16話「月夜の誓い」
「デッキへ行かないか?」エリオットが唐突にそう誘ってきたので、グレイシアは扇子を優雅に仰ぎながら、ソファーに座る大変機嫌の良さそうな夫人へ声を掛けました。
「すみません、私達はこれからデッキへ行きます。晩餐会、楽しんでください」グレイシアがそう言って、上品に会釈すると夫人は意気揚々とこう言いました。
「そう!!言われなくて盛大に楽しませてもらうわ!!」彼女はこれから始まる、第二幕である晩餐会へ向けてドレスを着替えなおすかと、ルーマス侯爵へのリリィをアピールする話をひねり出すこと、それだけでもう頭の中がいっぱいだったのです。
リリィの準備が終わるまで男爵はもごもごと何かを口走りながらその場を歩き回り、夫人は何度も何度も自分の姿を手鏡でチェックし、緊張した様子の彼女をジェイスは爽やかな笑みを浮かべながら扇子でパタパタと仰いでいました。
そしてようやく髪と化粧を整え、再びコルセットで腰をきつく絞り、お気に入りの薄いピンク色のフリルや宝石のあしらわれたドレスに身を包み、踵の高い靴を履き完全にドレスアップをしたリリィ少し張りつめたような表情で準備の終えた家族全員の前に現れました。
ルーシャスは彼女の美しい姿に声を上げ、「完璧だ、全員から求婚されるぞ」と堂々とした表情で言いました。これにはリリィも思わず「もう!」と小さく呟くと、恥ずかしそうにはにかみながらルーシャスのコートの胸元をポンポンと叩きました。
「ねえねえ、お兄様、私は???」ローラがいじけた様子で、リボンのついたツインテールのおさげをブンブンと振りながら、ルーシャスのコートの裾を引っ張り、上目遣いで聞きました。ルーシャスはしゃがんで「勿論、お前も完璧だ」と言い、ローラの髪を優しく撫でました。
リリィはその様子を見て、思わず笑みが零れました。
そういうわけで、ヒューバートン男爵家ご一行とジェイスは、これまでにないくらい団結し、上機嫌で部屋を出ていきました。
しかし、リリィが部屋を出た矢先に、突然待ち構えていたと言わんばかりにヒューバートン男爵家一同の前に、甲冑を着た背の高い非常に体格の良い男性が現れ、目の前に立ちはだかったのです。
突然、重々しい緊張感のある空気がその場を包みました。
「リリィ・プライス様、我がジルフォード卿の次期党首のダニエル様から伝言を預かりました。晩餐会には参加するなとのことです。並びに貴方様にこちらを」その男は低い声で簡潔にそう述べると、金色の刺繍の施された白い封筒を取り出してリリィに差し出しました。
その男はヒューバートン男爵家もご存じの、ジルフォード卿に仕える最も優秀なバトラーでした。呆気にとられた様子の家族に見守られながら、リリィは困惑した表情でその男からおずおずと封筒を受け取りました。
しかし、リリィは例えそう自分に言うのがこのクルーズ自体の主催者の息子であるダニエルであったとしても、折角社交の場に顔を出したいと思えるようになったのに、ここぞというときに足止めを食らったような気分になりました。
ですからリリィは封を開ける気分になれませんでしたし、晩餐会の会場へと家族と共に足を急ぎました。
その一方で、グレイシアとエリオットの二人は、夫人に声を掛けてからヒューバートン男爵家の部屋を後にして、長い廊下を再び歩きながら話をしていました。
「書斎でノアって奴からルイスの手紙を受け取ったと言っていたよな。あいつはなんで丁度良くあんなもん持っていたんだよ」エリオットの腑に落ちない様子でそう言いました。
確かにとグレイシアも顎に手を当てて何か思い出したようにこう言いました。
「書斎の扉の鍵を開けようとしているメイドが居たとノア様は言っていたわ。彼女がその鍵を落として拾ったとも」エリオットは彼女の言葉にふと、リーフウッド男爵家のルイスの死体を入れたクローゼットの中を狂気的な表情で見つめていたアイラというメイドのことを思い出しました。
「確かに、俺がリーフウッド男爵家の部屋に居た時、メイドが一人居たな。あいつは俺にルイスの死体をクローゼットの中に隠させた後、ルイスの懐から封筒を引き抜いて書斎の扉を開けようとしたのかもしれない」エリオットは記憶を頼りに冷静にそう言いました。
