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3.ささやかに穏やか

 さっきのは夢だったのだろうか。

 レガリアが運転する高級車に揺られながら、猛スピードで流れていく景色を眺めながら、ヴォイドは現実逃避としてそんなことを思っていた。だって夢だと信じたいんだもの。都合の悪い物事は全部夢で現実ではないとシャットアウトしたいんだもの。それに、あのレガリアだし。『侵略種』と恐れられた、あの氷のような女が上司にフリフリロリータ着てくださいなんて言うわけないじゃん。うん、きっとそう。悪い夢。もうそういうことにしといてくれよ。お願いだから。

 とりあえず。

 ヴォイドはレガリアに連れられて、車に乗っていた。『いかのおすし』における『の』、すなわち『乗らない』をめちゃくちゃに破っているわけだが、まあ知り合いの車だしいいだろう。実際は保護者の許可がないとダメらしいけど、『今』の自分、ヴォイドに保護者と呼べる存在はいないから。うんうん、問題なし。

 科学とはかように便利だ。

 一端の魔法使いが飛行魔法と強化魔法を駆使してなんとか出せるであろうスピードを、平然とした顔で魔力のない人間でも出せる。なかなかにびっくり技術である。才能があろうがなかろうが、誰でも一定の年齢と試験をパスすれば乗れる。

 科学とは平均的な力であると思う。

 平等に、残酷なまでに平等に、科学は人を選ばない。レガリアだって車の仕組みなんて理解していないだろうが、それでも運転できている。アクセル、ブレーキ、それからなんだ? とにかく操作方法さえ理解すればいいのだ。エンジンの仕組みなんぞわからなくとも、残虐なまでに簡単に使えてしまう。

 例えば。

 レガリアを殺し、この車を無理やり乗っ取って、ヴォイドが人混みに突っ込めば、たくさんの人が死ぬ。

 人を選ばない、と言うのは一種の残酷さを孕むのである。少しだけ頭のネジが外れた輩が『あ、殺してしまいたい』と思えば、多種多様な科学が歓喜し出迎える。車で突っ込むなんてのはただの一例で、例えばそこらへんの洗剤を使って毒薬を作り給食に混ぜたら子供が死ぬ。灯油を買いライターで火をつけ逃げれば大火事になる。電話口の相手が本当に知り合いなのかなんて確証はない。インターネットで取引できるのは何も生活雑貨や食品、娯楽品だけではないし、相互監視型社会となった今、個人情報なぞ公然の秘密である。

 魔法は才能と努力と資格がなきゃ使えない、まさに選ばれし者の力だが、しかしそれば抑止力にもなるのだ。そりゃ魔法の女神様とやらに愛されてしまったヴォイドが言える事じゃないかもしれないけど、それでも。才能がなけりゃどうしようもないのが魔法だ。一朝一夕で習得できるものではない。どこまでも残酷に格差をつけるのが、魔法。優劣をつけて、格差を生んで。秀才と呼ばれる者の裏には、たくさんの愚か者が並んでいる。それが魔法。誰かが指先一つで転生するのに対し、かすり傷ひとつ治せない者がいるのも、また事実。

 どちらがいいかなんて知らないし興味もない。ただ、便利すぎるのも考えものである。


「ヴォイド様」


「……んあ?」


 唐突に話しかけられてくっだらねえ思考が止まり、素っ頓狂な声が漏れた。視線を運転席に移動させる。


「寝ていらしたので?」


「いや、考え事。で、なんだ」


「これから、どうなさるおつもりなのかと思いまして」


「……これから」


 一ミリも考えていなかった。

 だって、今現在は目標もクソもないわけだし。この世界のことはもっと知りたいとは思うけど、それだって積極的には思えない。ヴォイドは空っぽだから、永遠に受け身だ。ヴォイドは空虚だから、永遠に奥手だ。それがヴォイドだ。

