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GREY  作者: 柿谷巡
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3話「動きだす歯車」

 


 やがて二人は、広場を抜けて少し歩いた先にある、目的地の薬屋に着きました。



 二人はまるで納屋のような見た目の、その店の中に入りました。



 部屋中に蜘蛛の巣や埃がかかっており、並べられた棚には沢山の薬の入った瓶や薬草が並べられ、分厚い本が何冊も乱雑に置かれていました。



 二人はその間をすり抜け、店の奥まで進むと色褪せたシャツを着て白い髭を蓄えたお爺さんがふかふかした椅子に腰かけていました。



 「やあ、エリオットか。隣に居るのはお友達かな?」



 お爺さんはゆっくりと立ち上がりながらそう言って、グレイシアの方を見ました。



 お爺さんは皺くちゃな顔に、ほっこりとした笑顔を浮かべました。



 「ええ、グレイシアと言います!」



 彼女は明るくそう言いました。



 「私はジェイコブだ。さてさてどんな薬をお求めかな?」



 ジェイコブはシャツの袖を腕まくりしながら、彼女にそう言いました。



 「父の体の具合を治す薬が欲しいんです。高熱や吐き気に悩まされていて」



 彼女が真剣な表情で病状を説明すると、ジェイコブは真剣な顔で頷き、こう言いました。



 「それは大変だ。似た症状で最近いろんなお客が来るよ。少し待っておれ」



 彼はそう言って、すぐに棚から小さな小瓶を取り出しました。



 「これをやろう、リーフムーアでしか取れない秘伝の薬草と花で調合した薬だ。これを飲めばすぐ治る。50メニだ」



 小さな小瓶の中には緑色のサラサラとした粉薬がたっぷりと入っていました。



 グレイシアはすぐに財布を取り出して中身を見ましたが、俯きながらこう答えました。



 「すみません、お金がとても足りなくて」



 彼女が申し訳なさそうに言うと、ジェイコブは彼女の気落ちした表情を目にし、微笑んでからこう言いました。



 「それなら、あるだけで構わんよ。元気になると良いな」



 グレイシアは驚き、彼に礼を言うと財布の中の少ないお金を渡して、その小瓶を受け取りました。



 エリオットはグレイシアが無事に薬を買えるまで見届けると、ふと辺りを見回して言いました。



 「そういや、オリバーとルーシーは居ないのか?先月から働き始めたばかりだろ」



 彼の言葉を耳にしたジェイコブは顔を曇らせました。



 その表情を見たエリオットは、何かが起きたことをすぐに察しました。



 「いや、一昨日から店の準備に顔を出さなくなった。



 バージュウェイに行ってあの子達の母親に聞いてみたら、家にも戻ってないみたいだった」



 ジェイコブは深刻そうに言いました。



 「最近、お前達と同じかそれより幼い子供達が急に居なくなる事件が増えておる」



 「気を付けたほうが良いぞ」



 彼は神妙な顔つきで二人に言いました。



 「平気さ。俺もオリバーとルーシーを探してみるよ。じゃあ、またな」



 エリオットはジェイコブの助言に対して、そう軽く返しましたが、グレイシアはその言葉を重く受け止めていました。



 何故なら既に先ほど目にした記事から、子供が行方不明になるという情報を得ていたからです。



 二人は再び乱雑に並ぶ薬や本の並んだ棚の間を通り、扉の前まで戻ると店を出ました。