「ノア様は、私が宝物庫に来た時既にそこに居て本を読んでいた、それで私が書斎の扉の前に立つ姿をまた見かけて、私に声を掛けてきたの。彼が居たのがただの偶然なのか、何なのかはわからないけど」グレイシアがそう言い終わったとき、エリオットはすかさずこう言いました。
「それで、あいつはお前に封筒の中の手紙を渡しただけか」彼がそう口にした時、グレイシアは顔を曇らせ立ち止まりました。
エリオットも彼女の方を横目みてすぐに立ち止まり、彼女の言葉に耳を傾けました。
「ねえ、信じられないかもしれないけど聞いてほしい。ノア様はその手紙を私に見せてこう言ったの、これが欲しければ自分と婚約してほしいって。私は‥‥・それに応じたわ」エリオットはあまりにも衝撃的なグレイシアの言葉に耳を疑いました。
ですが、彼女がこんなタイミングで冗談を言うタイプではないことは分かっていましたし、あのステージ上で目にしたノアはグレイシアに好意を抱いているようにも見えましたから、
思わず眉をひそめて黙りました。しばらく彼は何も言わずに黙っていましたが、やがて口を開き小さく呟きました。「交渉みたいだな」グレイシアはすかさずこう言いました。
「私は‥どうしても、封筒を手に入れて真実が知りたかった。だから口約束にすぎないその条件を受け入れても問題ないと思った。最終的に婚約相手と言うものは全て親が決めるものだと知っていたから」グレイシアは冷静な表情でそう言いました。そんな彼女の態度にエリオットは呆れたような顔をしてこう言いました。
「お前は意外と雑な理由で婚約するんだな」そして彼はグレイシアに鋭い視線を向けてこう言いました。
「でもノアの父親はどうだか知らねえが、少なくともノアの奴は、リリィじゃなくてリリィの振りをしたお前と婚約したいんだろ?」彼女はエリオットのそんな追及に動じることなく冷静にこう言いました。
「だったらなおさら、ノア様のご両親が貴族どころか見ず知らずのこの船に転がり込んできた私との婚約を認めるはずがないわ」エリオットは彼女のあまりの潔さに言葉を失っていましたが、納得したようでした。
そうして二人は長い廊下を抜けて階段を上り、デッキに着きました。
デッキには装飾の施されたランプや火の灯ったキャンドルが沢山あちこちに設置されており、見上げると吸い込まれそうな程の深い青い夜空に無数の星が宝石のように一つ一つ輝きを放っていて、なんといってもとても大きく輝く月が暗い水面をまるで灯台のように照らしていました。
二人は思わずそのまるで絵画のように美しい、幻想的な光景に思わず見入ってしまいました。
晩餐会が終わった後は、恐らくこのデッキは若い男女で盛大に賑わうのだろうとグレイシアは思いました。
それくらいこのデッキはロマンチックな場所へと様変わりしていたのです。
エリオットがルーシャスを追いかけてここに来た際には、少し強い風が吹いていましたが今は収まり心地の良い風が体を梳いていきました。
二人は木製の手すりに手を置き、星空と月明かりに照らされる海面を静かに眺めていました。
「ねえ、エリオット。私も貴方に聞きたいことがあるの」グレイシアは風に髪を靡かせながら隣に居る彼に尋ねました。
「ボイラー室で合流する前、私達はお互い別々に行動していたでしょう?あの時、エリオットは何処へ行っていたの?」彼は吸い込まれそうな程、目の前に広がる深くて暗い海の水面をただ真っすぐに見つめていましたが、自然と気持ちが落ち着いたようでグレイシアにこう言いました。
「お前と別れて廊下を歩いていたら、父さんと会ったんだ。やっぱりジルフォード侯爵の手下になっていた。それから二人で侯爵の部屋に向かった」彼はそう言うと唇を噛み締めました。
グレイシアは内心驚いていましたが、小さく頷くとエリオットの方を見ずに、ただ彼の言葉に耳を傾けることにしました。
「俺の父さんは‥ジルフォード侯爵にずっと利用されていた。儀式のために子供を集めて殺せと命じられ、従わないなら俺を殺すと脅されていたんだ」彼は手すりを強く握りしめ、内に秘めた激しい感情を抑えながらただ前を見つめてそう言いました。
