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Mに捧ぐ  作者: Sytry
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第6章

「だから、俺は何も!」

 萩沼が大声を上げようとしたから、私は彼の口を塞いだ。

「ここはマンションですが、別に“ご近所迷惑”が理由じゃありません。あなたがつけている手錠。ある一定以上の音量を感知すると、刃が出る仕組みになっているんです」

 私は萩沼の口から手を離し、耳元で囁いた。

「あんまり大きい声出すと、両手首が切断されますよ?」

 萩沼の顔から滝のように汗が吹き出た。

 ライターの爆弾から、私がこの程度のものは簡単に作れると分かっているのだろう。

「部屋に張り巡らされた針金にも注意してください。指先が触れるだけで感電死します。あと入口のドアノブも、私や今後ろに立っている頼中さんが触る分には反応しませんが、あなたが触ると致死量の電気が流れますので、ご注意を」

 完全に怯え切ってしまったのか、萩沼は失禁し、小さく首を横に振りながら震えた。

 そんな萩沼に私は、親切に排泄場所を用意してあると教えてあげた。

「あまり怯えないでください。私はあなたに痛い拷問をする気はありません。痛さは慣れてしまいますし、虚偽の自白を誘発する危険があります。だから私は、あなたに“同担”になって欲しいんです」

「同担……?」

「そう、それがあなたへの拷問です」

 訳が分からないという顔をした後、萩沼は恐怖で叫び出しそうなのを必死で堪えるように口をパクパクとさせて「違う、違う」と繰り返した。

「俺は闇バイトで……ほら、SNSとかで、よく募ってる金のいいバイト。それで、応募して雇われただけで、本当に何も知らないんだ」

「知らない、ことはないでしょう。だって、萩沼さんも現場にいたんですから」

 萩沼は壊れたように首を横に振った。

 感情豊かな人だな、と私はどこか遠くから見るように思った。

「いたって言っても、俺は部屋の前で見張りをしてただけなんだ。あんたの夫は、あんたの見張り……実行したのは、もうひとりの赤い髪の男で……そいつは名前も知らない、ほんと、嘘じゃない!」

 赤い髪の男……?

 少年からもらった写真にも、確かひとり髪を赤く染めた男がいた。

 顔ははっきりとは映っていなかったが、その男が蒼空を……

「犯行現場に戻ってきたのはなぜだ? 如月さんを殺すつもりだったのか?」

 頼中が質問する。

「まさか! 俺は何か証拠を残していないか、とにかく不安で、確かめに来たんだ。そしたら、俺達の犯行のことを話していたから、咄嗟というか……口封じに殺さないとって思って」

 嘘が混じっている、とすぐに分かった。

 だが、それを指摘しても、真実を吐くとは思えない。

 私は萩沼にテレビに繋がっているヘッドホンを付けた。

「ママ友の間では、娘は母親にとって友達かライバルになる……と言う話があるんです。では息子はどうなるのか? みなさん、口を揃えて“アイドル”だと言うんですよ。生む前は、くだらない、と思ってましたが、いざ自分が母親になると、蒼空は本当に私のアイドルで、推しになったんです。親バカで笑っちゃいますよね」

 リモコンのスイッチを押すと、テレビには蒼空を映した映像が流された。

 ヘッドホンからは大音量で声も流れているだろう。

「だからあなたには私の推し……蒼空の同担になって欲しいんです。そうしたら蒼空に関する情報も、自然と話す気になるでしょう。痛みを与える拷問より、よほど信頼の出来る情報です。って、聞こえてません?」

 ヘッドホンは特殊な作りになっていて、自分では外すことが出来ない。目を閉じると、ヘッドホンから強さがランダムの電流が流れる仕組みになっている。さらに張り巡らされた針金の配置から、萩沼はどこへ行ってもテレビが視界に入る。

 つまり、この部屋にいる限り、萩沼は強制的にテレビを鑑賞することになる。

「お、俺は逃げる時、こ、このガキの死体を見たんだ。首の骨が折れていて、血、血が……」

 叫びたくても叫べない。

 だって、手首が切れてしまうから。

「では、しばらくお楽しみ下さい」

 私は頼中と部屋を出ようとした。

「殺されるぞ。お前」

 萩沼が私に言った。

「こんなことをしたら、お前はいつか必ず“熾天使してんし”様に殺される。復讐なんてみみっちぃことする前にお前は……」

「黙れ、ゲス」

 頼中が不快そうに言って、萩沼の背中を蹴った。

 部屋を出て、リビングに入ると、頼中が言った。

「萩沼の良心を刺激し、罪悪感から自白を促すんだね。物理的な痛みより、遥かに苦しくて惨いやり方だ」

「何のこと? 私はただ、彼に心から反省して欲しいだけよ」

「きっとその前に、萩沼は廃人になる」

「それならそれで。彼からこれ以上の情報はあまり期待してないから」

 とはいえ、萩沼の話からは気になる点があった。彼の発言にはいくつかの矛盾点がある。

 それを解いていけば、価値のある情報が組み立てられるかもしれない。

 だが、今はそれよりも確認すべきことがあった。

「頼中さん、彼の言っていた熾天使って誰?」

 私の質問に頼中は「そういえば、まだ話していなかったね」と前置きして答えた。

「Mの一番のパトロンで右腕的存在と言われている男だよ。Mが狙った男の情報は全て彼が調べ上げてる。かなりの情報通で、日本中の監視カメラの情報が頭に入ってるって噂もあるくらい。Mは気に入った男を天使と呼ぶことがあるそうだけど、その“最高位”として、熾天使と呼ばれている。ただ、誰もその姿を見たことがない。都市伝説のような存在だよ」

