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GREY  作者: 柿谷巡
18/27

18話「止まれない旋律」


 

 「あのブレスレットよ。舞踏会の受付で招待状を渡した時に貰った例の」



 グレイシアは何もつけていない自分の手首を見せて、エリオットに言いました。



 「あのブレスレットには、黒魔術の呪いがかけられていたんだわ。



 招待客の証とか記念品がどうとか尤もらしい理由を言われた気がするけど、結局このためだったのね。



 私達は、幸いにも付けてないから良かったけど」



 グレイシアは俯き、額に手を当てながらそう言いました。



 「ああ、だけどここに居る全員からブレスレットを取るのは気が滅入るぞ」



 流石のエリオットもそう言って苦笑しました。



 「やるしかないわ」



 グレイシアがそう言うや否や、エリオットはすぐ傍のテーブルで興奮気味にカードゲームをしているルーシャスの傍まで無言で音もなく近寄りました。



 彼の持ち点には、多くのチップが積まれており周りの貴族の焦り具合からすると、順調にゲームに勝っていてとても機嫌が良さそうでした。



 エリオットは力任せにそんな彼を椅子から引きずり下ろしました。



 ルーシャスはどうやらひどく酔っぱらっているようで、体に力が入っておらず、エリオットは多少揉みあいにはなりましたが、彼の手首からブレスレットを取ることに成功しました。



 「おい!!!なにしやがんだよ!!!」



 ルーシャスは大きな声でそう喚きましたが、ブレスレッドを奪われてから急に様子が変わりました。



 彼はまるで別世界に来てしまったかのように不審そうな表情で辺りをキョロキョロと見まわすと、なんとその場で吐き気を催しました。



 これにはエリオットも思わず顔を背けました。



 ルーシャスは口を拭うと、ぽかんと口を開けたまま唖然として周囲を見回して言いました。



 「何が・・・どうなっているんだ?俺は今まで何を」



 まるで状況が理解できていない様子の彼に、エリオットはこう言いました。



 「カジノで遊んでいたんだよ。やっぱり記憶が無いんだな」



 ルーシャスはそう言われましたが、まるでエリオットの言葉が頭に入って来ていない様子でした。



 彼はこの晩餐会で美味しい食事に舌鼓をしながら、妹達に寄り付く悪い虫けらを成敗するつもりでしたが、一体今まで自分は一体何をしてたのかと思いました。



 ルーシャスの頭の上に?が浮かんでいました。



 そんな彼は酒を飲みすぎたことによる頭痛と吐き気を感じながらも、朦朧とした意識の中でふと自分の父親の姿を発見しました。



 「あれは‥‥お父様か?」



 ルーシャスはテーブルから憤慨して離れていこうとする自分の父親に声を掛けようと歩み寄りました。



 しかし、父はルーシャスのことなど、全く目に入っていないようでした。



 「おい!!!お父様!!聞けよ。俺たちおかしなことになっているぞ!!」



 やっと状況が掴めてきたルーシャスはそう叫びながら、ヒューバートン男爵の肩を掴み思い切りがんがんと揺さぶりました。



 しかし、男爵はぎょっとした顔をして、ルーシャスに呂律の回らない口調で、支離滅裂な言葉を放ちました。



 その隙をついて、いつの間にか傍にいたエリオットは男爵を何のためらいもなく殴りました。



 男爵はへろへろとその場に倒れこみました。



 「もうおしまいだ!!チップが底を尽きた。おのれこのペテン師が!!!!」



 彼はジタバタと暴れながらそう言いました。



 そして、エリオットは無理やり男爵の手首からブレスレッドを外しました。



 リボンを外した瞬間に男爵は意識を取り戻し、目をパチパチとさせてまるで異国に来たかのように辺りを見回していました。



 「あれ・・・私は今まで何を」



 男爵は目をこすりましたが、そこは紛れもなく晩餐会の会場ではありませんでした。



 「今までの記憶が無いでしょう。それは操られていたからです。あのジルフォード侯爵によって」



 グレイシアはそう言いながら、左手首からブレスレットを外しているリリィの肩を支えるようにしてこちらに向かってやってきました。



 「夫人とローラ様の姿を探さないと。リリィ様は意識を取り戻したんだけど」



 グレイシアは途方もない気分でそう言いました。



 「やるな。でも…これじゃ埒が明かないな」



 エリオットはまだ沢山居る狂った招待客の様子を眺めてながらそう言いました。



 「きゃああああああああ!!!!!!!あれって・・・」



 リリィが青ざめた顔で甲高い悲鳴を上げ、がくがくと声を震わせながらそう言いました。



 グレイシアはリリィの悲鳴に鼓膜が破けそうになりましたが、彼女が指を差す方向に目を移すと・・・



 そこにはなんと猟奇的な笑みを浮かべ、血走った眼を見開きながら、大量の血を目からドバドバと流しこちらに向かってくるまるで怪物のようなジルフォード侯爵の姿がありました。



 その姿は、思わずグレイシアでさえも絶叫してしまいそうで、誰もが恐ろしくて腰を抜かしてしまいそうでした。



 「貴様ああああああ!!!!!!