彼の紺色の瞳は徐々に目の前の闇のような海と同じくらい暗い色を帯びていきました。グレイシアは心配そうにそんな彼を見つめ、これ以上聞いて良いか悩みましたが、再び尋ねようとしたところ、エリオットが口を開きました。
「部屋に居た数名の手下達と整列した。ジルフォード卿は俺達の中から他の手下を殺し、お前をこの船に逃がす手助けをした奴をあぶりだし、始末しようとしたんだ。
そこで俺の父さんは、俺の罪を被り死んだ」エリオットは静かにそう言うと、目を固く閉じました。彼の頬には一筋の涙が流れました。グレイシアは胸が張り裂けそうな気持ちになりました。
エリオットと父親との関係は次第に変化していき、彼の父親に対する感情もいつしか悪い方向へと変わっていきました。それでも、エリオットはそんな父のことを探していたのです。
彼はまさか、自分の父親がジルフォード侯爵の手下になっていることなど夢にも思いませんでしたし、再び会えたと思った矢先に父親は逃げたグレイシアを助けた自分の罪を被って亡くなる父親の姿を目撃したのです。
グレイシアは自分とあの時別れた後、彼の身にそんな壮絶なことが起きていたのだとようやく知り、エリオットや、彼の父のアダムのことを思い、胸を痛めました。
「それでも‥俺は父さんにまた会えて嬉しかったよ。憎んでいた気持ちなんて消えた。父さんは俺以外の誰を犠牲にしたとしても、俺だけを守ろうとしてくれたんだってことが、最後に知れて良かった」彼は再び硬く目を閉じて涙を流し切ると、風に髪を靡かせながら、切なげな表情を浮かべてグレイシアの方を横目見ました。
グレイシアも静かに泣いていました。彼女はエリオットの心の痛みを感じ取り、彼の父の死を深く悼み、手を組んで祈りを捧げました。
「父さんは、儀式のために子供達を殺すことに苦しみ続け、そんな自分に耐えられなかったんだと思う。ジルフォード侯爵の部屋に入る前、父さんは俺のために最後まで生きたいと言っていた。
だけど、その時俺は、父さんがこれから何をしようとしているのか薄々勘づいていたんだ。部屋に入る直前に、父さんは俺にこれで楽になれるって呟いていた。
もう、生きることを放棄したがっていたんだよ」彼はそう言うと、再び海面へと目を移しました。
彼はしばらく何も言いませんでしたが、彼がとても感傷的になっていることが、グレイシアに強く伝わりました。二人は何も言わずにただ黙って闇の様に続く薄暗い海を見つめていました。
「あの儀式が…父さんを殺したんだ。ジルフォード侯爵が」彼がそう言いかけた時、急に心に温かい感情が流れていくのを感じました。
それは、グレイシアが後ろからエリオットを優しく抱きしめたからです。彼女は何も言わずにただ、彼の心の痛みが消え去るようにと願いました。
「話してくれてありがとう。辛かったでしょう」彼女がそう囁いたものですから、エリオットはまた涙が零れてしまいそうになり、目を固く閉じました。
「ああ‥お前も辛かっただろ。大切な父親を突然誰かに殺されて、凄くショックだったんじゃないのか」彼が悲しみを堪えたような低い声でそう言うと、グレイシアは頷き、ゆっくりと彼から腕を離し、しばし二人は見つめ合いました。
エリオットは思わず堪えきれなくなり、正面から彼女の体を強く抱きしめました。
グレイシアも彼の背中に腕を回しました。
しばらく二人は満月と星空と深い海に見守られながら抱きしめ合っていました。それからゆっくりとエリオットはグレイシアから腕を離すと、二人は隣同士で再び海を見つめながら話し始めました。
「正直今も目の前に広がっていることが、全て現実だと受け止め切れていないの」グレイシアは弱弱しくそう言いました。
「私、お父さんが殺されて追われる身になってから、自暴自棄になっていたわ。この先どう生きていけばいいかも、どんな目に遭うかもわからない。私なんかもうどうにでもなればいいと思った。それならせめて周りの人だけでも助けようと思った」珍しく彼女が自分の心情を口にしたので、エリオットは注意深くその声に耳を傾けました。