 二人は目的を果たしたので、帰るべく来た道を引き返していました。



 「ちゃんと買えてよかったよ、安心した」



 エリオットは嬉しそうに言いました。



 「ええ、本当に良かったわ」



 グレイシアはそう言って鞄の方に目を落としてから、安堵した表情を浮かべました。



 「さっきのお爺さん、優しい人だっただろ。



 教会で神父様と一緒に、俺みたいに身寄りのない子供の世話をしたり、金が無くて困っている子供に仕事を与えてくれるんだ。



 オリバーとルーシーも体が弱くて働けるところが少ないから、雇ってもらえて有難いだろうな」



 エリオットは穏やかな表情でそう言いました。



 しかし彼はその後、先程ジェイコブから聞いた話を思い出し、オリバーとルーシーの行方について考え、複雑そうな表情を浮かべました。



 やがて二人の間に沈黙が流れましたが、彼らはそのまま歩き続けていました。



 すると突然、グレイシアが立ち止まりました。



 エリオットは数歩先に進んだ後、直ぐに彼女の方を振り返りました。



 グレイシアは小さく拳を握りしめ、言葉を選びながら沈黙している様でした。



 エリオットはそんな彼女の様子に違和感を覚えました。




 「ねえ、エリオット。今自分には身寄りがないって言ったわよね」




 彼女は俯いたまましっかりとした口調で言いました。



 「貴方にはお父さんが居るじゃない。



 ゴードン山を離れて、他の山で狩りをして捕らえた動物を街で売って、



 たまに家にも帰って来るっていつも私に言っているでしょ」



 彼女は顔を上げて、エリオットの紺色の瞳を見つめながらそう言いました。



 「ああ、そうさ」



 エリオットは彼女から目を逸らし、少し狼狽えるように言いました。



 「嘘。もうずっと帰ってきていないでしょう。本当のことを話して欲しいの」



 グレイシアは真剣に彼をじっと見つめて言いました。



 エリオットは昔と違って、今では父親について話しませんし、何か聞いても言葉を濁すようになりました。



 彼女はずっとそれが気になっていました。



 そして、先程のパン屋の店主がエリオットの父親をクソったれと言っていたことも相まって、彼女はどうしても聞きたくなったのです。



 「俺の父親は‥」



 彼は何かを言いかけましたが、急に言葉を変えてこう続けました。



 「そんな話はよせよ。それに俺にはお前が居てくれる。それで十分だ」



 エリオットは彼女の灰色の瞳を真剣に見つめてそう言いました。



 結局、またはぐらかされてしまいましたが、彼女はこれ以上聞くことを諦めました。



 そうして、二人は黙って再び歩き始めました。



 グレイシアは幼い頃に、エリオットから聞いた話を思い出しました。



 エリオットの母親はハンナという街で有名な歌手でした。



 教会で彼女の歌う姿に一目ぼれしたアダムは、必死で彼女にアプローチをし続け、努力の甲斐あって結婚しました。



 そして彼女はエリオットを産みましたが、エリオットが物心つく前にハンナは病気で亡くなってしまったのです。



 彼女を深く愛していたアダムは、同様にエリオットにも愛情を注ぎ、大切に育てていたはずです。



 それなのにどうしてこうなってしまったのでしょうか。



 グレイシアは胸の中が苦い思いでいっぱいになりました。



 それから二人は広場まで戻りました。



