29.ジャンク
腹が減ると戦ができなくなるらしいです。
私は戦なんてしたこともないし、腹が減ったって人は意外と動けると知っているので、あくまでらしいとしか言えないのですが、この歴戦の勇者はまずは腹ごしらえをしようと言ったので、それに付き添うことにしました。しかし時間帯は深夜。空いている飲食店は数えるほどです。しかもどちらも血塗れオプション付き。はっきり言って仕舞えば現実的ではありませんでした。少なくとも着替える必要はありそうです。
ということをつっかえつっかえ勇者に問うと。
「それなら大丈夫」
頼もしい言葉が返ってきました。
ギルバードがうんうん唸って何か唱えると、血糊がなくなりました。一瞬で綺麗さっぱりです。新品のような制服が戻ってきて、魔法とはこれほどまでに便利なのかと一瞬嫉妬が込み上げました。
「ありがとう、ございます」
「それほどでも。何か食べたいものはある?」
「……やってるとこがあれば、そこで」
「それもそうだね。なるべく早く止めなきゃだし」
ぎこちない会話だと他人事のように感じます。初対面でしかも私は魔王だった人間だから、当たり前と言えば当たり前で、そもそも私は初対面の人との交流がひどく苦手であると今更のように思い出しました。
つまり、とても息苦しい。
こんなことならヴォイドについて行けばよかったかもしれません。ギルバードは優しくて、こんな私にも丁寧に接してくれるのですが、それが逆に困ると言いますか、居た堪れなくなるのです。贅沢者だと思います。しかし実際にそうなのだから始末に負えません。どうにもなりません。
私たちは横並びで瓦礫の山を歩きました。私は何度も転びそうになって、その度にギルバードに助けてもらって、さらに居た堪れなさを加速させました。希死念慮が鎌首をもたげてこちらを覗いてくるのがわかります。いや、しませんけど。ヴォイドが拾ってくれたこの命を無駄にするなんて、そんな恐ろしいことはできません。余計なお世話をしてくれたなとは思っていますが、まあ、魔王に逆らう度胸などはなから持ち合わせていないもので。
「君は」
ギルバードが私の手を掴んで言いました。反射的に振り解こうとする自分をなんとか抑えます。この勇者はきっと、私が転んだら面倒なことになるから先んじてやっているに違いないのです。転ばぬ先の杖ってやつですかね。とにかくそれ。予防策です。なのでここは大人しくお荷物になっておいた方が良いでしょう。私も転びたくはありませんし。
ギルバードは続けます。
「ヴォイドのことをどう思ってるんだい?」
「……えーっと」
私は数秒逡巡し、それから言葉を絞り出しました。もちろん足元の注意は怠りません。
「怖い人だとは、思います」
「……なんで?」
「生き返らせたり、殺したりに重みがない、から」
ヴォイドは命を軽く見過ぎているように思えるから、怖い。それこそ名作RPGのように教会でお祈りをすれば、ザオリクと唱えれば、世界樹の葉を使えば、簡単に生き返ると思っているようでした。逆もまた然りで、殺害という行為の邪悪さであるとかを理解していないようでした。魔物が人間を殺すのは自然の摂理であるとでも言いたげでした。暴力行為に躊躇いがない。人を殺すことに、命を奪うことに躊躇しない。どんな殺人鬼だって始めは逡巡するものでしょう。どんな真っ当な理由があれども、殺人は心にどっしりとのしかかってきてこちらを押しつぶそうとしてくるから。
死とは生き物にとって最大の天敵です。
回避できないからです。だから生き物は死について考えます。宗教が良い例ですね。神様の言うことを聞けば楽園に行けるから死んでも安心だとか、お経を唱えて成仏させてやれば苦しみなく極楽浄土にとか、生きている内は絶対に体験できない死という終幕への恐怖心を和らげる言葉を連ねているでしょう? 科学や医療もです。死をできる限り遅めるために、遠ざけるために発展しました。生き物は死を怖がります。忌諱します。倦厭します。穢れとして扱うこともあります。人が死ねば盛大に送り出し、少しでも恐怖心を消そうと目論みます。殺人はそれをはっきりと知覚させてくる行為ですから流行りません。大抵は選択肢に並ばないのです。気持ち悪いから。
では、そんなものを軽々しく、ゲームのように扱うヴォイドはなんなのでしょう?