「それでも貴方はこんな私を助けてくれた。それでも私の傍に居てくれた。だからやっと自分のことについて考える勇気が持てたの」彼女はそう言うと、深呼吸をしてからエリオットの方を向き覚悟を決めたようにこう言いました。
「私にはきっと何かがある。そうじゃなきゃ、急に殺されたはずのお父さんがあんな遺書のような手紙を予め用意しているはずが無いし、得体のしれない人達が父を殺してまで私を追う必要もない。
それにこの船で時々頭痛がしてその度に謎の光景が頭に浮かんでくるの。私はそれが…昔の自分の記憶なんじゃないかって思う。
実を言うとね、私はお父さんの、いや私を養子として迎えてくれたベンと会うまでの記憶が無いの。そのことを今まで気にしないふりをしていた。だけど、ルーヴァント岬に来るまでに私はその記憶を全て思い出したい」彼女はしっかりとエリオットを見つめてそう言うと、最後にこう言いました。
「そして、私は突き止めたいの。お父さんを殺し私を追っている人物が一体誰なのかを」エリオットも彼女を見つめて優しく言いました。
「お前は強いな」グレイシアは愛おしそうに見つめて真っすぐにこう言いました。
「貴方が居るからよ」彼女はそう言って微笑を浮かべました。
しかしその瞬間、唐突にエリオットが叫びました。
「誰だ!!」彼はまるで自分達を監視するような視線と人の気配を感じて背後を振り返ったのです。
そこには誰も居ないように感じましたが、彼は神妙な面持ちで辺りを見回していました。「とりあえず部屋に戻りましょうか」グレイシアがそう言ったので、彼は頷き二人はデッキを後にしました。
ヒューバートン男爵家御一行と執事のジェイスは晩餐会の会場へととっくに向かっておりましたから、部屋に居たメアリーが再びドアを開けてくれました。
「お二人とも何処へ行かれていたんですか?心配しましたよ」メアリーがそうすぐにそう言ったので、グレイシアは夫人には声をかけたが、今までデッキに居たと伝えました。
デッキからは美しい星空が一望出来たことを彼女に伝えると、メアリーは目を輝かせて言いました。
「まあ!星空の輝くデッキなんて、とてもロマンチックですね!」彼女はまるで少女のように手を組み、目を輝かせながらそう言いました。
彼女は二人にソファーに座るよう促すと、スコーンやミートパイ、ケーキなどが沢山乗った平皿を数枚持って現れました。
二人は大人しくソファーに座って待っておりましたが、美味しそうな食べ物が目の前に現れた瞬間、物凄くお腹が減ってきました。
二人は目を輝かせながら、平皿の上をまじまじと見つめていました。
「ふふ、ローラ様とルーシャス様が私とリリィ様の為に先程、厨房になんとか頼んで、軽食の残りを持ってきてくれたのです。貴方達もよかったらいかがですか?」メアリーはそう言いながら、ワインとミルクの入ったポットとカップを大変そうに持ってきたものですから、二人は慌てて彼女を手伝いました。
グレイシアとエリオットは先ほどの舞踏会でこれらの軽食を食べそこねておりましたし、晩餐会には出席しませんからこのクルーズでも食事にありつくことが出来ないと思っていました。
二人はとても喜びメアリーに感謝すると、それらを手に取り食べ始めました。二人はとても美味しそうにスコーンやケーキを口に運びました。メアリーは黙って二人を眺めながら微笑んでいました。
「メアリーさんは頂かないんですか?」グレイシアは思わずそう尋ねました。
すると彼女は節度を守るように、首を振ってこう言いました。「ええ、私はメイドですから」それ聞くや否や、エリオットは余ったカップにワインを注ぎ、皿を新しく取り、パンやスコーンを盛り付けてメアリーに差し出しました。
彼女は少し驚いたような顔をしてそれを受け取ると微笑みました。そうして三人は話をしながら食事を堪能していました。
メアリーの話を聞くところによると、どうやら彼女はジェイスとは違い、老体であることや貴族の主人が数日不在になるため屋敷の留守番をすることになっていました。
しかし、リリィとローラがどうしても彼女を連れてきてほしいと屋敷を出る当日までせがんだ為、ここへ来ることになったのです。