 そこは先ほどギャングから貴族への襲撃があったとは思えない程、活気に満ちていました。



 賑やかな話し声が聞こえ、身なりの整った上品な人々が行き交いっていました。  



 花売りの少女が紳士に声を掛け、商売人が品物を広げて道行く夫人に話しかけていました。



 この広場は、貴族のような爵位を持つ上流階級の者や、商人や職人、事業家などの中産階級の者、または労働者といった様々な階級の人々が訪れるスポットでした。



 そして例の噴水は、清掃されており、先ほどの惨事の影は一切ありませんでした。



 新たに椅子が数席ほど置かれ、そこに座る紳士の靴を熱心に磨く少年達の姿がありました。



 ふとその中の少年の一人が、エリオットの姿に気づいたのか、作業の合間に彼に向かって小さく手を振りました。



 彼は紳士の靴を磨き終わると、小銭を受け取り、帽子を取って礼を言いました。



 そして、そのまま二人の前まで駆け足でやってきました。



 その少年は片手にハンチング帽を持ち、もう片方の手には布切れを持っていました。



 彼もまたエリオットの友人で、街へやって来た身分の高い紳士の靴を磨き、道案内することを生業としていました。



 「よお、マシュー。相変わらず忙しそうだな」



 エリオットがそう言うと、彼はにっこり笑いました。



 「そうだね!今日はお客が多くて最高だよ」



 彼は胸を張って誇らしげに言いました。



 エリオットはその時、彼のおでこが大きく腫れていることに気づきました。



 彼はエリオットの視線に気づいたのか、顔をしかめながら帽子を被りなおすと、こう言いました。



 「これか?ついさっき、男爵の息子のルーシャスにやられたんだよ。



 あいつ、お望みどおりに靴を磨いてやったのに、拭いている布が汚いって思いきり蹴ってきてさ」



 彼は肩をすくめて、再び帽子を取り、赤く腫れたおでこを見せました。



 「相変わらずの最低野郎だな。でも痣になってすぐ治るさ。俺もさっき男爵の夫人とその娘に会ったよ」



 エリオットがそう言うと彼はすかさず「やっぱり」と口にして、納得したように頷きました。



 「じゃあ、ヒューバートン男爵家は皆揃ってルビークロスまで来たってことか。



 そういや、ルーシャスがこれから、ジルフォード侯爵の豪華客船に乗るって言っていたっけ」



 マシューは思い出したようにそう言うと、仕事場の辺りに目をやりました。



 そこには、新たに洗礼された身だしなみの裕福そうな紳士が来ており、靴を磨いてもらおうと、他の仕事仲間の作業が終わるのを待っていました。



 彼は長身で上質なウールのコートを着て、シルクハットを被り、磨き上げられたステッキと鞄を持って、懐中時計で時間を確認していました。



 「おっと、これはいいお客が来たみたい!またね」



 マシューは慌ててそう言うと、仕事へ戻りにその場を去っていきましたが、途中で振り返り、エリオットに向かってひらひらと手を振りました。



 エリオットもマシューに軽く手を振り返すと、マシューはその紳士の元にすぐに駆け付けました。



 そんな彼の様子を目にしたエリオットは、傍に居たグレイシアに声を掛けました。そして二人は再び歩き始めました。



 「豪華客船って?」



 すかさず彼女はエリオットに聞きました。



 「ジルフォード侯爵のご自慢の蒸気船だ。



 貿易の為に使っていたのを最近、多くの客人を招く為に新たに改装したらしい。



 明日この街から離れたサンダースノー波止場にそれが止まる。


 