 熾天使……たしか天使の階級で最高位を指す言葉。燃えるような赤い翼を持ち、神に最も近い存在とされる。

「Mが特別視するほどの情報通。実在するとしたら少し厄介ね」

「僕は本当にいると思うよ。Mと彼は、他のパパやパトロンとは違う、特別な関係にあるという噂もあるし」

「特別な関係?」

「Mは基本的に誰とも寝ないんだ。けれど熾天使とは1度だけ……」

「……意外ね。もっとヤリマンだと思ってた」


 1週間が過ぎた。

 私は頼中が手に入れてくれる材料で、人を殺傷する武器を作っている。

 あれから萩沼からは特に情報を引き出せていない。

 萩沼のスマホもロックを解除して中身を調べてみたが、Mに関する有力な情報はなかった。萩沼を監禁して以来、スマホに連絡してくる者もいない。ただ、これから萩沼やMの仲間が彼を探してメールや電話で接触してくる可能性は否定出来なかった。

 そうなれば、偶然、萩沼のスマホを拾った一般人、という設定にして、情報を引き出すことが出来るかもしれない。

 望みは薄いが、一応、スマホの充電がなくならないようにし、ポケットに入れ、来るかも分からない誰かからの連絡を待つことにした。

 監禁している部屋からは、時々萩沼の泣き声が聞こえてくる。かなり精神的に追い詰められているだろう。

 萩沼の発言に感じた違和感。

 まず1つは、闇バイトで雇われた自分は、何も知らない、と言いながら、Mや熾天使のことを口にした点だ。

 おそらく萩沼はただのバイトではない。Mと何らかの関係にはあるのだろう。

 パパ活、というほどお金はなさそうだから、若いMの遊び相手、といったところか。

 もう1つ。これが最も気がかりな点だ。

 萩沼の理屈なら、私より先に、例の少年を殺すべきではなかったのだろうか。

 少年にも犯行のことは知られている。けれど、彼のことはおそらく、意図的に見逃している。

 独断……? いや、Mか熾天使の命令か。

 それとも……少年はM側の人間?

 裏切り? なら、なぜ意図的に見逃す……?

「少年の存在は気がかりだ。だが、この問題の解決は、再び少年が私に接触するのを待つしかない気がする」

 それより、萩沼をこれからどうするかだ。

 これ以上、有力な情報は引き出せそうにない。

「罪悪感という苦しみは味わいつくしただろうし、そろそろ、命を有効活用させてもらおうか……」

 私は開発中の爆弾を持ち、萩沼の部屋へと向かった。

 どれくらいの威力で人を殺すことが出来るのか。体の部位だけを切断するには、どれほどの火薬が必要なのか。

 復讐のためには、人間に対する威力の調整が必要だった。

 計算式で導くことも出来るが、細かい部分は、やはり人体実験が一番だろう。

「それが萩沼快直の……命の有効活用」

 しかし、部屋のドアの前に立った時だった。

 また左手を誰かに引かれる感覚がした。それも、今度は前回よりも強く。

「痣……」

 左手を見ると、痣ができていた。人の指のような痕がくっきりと残っている。

「おい、いるんだろそこに。耳は塞がれてても、気配で分かるぞ……」

 ドア越しに萩沼が掠れた声で言った。

「お前のクソガキのことを好きになれって? はは、ふざけんな。こんなお前に似て頭の悪そうなガキ、誰も好きになるわけねぇだろ。俺が心を痛めて苦しむとでも思ったか? 甘いんだよ。汚いガキがひとり死んだところで、俺は何とも思わねぇよ」

 挑発だと分かっていても、心が憎しみで揺れてしまう。

 落ち着け。こんなのは死を前にした害虫の戯言だ。

「Mは一日で3億稼いだことあるんだってよ。すげえよなぁ。お前のガキが大人になったとしても、どうせ社会的には無価値で、何の生産性もない無能になっただろうよ。一生働いてもMの一日分も稼げない。そんなガキが、Mのために死ねたんなら、それはむしろ社会貢献ってやつだろ。良かったな。息子が立派な死を遂げて。母親ならもっと誇れよ。なぁ? 誇れよ、おばさん」