そんなこともあってか、彼女はグレイシアとエリオットの帰りをずっとこの部屋で待っていたようでした。メアリーは二人が食事を食べ終えたのを見計らって片付けを始めたものですから、二人も彼女の片付けを手伝いました。
三人は、食器達を船内の厨房に持っていこうとしたところ、廊下でジルフォード侯爵の手下と運よく鉢合わせました。彼はかしこまったように会釈してこう言いました。
「お片づけはこの私にお任せください。何かご要望がございましたらお申し付けください」彼がそう言ったので、メアリーは喜んでこう言いました。
「それなら…温かい紅茶の入ったポットと、布かけを二枚持ってきて下さるかしら。今夜はとても冷えますから」それを聞いた手下はくるりと踵を返して何処かへ行きました。エリオットとグレイシアは野蛮か怠慢なジルフォード卿の手下しか見慣れなかったものですから、礼節を弁えた執事のような手下もいるのだと少し驚きました。
夜も深まり、晩餐会ですっかり客室周辺は静まり返っていました。
そんな中、メアリーとグレイシア、エリオットの3人は優雅に紅茶を飲みながら、ソファーに座りくつろいでいました。すると、グレイシアがメアリーにふと改まった様子で、慎重にこう尋ねました。
「メアリーさん、貴方にお聞きしたいことがあります。確か、今この国は貴族が政治を行っている公国ですよね。でも、昔は王国だった。その当時のお話を聞かせてもらえませんか?」メアリーは驚き、目を泳がせました。
今まで他愛もないお話をしていたのに、急にデリケートな話題をふられて、メアリーは話すかどうか迷いました。
ですが、うっかり今まで口を滑らせてしまったのも自分の失態でありました。
そしてそれ以上に、ここに居るグレイシアとエリオットにはこの真実を打ち明けてみたいという気分になり、メアリーはゆっくりと頷いてから、遠い目をしてこう話し始めました。
「このルーヴァント公国は、昔はルフィールド家という王族によって、長い間治められていました。
初代のルーファス・ルフィールド、王国最後の王はアンドレア女王と言い、彼女は若い女王でしたが貴族達をまとめ上げ、統制する能力に長けていました。
ルフィールドの血を引く王族は素晴らしいある力を持っていたからです」メアリーはそう言って、カップに入った紅茶をすすりました。
グレイシアはごくりと息を呑み、彼女に再び慎重に尋ねました。
「それは一体、どんな力なのですか?」メアリーは本当に何一つ知らないグレイシアとエリオットに、詳しく話すか迷いましたが、再び重い口を開きました。
「まさに、魔法の様な力です。災害が起きた時には崩壊した場所を元通りにし、感染病が流行った時は、その病に罹った者達を一瞬で回復させ、他国との戦争で重傷を負った騎士達の傷を一瞬で治しました」グレイシアとエリオットは思わず耳を疑いました。そんな人間の通常の力では発揮出来るとは思えない魔法や神の様な力を本当に持っていたとは想像がつかなかったからです。
魔法に関する書物や儀式、逸話などは有名なものはグレイシアも本やベンの話伝いに知っていました。深い森に住む魔術師や妖精たちに関する物語を読んでは物思いに耽っていたからです。
しかし、グレイシアはかつてのルーヴァント王国の女王が魔法使いだったという話や具体的な逸話は聞いたことがありませんでした。
ただ、アンドレア女王は、大変立派で王国の為に素晴らしい力を持って尽くしたとベンは言っておりましたから、グレイシアはてっきりそんな超自然的な力ではなく、王としての素質があり指導力や統制力に長けた人物なのだとばかり思っていました。
「女王が居たのは知っているけど、俺達が幼い頃に亡くなったからあまり王国については知りませんでした。噂話は聞いたことあるけど、直接教えてくれる身近な奴もいなかったし、見たこともない」エリオットは困惑した表情でそう言いました。
彼にとっては、そんな力を持つものが現実として存在し、自らの居た環境も相まってか、国民の為に自らの力をふるう素晴らしい女王が居たとは実感が何一つ湧いていないようでした。