 そこからルーヴァントム岬まで行くんだ。富裕層だけしか乗れない豪華なクルーズ船だよ!」



 彼はわくわくした様子でそう言いました。



 グレイシアはベンやエリオットの話からジルフォード侯爵の存在を知っていました。



 ヒューバートンの土地の何倍もの広さを誇るジルフォードは、ここからずっと北にある海に隣接した鉱山と緑豊かな雄大な山々が広がる土地です。



 そのとても広大な土地を、かつては騎士としても活躍したデレク・ウィルキンス、またの名をジルフォード侯爵が領地として現在、管理しています。



 彼はジルフォードの豊富な資源と海路を生かして、現在では石炭の運搬業の管理や自ら蒸気船を使った貿易を行っているのです。



 そんな侯爵の自慢の船なのだから、さぞかし豪華で素晴らしい船なのだろうとグレイシアは思いを馳せました。



 するとそんな彼女に、エリオットは改まった顔でこう告げました。



 「実は俺、その船で船員の仕事をするつもりなんだ。俺が働いている炭鉱に募集が来てさ」



 彼女はその言葉を聞いて思わず目を見開き、嬉しそうな声を上げました。



 「凄いじゃない!船員に選ばれたのね」



 エリオットは彼女の喜んだ表情に少し照れてから、嬉しそうにこう言いました。



 「これから、ここから直ぐ近くのグリーンバード街にある公園で応募者の招集がある。



 そこに行って頼めば、お前も働けるかもしれない」



 彼はそう言いましたが、グレイシアは顔を曇らせました。



 「私は行けないわ。お父さんの様子を見ていないと」



 エリオットはすぐに力なく頷きました。



 彼女ならそう言うと分かっていたからです。



 「しばらくの間会えなくなるわね」



 グレイシアは寂しそうに言いました。



 エリオットはそんな彼女の様子を珍しく思い、からかうように大胆にこう聞きました。



 「なんだよ、俺が恋しいのか?」



 すると彼女はすぐにこう返しました。



 「ええ、貴方が恋しいわ」



 エリオットの大きくて深い紺色の瞳には、自分をじっと見つめる彼女の顔しか映っていませんでした。



 エリオットは予想外のあまりにストレートな彼女の言葉に、



 思わず面食らってしまい、急に頬がじわじわと赤くなるのを感じました。



 「別にお前が行ってほしくないなら、行かなくてもいいぜ」



 彼は冷静を装ってそう言いましたが、グレイシアは笑って彼の背中を押すように言いました。



 「折角の機会じゃない、行った方がいいわよ!」



 そして、彼女はエリオットを安心させるようにこう付け加えました。



 「行きは案内してくれたから帰りは平気よ!」



 エリオットは彼女を家まで送り届けようと思っていましたから、言葉に困りましたが彼女に甘えることにしました。



 なぜなら、彼にとっても彼女が心強くて頼りになる存在だったからです。



 「悪い、少しの間だけどさ、またな」



 エリオットが名残惜しそうに言うと、彼女は微笑みながら明るい声でこう返しました。



 「またね、戻ったら話を聞かせて!」



 そうして二人はしばしの別れを告げ、別々の方向へと歩いて行きました。



* * *



 グレイシアは、今日自分が生まれて初めて目にした街の風景や人々、そこで起きた数々の出来事を思い出しながら家に帰るべく、黙々と足を進めました。



 グレイシアはゴードン山の家の前まで無事にたどり着くと、鞄の中を確認しました。



 中にちゃんと買った薬の小瓶が入っているのが分かると、彼女は少し微笑みました。



 そして、グレイシアは意気揚々と家の中に入りました。



 しかし、妙に静かな部屋の中で、グレイシアが落とした鞄の鈍い音だけが響き渡りました。



 彼女は目の前の光景に思わず目を疑いました。



 なんと家の中が荒れ果てていたのです。



 グレイシアは言葉を失い、唖然として辺りを見回しました。



 彼女は嫌な予感がして、すぐにベンの部屋まで走って向かうと、



 そこにはあまりにも衝撃的な光景が広がっていました。



 ベッドの側の床にうつ伏せになって倒れているベンの姿があったのです。



 彼は胸の辺りを何発も撃たれ、彼の血がどくどくと床一面にながれ落ちていました。

 