それがわからないのです。彼だって殺せば死ぬ生き物でしょう。魔法が使えようが、魔王であろうが、勇者に討たれる生き物であるはずです。肉体はほっとけば衰えましょう。死体は腐って蛆の餌になりましょう。想像するだけで恐ろしい死を、あんな風に。
……だから怖い。生き物として欠落してはいけない部分が欠落しているから、怖い。
「……そうだね」
ギルバードは私の端的な説明で理解してくれたようでした。助かります。私は説明が嫌いです。
「そんな風に考えたことなかったなあ。……生き返らせたり死なせたり。神も仏もびっくりな活躍だとは思ってたけどね」
「信じてるんですか」
「いやちっとも。本当にいるならヴォイドは雷に打たれて死んでいるはずだもの。それか洪水で溺れてる」
「それはそう、ですが……」
問題は、雷に打たれた程度で死にそうにない点です。
「まあいいや。とにかく飲食店を探さないと」
「あの、お、お金は」
「僕が払うよ」
「そんな」
「巻き込んじゃった慰謝料とでも思ってくれたらいいからさ」
ギルバードは軽く言いますが、これからのことを考えるととんでもないお金がかかりそうです。人は呼吸を維持するのもお金がかかる生き物なんですから。
「どうせ世界は滅ぶし」
「……? あなたが止めるんじゃ、ないんですか?」
「止めたところでだね。ヒーローは遅れてやってくるだろう? それと同じ。世界が終わる寸前に助けに来て、そのまま壊れてハッピーエンド」
「難しいんです、ね」
勇者にも色々あるようです。しかし私にとって蚊帳の外の話。まさに対岸の火事。冷たいでしょうか? でも、私には関係のない話でしょう。こんな小娘に同情されたって、この勇者様の気に触るだけでしょうし。適度な距離感で他人を保ったほうが、お互いにとっていいことだと私は思います。勇者だってそう思っているに違いありません。魔王に乗っ取られていた鈍臭い私を見捨てないのは、彼が勇者だから。それだけの理由。薄っぺらな理由。
……と、うだうだうだうだねちっこく考えてしまう私が一番嫌いです。
死ねばいいのにと思うぐらいには。
「さ、早く行こう」
「そうですね」
私は同意して、瓦礫を一つ飛び越えました。
勇者の手を借りて。
……
「何頼む?」
「ハンバーガーで」
「セットね。オッケー」
「あ、いや、単品……」
私の制止なぞ耳に入っていないのでしょう。ギルバードはスマイル〇円な店員さんに同調するように愛想よく注文します。ナゲットやシャカキチやフルーリーを次々に注文していくこいつはフードファイターなのでしょうか。男子高校生ってやっぱり食べ盛り? 割り勘にしなくてよかったと心の底から思います。
私たちはファストフード店の中にいました。
ちょっと行けば二十四時間営業のファミレスなんかがあったのでしょうが、私たちはとにかく疲れていたので、近場にあったここに入ったのです。まあ、この先あるかどうかもわからないものを探すのは愚行でしょう。それに、チャチャっと料理が運ばれてきて早め早めに食べることができるファストフードを選んだのは正解だったかもしれません。
二人なのに何故か四枚のお盆を抱えて、私たちはボックス席で向かい合いました。ちなみに私は一枚に乗せられた半分でも、食べ切る自信がありません。
「いただきます」
「……いただき、ます」
ちゃんと両手を合わせていただきますをした勇者に倣って、私もしました。しつけがいいですね。勇者は夜で倍になったエグチを頬張りながらナゲットのソースを開けました。私はチミチミとハンバーガーを齧ります。
本当のことを言うと、食欲なんてマイナスに振り切っていました。そりゃそうでしょう。生まれて初めて人を殺して、さあ夕ご飯にハンバーガーを食おうなんて、そんな話はありません。いるのなら教えて欲しいぐらいです。なんの味もしないハンバーガーを噛みながら、私はわんこそばでも食ってんのかと言ってしまいたくなるスピードで平らげていく勇者を眺めました。早食いですが、所作が綺麗なおかげで見ていて不快にはなりません。