 ボトッ、ボトッ、と目から赤黒い血が流れ落ちた。

 ……殺す。殺してやる。

 それなのに、左手を誰かに引っ張られて、前へ進めない。

 その時、私の代わりにお風呂掃除をしていた頼中が異変に気づいて走って来た。

 「とにかく冷静になろう」と頼中に連れられ、武器を作成していた部屋に戻った。

「人を傷つけたり、殺そうとしたりすると、誰かが左手を引いて、止めようとするの。こんな風に、痣ができるほどに強く」

 私はまだ痣が残っている左手を見せた。

「聞いたことがある。人は強い感情を抱くと、それが痣となって皮膚に現れることがあると。きっと良心の呵責だ。君の心が、君を止めようとしているんだよ」

「違う。私を止めるのは、良心と呼べるものではない」

「それなら、一体?」

「私の父は……殺人を犯したの」

 頼中に初めて明かした。夫にすら黙っていた、私の過去を。

 頼中は一瞬、目を見開いて驚いたが、その後はどこか悲しげな顔で私を見ていた。

「そんなことと思うかもしれないけど、私は、普通の家族の一員として生き、当たり前の幸せを享受することに、強く憧れてきた。父が殺人を犯してから、私の人生は普通とは程遠く、幸せとは、とても呼べなかったから。殺人を犯した父とは違う人生を生きたかった。冷酷な父の血を継ぎ『父と似ている』なんて言われる自分にはなりたくなかった」

 頼中は私の左手を優しく握り、私の心に寄り添うように、痣を見つめた。

「幸せになりたいというのは、誰しもが願っていることだよ。取り返しのつかない罪を犯してしまえば、君はずっと憧れてきた幸せを手に入れることが出来なくなるかもしれない。その想いが強い拒否反応となって、痣ができるほど君を止めているんだね」

 復讐をしたい、というには、頼中はあまりにも優し過ぎる目をしている。

 続く言葉もまた、誰かの痛みを自分のことのように感じ、心を痛めてきた人にしか込められない想いが伝わってきた。

「普通の家族。当たり前の幸せ。僕にはそれが君にとってどれほど尊いものか分かるよ。警察官として、何組もの加害者家族を見てきた。あれはとても……僕なら耐えられない。他者からは偏見や差別に苦しみ、自らも家族が罪を犯したという罪悪感や、自分は止めるべき立場にいたのではないか? という後悔に打ちひしがれる。……そして加害者の子どもなら、親と同じ血を継ぐ自分が、同じ罪を犯してしまうかもしれない、と強い恐怖に苛まれることだってある。……そんな地獄のような痛みに耐えてきた君が、復讐のためとはいえ、罪を犯すことを躊躇うのは、仕方のないことだと僕は思うよ」

「……その想いが、今は邪魔なの」

 頼中の握る手を静かに払い、リビングへと向かった。

 蒼空のお仏壇から口紅を取ると、ベタベタと塗って、私はまた、口裂け女となった。

 この姿なら、“あいつとの契約”も躊躇なく出来る。

 それからキッチンで包丁を手に取ると、作業部屋へと戻った。

「何を……する気だい?」

 頼中が見守る中、私は左肘から少し離れた箇所に包丁を突き立てた。

 えぐる。血が溢れ、刃を赤く染める。鋭い痛みが、全身を痙攣させるように走る。

「な、なんてことを!」

「黙って見てろ」

 ある程度えぐった後、私は試作品のマイクロチップ型の爆弾を傷口に詰めた。

 そして針と糸を使い、傷口を縫う。ひと針縫うごとに、腕が引き千切れるほどの痛みが走り、呼吸を荒らげた。

 作業が終わり、糸を切った。頼中は立ったまま気絶したような顔をしていた。

「これは私の指紋を検出すると爆発する仕組みになっている」

 呼吸を荒らげながら、私は血だらけになった左腕をかかげた。

「私は、私に契約する。次に動かなくなったら、その瞬間に左腕を爆破し切断する。ただし、それは左腕に限らない。動かなくなった部位全て……頭以外は、その瞬間に切断する。それが嫌なら……」

 私は私の心に向けて、無意識に向けて、誓約した。

「理想は捨てろ。二度と私の復讐の邪魔をするな……」

 頼中は立っていられなくなったのか、腰から砕け落ち、倒れた。

「君はどうかしてるよ。仲間の僕でさえ、君のことが……」

 言いかけて、頼中は言葉を飲み込んだ。

「あいつが……Mが私をおかしくした……とは言わない。ただMが、私の本性を剥き出しにした」

 無意識への働きかけが上手くいったのか、腕を誰かに引かれることはなく、萩沼を監禁している部屋のドアを開けた。

「これで問題なく人体実験が出来る。あのクズの命を、有効活用させてもらう」

 しかし、私の足は止まった。

 誰かに腕を引かれた訳じゃない。唐突に音楽が聞こえてきたからだ。

 女性ボーカルが歌う、明るくポップな曲調。確か最近流行りのアニメの主題歌だった気がする。

 先程、皮膚を縫って血が滴り落ちる左手が、音楽のするポケットへと向かった。

 萩沼のスマホだ。画面には「非通知設定」という文字。

 あらゆる可能性が私の脳裏を過った。

 電話のマークをスライドし、耳に当てる。

 その声を聞いた瞬間、私は、世界から音が消えたように感じた。

 それは、一番、会いたくて──

 一番、聞きたくなかった声だった。

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