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GREY  作者: 柿谷巡
20/27

20話「硬く繋いだ手」



 「貴方は、宝物庫でリリィ様がアンドレア女王のことを口にした時、それを強く非難しましたよね。



 それなのに何故、アンドレア女王への忠誠の様な品を貴方が持っているのですか」



 グレイシアは畳み掛けるように彼にそう聞きました。



 ノアの行動は矛盾していて、グレイシアの理解を超えていたからです。



 「あの時は少し感情的になって率直に申し上げてしまったかもしれませんが、実は僕もアンドレア女王を陰で崇拝しているからですよ。



 あの王国は、よく王位継承を行っていた。



 これは敬愛する父から授かった宝物なんです」



 彼はそう言ってから一呼吸置き、彼女に試すようにこう尋ねました。



 「それより、この紋章に見覚えはありませんか?」



 彼女はそう促され、彼の首にかけられているネックレスの宝石の裏面をまじまじと見つめました。



 そして、何か重大なことを思い出したかのように、彼女は目を見開き思わずこう呟きました。



 「嘘でしょう、やっぱり‥‥」



 なんとその紋章は、ベンが自分に残した遺書で見た紋章の絵と全く同じだったのです。



 彼女の脳裏で抱いていた疑惑が一気に確信へと変わった時、彼女は再び激しい頭痛に襲われました。



 そんな彼女の様子を見て、ノアがにやりと笑ってこう言いました。



 「見覚えがあるみたいですね」



 苦しそうな彼女とは反対に満足げな様子でノアは言いました。



 「この紋章はルーヴァント王国を表す象徴シンボルです。



 王政が崩壊した後、この紋章を扱った品はヴァンチェスター公爵によって、すべて規制されています。



 現在の公国の紋章は冠に剣が刺さったモチーフへと変わりました。



 それなのに貴方はこの紋章を目にしたことがあると」



 彼はもったいぶってそう言いながら、彼女の方を見つめました。



 しかし彼女は何も答えず、ショックを受けたように俯いておりましたから、ノアは彼女に優しく囁くように言いました。



 「大丈夫、ゆっくりと思い出していきましょう」



 そう言ってノアは、グレイシアの肩に手を添えました。



 彼女の肌はまるで氷のように冷たく、複雑な表情を浮かべて何も口に出そうとしませんでした。



 そんな彼女の様子に、ノアは内心、自分の思惑通りになるのかと少々不安になりました。



 しばし静寂が訪れましたが、グレイシアがふと思いがけない言葉を口にしました。



 「貴方は宝物庫でリリィ様に、誰よりも完璧で優れた貴族を目指せと言いましたね。



 そうすればこの社会の見え方が変わり、汚かったものが美しく見える日が来ると」



 ノアは彼女からそう言われて、思わず一体何を言い出すのだろうと眉をひそめました。



 「ええ、確かにそう言いましたね」



 彼がそう言うと、彼女はノアの方を見ずにただ俯いたままこう言葉を口にしました。



 「私にはそれが分からない。アンドレア女王の居ない今、最も優れた貴族になるために、ジルフォード侯爵は他人を陥れ暴虐の果てを尽くしていた。



 あんなやり方で登りつめた先に見える景色が綺麗なものだとは到底思えません」



 彼女はそう言い終わると、拳を握りしめ顔を上げ、ノアの方をしっかりと見つめました。



 二人は見つめ合い、ノアは彼女の鋭い光を放つ灰色の瞳に、覇気を感じて思わずたじろぎました。



 「そうする他にないでしょう、どんな手段を使ってでも最も優れた貴族になり、この国を支配するほどの権力を得たいと思うのはどの貴族も同じです」



 彼は尤もらしく、平然とした様子でそう答えました。



 「それはどうでしょうか。ジルフォード侯爵の息子のダニエル様は、ヴァンチェスター公爵に匹敵する権力を得るために、父親から黒魔術の使用を強いられてきた。



 彼はずっとそれに苦しみ、かつてのアンドレア女王に救いを求めていたんです。



 彼が望んでいたのはもはや権力を得ることではなく、心の平穏だと思います。



 貴方も彼と同じでアンドレア女王を崇拝しているのでしょう?