 グレイシアは、息が出来なくなる程ショックを受けましたが、その場に立ち尽くしている場合ではありませんでした。



 彼女は、なんとか全身の力を両腕に込めて、ベンの上体を起こし、仰向けに直すと膝の上に彼の頭を乗せました。



 ベンはとても苦しそうにパクパクと口を動かしており、目の焦点が全く合っておらず、大量の汗をかいていました。



 「お父さん!!どうしたの?何があったの」



 予期せぬ事態と強い心理的なストレスで、彼女はそう言葉を口にするのがやっとでした。



 そしてすぐさま椅子の背もたれに掛けてあったタオルを取り、血が溢れ出している彼の胸の辺りを押さえました。



  しかし、彼は既にこんなに撃たれて血を流していたものですから、どう考えてももう手遅れの様でした。



 彼女は涙が止まらなくなり、冷や汗が止まりませんでした。



 「逃げろ‥奴らの狙いは‥お前だ」



 彼は震えたかすれ声でグレイシアにそう言うと、そのまま意識を失いました。



 「ええ‥‥どうして…お父さん!!!!お父さん!!!!」



 グレイシアはそう叫びながら、彼の肩を揺さぶりました。



 しかし、その時にはもう既にベンは脈拍が止まり、息もしていませんでした。



 彼女はその言葉が、ベンが自分へ向けた最後の言葉だと理解すると、その場にへたり込みました。



 彼女は頭が真っ白になり、目の前のベンの亡骸を見て、これが現実なのだと信じられませんでした。



 彼女は放心状態になっていましたが、床の無機質な冷たさだけがはっきりと感じられていました。



 そして、ふと彼が右手をシャツの左胸のポケットに伸ばしていることに気が付きました。


 

 彼女はそのポケットに目をやり、その中に手を入れました。



 するとそこにはなんと、小さな金色の鍵が入っていました。



 グレイシアはその鍵を手に取ると、ベンの顔の上にタオルをかけ彼をゆっくりと床に寝かせました。



 それから彼女はある予感がして、ベンがいつも座って作業をしている机の上の小さな木箱の鍵穴にその鍵を差し込みました。



 思った通りにその木箱は開き、中には手紙が入っていました。



 彼女は恐る恐るその手紙に目を落としました。



 その手紙に書かれている文章は、公用語ではなく特殊な暗号のような文字で書かれていました。



 グレイシアはその文字に見覚えがありました。



 ベンは時折、この特別な文字の読み書きをグレイシアに教えていたのです。



 しかし、ベンから今まで貰った全ての本は、全部公用語で書かれていましたから、



 彼女は何故、こんな怪しげな文字の読み書きをわざわざ練習しなければならないのか、疑問を抱きながらも、ちゃんと学習していたのです。



 ですから、彼女はすぐにその暗号文を解読し、読むことが出来ました。



 「グレイシア、お前がこの手紙を読む頃には私はもうこの世界には居ないだろう。お前に苦労をかけて悪かった。



 お前のことを本当に愛していた。お前がもし真実を知りたければ、ルーヴァント岬まで向かって欲しい。



 天国でお前の幸せを願っているよ。愛する娘へ最大の愛をこめて、父より」



 手紙にはそう綴られており、筆跡からすると書かれてからそこまで日数が経っていないことに彼女は気づきました。



 グレイシアは手紙の裏面に目を通すと、そこには大きな紋章が書かれていました。



 その謎の紋章を目にした瞬間、彼女は頭を刺すような激しい頭痛に襲われ、思わず手紙を落としてしまいました。


 