「飲み物どれがいい? バニラシェイクとクーとコーラとアイスティーあるけど」
「じゃあ、アイスティーで」
「はい」
「ありがとう、ございます」
アイスティーも味がしませんでした。びっくり。水みたいだもん。モサモサする塊を氷水で押し流しながら、私は胃にジャンクを詰めていきます。この後お腹が減らないように、できる限り詰め込みます。勇者は勇者でバニラシェイクとフルーリーと同時に食べていました。お腹壊しそうでした。
私はなんとなく沈黙が気まずくなって、当たり障りのない質問を絞り出します。
「あの、名前、は」
「……? ギルバード」
「あ、そっちじゃなくて、今世の名前です」
「ああ、この国での名前ね。斜陽日向」
「……やっぱり、わからないです」
「そうだね。僕も夕月さんのことわかんなかったから、やっぱり意図的に会わせないようにしてたんじゃないかな」
ギルバードはシャカチキを全力で振りながら考察を述べました。何言ってるのか全く聞き取れません。おそらく『ジャッジメント』や少年十字軍のことを話しているのでしょうけど、シャカシャカで全てがかき消されています。私はとりあえずアイスティーらしい氷水を啜りました。
「……だから『ジャッジメント』はできるだけ勇者と魔王をさっさと会わせたかったんじゃないかな」
やっとシャカシャカタイムが終わり、シリアスな会話の一片が聞こえました。私はおざなりに頷いておきます。勇者の意見はよく分かりませんが、それなりに筋が通っているような気がしたから。
「魔王を殺せるのは勇者しかいない。もし、もしだけど、監督者である『ジャッジメント』の目論見が外れて魔王が暴れ出したら計画どころじゃなくなるからね。ある種の保険、ストッパー、安全装置として、僕はきっと魔王より早めに作られた。きっと仲間にも言ってないよ。なんなら『ジャッジメント』も僕という存在を確信してなかったよ。僕も吹聴しなかったし」
「……えと、じゃあ、学生というか、少年十字軍の人は勇者が学校に通っているってことも知らなかったわけですか」
「うん。多分全員が全員少年十字軍の軍人じゃなかったんだろうね。僕みたいにちゃんとした手順で生まれ変わった個体……個体というのは気が引けるけど、とりあえず。前世の記憶を持った人間を収集するために、ある程度の割合は普通の学生なんだと思う。もちろん少年十字軍の人の割合の方が大きいと思うけど」
「……なるほど」
じゃあ、あの中には単なる人間もいたわけか。
自分の不幸を消費されたくないと叫ぶ可哀想な人たちの中に、世間一般の幸せをすでに手に入れている人たちも、もしかしたら。発端は少年十字軍だけど、それに便乗した人もいるはず。いや、加担しなくとも、遠巻きに眺めてくるだけの人だっていた。その人たちが単なる学生だったのかも。
どちらにせよ許すつもりはないのですが。
何も知らなくても、何もかも知っていても。絶望していても、していないくても。私を見捨てた時点で同罪と見做します。そこに差別も区別もありません。同情票なんてのははなから存在しません。私は勇者じゃないから、何もかも許すなんてできっこないのです。
恨み続けるしかできません。
酷い人間でしょうか。
「……あなたは」
「ん?」
「あなたは、ヴォイドのことを、どう思って、いるんですか」
「……そうだね」
ギルバードはスパチキの包装紙を捲る手を止めて、少し視線を泳がせました。珍しく考え込んでいます。モゴモゴとよくわからない単語を抽出した後、言葉を選びながら話し始めました。
「君とそんなに印象は変わらないよ。怖いと言えば怖い。やっぱり恐ろしい。あれでも魔王だからね」
でも、と彼は続けます。
「なんだか寂しい気がするんだ」
「……寂しい」
「うん。誰も対等ではない。誰も理解できない、してくれない。相手は一方的に魔王と決めつけて恐れてくる。長い年月の中で彼を理解したヒトだっていただろうけど、まあ健全な方法じゃないだろうね。世間で語られる親友や仲間の定義からは外れていると思うよ」