 ダニエル様のお気持ちがわかるのではないですか?」



 彼女がそう言うと、ノアはいつものどこか気取ったような態度が一変して、感情の滲んだ声でこう言いました。



 「傲慢ですね。私の気持ちを勝手に決めつけないで頂けませんか」



 彼はそう言って冷たい眼差しを彼女に向けました。



 しかし、グレイシアはそれらに臆することなく言葉を続けました。



 「私は家を出て、街へ行き、この船に乗って本当に色々なものを初めて目の当たりにしました。



 色んな境遇を抱える人達がいることを知りました。



 皆、どう生きればよいか悩み、選択を迫られては苦しみながらも生きている。



 その選択が心から正しいと思えた先にこの世界は美しく見えると思うんです。



 私がこの船に乗って貴族の方達と接した時に感じたのは、皆、権力を得るために他者を蹴落せざる負えないことや、この社会に疑いを感じながらもただ義務づけられた選択を選び、それを妄信するしかないということ。



 貴方は本当に心からどんな手段を使っても優れた貴族になりたいと願いますか?



 貴方が本当に望むものは、一体何・・・」



 グレイシアはノアの心に刻み込むように、感情をこめてそう言いました。



 言葉一口では言い表せない程、昨日と今日で沢山の経験をしてきたグレイシアの言葉には確かに重みがありました。



 ノアは彼女の揺るがない真っすぐな意志を正面からぶつけられ、思わずノアは目を見開いて驚きました。



 そして彼は、はっきりと動揺した表情を露わにしました。



 そんな中、突如部屋のドアが再び開く音がしました。



 何とルーマス侯爵がランタンを持ちながら、血相を変えた様子で中に入って来たのです。



 「おい、晩餐会はあんなおかしな出来事が起きた後だが開かれるぞ。



 いつまで部屋に籠っているつもりだ。



 なんとあのジルバラ伯爵の娘のヴィオラ様が、どうしようもないお前と婚約したいと申し出ているのだぞ」



 彼は早口で捲し立てるように言いました。



 「頼む、少しは私の顔を立ててくれんか」



 彼はそう言うと、狼狽える様な表情を浮かべました。



 何故なら、侯爵は晩餐会が今にも再開しそうだというタイミングで、会場を抜け出したからです。



 ルーマス侯爵は執事に息子を至急探すよう命じようとしましたが、その執事もその場から忽然と姿を消していたのです。



 侯爵はジルバラ伯爵の機嫌を何とか取ろうと必死でしたから、息子のことまで気が回らずすぐに追いかけられなかったのです。



 そんなルーマス侯爵は、ふと自分の息子のすぐ側にあるグレイシアの姿を目にして、驚愕した様子でこう言いました。



 「何故、そこにヒューバートン男爵の娘がいる。



 ノアよ、この期に及んでまだリリィと婚約を結びたいと抜かしているのか!!!!」



 侯爵はカッとなった様子でノアに近づくと、彼のコートの襟元を思い切り掴み、ランタンを火傷しそうな程ノアに近づけながら、鋭い剣幕で怒鳴りました。



 「お父様、リリィ様と容姿は似ていますが・・・・



 彼女は別人でグレイシアと言います、彼女は」



 ノアは慌てて、グレイシアのことを目の前の実の父親に説明しようとしましたが、侯爵は彼が何を言っているのか到底理解できませんでした。



 それもそのはず、目の前に本人が居るというのに、彼女は別人だといきなり言われても大抵の人は理解に苦しむからです。



 「だから、もうリリィはいいのだ。



 お前はあのジルバラ伯爵の娘のヴィオラと婚約するんだ。



 お前には勿体ないくらいのお方だぞ。



 全くいつまで寝ぼけているのか。少しは私の言うことを聞け」



 彼はそう言ってなんと、ノアの頬を平手打ちしました。



 ノアは赤く腫れた頬を手でさすると、グレイシアに気落ちしたようにこう言いました。



 「晩餐会に行ってきます、しばらくそこで待っていてください」



 彼はルーマス侯爵の後に続いてその場を後にし、グレイシアが出ていかないように扉の前に杖を斜めに突っ張らせ、グレイシアが出られないようにした後、しっかりと部屋に鍵を掛けました。