 いやまあ、自分から動かないと決定されたわけではないけどさ。


「レガリア」


「なんでしょう」


「レガリアは何をしている?」


「車を運転しています。ちなみに車種はメルセデス・ベンツのマイバッハです。値段はざっと──」


「ンなことが聞きたいわけじゃあない。この世界で、貴様は何をしてきたのか聞いているんだ」


「ああ、そう言うことですか」


 レガリアは淡々と、なんの感慨もなく己を語る。


「今は服飾会社の代表取締役をしています。乗っ取りました」


「……誰を」


「『前』の自分を、です。正しくは、服屋証拠(ふくやしょうこ)という女性ですね。なかなか有能な人物だったそうです」


「いつ頃乗っ取ったんだ」


「およそ三年前です。服屋証拠が取締役になった瞬間に乗っ取りました」


「ひどいな」


「ええ、ひどいです」


「貴様のことだ」


 レガリアは日常会話の延長線。まさになんてことないように。


「服屋証拠を構成する魂にワタクシがいて、取締役になった瞬間に目覚めてしまっただけですよ。事故と言っても過言じゃありません」


 いけしゃあしゃあとそう宣った。

 まあ、それが普通だ。服屋証拠とか言う女性は運がなかったのだ。生まれついた時から、そうなると決まってしまっていた。レガリア・S・ファルサというどこまでも自己中な一個体が乗っ取ってしまうのだと、そう運命付けられていた。


「いやはや、驚きましたよ。服屋証拠の顔、ワタクシにそっくりでしたもん。だからこの体も思考も、ワタクシのモノでしょう?」


「……はあ」


「ぜんぶ、ワタクシのモノです」


 上機嫌に、なんなら鼻歌を歌い出しそうなレガリアは微笑む。納得できない論理だが、レガリアにとっては真理で常識で、当たり前なのだろう。根っこの考え方だ。物の見方だ。それが当たり前だと定義づけて生きてきたから、それ以外の生き方を知らないし知ろうとも思わない。服屋証拠が若くして有名ブランドの取締役に上り詰めた天才だろうが、夢見た場所に立つために血の滲むような努力をしていようが、どうでもいいのだ。全てはレガリア・S・ファルサのためにあると、信じて疑っていない。


「悍ましいな」


「ヴォイド様ほどではないですよ」


「比べないでくれ」


「失敬。……それで、今後はどうなされるおつもりなのですか?」


 話が振り出しに戻った。

 そう、それを考えなければ始まらない。かといって考えるのは面倒だ。受け身で生きていきたいヴォイドにとってはまさしく面倒事である。


「レガリアが考えてくれ。レガリアは余にどうしてもらいたい。どういう余が見たい。転生して気分がいいんだ。叶えてやる」


「はあ、詭弁ですね」


 不敬に不躾にレガリアが呟き、それから少しだけ沈黙する。しばらく何も聞こえなくなる。

 ひたすら夜景を眺めていたヴォイドに、赤信号のライトに照らされたレガリアが答えた。


「とりあえず、ワタクシの住居にてゆっくりおやすみになられては?」



 ……



「着てください!」


 夢じゃなかったみたいだ。

 車に揺られること数十分。レガリアの住処だと紹介されたのはタワマンだった。都心に建てられた、一等大きなタワマン。その最上階。いくらするのか考えたくもない。とにかく豪奢で豪華で絢爛で華麗。これは服屋証拠の趣味なのだろうか? いや、レガリアか。この贅を尽くした、己の財力を誇示するような、そんな成金趣味はレガリアだろう。

 さて、現在。

 ヴォイドは疲れ切った顔で、答える。夢だと思い込んでいた現実に向き合う。


「……やだ」


「ぜひ! 一度でいいので! 先っちょだけでいいので!」


「先っちょも何もないだろうが。何を言っているんだ」


「これが終わったら不敬罪で首を刎ねていただいて構いません! さあ! どうぞ!」


「なぜこれにそこまでの熱意を捧げられる……?」


 だだっ広いクローゼットの中。

 もう人一人ぐらい住めるんじゃねえのかなあと思ってしまうほど広い部屋は、可愛らしい服飾類で埋まっていた。まさかのクローゼットだった。服にてんで興味がないヴォイドは知ったこっちゃないかもしれないが、実は根城にしていた、最後は棺桶となった己の城──魔王城にはこれの三倍はあるであろう衣装部屋があったりする。知るよしもないから無駄な情報かもしれないが。