「お目にかかることが難しいお方ですからね。何か機会があれば別ですが、王室に招待されるのは上流階級の者ですし、ルーヴァントという中心都市に住めば式典でお会いできますが‥旦那様でさえ招待状を得て、城に出向き謁見しない限りは会うことすらできません」メアリーはそう言って物憂げな顔をしました。
「第一、ヴァンチェスター公爵がこの国を統べるようになってからは、反乱が起きぬよう貴族の間だけでなく、国民たちの間にさえ情報の規制が行われていましたからね」メアリーはそう言うと再び困ったように眉をひそめてこう言いました。
「私は、大きな声では言えませんが、まるで彼女が‥王族が居なかったように振舞う今の社会がとても嫌いです。だって、貴族や幾つもの団体が女王の力を奪い、独占しようとしました。
でもアンドレア女王は賄賂や目先の利益には一切揺れ動かず、全て国民の為だけにその力を使いましたから。
本当に素晴らしい女王でした。私は彼女を敬愛していた国民の一人です」メアリーが真剣な表情で熱のこもった口調でそう言いました。
そんな彼女に、エリオットがすかさず尋ねました。「そんな魔法のような力があったなら、どうして女王は亡くなったんですか?」彼の言葉に、ドキッとしたメアリーはいつの間にかいつもの優しくほんわかとした雰囲気は消え、皺の入った手でフリルの付いたエプロンを握りしめました。
彼女の皺の刻まれた頬に目をひそめ、彼女が生きてきた長い月日を振り返っている様でした。
彼女は再び口を開きました。「アンドレア女王は城で起きた大きな火事で亡くなってしまったのです。そして長きに渡るルーヴァント王朝が消滅しました」彼女は静かにそう言いました。エリオットとグレイシアは思わず納得のいかない表情でメアリーを見つめました。
その火事から女王は絶対に逃れられない状況だったのでしょうか。または力を使うことが出来ない理由でもあったのでしょうか。
二人は立て続けにメアリーに聞きたくなりましたが、メアリーは目の奥底に静かな悲しみを宿している様でしたから、これ以上詮索する気にもなれませんでした。
「どうしてそんな火事が急に起きてしまったのか、原因は分かりませんでした。ですが、政治というもの誰かが行わなければなりません。
それからは王族に最も近しい存在であるヴァンチェスター公爵が政治の実権を握り、王政は急に幕を閉じたのです。丁度、彼女の命日が昨日の晩でした。
きっとジルフォード侯爵も彼女の命日のことを考えて、かつて王族の住んでいた城のあるルーヴァント岬までのクルーズを考案したのでしょうね」メアリーはひとしきりそう言うと、ショックを受けた過去が蘇って来たのか、小さくため息をついてからすっかり冷え切った紅茶を飲みました。
「何故城で火事が何故起きたのか、すなわち王族の‥彼女の死因について探求することはこの貴族社会に影響を及ぼしかねないとされてきましたがね、私は全く腑に落ちないのですよ。敬愛するアンドレア女王を失った悲しみはそんな謎を残したままであれば、消えることはありませんから」彼女はそう言って、カップとソーサーを手にしたまま、どんよりとした暗い表情を浮かべました。
グレイシアとエリオットはバツが悪い気分になり、無理に話させてしまったかもしれないと少し後悔しました。話したところで、実際自分たちが過去を変えること等出来ませんし、ましてやこんなにも朗らかで愛情深い彼女に話したくないことを話させ、辛い記憶を思い出させてしまったと思ったからです。
二人は、喉は潤っていましたがおずおずと冷めた紅茶を口にして気まずそうに黙りました。
グレイシアが謝罪の言葉を口にしようとしたその時、メアリーが勢いよくティーカップとソーサーをテーブルに置きました。その仕草に驚いた二人はメアリーの方を向くと、彼女は真剣な表情で彼らを交互に目にしてからこう言いました。
「これから、私が話すことはただの憶測にすぎません、決して他の誰かに言ってはなりませんよ」彼女が突然、忠告するような言葉を口にするものですから、グレイシアとエリオットは思わず息を呑みました。
メアリーは声を潜めてまるで何かからの脅威から隠れるように、そう言いました。
良いお年を




