28.お月さまが見てる
私、山羊夕月は気分が悪くて仕方がありませんでした。
飛び降り自殺をした時から──いや、ずっとずっとずっと昔から、魔王だと名乗る男性、ヴォイドの話によると私がスケープゴートにされた時から気分は悪かったのですけど、今までとは比べ物にならないぐらい、私は気分が悪いのでした。吐きそうでした。胃が痙攣しているのがわかりました。目玉がぐるぐる回って落ち着かず、舌と喉は震えるばっかで嗚咽の一つすら出なくて、ただ犬のように短く呼吸をすることしかできませんでした。
「よくやった、夕月」
黒色の青年、つまりヴォイドが私の頭をくしゃくしゃに撫でます。撫で慣れていないのでしょうか。今のご時世セクハラになりますよと言いたいところではありますが、元は捨てた体で、それを使っていたやつに今更こんなことを言ってもしょうがないと思ったので、結局言わないでおきました。いや、言えるはずもありません。諸々の理由をしょっぴいても、結局私の喉は機能していないんですから。
私の目の前には少女の刺殺死体がありました。
瓦礫と化したかつての学校。忌まわしい場所。そこが、大地震でも起きたのかという有様になっていて、その中心に金髪の、黒色のローブを着た少女の死体が転がっているのです。
私が殺した死体が。
こてんと、転がっている。
あまりにも非現実的でした。これが私の死体なら、私はすぐさま自分が殺されたのだと納得できるでしょう。あのいじめっ子たちの、本人たちに言わせれば『悪ふざけ』の延長線によって無惨にも殺されたんだと、そう信じてしまうのでしょう。だって真っ当だから。信じられるから。理由があって根拠があって、だから私は信じられるのに、ここに転がっているのは知らない少女の死体でした。私が殺した少女の亡骸でした。
私の血と少女の血で汚れたセーラー服。じとりと湿ったそれは少し重くて、私は今にもしゃがみ込んでしまいそうで。端的に言えば気を失ってしまいそうなのです。ヴォイドにもらった、ファンシーな形をした短剣。それがずぶりと少女の腹に刺さる感触。臓物と血の温かさ。人間の体温。血が流れきって死ぬまでの彼女の表情を見て笑っていたヴォイド。そういった非日常が私を責め立てて、脳みそはとっくにキャパオーバーです。私は現状を理解したくなく、理解できるはずもなく、甘んじて頭を撫でられるしかないのでした。そんなセクハラ寸前世間知らずヴォイドはふふんと勝気に笑いながら。
「監督者が直々に捨てた主人公に後ろから刺されるのはなかなか愉快だ」
と言いました。
何言ってんのか一つも理解できません。
そもそも、私は最初から──通っていた学校が少年十字軍とやらに乗っ取られていた(最初からそうだった?)とか、魔王に乗り移られたとか、この子が勇者と魔王を殺すために私を犠牲にしたとか、つまり全てがわかっていないのです。いきなりファンタジーもファンタジーな世界観を突きつけられ、じゃあ夢、あるいは変わり種の走馬灯かといえばそうではなく、血と内臓と死体のリアルさは本物で。つまり、ここは現実なんでしょうけど。
私は人を殺したらしいのです。
魔王に誑かされて。
ヴォイドによると、この少女は自らのくだんねえ欲望のためにたくさんの人を殺してきたらしいのです。数えきれないほどの命を踏み台にしてきたらしいのです。私も使い潰されて、ヴォイドの気まぐれがなければあのまま死んでいたらしく、つまり、この子は私の苦しみの諸悪の根源ということらしいのですが。
だからといって、殺す理由にはなりません。
復讐は何も生まないとか、そういう道徳的なことを言いたいのではありません。隣人愛を説きたい高徳な人物では、私はないのです。じゃあ何が言いたいのか? それはズバリ殺人の気持ち悪さでした。死体はモノです。肉塊です。動くことはありません。ケガレでいっぱいの肉塊を触ることの悍ましさを想像したことはありますか。私は現在進行形で感じているのですが、まあ、自分が死んでしまった方がいいぐらいには気持ちが悪いのです。人は死という概念をまざまざと見せつけられると気分が悪くなる生き物らしいと、今学習しました。いらない知識ですね。
殺人は、死体は気持ちが悪い。
だからみんなやらない。