 とにかく、二人はレガリア宅の衣装部屋にいるのだ。鉄仮面なんて揶揄されるその美貌を崩して煮込んでレンチンしたみたいな顔つきになっているレガリアと、フリフリキュートなロリータを押し付けられているヴォイドがいるのだ。

 着替えはいるよな、とは思っていた。

 いつまでも血塗れズタボロ自殺失敗者の服でいるわけにもいかないし、そもそも靴がない。どこかしらで調達する必要があるとは思っていた。レガリアがいなければテキトーにそこらへんの人間を襲って財布を強奪していたかもしれない。ヴォイドの思考回路は物騒の二文字で完璧に表せられる。

 しかし、いくらなんでも。

 ヴォイドは男である。れっきとした男である。千年男をやっていたのだから、男である。此度は無垢な少女になってしまっているうえに、服に興味がないのはそうだが、それでも。

 こう……フリフリでふわふわでザ・ピンク! な服は、いかがなものだろうか……?

 本能的に、というか。長年培ってきた男としてのプライドみたいな何かがヴォイドを必死に引き止める。そこの一線超えたらもう戻れなくなっちゃうよ。戻れないってどこにだと思いつつ、ヴォイドはレガリアの表情を観察した。

 ……雨の中捨てられた子犬みたいな顔をしていた。


「ワタクシはただ、ヴォイド様にお美しい衣服を捧げたいだけなのですが……」


「いや、でも、デザインが」


「今のヴォイド様に最も似合う最高のデザインですよ?」


「……まだ自分の顔を確認していないのだが」


「ちょーかわいいです」


「どのくらい?」


「AKB48ぐらい」


「例えが古いな」


 てか一流アイドルでもこんなフリフリ着るのだろうか? 『前』の自分があまりアイドルというものに詳しくなかったせいでよくわからないが、それでもこんな服は着ていなかったはずだ。

 ……あー、だめだ。

 うまく思考が回らない。

 そもそもの話。『前』の自分が飛び降り自殺の失敗者であることを忘れてはいけない。全身の骨は折れまくり、内臓は損傷し、出血多量の死にかけだったのである。傷は魔法で治したから、もう痛むところはどこもないけれど、それでも流され土に吸い込まれた血は戻ってこない。ヴォイドは絶賛貧血中だ。

 だから、レガリアにだっこされないと歩けなかった。部下に醜態を晒してしまわねば、移動もままならなかった。


「うへー……なんかもうそれでいい」


「おや、諦めがお早いことで。長所ですね」


「舐めてるか?」


「いいえ、ちっとも」


 視界が揺れる。思わずレガリアに向かって倒れ込む。


「……では、とりあえず明日にしましょうか。お体の調子が戻ってから、ということで」


「うー……体だけ洗いたい……」


「おや、浄化魔法はお使いになられないのですか?」


「使ったら死ぬ。これでも魔王だ」


「おや、不便ですね。お体だけ拭かせてもらいますが、よろしいでしょうか」


「どうでもいい……疲れた」


 今すぐにでも落ちそうになる意識をなんとか留めつつ、ヴォイドは答える。思考がまとまらなくなっていく。


「お部屋はご用意しておりますので、運ばせていただきますね」


「……ん」


「それとお着替えも。こちらで選んでもよろしいでしょうか」


「……勝手にしてくれ」


「……! ふふふ! 腕がなりますねえ! とびっきり可愛いのを選ばせていただきます!」


 嫌な予感はする。

 するが、それでもどうやって阻止したらいいのかわからない。そもそも阻止しようとも思えない。思考は霧散し意識は漂いどうやっても考えるまでに至らない。

 ヴォイドの意識はストンと落ちた。



 ……



 どうやら自分は柔らかいベッドの上に寝かされているのだと気づくのに三秒ほどかかった。

 瞼を少しだけ開けて、周囲を確認する。くらい。なら、いい。まだ寝る。ヴォイドは一度寝付くとなかなか起きられないタイプである。

 それでも。

 自分が見知らぬ部屋に寝かされているとなったら話は別だ。

 も一度瞼を開け、確認し、やっぱりまだいいやと思って──次の瞬間、見覚えのない場所にいることに気づいて飛び起きた。ご丁寧にかけられていた毛布を蹴っ飛ばし、長くなった髪を抑えて呆然とする。ぐしゃぐしゃになっていた。手櫛でなんとなく整えながら、周囲を確認する。