 何故、あの腰抜け男爵の小娘が二人もいるんだ!!!!



 やっぱり、貴様はこの船に紛れ込んだ例のガキか?



 殺したというのは、あれは嘘だったのかああああああ!!!!」



 彼はリリィを支えている、紫色のドレスを着た方のグレイシアに向かって、まるで咆哮するようにそう怒鳴りました。



 しかし、彼はその後すぐにその場で両膝に手を置き、苦しそうに呻いてから口から大量の血を吐きました。



 ほぼ死にかけのような侯爵のその様子は、なんだかもう色んな意味で見ていられないものでした。



 「私の邪魔をしおって!!!ここで八つ裂きにしてやる!!!!」



 侯爵はそう言って最後の力を振り絞り、既に鞘から引き抜かれた重量感のある幅広の大剣をグレイシア目掛けて振りかぶりました。



 グレイシアは逃げようとしましたが、リリィを支えていて動けませんでした。



 グレイシアの絶体絶命のピンチに、エリオットはすぐさま侯爵の頭目掛けて拳銃を構え、引き金を引こうとしました。



 「バン!!!!!」


 

 鋭い銃声が辺りにこだましました。



 侯爵はエリオットが引き金を引く前に、何者かに撃たれて鈍い音を立ててどしんと倒れました。



 グレイシアは自分に向かって倒れてくる侯爵にいち早く気づき、リリィを抱きしめながら別の方向へとよけました。



 ごろごろとグレイシアはリリィを抱きしめたまま転がり、なんとか下敷きにならずに済みました。



 グレイシアは床に伏せたまま何とか目を開きました。



 侯爵が倒れたことにより、奥に居た人物が姿を現していたのです。



 グレイシアは思わず目を見開きました。



 そしてなんとそこには、拳銃を構えた、見覚えのあるアッシュグリーンの長髪に豪華なネックレスをつけた長身の紳士の姿があったのです。



 「ノア様」



 グレイシアは驚いて思わず彼の名前を口にしました。



 なんとノアが目の前のヒューバートン男爵を撃ったのです。



 彼は握っていた拳銃を下ろし、ゆっくりとコートにしまうと颯爽とグレイシアの前まで近寄り、膝をついて彼女に手を差しのべました。



 「ごきげんよう。ご無事ですか?」



 彼はそう言って、このクルーズの主催であり、上流階級の中でもトップと並んで権力のあるジルフォード侯爵を撃ち殺した後とは全く思えない程、爽やかに微笑みました。



 グレイシアは冷や汗を全身にかいており、言葉を口にするのさえ困難でした。



 「貴方も‥‥ブレスレットをつけて‥‥晩餐会に行ったはずでは…どうして貴方は」



 グレイシアは何とか言葉を紡ぐようにそう問いかけると、ノアは一瞬きょとんとした顔をしてから、こう返しました。



 「え?・・・ああ、あのブレスレットですか?



 あれは海に捨てましたよ。よく考えたら、晩餐会に貴方が来ないならあんなもの要らないじゃないですか。



 どうせ、来るのはリリィ様本人でしょうし、それにジェスター侯爵のご子息が拘束具を外した時、思ったんです。



 絶対に、このブレスレットにも何かあるってね」



 ノアはそう言い終わると、爽やかな笑顔を浮かべました。



 「これでおあいこですね、エリオットさん」



 ノアはそう言ってエリオットに向かってわざとらしく会釈しました。



 エリオットはすぐに銃を下ろすと、鋭い眼差しをノアに向けました。



 すると、ジルフォード侯爵が亡くなったからか、辺りの貴族達が一斉に気を取り戻し始めました。



 皆、不審そうな表情を浮かべて辺りをきょろきょろと見回していました。



 あるものは、知らない間に酒を飲みすぎて吐き気を催し、またある者は何故か自分の手に握られているカードを不思議そうな目で見つめていました。



 そしてホール全体が一気に混乱状態に陥りました。



 「晩餐会は一体どうなったんだ!!」と御もっともな声が辺りに一斉に沸き上がりました。



 その混乱を察したノアが良く通る大きな声でこう言いました。



 「皆さん、静粛に!そこに血を流しているジルフォード侯爵が居ますよね?