* * *



 グレイシア酷い頭痛に耐えながら、必死でドアを開けようとしましたがびくともしませんでした。


 

 ふと彼女はベッドの脇にあった飾り棚の引き出しを開けました。



 すると真ん中の引き出しの中に、便箋が数枚入っていました。



 彼女はおもむろにそれを取り出し、中身に目を通しました。



 便箋には達筆な文字でこんなことがつらつらと書かれていました。



 「ノアお坊ちゃまへ。



 ジルフォード卿が主催するクルーズに参加すると聞いて、私は正直心配で仕方がありません。



 私は乳母の頃から貴方の面倒を見ている身ですから、率直に言わせてもらいます。



 貴方は夜になるといつもフラフラと護衛も付けずに家を飛び出し、庶民の集まる酒場で女の体と酒に溺れ、旦那様の爵位を次ぐための努力を一切しないとんでもない男です。



 次男のレオ様の方が、次期党首として何千倍も貴方より知性も品格も優れていますから、彼が狩猟の最中に怪我を負わなければ、旦那様は絶対に貴方を今回のクルーズにも出そうとは思いませんでしたよ。



 苦渋の決断で貴方を参加させることにしたまでです。



 ああ、駄目ですよ。きっと今この手紙を捨てようとしたでしょう。



 そんなノアお坊ちゃまに、私が密かに大切にしている、アンドレア女王が王国の王位継承の際に国民がつけたとされる、伝統あるネックレスを特別に授けます。

 


 苦言を呈しましたが、久々の社交の場です。



 このネックレスを私の代わりだと思って肌身はなさずつけていなさい。



 貴方は、本当は悪い子じゃない。



 上手くいくことを願っています。ソフィアより」



 グレイシアは手紙から目を話すと小さく呟きました。



 「ここに書かれているネックレスって、もしかしてさっき見せてもらったものかしら」



 彼女は手紙を再び引き出しに戻しました。



 「でも、ノア様自身は、あのネックレスは父から授かったと」



 彼女はそう口走ると脳裏にある可能性がよぎりました。



 そして彼女は、今度はクローゼットの方へ向かいました。



 彼女が扉を開けた瞬間、目に飛び込んできた光景に思わず驚いて目を疑いました。



 なんと、そこには手足をきつく縄で縛られ、シルクのスカーフで口をふさがれている赤髪のおさげにそばかすのメイドの姿があったのです。



 グレイシアは慌ててメイドの拘束を解き、彼女を自由にしてあげました。



 メイドは項垂れるようにその場にへたり込み、青白い顔でゴボゴボと咳込んでから、ぜーぜーと荒く呼吸を繰り返していました。



 グレイシアはそんな彼女の様子を心配そうに眺めていると急に、そのメイドが勢いよく振り返り、血相を変えた様子でこう言いました。



 「リリィ様!?何故貴方がここに?」



 メイドはそう言うなり、今度はおぼつかない足取りでドアに向かって歩き出しました。



 彼女はドアを開けようとしましたが、全くびくともしません。



 彼女は、絶えずドアをガンガンと叩き始めました。



 「出して!ここから早く出してよ!」



 彼女は金切り声でそう叫びましたが、その全てが無駄に思えて力なく床にへたり込みました。



 グレイシアは恐る恐るそんな彼女の元へ近寄ると、彼女の瞳をのぞき込み、優しくこう尋ねました。



 「すみません。貴方は誰でしょうか?何故閉じ込められていたのですか?」



 しかし、彼女の問いかけにメイドは驚愕したような表情を浮かべました。



 その瞳はまるで失望したような暗い色を呈していました。



 「どうして私のことを忘れているのよ!!私はリーフウッド男爵家のメイドのアイラよ!!