「だから、寂しい?」
「うーん……それだけじゃないけど、そう。彼は他人がわからないし、わかろうともしない。逆もまた然りで、彼のことを理解できないし理解しようともしない。だから、ずっとひとりぼっち。世界を壊すことに長けた彼は何度も何度も壊して移動してまた壊すを繰り返す。いつか世界の在庫が切れるね」
「あまり、聞いたことのない、在庫ですが……寂しい。まあ、同意はします。ラスボスって、大抵、孤独だし」
彼は脈絡もなくははとため息でも吐くみたいに笑いました。包装紙を向いて、しかし口に運ぶわけでもなく見つめます。お腹いっぱいになってきたのでしょうか。
「指先一つで世界が思い通りになったら、君はどうする?」
「唐突、ですね。……まあ、過去の因縁を、滅ぼします」
「有り体に言えば?」
「……私を知っている人を殺す」
「乱暴だね」
「そんなもの、でしょう。世間一般で言えば、お金持ちになりたいとか、モテたいとか、見目麗しくなりたいとか、ですかね」
「うん、そんなところだね」
「……なんで、こんな質問を?」
「指先一つで世界を思い通りにできるようになってしまったのがヴォイドだから」
遠回りな例え話だと思って、私はほっとかれていたアップルパイに手を伸ばしました。ギルバードがちょっとだけ悲しそうな顔をしましたが無視します。後でもう一つ頼めばいいでしょう。私は今食べたいので食べます。味はしませんが。
「世界を、思い通りにできるから、生き死にに執着せず、寂しい生涯を、送ることになると?」
「うん。ヴォイドは僕らの夢世界に生きているんだよ。願えば空が飛べて、祈れば人が生き返って、思えば全部壊れる。そんな世界を、価値観を叩きつけられたら、どんなやつだってあんな風になるさ。それも、人格がまだ不安定な時期にね」
「……ずっと、昔から?」
「今の僕よりちっさい時から。まだ二桁にならないぐらいの時かな。前本人から聞いたことがある」
「仲良いん、ですね」
「やめてくれよ」
彼はケラケラ笑って、ようやく手元のスパチキを食べ始めました。二口で終わりました。口がおっきいのかな。ちゃんと噛んでるのかな。喉に詰まりそうな食べ方です。到底真似できませんね。
包装紙を丸めながら彼は言います。
「とどのつまり、ヴォイドは世界を思い通りに動かせるようになってしまったただの子供だってこと」
子供。
子供か。なるほど確かに。漠然と生きている、まだ死ぬことの意味も理解していない子供。ずっとそのまま、ヴォイドは夢幻の中を漂うようにして人を殺して生き返すを繰り返しているのでしょう。
それは確かに寂しいような気がしなくもないし、やはり恐ろしい生き物だとも感じます。
「ナゲットもういらないの?」
「お腹いっぱい、なので」
「じゃあもらうね。あ、そうだ。この後ソフトクリーム頼むけどいる?」
「……お腹、壊さないん、ですか?」
「……?」
「やめとき、ます」
「そっかあ」
ギルバードは空になったお盆二つを戻して、ソフトクリームとアップルパイを注文しに行きました。やっぱり食べたかったらしいと気づいて、少しだけ罪悪感が湧きましたが、まあこんなのは早い者勝ちだよなと思ったので何も言わないことにしました。
……
ジャンクを腹に詰め込んだ。
店内は暗い。暗いが、夜目が効くヴォイドに関係はない。どこでも4K解像度で見える。はっ倒されたマネキンとか、冬物のジャケットだとか防寒具だとかが白いツルツルした床に転がっていた。ここは服飾店だと今更になって認識し、じゃあ調味料はなさそうだと冷静に考える。どうしようか。近場のレストランから拝借しようか。そこまでする価値があるとは到底思えないところがミソ。面倒臭さと味覚の勝負である。結果は面倒の勝ち。ヴォイドはもぞりと床に座り直して、食事を再開する。
赤い。