 彼に皆さんは今まで操られていたんですよ。



 皆さんが手首にはめているブレスレッにト何か恐ろしい力が込められているのです!」



 彼の演説のような声を聞いた貴族達は、一斉にどよめき始めました。



 皆、すぐさま手首にはめているブレスレットを引きちぎるように外し始めました。



 夫人達は、テーブルの中央に我関せずといった態度でカードをシャッフルしている手下に気づくと、怒りが抑えきれずすぐさま罵声を浴びせ始めました。



 紳士達は、テーブルの上に積み上げられたチップを自分の持っていた巾着に我先にとすぐさま入れ、手下に怒鳴りつけました。



 辺りは瞬く間にとんでもない状態と化してしまいました。



 皆、自らが置かれている状況を整理すればするほど、怒りの矛先が当然ですがジルフォード卿やダニエル、その手下に向きました。



 グレイシアはしばらく唖然として辺りを見回していましていましたが、ふと黒魔術の書物に書かれていた文章を思い出しました。



 確かにそこには、“黒魔術を解くには術者を殺すか”、呪物を手放すかどちらかだと書かれていました。



 しばらくすると、目の間で撃たれ死んだジルフォード侯爵に駆け寄るヴィオラ様の姿がグレイシアの目に留まりました。



 彼女はまた新たに舞踏会で着ていたものとは違うドレスを身に着けていました。



 今度は純白の宝石の散りばめられた可憐で美しいドレスを身に纏っていました。



 グレイシアは、他国からはるばる来て何着もドレスを用意し、こんなに気合を入れてこのクルーズに参加してくれたヴィオラをなんだか可哀そうに思いました。



 ヴィオラは、ジルフォード侯爵の凄まじい死に顔を見て彼女は絶叫しました。



 口を両手で塞いで彼女は放心していました。



 「‥‥ダニエル様は?私のフィアンセは一体どこ…?」



 彼女はあちこち辺りを見回していましたが、一向に彼の姿は見当たりませんでした。



 グレイシアは動揺しているヴィオラに見つからないように、すぐにこの場から離れました。



 「メアリーさんがきっと心配しているわ」



 グレイシアはそう思い自力で立ち上がると、ヒューバートン男爵家の部屋まで急いで向かうことにしました。



 ノアは差し伸べた自分の手を取らずに立ち上がり、何処かへ行こうとするグレイシアを引き留めようとしましたが、あっという間に獲物のように彼を狙う、沢山の夫人とその娘に囲まれてしまい、彼女を追いかけることが出来なくなってしまいました。