 ああああああ!!!もう何もかもどうでもいいわ。



 貴方は何にも知らないだろうし、信じられないと思うけど、全て話すわ」



 彼女は完全に自暴自棄になったように、早口でこう打ち明けました。



 「舞踏会にルイスが居たでしょう。



 でも、あれは別人なの。本当のルイスは実は亡くなっているのよ。



 自らを撃ち殺して死んだの、あのルイスが、よ?



 奇妙な死に方だったわ。



 まるで悪魔の仕業だとしか説明できないくらいにね。



 クローゼットにあいつの死体を隠したんだけど、それでも私は死体が部屋にあるのが怖くてしょうがなかった。



 だから舞踏会が始まった頃合いに彼を海に放り捨てたの。



 私はルイスから酷いいじめを受けていたでしょう。



 何かされる度に森でアイツを呪ったわ。



 だから私の呪いのせいで彼が急に死んだんじゃないかって思った。



 そしたら急に怖くなったのよ、私も悪魔に憑りつかれると思ったの」



 彼女はそう言い終わると再び荒く呼吸を繰り返し、恐怖に怯えた表情を浮かべていました。



 グレイシアはリリィではありませんから、彼女がルイスからどんな仕打ちを受けていたのかは分かりませんが、恐らくそれは酷いものあっただろうと想像しました。



 そして、そんな彼の世話をしなければならなかったメイドに酷く同情しました。



 「実はルイスの遺体からある封筒を見つけていたの。



 そこには信じられないけど、ジルフォード侯爵の書斎の扉の鍵の開け方が書かれていたわ。



 私は興味本位で扉を開こうとして宝物庫まで向かったの。



 そしたら急に背後から殴られてこのありさまって訳」



 彼女は、唾を飛ばしながら血相を変えて早口でそう説明を終えました。



 それから彼女は息を整え、ひどく喉が渇いたようで、ベッドの傍にテーブルに先ほどノアが置いた紅茶の入ったカップがあるのを目にすると、勢いよくそれをあおって一気に飲み干しました。



