な男爵の佇まいとその威圧的な雰囲気に思わず息を呑みました。「父親ならば…お前をここで殺すほどに逆上するはずだが、私はそうではない」男爵はたばこを再びふかしてから、見下すような冷めた目でそう言いました。
彼の言葉にルイスを抱きしめて泣いていた夫人は思わず硬直しました。実の息子の死に直面しているというのに男爵の態度や発言は不自然と思える程に冷静で冷やかなものだったからです。
「何故なら‥もう一人の息子の方が後継者に相応しいと考えているのだ。ルイスなど居なくても構わん」彼は非情にもそう言い放ちました。そして男爵は夫人を一瞥するとなんとその場を後にしました。
「心底どうでもいいけどよ。何があった?」エリオットは苦い顔をして、ルーシャスにそう尋ねました。ルーシャスは口を開こうとしましたが、その前に夫人が彼に指を突きつけ、大声で怒り狂いながら叫びました。
「お前!!!よくも私の息子を殺したわね!!許せない!!」彼女は息子を失った悲しみが一気にルーシャスへの憎しみへと変わったのです。彼女は震える手でルイスの傍らにあった拳銃を取り、ルーシャスに向かって両手で構えました。
「ミセス・リーフウッド!!おやめください!!」ジェイスは力強く叫びましたが、夫人は言うことを聞かずにその場で発砲し、銃弾がルーシャスの肩をかすめました。
ルーシャスは突然の痛みに顔をゆがめ、右腕を押さえました。彼の反応を目にした夫人はすっかり気が狂ってしまい、狂気じみた笑みを浮かべました。
「こいつを殺したくなる気持ちは十分に分かります。だけど何が起きたかを知るのが先でしょう」エリオットはその場を収めるために、銃を夫人に突きつけて冷静な声で言いました。
夫人は何かエリオットに言い返してやりたくなりましたが、彼の鋭い眼差しと自分と比べて銃を構えた姿が非常に様になっていましたから、彼女は自然と我に返り銃を下ろしました。
それを見かねたルーシャスは夫人にこう言いました。「ルイスは…俺の目の前で銃を自分の頭に突きつけ、撃って死んだんだよ。俺は銃なんか持っていない。持っているのは親父から奪ったこの剣だけだ」
彼はそう言って、自分が床に置いた長剣を手に持つと夫人に見せました。
「そんなの嘘よ!!それじゃあ何??ルイスは自殺したっていうの??そんなのありえないわ、一体どうして!!」夫人は再び暴れる感情のままにルーシャスに向かって凄い剣幕で叫びました。
そんな夫人の姿を見かねたメイドは彼女の傍まで行くと、夫人の背中を優しくさすりました。
「落ち着いてください。夫人のお気持ちは十分に分かりますが、この銃は‥確かにルイス様のものでございます」メイドが諭すように夫人に言いました。そして、その拳銃を彼女の手からゆっくりと取り上げました。
「舞踏会までもう時間がありません。部屋に戻ってこれからどうすべきか、しかるべき判断を考えたほうが良いでしょう」メイドは冷静にそう言ってルイスの亡骸を担いで運ぼうとしました。
しかし、その瞬間少し船が揺れ、メイドはバランスを崩して倒れてしまいました。その姿を見かねた夫人が、ジェイスとエリオットに指示を出しました。
エリオットは、ジェイスと一緒に自分そっくりな顔のルイスの亡骸を運ばされる羽目になってしまいました。
彼は自分がなぜこんなことをしているのか訳が分かりませんでしたが、それはこの場に居た全員がそう思っていました。
決闘どころか、本当に不可解な事件が起きてしまったのです。