 エリオットはそんなノアの様子を鼻で笑ってから、グレイシアの後を追いかけました。



 彼女は急いでホールから入り口に続く階段を降りようとしたため、靴が脱げてなんと階段から落ちてしまいそうになりました。



 そんな彼女を見かねたエリオットはすぐに彼女をなんとか引き寄せ、軽々と抱きかかえました。



 そして、彼女を抱えたまま階段を下りて、エントランスを通り抜け長い廊下を走りました。



 先程の受付の手下はカウンターに肘をついて寝ていましたが、怒り狂った紳士に思い切り殴られ、強制的に起こされていました。



 すかさず色んな紳士や夫人から責任を追及されて、彼はてんやわんやになっていました。



 そんなこともあって、二人は特に怪しまれることなく、無事に部屋の前まで戻ることが出来ました。



 しかし、その部屋の前には、なんと思いがけない人物が待ち構えていました。



 「諸君に話がある」



 グレイシアはその声の人物が何故ここに居るのか疑問に思いました。



 何故なら、その人物とは甲冑を着た手下に支えられながら、杖をついて立つ”ダニエル・ウィルキンス”だったのです。



 彼は苦しそうに荒く呼吸をすると、彼の顔は腫れていて殴られたような痛々しい傷跡がありました。



 体中に打撲や外傷を負っていましたから、先程のホールで怒り狂った貴族達に袋叩きに遭ったのでしょうか。



 グレイシアとエリオットはどちらにせよ、何故ダニエルがここに居て自分達を待ち構えていたのか分かりませんでした。



* * *



 「ダニエル様は何処なの・・・」



 ヴィオラはそう言って思わずその場にへたり込んだものですから、彼女の父親のジルバラ伯爵がすぐに駆け寄り、心配そうに彼女に声を掛けました。



 そんな姿をリリィはただ茫然と眺めていました。



 いつの間にか自分を助けてくれたグレイシアが居なくなっており、何とか彼女もゆっくりと立ち上がると辺りを見回しました。



 「お姉様~~!!!!」



 ローラがそう叫びながら、一目散にこちらに向かって走ってきました。



 リリィはローラの体を受け止めました。



 その後に非常に機嫌の悪そうなルーシャスがこちらにずんずんと歩いてやってきて、リリィに忌々しげに何かを話し始めました。



 彼女は二人から同時に何かを話しかけられ続けていましたが、なんだか意識がぼんやりとしていて完全に上の空でした。



 「ダニエル様」



 彼女はふとそう呟きました。彼女は急に彼の名前を口にした途端、靄が掛かっていた辺りが鮮明に見えるようになりました。



 「おい!!!お前までどうしたんだよ!!リリィ」



 ルーシャスが動揺した様子でそう言いながらリリィの肩を揺さぶりました。



 「封筒、そうだわ。ダニエル様からの」



 リリィはそう口にしました。



 彼女は、ずっと何か大事なことを忘れている様な気がしていたのですが、晩餐会へ行く前に甲冑を着た手下から貰った、ダニエルから貰った封筒の存在をやっと思い出しました。



 彼女はここに来る前の記憶を思い出していました。



 たしか彼女は家族で晩餐会に向かう準備をして、皆で部屋を出ました。



 そこで何故か部屋の前でジルフォード侯爵の手下に引き留められ、その封筒を受け取りました。



 そのまま彼女はその封筒を中身を確認せず、手に持ったままホールへと向かいました。



 そしてホールのエントランスに到着したところまでは覚えています。



 しかし、それからはまるで霧に包まれたかのように何も思い出せませんでした。



 彼女はホールのエントランスに到着した以降の記憶が全く無かったのです。



 ですから、彼女は最終的にそれをどこへやったのか全く思い出せませんでした。



 「探さなきゃいけないものがあるの」



 彼女は焦った様子でそう言うと、ローラとルーシャスから離れて一目散にこの会場の受付の方へ行きました。



 すると、カウンターに突っ伏して気絶している手下の姿がありました。



 リリィはカウンターの上を注意深く観察しましたが、特にダニエルから貰ったあの、金色の刺繍の施された白い封筒はありませんでした。



 リリィはダニエルから貰った封筒を今すぐに探さなければならないと思いました。



 ただ、どうしてもその中身を見なければならないと思ったのです。



 今度はエントランスまで行き受付の執事のような手下に、封筒が無いか聞くことにしました。



 リリィは踵の高い靴で階段を下りなければなりませんでした。



 「階段・・・・」



 彼女は小さくそう呟きました。



 彼女の心にふと、ルイスに階段から突き落とされたあの舞踏会の悲惨な思い出がフラッシュバックしました。



 突然命の危険にさらされた強いショックと恐怖、まるで時が止まったかのようなあの言葉では言い表せない感覚、物理的な痛み、自分をよそ目に華やかなドレスを纏う女の子達・・・・その生々しい記憶が再び現実のように襲い掛かってきました。



 トラウマを思い出した彼女は、足がすくんでしまいました。



 「このままじゃ、駄目よ。私は…変わるの。変わらなきゃ」



 リリィは硬く目を瞑り、彼女は自分の家族や使用人、自分を励ましてくれたグレイシアのことを思い出しました。



 「私は‥立派なお嬢様になる」



 彼女はそう言って、覚悟を決め踵の高い靴で慎重に階段をゆっくりと下りました。



 そして何とかエントランスの受付のカウンターの前まで行きました。



 そこには落ち込んだ様子で泣いている受付の手下が居ました。



 リリィは彼の涙がぼたぼたとカウンターに滴り落ちているのを見かねてこう言いました。



 「あの‥‥大丈夫ですか?」



 リリィが心配そうに手下の顔を見ましたが、彼は怯えた顔をしていました。



 それというのも、彼は先程の嵐のように貴族達から罵詈雑言を浴びせられ、胸ぐらを掴まれ、髪を引っ張られ、暴力を振るわれかけていたのです。



 彼は非常に委縮していました。



 「ほ‥本当にすみませんでした」



 彼は怯えた目でそう言うと、謝りました。



 そんな彼にリリィは彼の身に何が起きたのかなんとなく察して、こう言いました。



 「貴族達はきっと、混乱して訳が分からなくなっているだけだから。



 少し時間が経てば、皆気持ちが落ち着くと思いますよ」



 彼女はそう言ってぎこちなく控えめな笑みを浮かべました。



 手下は思わず困惑しました。



 “貴族達は”と彼女は言いましたが、当の彼女も上流階級である貴族の中の一人ですし、リリィ・プライスという昔から付き合いの長い男爵家のご令嬢だと旦那様から話を聞いていたからです。



 それに、彼女は今まで騙されていた貴族の中の一人でもありました。



 「どうして‥‥私に優しくしてくださるんですか、我々は初めから招待客である貴方方、貴族を騙していたというのに」



 思わず手下の彼はそう聞き返しました。



 するとリリィはこう言いました。



 「貴方を責めるかどうかは私が決めることです。・・・ただ心配になっただけですから」



 彼女はそう言って会釈するとカウンターを後にしました。



 しかし、数歩先歩いて彼女は重大なことを思い出し、恥ずかしそうに先程の手下に尋ねました。



 「すみません・・・白地に金の刺繍がある封筒を知りませんか?」



 彼女は穴が合ったら入りたい気分でしたが、手下は先程よりも元気を取り戻したようで、カウンターの下からその封筒を取り出すと、彼女に差し出しました。



 「こちらですよね。彫刻の辺りに落ちていました。



 あと、ありがとうございます。ミス・ヒューバートン」



 手下はそう言ってはにかみ、椅子から勢いよく立ち上がると恭しく会釈しました。



 リリィは思わず驚いた顔をしましたが、少し気を取り戻した様子の彼に微笑を浮かべると、エントランスの美しい花々が活けられている花瓶の置かれたテーブルまで向かいました。