 しかし、その途端に彼女は急に力が抜けたかのようにその場に倒れ、なんと眠ってしまいました。



 グレイシアは急に大きな寝息を立てて眠り始めた彼女の様子を見て、ノアが持ってきた紅茶の中に何かが仕込まれていたことを瞬時に悟りました。



 グレイシアは突如現れそして気を失った彼女を抱え、ベッドに寝かせようとしましたが、重くて持ち上げることが出来ませんでした。



 ですがグレイシアはなんとかメイドを移動させ、ベッドの側まで連れて行きました。



 しかし、寝かせることまでは出来なかったものですから、ベッドの骨組みを背にして彼女を床に座らせました。



 それから、グレイシアはベッドに腰かけながら考え込んでいました。



 あっという間の出来事に頭がついていきませんでしたが、なんとかノアが戻るまで頭の中を整理していたのです。



 そして、彼女はある作戦を思いつきノアの帰りを待ちました。



* * *



 しばらくしてからノアが再び部屋を訪れ、それと同時に何故だか煙たい空気が一緒に流れてきました。



 グレイシアは大人しくベッドに横になって、彼の帰りを待っていました。



 そんな彼女の様子を見てノアは微笑み、ベッドに腰かけると囁くようにこう言いました。



 「ありがとう、私をちゃんと待っていてくれたんだね」



 グレイシアは頷いて先程とは打って変わって柔和な笑みを浮かべてこう言いました。



 「ええ。まだ、貴方にあの監獄のような部屋に閉じ込められていたのを助けてくれたお礼が出来ていないし、あの時は助けてくれて本当にありがとうございます」



 グレイシアはそう言って控えめに微笑みました。



 ノアはそんな彼女のやけに従順な態度に、満足した様子でこう言いました。



 「いいんですよ。愛しいグレイシア」



 ノアはそう言って、彼女の小さな顎に手を添えて、頬に軽くキスをしました。



 グレイシアは急接近したノアの目をしっかりと見つめてこう言いました。



 「あの‥一つ伝えたいことがあるんです。



 貴方の見せてくれたネックレスに刻まれていた紋章を見たとき、私が忘れていた記憶のようなものが再び蘇りました。



 もしかしたら、貴方の役に立つ手掛かりになるかもしれない。



 だからもう一度私にそれを見せてもらえないでしょうか」



 彼女がノアを見上げて真剣な表情を浮かべてそう言うと、ノアは了承したのかゆっくりと頷いて首元のネックレスをグレイシアによく見えるように見せました。



 彼女はそれをまじまじと見つめた後、なんと一気に彼の首元からネックレスを外そうと思いきり掴みかかりました。



 「貴様!何をする!」



 ノアは思わずそう言って、グレイシアを振り払おうとしましたが、彼女はこう言いました。



 「貴方は本当のルーマス侯爵の長男、ノアじゃないわ!きっと操られているのよ。このネックレスによってね!」



 彼女は全身全霊の力を自らの両手に力をこめ、思いきりネックレスの金具を引きちぎりました。



 なんとネックレスのパーツがばらばらと散らばり、彼の首からネックレスが勢いよく外れました。



 その途端にノアは殴られたかのように気を失い、ベッドに突っ伏して寝てしまいました。



 グレイシアは彼から出来る限り距離を取るべく、ベッドを下りてドアの前まで直ぐに離れました。



 自分の推測が正しければ、ここでノアは自分に反撃してこないはずです。



 グレイシアは息を呑んでノアの動向を伺いました。



 すると彼は気の抜けたような声で大きな欠伸をしてから、辺りを見回してこう言いました。



 「あれっ??ここはどこだ、俺らぁ舞踏会へ行ってただ酒かっぱらうつもりで・・・それで・・・」



 彼はきょとんとした顔で辺りを見回していました。



 彼は知らない場所にうっかり連れてこられた哀れな人の様でした。



 グレイシアは一変した彼の姿を一瞥すると、急に緊張感が収まり力が抜けて、その場にへたり込みました。



 その時、ゴゴゴゴという大きな地響きが鳴り、船が強い波に襲われて酷く揺れました。



 グレイシアは体が一気に思わぬ方向に移動するという恐ろしい感覚に恐怖を覚え、ベッドの骨組みに思い切り強く体を打ちつけました。



 あざ程度で済むかどうか心配な程の鋭い激痛と先ほどから感じていた煙たさと、焼け焦げるような臭いが一気に増して、明らかに異常な事態が起こっていることを彼女は確信しました。



 彼女はなんとか立ち上がると、先程開けようとしたドアの前まで向かいました。



 そして、手に全身全霊の力を込めてこじ開けようとしましたが、びくともしませんでした。



 「おい、子猫ちゃん。ちょっと退きな」



 彼女の後ろにはいつの間にか、意識を取り戻したノアが立っていました。



 彼はそう酔っているのか、ふざけているのか分からない軽口を叩くと、勢いよくドアを引っ張りました。



 彼はドアに全力で力を込め、叫びながらなんとか開けよう試みました。



 「うおおおおおおおお!!おりゃああああああああ!!!」



 するとなんと、ドアは一気に開きました。



 しかし・・・二人の目の前には燃え盛る火の海が広がっていました。



 彼女は絶望し、もうお終いだと心から思いました。


 