全部赤い。いや、赤黒い? とにかく血の色だった。転がる死体は後三人。二人は食ったから全部で五人いた計算になるわけだな。ヴォイドは計算ができる。いえい。そんな死体も血の色で染まっていて、なんとも見応えのない景色になっていた。静脈の血って意外と黒いから、混ざってあーあって感じになってる。少なくとも絵の具みたいな鮮烈な赤ではない。濁って、ドロドロで、ぷんと鉄錆の匂いがする、そんな嫌なあか。ヴォイドは口の端をぺろりとなめとって、赤の味を再確認した。口の中切ったみたいな味がした。
「ミセルの料理の方がうまいな」
それなりに料理上手だった部下の名前を呟いて、最期はどんな死に方をしたのだろうと空想してみる。まあ、ロクな死に様じゃないのは確か。どうせ狙撃手に撃たれて死んだんだろ。どうでもいいね。考えるだけ無駄。手慰みに手の中に転がっていた骨のかけらをパキンと折る。人気のない店内に虚しく響いた。
「うあー……これならどっかのレストランで無銭飲食でもすればよかったか? でも犯罪だしなあ」
益体のないことをうだうだ考える。腹が満たされたからかそれなりに眠い。血糖値が爆上がりしてるんだろうな。しかし残すのは勿体無いし、せめて全部食ってから眠らなければならないだろう。
ヴォイドは近くに転がっていた女性の死体に近づいた。
「服邪魔過ぎる……眠いし」
適当に破いて捨てる。白い肌が見える。食いやすくなったことを再確認して、ヴォイドは倒れ込むみたいにして腹に食いついた。
ぶちぶちと皮膚を噛みちぎる。犬のように食う。顔を埋めて内臓を噛んでちぎって嚥下できれば上々の上出来。内臓をあらかた食った後、ようやくヴォイドは顔を上げた。
「ねむい」
顔が赤くなっているのを感じる。物理的に。絵の具でも被ったみたいに。ゴシゴシと袖で拭うと顔が痛くなった。少し不快になりながらあくびをする。
「残りは朝でもいい気がしてきた……いや、腐るか。今のうちに食っとかないとゴミになってしまうな」
それにしても、なんでヴォイドはこんなに殺したんだろう?
腹が減っていた。それは確かだ。だからその辺の人間を使って腹ごしらえをしようとした。そこで素直に飲食店に赴かない自分の愚かさを呪うが、過去を嘆いていてもしょうがないので、とりあえずヴォイドが人間をたくさん殺したのは事実だった。たくさん殺せばたくさん食える。なら多めに。自分の満足のいくまで。つまりヴォイドは今日はマジで腹減ってるから普段の三倍食える! と絶対そんなことない妄言を吐き散らかす幼児のような愚行を犯したのであった。お父さんもう食べられないと駄々を捏ねているのが今のヴォイド。情けねえ話だ。んで、ここには残飯をしょうがないなあみたいな顔で食べてくれ保護者はいないので、ヴォイドが食うしかなかったのである。
口の中に残った肉片をうじうじ噛みつつ、ヴォイドは船を漕ぐ。
「ねむい……」
そのままゴロンと寝転がった。近くに女性の腕があったので、そのまま咥えて噛み砕く。もそもそと食む。腹が溜まる感覚は心地いいが、そろそろ不快になってくる頃だろう。口に入れた分は飲み込んだけど、二口目に移行するのはやめておくことにした。朝。朝食べよう。セーフなはずだ。少なくとも、食えなくなることはないだろう。蛆が沸いていたってのけりゃいいし、蝿が鬱陶しかったら潰せばいい。ドロドロに濁った黒色を食べたくないのならその部分だけ避けて中身を穿ればいいのだ。誰が今晩中に食べろと決めた? 自分? そっかあ……。そいつはしょうがないね。では寝る。おやすみ。
「いや、まだやることがある」
思い出した途端パッと目が覚めた。そのまま勢いよく体を起こして、齧っただけの腕を乱雑に落とす。ごとんと鈍い音がする。気にするところではない。ヴォイドにはまだ、やらならければならないことが山積みなのだ。ブラック企業に勤めるサラリーマンぐらい山積み。書類に換算したらきっと塔ができるぞ。バベルの塔ぐらいでっかいやつが。
さて、寝ている場合ではないな。