 そして開封した封筒をそこに置き、白い数枚の便箋に目を落としました。



 手紙には達筆で少し神経質で気取ったような文字がつらつらと並べられていました。



 「親愛なるリリィへ 突然の手紙で失礼する。



 率直に申し上げるが、主催者側の立場で言うことではないが、晩餐会に出席してほしくない。



 君が・・君の家の方々が危険な目に遭うのを止めたいだけだ。



 そして話は遡るが、私は・・君と初めて出会った日のことを鮮明に思い出せる。



 君が8歳の頃、リバーウッド伯爵の茶会で私達は、素晴らしい出会いを果たした。



 君は恥ずかしそうに夫人の後ろに隠れて何も喋らなかった。



 私はその頃から既に傲慢ですました態度を君に取っていた。



 でも、茶会が終わった後、私は部屋の隅で泣いている使用人を慰めている君の姿を目にした。



 私はその時から君から目が離せなかった、君と仲良くなりたいと思った。



 君のことを守りたいとも・・・思った。



 しかし、私の家と君の家との関係は、最初は良かったが、異常な力関係にあるようになってしまった。



 私の父の権威主義がいき過ぎて、君の家を支配下に置こうとした。



 そして私含めジルフォード侯爵家は、権力を得るために、禁忌を犯し惨いことをしている。



 私自身もおかしくなってしまっている。



 だからこそ、君は私と、私の家ともう関わるべきではないと何度も思った。



 私が君と関わろうとすればする程に、君を傷つけるからだ。



 だけど、君は私の心にずっと留まっていた。



 それならせめて君を傷つける奴から守ろうとした。



 でもそれだけでは収まらず、支配的で君を困らせる様な矛盾した行動をとってしまった。



 そのことを謝罪したい。昔から君は慈悲深くて謙虚で優しい。君のそう言った性質は悪くない。



 そんな君を心から大切にしてくれる人が現れることを祈る。



 ダニエル・ウィルキンス」



 リリィはダニエルからの手紙を目にして、思わず立ちすくみたくなりました。



 目から一筋の涙が頬を伝い、彼との幼少期から今に至るまでの思い出が鮮明に蘇ってきました。



 あまり自分の気持ちを多く語らないミステリアスな彼が、初めて自分に手紙を書き、素直な気持ちを打ち明けてくれたからです。



 「私・・・自分を守ることに必死だった。



 貴方のことを誤解していた・・ダニエル・・」



 リリィはもっと早く、この手紙を読んでいれば良かったと思いました。



 時を巻き戻したいとも思いました。



 そしたら、晩餐会へ行かずに、ダニエルの元へ走って行ったと思うからです。



 リリィは今まで自分が抑えていたダニエルへの気持ちが溢れ出して止まらなくなりました。



 彼は今どこに居るのでしょう。



 リリィはダニエルを探して走り出しました。



* * *



 リリィがヴィオラの姿をただ、茫然と見つめていた頃、グレイシアとエリオットはそのジルフォード卿の息子、ダニエル・ウィルキンスと対峙していました。



 「少々立ち入った話になる。場所を移動したい。付いてきてくれ」



 ダニエルは真剣な面持ちで二人にそう告げると、甲冑を着たジルフォード卿の執事は、彼をしっかりとその逞しい腕で支えながらゆっくりと歩き出しました。



 エリオットはその手下に確かに見覚えがありました。



 それは忘れもしない、この船に訪れたすぐの出来事でした。



 自分の父親がジルフォード侯爵卿の手によって銃殺されたのです。



 その時、丁度彼のすぐ側に控えて彼に拳銃を渡したのが、目の前の甲冑を着た手下だったのです。



 エリオットは思わず生理的な嫌悪感と当時の記憶が生々しく蘇り、身震いしてその場に立ち尽くしていました。



 そして、隣に居たグレイシアもその場に立ち止まったままでした。



 「ダニエル様、お伝えしづらいですが、貴方のお父上であるジルフォード卿が亡くなるのをこの目で見ました。



 ホールは招待客達の動揺で混沌としています。その場に行かれてはどうでしょうか」



 彼女は困惑した様子でそう言いました。



 ダニエルは彼女の声に気づきピタリと足を止め、後ろをゆっくりと振り返りました。



 「これから本当の晩餐会を仕切りなおす予定だ。



 使用人には予め指示を出し、手配してある。この事態が落ち着いたら私も向かう」



 彼は簡潔にそう言うと手下に支えられながら踵を返して再び、長い廊下を歩き出しました。



 グレイシアとエリオットはダニエルの行き先も意図も不明瞭でしたが、顔を見合わせてから頷くと彼の後に続いて歩いていくことにしました。



 グレイシアの目の前を歩く彼は、片足も片眼も不自由で、さらに先程に増してズタボロになっていましたが、杖を何とかつきながら出来る限り姿勢を正して歩いていました。



 よく見ると彼は上質なシルクのズボンに履き替え新しい靴を履いていました。



 グレイシアは、何が彼の身に新たに起きたのか聞きたくなりましたが、当の彼は何事も無かったかのように虚勢を張って歩き続けていましたから、何も聞けずにいました。



 長い廊下を歩き、二人が案内されたのはある一室でした。



 隣にはロード・ジルフォードと書かれたプレートがかけられた部屋がありました。



 その部屋の扉のプレートには、ダニエル・ウィルキンスと書かれており、二人はダニエルが自らの部屋に自分達を招き入れようとしていることが分かりました。



 二人は躊躇する暇もなくその部屋へ入りました。



 他の客室と同様に重厚な扉を開くと、どの客室よりも装飾品が少なく、色数も少ないですが統一感のある上品な部屋が広がっていました。



 小ぶりのシャンデリアが頭上に煌めき、レッドブラウン色の壁に、上質な青いベルベッドのソファーが中央に置かれ、テーブルの上に小さなランプシェード付きの照明が置かれているくらいで、後は特に目立った調度品は何もありませんでした。