 先程から気になっていた煙の臭いは、火事が起きていたせいだったのです。



 その瞬間、ふと背後から鋭い銃声が聞こえてグレイシアは思わず振り返りました。



 なんと部屋の窓ガラスが勢いよく撃ち破られて、破片がベッドの上に飛び散りました。



 そして、破られた窓の外からなんと声が聞こえたのです。



 「早く俺の手を取れ!」



 声の主は片腕を窓に突っ込み、部屋の中に居るグレイシアに向かって必死で手を伸ばしていました。



 彼女はそれがすぐにエリオットの声だと分かり、一目散にベッドの上までは走ると、ベッドに飛び乗り彼の手を必死で掴みました。



 グレイシアは手を引かれるがまま、それと同時に彼女は体が船の外に放り出され、まるで宙ぶらりんのような体制になりました。



 船の外は部屋の中と違って、とても寒く体を刺す様な冷たい風が吹いていました。



 グレイシアは自分の足元に何もなく、この手を離してしまえば、ただ深い闇のような海にのまれてしまうということに生きた心地がしませんでした。



 エリオットは彼女の手を決して放すまいと、力強く握りしめたまま自分の居るノアの部屋の上の階の部屋の窓までなんとか、彼女を引き上げました。



* * *



 エリオットはグレイシアの体を抱え、ベッドの上に降ろすと自分の体とベッドの骨組みをつないでいた命綱を解きました。



 エリオットはすぐにグレイシアの手を引いて部屋の外へ飛び出し、長い廊下を走り出しました。



 グレイシアは我を忘れて踵の高い靴を思い切り脱ぎ捨て、一目散に走りました。



 まだグレイシアの居た階ほど炎に侵食されていなかったのです。



 「エリオット、無事で本当に良かった」



 彼女が走りながらそう言うと、彼はこう答えました。



 「ああ、お前も安心した。それよりボイラー室から引火したらしい、この船ごと焼けこげちまいそうだ。デッキまで急ぐぞ」



 彼は早口でそう言いました。



 炎による危機が迫る状態でグレイシアは走りながら再び尋ねました。



 「エリオットは今までどこに居たの?」



 彼は再び早口でこう答えました。



 「宝物庫だ、俺が怪我をして倒れていたところをリアンとミアが手当てしてくれた」



 グレイシアは彼らが今まで宝物庫に隠れていたのだと知り、安堵したようにエリオットにこう言いました。



 「そうだったの、本当に助けに来てくれてありがとう」



 しかし、エリオットとグレイシアの背後をもう既に暴れんばかりの炎がじりじりと迫っていました。



 「デッキまで移動するんだ!」



 ジルフォード侯爵の手下が張り裂けんばかりの大声を上げて、周囲に呼びかけていました。



 火花を散らすほどの熱気、じりじりと焦げたような異臭、煌々と燃え上がる炎の恐ろしさにまだこの階に残っていた貴族達は恐怖に慄き叫び声を上げ、慌てふためきながらもデッキまで続く階段を我先にと駆け上がっていきました。