 彼女はあまりの痛みにその場にうずくまり、先ほど読んだ手紙の内容を思い出しました。



 「ルーヴァント岬…エリオットが働きに行く豪華客船と行先が同じだわ」



 彼女はそう呟くと、気力を振り絞ってすぐに家を飛び出しました。



 彼女はエリオットが向かった公園まで脇目もふらずにひたすら走りました。



 例え息が切れても、心臓の鼓動が止まっても、それでも構わないと思いながら無我夢中で走りました。



 彼女は何としてでもルーヴァント岬まで行かなくてはならないと思いました。



 なぜなら、ベンは敢えてわざわざあの文字を使った手紙を自分へ書き残したのです。



 それが、とても重要なメッセージであることが彼女にだけは分かりました。



 鬱蒼とした森を抜け、バージュウェイの荒れた道を通り、賑やかな商店街を抜け、教会や会館の前を通りました。



 そして噴水のある広場まで行くと、人混みをかき分けてエリオットが向かった方向を思い出し、グリーンバード街にある公園まで全力で走りました。



* * *



 その公園はへりに黄色い薔薇の美しい花壇が並んでおり、中央にある大きな木が特徴的な広い公園でした。



 彼女はその公園に無事にたどり着くと、急に疲労感を感じ、項垂れて両膝に手を当てて荒く呼吸を繰り返しました。



 やがて彼女が顔を上げて辺りを見回すと、そこには本当に沢山の子供達がいました。



 そして、その子供達の中に”見慣れた少年”の姿が見えました。



 グレイシアは思わず彼の元へ駆け寄りたくなる気持ちが溢れましたが、ぐっと抑えつけました。



 それから彼女は気配をなるべく消して目立たないように、子供達が集まっている場所から離れた黄色い薔薇の花壇の隅に座っていることにしました。



 子供達がまだ大勢この場所にいるので、彼らに途中から紛れてついて行けば豪華客船まで自ずと辿り着けるだろうと思ったのです。



 ですがそんな彼女の元に、やはり”見慣れたその少年”が駆け寄ってきました。



 「どうした?薬は渡せたのか」



 エリオットは不思議そうな顔をして、彼女の元にやって来るなりそう言いました。



 グレイシアは、本当は彼が自分の元へ来てくれて、凄く嬉しかったのですが、同時に彼を巻き込まずに一人で向かおうとしていましたから、複雑な心境でした。


 

 「ええ、私も船員の仕事がしたいと思って」



 グレイシアは咄嗟にそう言いました。



 彼女が思いもよらぬことを言うので、エリオットは内心動揺しました。



 ですが、彼女の言葉をそのまま受け止め、すぐにこう言いました。



 「お前が来てくれて嬉しいよ。丁度これから列車に乗って、波止場まで移動するところさ」



 丁度たった今、招集後の説明が終わったようで、これから子供達は整列して列車まで向かうことになっていました。



 先ほどまで説明をしていた案内役の男は皆、ジルフォード侯爵が雇った労働者でした。



 ジルフォード侯爵は観劇好きで、時折はるばるこのルビークロスまで、観劇目当てに訪れました。



 彼はヒューバートン男爵とも交流があったのです。



 案内人をしているジルフォード侯爵の手下は、顔に白い仮面をつけ、赤と緑のまだら模様のコートに、不思議な形の帽子に先の丸まった靴を履いていました。



 彼は自分が手下だとみなす者全ての男性に、何故かその様な道化師の格好をさせていました。



 ですから、会館の前に大きくて高級な馬車が現れ、そこから侯爵が降りて、数名の手下を従えて会館の入り口へと向かっていく様子を目撃した街の人々は、皆それだけで何かの出し物の様だと言いました。



 そういう訳で、先ほど説明をしていた案内人も道化師のような恰好をしており、流石のグレイシアもそのことを気味悪がってエリオットに尋ねました。



 「可哀そうだろ?侯爵の趣味だよ」



 エリオットはそう言って鼻で笑いました。



 彼はこの公園に二人残っている案内をしている侯爵の手下の男達を一瞥すると、何やら考えこむような素振りを見せました。



 そして彼は小太りな手下の一人に声を掛けに行きました。



 エリオットが歩き出したので、グレイシアも彼の後についていくことにしました。



 「さっきもう一人案内人の男が居たよな?右の手の甲によく目立つ大きな傷がある男さ。あの男はどこに行ったか教えてくれないか」



 エリオットがそう問いかけると、小太りな手下はこう答えました。



 「あいつは先に列車に向かったよ。そろそろ時間だ。さあお前らも列車まで向かうぞ」



 彼は低い声でそう言うと、子供達に向かって笛を吹きました。



 エリオットは手下からそう言われて渋々頷きました。



 いつの間にか子供達が整列して列を成していたので、エリオットとグレイシアはその列の一番後ろに並びました。



 道化師を先頭にまるで兵隊の様に整列して子供達が公園から出て歩く様は、傍から見たら本当に奇妙に見えるだろうなと、グレイシアは歩きながら思いました。



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