 家具が少ない分余白の多さも相まってか、ここがダニエル一人の部屋と考えると無機質でどこか孤独な雰囲気さえ漂っていました。



 「暖炉に火をくべてくれ」



 ダニエルは甲冑を着た手下にそう命令すると、彼は装飾の施された豪華なマントルピースに向かうと彼は速やかに火打ち金で石を叩き始めました。



 どうやら、彼とジルフォード卿の部屋にだけ、格差を示すかのように暖炉が設置されている様でした。



 二人はダニエルと向かい合わせでソファーに腰かけました。



 グレイシアはなんだか煌々と燃える炎に気を取られそうになったので、目を逸らしダニエルと目を合わせました。



 ですが向かい合った彼が改まって見ると満身創痍だったものですから、グレイシアは思わず彼に何か言おうとしました。



 しかし、それよりも先にエリオットが口を開きました。



 「いいご身分だな。どうせ、お前は父親のこの企みをはなから知っていたんだろ。



 だから、ホールには居なかった。高みの見物か、本当に悪趣味だな」



 エリオットは、鋭い眼差しをダニエルに向けながら言いました。



 これには、高潔な態度をとる甲冑を着た執事も主を侮辱したとみなし、黙っていられませんでした。



 「貴様も暖炉にくべてやろうか。ご命令を、ロード・ジルフォード」



 執事が低く凄みのある声で、ダニエルに指示を仰ぎました。



 「その名はまだ早い、アーサー。頭を冷やせ」



 顔をしかめながらダニエルは甲冑を着た手下にそう言うと、改まったように二人に向かってこう言いました。



 「私は…宝物庫を出て君達と別れた後、真っ先に実の父親の元へ向かった。



 私はそこで父に晩餐会を中止にしろと言った。もう罪を犯し続けるのは止めろとも」



 彼はそう言って、静かに燃える暖炉の炎へ目をやりました。



 「だが、結局私はまたあの書斎の拷問部屋に閉じ込められることとなった。



 どうなったかは見ての通りだ。だが、命までは奪われなかった。



 まだ、私に・・・利用価値を見出しているからだ」



 彼はその時の状況を思い出し、冷たい陰のある表情を浮かべました。



 「無様な私はそこの執事に何件か要望を伝えた。



 そのうちの一つが・・今こうして君達と話をするということだ」



 彼はそう経緯を説明した後、二人の顔を交互に見ました。



 グレイシアとエリオットは驚いて言葉が出ませんでした。



 ダニエルがまさか自分達と別れたあの後、不自由な体を引きずりながらも、絶対的な権力者であり、暴君である父親の悪事を止めようとしたなど想像もつかなかったからです。



 「貴方がまさかそこまでするとは・・・どうして」



 グレイシアは思わずそう口走りました。するとダニエルはすかさずこう言いました。



 「先程は言っていなかったが、サーカスに出ていたジェスター伯爵の娘息子を操っていたのは私だ。



 父に命じられていたとはいえ、あんなに幼い子供を聴衆の前で嬲り殺そうとしていた。



 でも、リリィが・・・いや、君が壇上に上がった時思わず叫んだ。どうしてそんなことが出来ると」



 ダニエルは俯いたままこう話しを続けました。



 「あの時の君の行動は・・確かに私の心を動かした。



 私は何故こんな、悍ましいことを続けているのだと正気に戻った。



 私は本当に父親に逆らえないのではない。



 父親の言いつけを全て守る、家名の存続の為、伝統を重んじる模範的な貴族でありたいと願うもう一人の自分に逆らえなかったのだ」



 彼は冷静に前を向いてそう言いました。



 今の彼はとても内省的ですが、意気消沈しているわけではなく前向きに成長につなげようとしている様子が感じられました。



 その時、部屋のドアをノックする音が聞こえて、甲冑を着た執事がドアを開きました。



 クローシュの被せられた料理の入った皿の乗った銀色のトレイを持ったジルフォード侯爵の手下が5人、機敏な動きでせかせかと入ってきて、グレイシアとエリオットの目の前にあるテーブルに、瞬く間に料理が並べ始めました。



 人目を引く綺麗な焼き目のローストビーフ、大きな七面鳥の丸焼きに、熱々でゴロゴロとした根菜と肉のシチュー、こんがりと焼けたパン、果物が宝石のように光るタルト、濃厚な豆のスープ等ずらりと見ているだけで涎が止まらなくなりそうな豪勢な食事が手下達によって目の前に置かれたのです。