 エリオットは彼女の傍にあった柱が焼け落ちてくるのにすぐに気づき、咄嗟に彼女を抱き寄せて反対側に倒れました。



 柱は二人のすぐ目の前で崩れ、何とか下敷きにならずに済みました。



 エリオットはグレイシアの方を見ましたが、彼女はエリオットの腕からするすると離れ、目の前の炎を唖然とした表情で眺めていました。



 その後エリオットは彼女の肩を叩き、立ち上がりました。



 グレイシアもおずおずと立ち上がりましたが、なんだか彼女の様子がこの危機的な状況にも関わらず、上の空だったのでエリオットは彼女にすかさず声を掛けました。



 「おい、どうしたんだ」



 エリオットは彼女の肩を叩き、声を掛けましたが彼女の耳にはまるで届かず、彼女はただ目の前に一面に広がる赤く燃える炎から目が離せませんでした。



 「この炎・・・何処かで・・・」



 グレイシアはそう呟いて目を閉じました。



 彼女は忘れていた記憶を一気に思い出していたのです。



 彼女は今目の前に広がる光景に既視感を覚えていました。



 こんな惨い状況は一生のうちに何度も直面するものではありません。



 泣き叫ぶ人の声、ゴオーーーーと生命を脅かすように燃え盛る炎の音、嫌という程熱い質量を持った空気、全ての状況があの時、あの瞬間と完全にリンクしました。



* * *



 それは、彼女が5歳の誕生日を迎えた時のことです。



 燃え盛る炎の中、母の腕に抱きかかえられたグレイシアは、ただ目の前に広がる炎の渦を同じように茫然と眺めていました。



 アンドレア女王は悔しさと無念さに唇を噛み締め、大粒の涙を流しこう言いました。



 「ベン、私は最後の力を振り絞り、貴方と私の娘をこの燃え盛る城から脱出させるわ、私の娘をどうか頼みます」



 彼女の頬を伝う涙を、グレイシアは拭おうと手を伸ばしました。



 アンドレア女王はグレイシアのとても小さな愛らしい手が自分の頬に触れた時、涙ながらに微笑みました。


 

 アンドレア女王は彼女の頬に優しくキスをすると、強く抱きしめました。



 そして、グレイシアをベンに渡しました。


 

 「アンドレア女王陛下、全力を尽くし、グレイシア様を我が生涯を賭けてお守りします」



 彼は力強くそう誓い、グレイシアを抱きかかえると、決意のこもった眼差しで腕の中のあどけない表情を浮かべている何も知らないお姫様を見つめました。



 「本当にありがとう」



 アンドレア女王は口をぶるぶると震わせながら、側に居た夫であるローレンス殿下にしがみつくように抱きつきました。



 殿下は彼女と深い苦しみを分かち合うように抱き合い、彼の腕の中で女王は泣きながら祈りを捧げました。



 「偉大なる海の精霊、メネシアよ。



 女王である私の大切な執事のベンと私達の娘のグレイシアをこの燃え盛らんばかりの炎から守り、



 彼が亡くなるまで我が娘をこの力を狙う悪しき貴族から逃れられるように守り給え。



 そのために私の未来を捧げよう・・・・」



 彼女はそう唱えると一気に気を失い、側にいたローレンス殿下に支えられました。



 グレイシアは母であるアンドレア女王が気を失ったのを、まざまざと目にしたので思わず、お母様と叫びました。



 彼女の元に勢いよく走って行きたかったのですが、べンにしっかりと抱きかかえていたものですから全く身動きが取れませんでした。



 グレイシアは訳も分からず、必死で後ろを振り返り小さくなっていく、愛する両親へ必死で手を伸ばしてジタバタと暴れながら、金切り声を上げて叫びました。



 「お母様!!!お父様!!!離して!!!!!!!!離してよおおおおおおおお」




 乾ききった煙たい空気を思い切り吸い込み、喉がつかえましたが、嗚咽交じりにグレイシアは必死で叫びました。



 しかしグレイシアを抱きかかえたベンは、女王と殿下の元から徐々に離れていき、燃え盛る炎の間を歩きました。



 ベンが一歩足を進めるたびに目の前で火花を散らしながら広がる恐ろしい炎が道を退けるように消えていきました。



 ベンはしっかりとした足取りで煌々とした炎の中を突き進み、グレイシアは両親の姿など殆ど見えなくなったにも関わらず、燃え盛る炎に向かって再度思いきり強く叫びました。



 「嫌だ!!!!嫌だああああああああああ!!!!離してえええええ!離してよ!!!!死んじゃ嫌だ!!!!!!!!」



 彼女が感情を爆発させて泣き叫んだのは、その恐ろしいその夜限りでした。



 強烈な忘れ去りたい過去がフラッシュバックし、忘れていたその他の過去全てを思い出したグレイシアは、ボロボロと涙を流していました。



 「どうしたんだ?涙を流して」



 エリオットはジリジリと強烈な熱さを増す周囲の熱気と、煙たい空気に顔をしかめていましたが、彼女の頬から零れ落ちる涙を目にして咄嗟に我を忘れて言いました。



 まるで放心状態の彼女は咄嗟に涙を拭うと、瞬きをしながらこう言いました。




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