なるほどと納得してしまえる理由です。少なくとも、小学生の道徳の教科書のような言葉を投げかけられるよりはよっぽど飲み込みやすい言葉。自分の気分が悪くなるから殺さない。周りの気分が悪くなるからやらない。もちろん、殺すことを快楽として捉えられる人間もいるにはいるのでしょうが、そいつらに何言ったって抑止力にはなりませんからね。私の独断偏見で固められた、殺人という行為が禁止されている理由。私はそれで納得しました。納得してしまったからこそ、私はこの言説を信じ込みます。もちろん道徳は大事です。他者を思いやり慮ることの大切さは、『悪ふざけ』のターゲットになっていた私はよく知っています。しかしそんなのは社会が勝手に定めたルールと言って仕舞えばそれまでで、だから、殺人を犯さないことの理由足りえないのです。復讐やら快楽やら金銭やらの欲望の前では、そんなのは塵に等しいのです。
人を殺さないのは気持ち悪くなるから。
どこまでも身勝手で自己中心的な理由。抑止力にはなりましょう。少なくとも、道徳よりは。
「けけ、頭痛え。おい夕月」
特徴的な笑い声をあげたヴォイドの方を見ようと顔を上げました。声は出ませんでした。
「これからどうしたい」
ヴォイドはチョーいい声で私の意見を聞こうとします。どうしたいか。わかりませんでした。そもそも私は全てを終わらせたくて、逃げたくて、自ら死んだってことを忘れているのでしょうか。自殺志願者が生き返っても、もう一度死なせてくれぐらいしか願えません。思えません。しかしヴォイドが求めているのはこういった意見ではないと察せられましたから、私は黙り込むしかなかったのでした。
「意見がないのならこの国の住民でも滅ぼしてみようかと思っているのだが、どうだ? それか全国スイーツ巡りの二択だな。どっちでもいいぞ。好きな方を選べ。付き合ってやる」
どっちも嫌です。嫌ですが、まあ……消去法でスイーツ巡りの方がマシだと感じられたので私はなんとかモゴモゴと口を動かします。
「スイーツ、巡りで」
「消去法か」
バレました。ヴォイドはカラカラ笑います。その高そうな服の裾で私の顔を無遠慮に拭いてきました。痛いですが文句を言う口はないのでまた黙ります。
「ま、貴様が殺したいと願った人間は『ジャッジメント』によって死んでしまったからなあ……大した理由もないのに殺人という重労働をするのはまさに徒労というものだ。甘いものでも食いに行こう」
先ほどの私の殺人抑止力論(人が人を殺さないのは気持ち悪いから)が通じない相手はここにもいたようです。理由があったら殺す。理由がないから殺さない。魔王。魔王って、世界を支配したいとか、人類を滅ぼしてやるとか、そう言った大層な目標を掲げているものではないのでしょうか? やはりそれはゲームの中だけなんでしょうか。少なくともヴォイドは世界のことなんてどうでもいいみたいです。ヴォイドにとって人類とは取るに足らない存在、例えるなら庭に少しずつ生えてきた雑草のようなものなのでしょう。邪魔になれば根っこから引っこ抜くけど、今は面倒だからやらない。気まぐれで生かされているのです。
……スイーツ巡りなんてメルヘンなことをしている場合ではないのは、私が一番よくわかっています。
どれだけ目を擦ったって、頭を叩いたって、何度も念じたって、目の前には死体があるんですから。可憐な少女がハラワタを飛び出させて死んでいます。私が後ろから刺したから、死にました。つまり私は殺人犯で、ヴォイドは殺人教唆犯。被害者の遺体はまだここに、何もされずに放置されています。
「ヴォイド、さん」
「なんだ、夕月」
無駄に背の高いヴォイドは、私の呼びかけにしゃがんで答えました。うわ、顔がいい。殺人犯の顔が良くてどうするんでしょう。
「わ、私は、どうしたらいいですか。人が、人、人を殺しちゃったから、逃げないとですよ、ね……?」
「どうもこうもない。まずは落ち着け、夕月。そうだ、ファミレスにでも行くか? 腹が満たされれば落ち着くだろうからな」
「で、でも、あの子の死体が、まだ」
「待て待て、泣きそうになるな。ちゃんと考えてあるからな」
時間はないがなと、ヴォイドはニヤリと笑いながら付け足しました。時間がない? どういうことでしょう。意味がわからないことが多すぎて、私はクラクラしているのです。