 銀食器に花の装飾の施されたティーカップが並べられ、ワインのボトルを抜いた手下がドボドボと高級そうなワインをグラスに注ぎ始めました。



 その様子を呆気に取られて見ているグレイシアとエリオットの二人をよそ目に、ダニエルは料理を運んできた手下の一人に尋ねました。



 「晩餐会の進行は順調か?」



 手下は疲労困憊している様子でしたが、口元に笑みをわずかに浮かべてこう言いました。



 「はい。さっきまで乱闘騒ぎになっていましたが、何とか落ち着きました。



 たった今怪我人を医務室に送って、無事に晩餐の準備を執り進めております」



 ダニエルはそれを聞いて安堵したような表情を浮かべました。



 「医務室から脱走したジェスター伯爵の娘息子は?」



 ダニエルが再び尋ねると、手下は曇った表情を浮かべました。



 「捜索中です。挨拶の頃またお呼びします」



 彼は恭しく会釈すると、5人の手下達は綺麗に整列して部屋を出ていきました。



 「余計な世話かもしれないが、まあ悪くない食事だろう。自由に食べてくれ」



 ダニエルは何の気もなしにそう言いました。



 普段あれ程お腹が減り、飢えに苦しみ極限の状態を迎えているというのに、何故こう言ったタイミングで満腹なのでしょうか。



 二人は折角もてなされたことですし、列車で目にしたあの忌々しい記憶を今だけ頭から排除すると、目の前のシチューを恐る恐る口に運びました。



 ダニエルは彼らの様子を見て少し満足したような表情を浮かべると紅茶を一口飲みました。



 二人は既に満腹だというのに、顔をほころばせながらそのシチューを次から次へと口に運んでいました。



 そんな二人の姿とは対照的にダニエルは、どこか強張った表情で唐突にこんな言葉を口にしました。



 「君達にこれから、黒魔術について話そうと思う。そうしろと啓示を受けたような気がするんだ」



 そのあまりにも衝撃的な言葉に、グレイシアとエリオットは恐ろしく美味だったはずのシチューの味が一瞬で口の中から吹っ飛びました。



 ダニエルは慎重に手を組みながら話し始めました。



 「黒魔術は、今の政権を握っているヴァンチェスター公爵が生み出したものだった」



 ダニエルがそう口にしたものですから、グレイシアは驚いて瞬きを繰り返しながら、慎重に深皿をテーブルと食器を置くと、こう尋ねました。



 「ヴァンチェスター公爵も、彼もかつての女王のように魔法が使えたんですか?」



 グレイシアは食い入るような目でダニエルを見つめて言いました。



 彼はすぐに目を逸らすと、咳払いをしてこう言いました。



 「いや、そうではない。



 当時から王に仕える貴族の中でも最も権力を持ち、王に対して対抗心のあった公爵は、アンドレア女王の持つ力を恐れ、彼女を魔女として処刑しようとする一部の狂った教団を味方につけて巨額の資金を調達した。



 だが、彼はよりによってその金であろうことか魔術師を雇い、悪魔と契約する黒魔術の研究にその全てをつぎ込んだのだ。



 とんだ皮肉だと思わないか?」



 彼はそう言ってシニカルに微笑みました。



 「王が滅んだ今、黒魔術はヴァンチェスター公爵と私の父親だけが共有する秘密として存在していた。



 他の貴族が黒魔術の存在に気づくと厄介だろうからな」



 ダニエルはそう言って、顔をしかめました。



 何故目の前のダニエルは、こんな公表されていない極秘な情報をこんな見ず知らずの自分達に教える気になったのでしょうか。



 二人は動揺して次々と明かされる真実に頭が追い付きませんでした。



 「苦労してまで編み出した魔術なら、何故それをよりによって、お前の父親に教えたんだろうな」



 エリオットは率直にそう言いました。



 ダニエルは思わず鼻で笑ってからこう言いました。



 「私の父とヴァンチェスター公爵は王族滅亡後、協力関係にあったからだ。



 でも父はヴァンチェスター公爵が所有する黒魔術に関する書物の一部を偶然、目にしてしまった。



 私の父は手下を使って工作活動を重ね、その書物を盗むことに成功した。



 そして例の魔術師の元を訪れて協力を持ち掛け、黒魔術の全貌を知ったという訳さ。



 公爵は素晴らしく迂闊だったと思うが、それで私の父は魔術を習得し、ヴァンチェスター公爵に劣らぬ地位を無理やり獲得した」



 ダニエルはそう言って眉をひそめました。



 血みどろの貴族達の権力抗争の話に、グレイシアとエリオットはなんだか気分が悪くなってきました。



 ジルフォード卿もヴァンチェスター公爵も権力を得るために、人の心を失った悪魔のようにしか思えないからです。



 「だから、私の父も黒魔術を使う。



 だが、使えば使うほどに悪魔はもっと人間を悪の道にそそのかそうと囁きかけてくる。



 破滅させてその魂を食らうためにな。



 体だけじゃなく、心まで食われていくんだ。



 言うまでもなく人格が崩壊する。



 ホールで私の父の死に際を目にしたんだろう?