 だだっ広い部屋である。

 紺色にまとめられた、落ち着いた部屋であった。一人が使うにはどう考えても広い紺色のベッドに、これまた紺色のドレッサー。それとクローゼット。至る所に星の小物が散りばめられていて、部屋の暗さも相まって星空の中のようだった。ちなみに窓はない。どこにもない。換気とかどうすんだろうか。


「……どこだ」


 自分の声が甲高くてビビった。

 ヒエエとビビりつつ、思い出す。そうだ、ヴォイドは現代日本の女子高生になっちゃったんだった。それから……レガリアの住居にお邪魔して、貧血で倒れて……。ああ、そういうことか。ここはレガリアの家の一室なんだ。あのバカみたいに高いタワマンの一室。なるほどなるほど。納得。ヴォイドは安心してもう一度寝転がる。

 それにしても。


「この小物はなんなんだ……」


 ベッド脇のサイドボード。そこに置かれた星型のランプを突きながら、ヴォイドは思考する。小物もそうだが、着ている服もそうだ。可愛らしい、紺色のネグリジェ。着心地いいのが腹立つ。

 十中八九レガリアだろう。

 レガリア以外あり得ない。ヴォイドの趣味を理解していて、それでいて内装やら服装にこだわるのがアイツである。ああそうか。今更気づいたが、あの興奮の仕方はただ単に、可愛らしく弱々しくなってしまった上司を飾りつけたくて仕方なかっただけか。さらってきた女子にドレスを着せてお茶会をするのが趣味なアイツである。あの化け物である。なつかしー。そんなこともあったなあ。一晩休んでクリアになった思考はよく働いてくれた。昔々の思い出もバッチリ思い出せる。

 んで、どうする?

 その気になればいくらでも惰眠を貪れるヴォイドであるが、それでもレガリアが突入してくる可能性はなきにしもあらず。昨晩、転生したてで回らない頭はレガリアにとんでもねえこと言った気がするのだ。怖い怖い。恐ろしい。やりたいことなんていくらでも──

 いくらでも、ではないけど。それなりにあるというのに!

 まあ、そんなことは今はいい。まさに瑣末事でどうでもいい話。どうにでもなる話。ならば考えない。思考のリソースはもっと有意義に使わねば。例えば、ヴォイドが適当言ったせいで暴走しているだろうレガリアの処理だとか、ね。


「──ヴォイド様、起きてらっしゃいますか?」


 扉の外から声が聞こえた。

 ああ、めんどくせー。とりあえず寝返りを打って、返事をする。


「……おきてない」


「お目覚めですね。おはようございます」


 無遠慮に扉を開けて声の主が──レガリアが突撃してくる。昨夜のお堅いスーツではなく、カジュアルなTシャツにエプロンだった。料理とかするタイプだったかなあとは思うが、考えても仕方ない。渋々起き上がって寝ぼけ眼を擦りつつ起き上がる。


「……おはよ。今何時だ」


「午前八時三十分でございます」


「早いな。まだ寝る。あと五時間経ったら起こしてくれ」


「相場は五分ですよ」


 堂々と、また毛布に潜り込んだ上司を引き摺り出す。抵抗虚しくベッドから落とされた。しかも頭から落ちた。起こし方が雑だ。もっと丁寧に、優しくやってもらいたい。

 強く打った額を抑えつつ、逆さまになったレガリアを見る。この場合、レガリアではなくヴォイドが逆さまになっているのだろうけど。


「……お腹すいた」


「朝食の準備はできております。歯を磨いて、顔を洗ってきてください。一人でできますか?」


「できらあ! 舐めんな!」


 とりあえずよっこらせと体を起こして、レガリアに教わった通りに洗面所へ向かった。おお、広い。さすがだ。水垢一つない鏡の前に立って、ようやく初めて転生後の己の姿を確認したことに気づいた。気づけた。