「ヴォイドさんは、何を考えているのです、か」
「何を? そうだな。夕月の落ち着かせ方。あるいは世界を滅ぼす方法。ひっくるめたら俺の目的の手段といったところだ」
「目的」
「そう、目的。俺がわざわざうざったい生を続けている理由。魔法まで使って生き永らえている理由」
目的。
そんなものが魔王にあるのでしょうか。どこか気の抜けた殺人犯のような、考えないタイプの葦であるこの男にそこまでして生き残りたい理由があるとは思えません。少ない付き合いでしたが、一時期体を貸していた私はそう言い切ることができました。彼は魔王しかやることがないから魔王をやっているだけで、本当は、魔王なんて役割がなかったら、気ままに世界を蹂躙する厄災のようなナニカになっていたのではないかと思うのです。生き物の範疇に収まっているからこそ、やっていないだけで。
ヴォイドに理性なんてものはないと、私は思っています。
「どこから説明したものか……少年十字軍については話し終わったな」
「……はい」
「じゃあ本題だ。本来なら、『ジャッジメント』がいなければ一直線に迎えられたであろう結末について。つまり王道ルートの話だな。その場合、貴様の意識は未来永劫戻らなかったことだろう」
「じゃあ、私は、運が悪いってこと、ですか」
「おや、生き返りたくはなかったか?」
「そりゃあ……」
そうだろう。
自殺志願者に生き返りたくなかったんですかって聞く方がどうかしていると思うのですが。こっちはヴォイドの『なんかムカつく』という幼稚な憤怒によって無理やり地獄から引っ張り出されただけなんですからね。死ねたなら死ねたで万々歳。むしろ死こそが私の生き甲斐。エンドロールが見たくて私はあそこから飛び降りたのです。
まあ、この空気が読めない魔王によってもう一度、呼吸をする羽目になってしまったのですが。
しかも殺人犯になってしまったのですが。
ヴォイドは私の気持ちなぞ考慮せず喋り続けます。魔王の目的。生き返った意味。わざわざ異世界まで逃げてきた理由。これから起こるであろうクライマックスのこと。
「俺の目的はただ一つ。勇者だ」
勇者。
魔王を殺す存在。
あるいは平和をもたらす存在。主人公。波瀾万丈、御涙頂戴、最後は万雷の拍手が起こる壮大なストーリーの立役者。
ヴォイドは魔王です。
……これって一たす一は二ですぐらい当たり前ですね。ヴォイドは魔王にしかなれないのですから。生き物として生と死を謳歌するのなら、彼は魔王になるしかないのです。可哀想に。こんな私に同情されるほど、彼は生き物としての資格が欠落していました。まともに生きられないことの哀れさは、私がよく知っています。その身を持って。彼は魔王として、世界に厄災をもたらす存在としてでしか生きられないから魔王になりました。成り行きか自発的にかは知りません。知りたくもありません。とにかくヴォイドは魔王です。れっきとした最悪です。
だから、勇者は彼を殺すことのできる唯一です。
勇者は魔王を討ち倒して世界を平和にする存在ですからね。
「そ、それは。勇者に復讐をしたいとか、そういうこと、ですか」
第一に思いついたのはそんなありきたりで凡庸な理由でした。復讐。よくも自分を殺してくれたな。貞子でもなんでも、自分を殺した存在に一定の恨みがあるのは当然でしょう。殺されたから殺し返してやる。正当といえば正当な、納得のいく理由。
「そうじゃないさ。むしろ楽しかったぐらいなんだからな」
おお……。殺されて生き返るようなやつの神経はわかりませんね。少なくとも常人ではないので、私の月並みな考えは一蹴されてしまいました。さて、では復讐ではないのならなんなのでしょうか? 世界を支配するために勇者を殺しておきたい? それも違いますね。前述の通り、ヴォイドは考えないタイプの葦です。その気になれば一世紀ぐらい風にゆられてぼーっとしているであろう、どちらかといえばモノに近い生き物です。世界を支配するだとか滅ぼすだとか、壮大なことは考えないでしょう。もちろん、支配が面白そうだと感じたならそうするでしょうが、まあ、こんな異世界を支配して何になると言われればそれまでです。
復讐でもなければ支配でもない。では、勇者を目的とした、魔王の野望ってなんでしょう?