ヴォイドは死体と血で構成された、名も知らぬ服飾店の扉を蹴破った。ガラスが割れて飛び散る。踏むとしゃりしゃり音がする。外に踏み出す。
雪景色が広がっていた。
深夜だから暗い。街頭には蜘蛛の巣と蛾がたくさんあって光量が弱まっている。ふわふわの雪をヴォイドは踏んで、白い息を吐き出した。顔が赤くなっているのがわかる。こちらは体温的な事情で。
「雪国を選んで正解だったな」
物珍しい景色に上機嫌になりながら、ヴォイドは電線を眺める。いや、もっと電波的なやつだっけ。電線はあくまで電気を送るのであって、情報を送っているのではないのかも。ここら辺の現代知識が不足しているのは痛恨だが、今から調べる気もないので、とりあえずフィーリングで行うことにした。
何を、って。
電波ジャック。
テレビやラジオの放送を乗っ取る行為。もちろん犯罪。でも、一瞬にして情報を広めるためには、現代科学の力は必要不可欠である。インターネットでもよかったけど、手元にないし。他人のスマホを覗き見る趣味はない。プライバシーは守られるべきだと思っているからである。
とにかく今は電波ジャック。放送の仕組みも何もわからないけど、そこは想像で補おう。なんとかなるはずだ。ならなかったら別の方法を考えるだけだ。何、電波ジャックにこだわりはない。有効でないと知れたなら、違う方法を模索する。
試してみよう。
自分の力がどこまで通用するか。
「魔法、魔法……まあいいや。なんとかなれ」
どんっ! と、ヴォイドは足を踏み鳴らして。
全世界の放送を乗っ取ることに成功した。
その証拠に、目の前にある電気屋のショーウィンドウに飾られた五十パーオフのブラウン管テレビがついた。雪の中佇む赤黒いヴォイドが写っている。画質はすごぶる悪いが、まあいいだろう。伝えたいことが伝わればいいのだ。
「……聞こえているか?」
テレビの中からも同じ声が聞こえてハウリングした。うるせえ……。しかしとりあえず成功。言いたいことだけちゃっちゃと言ってしまおう。ごほんと咳払いをしてとびきりの悪役スマイルをプレゼント。肉片と血液の味が残る舌を存分に動かす。
「聞こえているなら何より! さて、日頃のご愛顧を感謝しつつ端的に今からやってもらいたいことを話すぞ。やってもらいたいってか、やれ。命令形で言う。本当にやってもらいたいからな。お願いなんかじゃちと弱い。かの魔王の命令として徹頭徹尾遂行してもらおうじゃないか」
「いや、この世界では魔王なんて御伽話。なんの権限もないのだったな。じゃあ怪物の戯言として聞いてくれ」
「余は今から世界を滅ぼす」
「北の国……ここはなんという名前だったか。忘れてしまったが、まあ特定されるのだろうな。人類諸君の技術に期待して具体的な地名は伏せておくが、とりあえずここ。この場所。この国から南下していくぞ。余が息をするだけで貴様らは死ぬ。余が撫でるだけで貴様らは潰れる。余が歩くだけで土地が死ぬ。長話を聞けない一部の人類に説明するなら、見るだけで貴様らを殺せる余が世界中を闊歩するというわけだ。絶望が伝わったかね?」
「伝わってない愚か者は捨て置くのが賢明だ。はは。とりあえず翌日の昼までこの国に居座ってやるから、人類諸君は全員この映像を目に焼き付けるように。余の世界旅行は明日の夜だ」
「さて、死にたくはないよな」
「じゃあ、こうしろ。やれ。遂行しろ。絶対に、成し遂げろ」
「無駄死にたくないのなら、今から言うことを成せ」
「……」
「……さあ今から魔王が来るぞとなったら」
「勇者ギルバードに祈れ」
「勇者ならこの魔王を討てるのだと信じろ。全てを託せ。どんな希望も絶望も渇望も羨望も、勇者に預けて無様に死ね。ギルバードが助けてくれるのだと最後まで思い込んで死ね」
「それが貴様らのようなクズでもできる最後の奉仕だ。簡単だろう?」
「んじゃ、ばっははーい。ご閲覧せんきゅー。命あればまた他日。お元気で。絶望しとけ。失敬失敬」