 あれが黒魔術に毒された者の末路だ」



 ダニエルは目を固く閉じ、額に手を当ててそう言いました。



 本来、黒魔術というものはただの禁忌でしかなく、使ってしまえば術者も悲惨な末路を辿るということを二人は理解しました。



 確かに、ジルフォード侯爵の行動には二面性がありました。



 舞踏会を盛り上げようと、壇上に上がり華やかで印象深い挨拶をして、見事なサーカスを見せて招待客達を喜ばせたかと思えば、最後に捕らえた幼い貴族の子供を残忍にも聴衆の前で痛めつけようとしたのです。



 さらに、他国の令嬢をわざわざ招待し、自分の息子であるダニエルと舞踏会で婚約者のお披露目のように躍らせたかと思えば、晩餐会と偽り招待客ほぼ全員から金や権利を奪おうと企んだのです。



 これらの非常に矛盾した侯爵の行動からは、どうしても抗い抑えることのできない猟奇的な衝動が垣間見えました。



 二人はダニエルの話を頭の中で整理していました。



 「私は、段々青年へと近づくにつれて、この黒魔術を扱うための訓練を積まされるようになった。



 勉強や騎乗戦術や剣術の稽古、社交の場には必要最低限に参加するが、それ以外はずっとこの黒魔術を使うための訓練に時間を割いていた。



 私は殆ど狩猟に出かけたことはない。



 ましてや後遺症に苦しみ訓練が終わったら数日寝込んでいるせいでそんな気力など無かった」



 彼はそう言って、もう二度と見えることは無い右目に手を当てました。



 彼は周囲との差を感じながらそれを決して誰一人にも悟られまいと、父親の教えを守り必死で虚勢を張り、気高く振舞おうと心がけていたのです。



 グレイシアは何故だかそんな彼が抱えていた孤独に、共感の気持ちを抱きました。



 もはや、目の前に並べられた豪華な食事等目に入らないくらい、グレイシアとエリオットは彼の言葉を真剣に聞いていました。



 「馬鹿みたいだろう?



 私は時機に爵位を継ぐ予定の貴族として名高いジルフォード侯爵の息子だというのに、あの父親から逃れたくてたまらなかった。



 いつしか父親から仕置きを受ける度に、アンドレア女王のことばかり考えるようになった。



 それだけが私の唯一の心の救いだった」



 そう言うと、ソファーから腰を上げ、なんとかよろよろと杖をつきながら重厚なデザインの飾り棚の前まで行くと、その上にある写真立てを手に取りました。



 彼がよろけたので、すかさず甲冑を着た執事が彼を支えながらソファーまで移動しました。



 ダニエルはソファーに腰を再び下ろすと、その写真たてに目を落としていました。



 その写真立ては、確かに二人が書斎で目にしたものと同じでした。



 しかし、誰かに思い切り叩き割られたかのように、ガラス部分に痛々しく大きな亀裂が何か所も入っていました。



 ダニエルは気持ちの高ぶりを抑えるために、強く目を閉じると深呼吸をして、グレイシアの方を見て静かにこう告げました。



 「忘れもしないある日、父がヴァンチェスター公爵とこんな話をしているのを盗み聞いたんだ」



 グレイシアの心に何故か緊張が走り、彼女は思わず息を呑みました。



 もはやこの部屋は何の音もしませんでした。



 その場にいる者達も、調度品の数々も豪華に並べられた料理でさえも、彼の話を遮らないように静かに息をひそめているように感じられました。



 そんな静寂の中、ダニエルは再び口を開きました。



 「焼けた城の中から、ある遺骨が出てこなかったんだ。アンドレア女王を含む王族やその使用人、



 王国在中騎士の遺骨は見つかっても、女王の娘のグレイシアの遺骨だけはどう探しても見つからなかったということだ。



 この事実は世間には一切公表されていない」



 ダニエルのその言葉を耳にした、二人は思わず稲妻が落ちたような衝撃を受けました。



 もはや目の前の料理など目に入らないくらいに、その重大な事実が一気に二人の思考を奪いました。



 グレイシアとエリオットは開いた口が塞がりませんでした。



 何か決定的で逃れられない宿命のようなものに気づかされたからです。



 「若き女王であるアンドレアは、グレイシアの存在を公にすることを避け、娘の存在は王族か使用人、彼女に近しい一部の貴族しか知らなかった。



 ただの幼い子供ならまだしも、王族でしかも魔法が使えるなら尚更だ」



 彼はそう言って眉をひそめました。



 「だが、王族の関係筋だったヴァンチェスター公爵はずっとそのグレイシアを探している。



 恐らく王の力の継承者しか使えない魔力を彼女が持っているのなら、彼女を捕らえて奴隷にすることで強大な力を手にしたいと企んでいるのだろう」



 ダニエルはそう言い終わると、写真たてに再び目を落とし、自嘲的に小さく笑いました。



 その仕草を目にしたグレイシアは思わず彼にこう問いかけました。



 「どうされたのですか?」



 不思議そうな表情を浮かべる彼女にダニエルは躊躇いがちにこう言いました。



 「馬鹿げたことを承知の上で言うのはこれが初めてだ。



 だが、君の風貌はリリィだけでなく、かつてのアンドレア女王の面影さえ感じられる。



 そして、私はこれまで君と接した上で、君はかつての女王の様な勇敢さと慈悲深さ持っていると判断した。



 だから・・要するに君こそが、ルーヴァント王国の女王の娘、グレイシアなのではないか?」



 ダニエルはそう言うとしっかりとグレイシアの目を見つめました。



 しかし、ダニエルはすぐに少し後悔したように自嘲気味にこう言いました。



 「一体・・・私は何を言っているんだろうな。ついに頭までおかしくなったのか」




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