 可愛らしい少女である。

 長めの黒髪を愛らしく姫カットにした、どちらかといえば気が弱そうな少女であった。肌は病的なまでに白い。足も細いし、腕も怖くなるぐらいに細い。巧妙に隠されてはいたけれど、こめかみのあたりに引っ掻かれたような傷跡が残っていた。


「……レガリアー!」


 洗面所からダイニングへ叫ぶ。行くのが面倒だったから、全力で。近所迷惑である。


「なんですかー!」


 叫び声が返ってきた。どっちかが呼びに行くとかは、どちらも考えていないらしい。


「風呂入っていいかー?!」


「いいですよー! 使い方わかりますかー?!」


「なんとなくー!」


「わからないことがあったら呼んでくださいねー!」


 呼んでもくるのかしらん。

 少々の疑問を抱えつつ、躊躇いなく服を脱ぎ風呂場の扉を開ける。取り付けられた大きな鏡を覗きこむ。

 そりゃあ、丸一日入っていなかったうえに、土埃に塗れたのだから風呂に入りたいとは思ったけど、それは主題ではない。


「……ふうん」


 呟いた。

 暴行と理不尽の痕が痛々しく残る少女の体を、ヴォイドはなんの感慨もなく見つめていた。


自動修復(オートヒール)でもダメか……。なまじ塞がりかけだと治らぬからな。まったく、面倒な」


 左腕の動脈付近に付けられた切り傷を撫でながら、ボソリと呟きシャワーのつまみを捻る。

 数秒後。

 勢いよく冷水に打たれて、ヴォイドは情けねえ悲鳴をあげた。



 ……



「し、死ぬかと思った……」


 リビングのソファ。

 冷水地獄からなんとか帰還したヴォイドはガタガタ震えていた。くしゃみもした。レガリアが選びに選んだ、もこもこで薄桃色をしたパジャマを着て、震えていた。


「……やはり説明した方が宜しかったでしょうか」


「もう二度と入らんからいい」


「おや、機械アレルギーで?」


「どちらかといえば風呂キャンだ」


「はあ。それはそうとて入らせますが」


 酷い目に遭ったのだ。

 現代知識を持っているとは言っても、ヴォイドは立派な転生したてのベイビーであり、こんなお高い、多機能シャワーなんて『前』の自分は使ったことがなかった。なんとなくここやろのノリで適当に捻ったら、冷水が滝行でもすんのかという勢いで噴き出て、いたいけなヴォイドの体に直撃したのだ。そこからはもうパニックである。シャワーから逃げればつまみに手が届かない。しかし止めないといけない。止め方もわからぬヴォイドは数分間、冷水を浴びながらつまみを探す羽目になった。もう二度と入らない。心に決めた。


「使い方は後日説明しますので、もうあんな水道代の無駄遣いはやめていただきたく」


「好き好んでやったわけじゃないやい」


 差し出されたココアを受け取り、コップを握る。あったかい。赤くなった指にじんわりくる。

 ちびちびとココアを啜りつつ、ヴォイドは堂々と隣に座ってきたレガリアに問うた。


「……なあ」


「なんです? お腹空きました?」


「なぜあの場に余がいるとわかった」


 おかしいのだ。

 違和感があるのだ。

 服飾会社代表取締役が、勤務時間内であろう時間帯に、なんの関係もない学校にいるのはどう考えてもおかしいのである。


「『魂魄循環(ソウルループ)』の特性上、自殺志願者に目星をつけているのはおかしくもなんともない。それは理解できよう。しかし、だ。この現代。自殺を思う人間が何人いる? 自殺をしようと決心し、決行した人間は何人いる? いちいち一人ずつ調べたのか。世界中の人間を、一人ずつ」


「……レガリア・S・ファルサという怪物が、この国に現れた以上、ヴォイド様も日本に転生する可能性がお高いでしょう。そこからは権力を振り翳して虱潰しですよ」


「怪物か」


「ええ、怪物です。学校内での怪物候補はいくらかありましたが、予測が当たって何より」


「……虱潰しと言ったな」


「ええ、言いました」


 レガリアはローテーブルに置かれていたテレビのリモコンをいじってテレビをつけた。ニュースキャスターの朗らかな笑顔と今日の天気が映し出される。


「他のやつは」


「いませんでした」


「……本当に?」


「ええ、いたとしても、現在のヴォイド様にはいらないものでしょう?」


「決めるのは余である。貴様が介入する余地はない」


「……あはは!」


 レガリアはゲラゲラ笑った。コーヒーカップを置いて、腹を抱えて笑った。ヴォイドはココアを飲み干す。

 笑って、笑って、笑い尽くして、レガリアは滲んだ涙を拭いながら言う。


「そのちっちゃいお体で何ができるのですか?」


「貴様の脳髄を壁一面にぶちまけることができる」


「おや、恐ろしい。シャワーで滝行していた少女から飛び出たとは思えない発言ですねえ」


「忘れろ」


「御意に。……それで? まだ疑問が?」


「学校の怪物候補とは誰だ?」


 そんなことですか、と前置きしてレガリアは言う。当たり前だろうとでも言いたげに、首を傾げて。


「全員ですよ。生徒教職員関係者全て、怪物です」



 ……



 怪物。

 一般的には正体不明の生命体を指す。醜悪で、最悪で、害悪。そんな生命体。生き物。化け物とも言う。モンスターでもいい。おぞましき生命体である。

 それは例えばヴォイドであり、そして、レガリア・S・ファルサだ。


「うまいな」


「でしょう?」


 ヴォイドは朝食であるパンケーキを切り分け頬張りながら、思考を回す。シンプルながらお高そうな雰囲気を醸し出しているテーブルに、遠慮なく腰掛けながら。少しだけはちみつがこぼれたけど気にしない。それを言ったら生活できなくなっちゃうからね。


「ホイップクリームのおかわりは?」


「いる」


 キッチンからは甘い匂いがする。追加のパンケーキを焼いてくれているのだ。ホイップクリームが泡立てられる音を聞きながら、ヴォイドはひたすらふわふわの甘さに舌鼓を打つ。おいしい。

 さて。

 怪物とは、本来ならばヴォイドやレガリアといった人外にこそ相応しいのである。いくら美味しいパンケーキを量産しようと、そのパンケーキをフードファイターが如きスピードで喰らおうとも、その本質は変わらない。命の価値は平等=ゼロだと思っている奴らである。働きアリと両親の命を同等に平等に見ている奴らである。つまり、倫理観が終わっている奴らである。変わらないし変わろうとも思わないから、怪物なのだ。

 そう、変わらない。

 絶対に変化しない。

 それが怪物だ。生物とは種を重ねていくことで、世代を交代することで多様性を生み出し生存していく。しかし怪物は変化しない。自ら死ぬこともない。変わらぬ偏屈を押し込み、志を抱え込み、どこまでも救われぬまま、その生を終える。

 あの学校の全員が怪物。ならば、『前』の自分だって怪物になってしまうじゃないか。怪物が怪物を乗っ取るだなんて、笑えない。御伽話にもならない。変わらない怪物が変わってしまうだなんて! ああ、悍ましい。反吐が出る。

 それに、だ。あの一集団が全員異常者だなんて、信じられない。同じ意志と目的を持って集まったのならわかる。世の中には何をしでかすかわからない人間なんてたくさんいて、一人は寂しいから仲間を呼び、増えていく。インターネットは便利だ。見たい情報だけ表示してくれるんだから。集まること自体はひどく簡単で容易。

 しかし、今回は学校である。

 本質は学びであり、そこにカルト集団のような危険な思想は生まれないはずだ。生まれたとしても大多数に淘汰されて流されて消えゆく運命だろう。あの年齢ならば尚更だ。個性を求めるくせに平均値を超えた人間に容赦しない。そんなやつらの集まりだ。

 だから、おかしい。

 パンケーキを飲み込んで、ヴォイドは唇を舐める。さてさて、どう解釈したものか。


「ヴォイド様」


「なんだ」


 思考は中断。一旦置いておく。考えても仕方ないし、いつかは知れることだと気づいたから。

 相変わらず機械のように淡々と、しかし正確にパンケーキを焼くレガリアは、なんてことないように。


「お出かけしませんか?」

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