「俺は──」
牙を剥き出しにしながらヴォイドが笑って、この物語の意味を紡ごうとした瞬間でした。
「ヴォイド!」
瓦礫の向こう側から、誰かが叫びました。
凛とした、力強い声でした。月明かりに照らされて声の主がくっきり映し出されます。この学校の男子用制服である学ランを着た、なぜか私と同じかそれ以上に血塗れになっている少年が、瓦礫を登りながらこちらを睨んでいます。きらきら光る金色の髪が夜風に揺られてます。なぜか悲しそうに見えました。その琥珀の瞳が潤んでいるからでしょうか。
そんなことは今どうでもいいのです。
彼は、ヴォイドのことを呼びました。叫びました。異世界から来た魔王の名前を堂々と、口に出しました。
そしてヴォイドも、嬉しそうに応じました。
「久しいなあ! ギルバード!」
「そうだね! 僕はもう二度と会いたくなかった!」
「つれないやつだなア……俺がこんなにも相応しい舞台を用意してやったというのに!」
「そういうのを余計なおせっかいって言うんだ!」
ギルバードと呼ばれた金髪の少年は、なんだか怒っているようでした。なんででしょう。学校を壊されてしまったからでしょうか。それとも死体となったあの子の知り合いだった? 後者だとしたら私にも恨み辛みが降りかかってくることとなるのでご勘弁願いたいところです。
殺せと言ったのはヴォイドですからね。
ギルバードはようやっと私に気づいたのか、顔をくしゃくしゃに歪めてヴォイドに吠えます。
「何人巻き込めば気が済むんだ」
「おいおい、言いがかりはよしてくれ。俺だって手短に済ますつもりだったさ。文句ならこちらに転がっている『ジャッジメント』にどうぞ」
「でも君が発端なのは変わりないだろ」
「それを言ったら貴様が発端だ。俺じゃないね」
「屁理屈」
「どの口が!」
くつくつ、ヴォイドは笑います。まるで母親にかまってもらって嬉しくてしょうがない赤子のような笑い方でした。俗っぽく言うならガキ臭い笑いでした。幼稚で、子供っぽい、幼子同然の態度。見た目だけなら二十代の後半であろう見た目をしているのに、どこか幼い彼は、きらきらとした目でギルバードを見つめます。
「そんなに欲しいならくれてやる。もとより捨てた皮などに興味はないからな」
「……本当に、反吐が出る思考をしているな」
「褒めてくれて嬉しいよ。滅多にないことだから」
「そうだな。褒めてないからな」
それは置いておいて、とヴォイドは話題を切り替えました。魔王としての冷酷で冷淡な瞳に戻ります。
「貴様も『ジャッジメント』の策の内か」
「……僕は、『ジャッジメント』なんて知らない。でも、マギーは知ってた。こんなイレギュラー初めてだよ。君が何かやったのか?」
「何も? いつも通り通常運転ダイヤグラム運行ってところだ。まさしく想定外」
「じゃあ何も知らない。少なくとも君がぶっ壊してくれたここは普通の学校だった。平和的なね」
「平和的か」
「僕が見た限りでは」
「では、山羊夕月のことは何も知らないと」
「……制服はここのだけど、知らない」
へえとだけリアクションして、ヴォイドはまた笑います。ギルバードが私を知らないと言ったように、私だってギルバードのことを知りませんでした。全校生徒から親の仇、あるいは敵国の兵士、またあるいは侵略者のように忌み嫌われてきた私が言うことですから間違いありません。ねちっこく、全ての関係者の顔と名前を覚えています。
こんなやつは知りません。
日常生活での名前は日本人らしい漢字何文字かではあるのでしょうが、それでも。顔も見たことすらありませんでした。
「『ジャッジメント』は同時進行で俺と貴様を作ったのだな。小癪なやつ」
「さっきから話が見えてこない。マギーは君のところの従者に殺されてしまったから、詳しく聞けてないんだよ。せいぜい『ジャッジメント』の名前程度だ」
「マギー? ああいたなそんなやつ。ミセルが殺したか」
「その通り」
「悲しくは?」
「……悲しいなんて、僕が抱いていい感情じゃない」
「聖人君子」
「なんとでもどうぞ」
ギルバードは深呼吸をして考えを切り替えたようです。きっ、とヴォイドを睨みつけ、鋭い口調で尋問し始めます。
「君は何を知っている?」
「……」
「今回ばかりはイレギュラーが多すぎる。流石に見過ごせない。あの狙撃手もそうだね。あれは君が指示したことなのか?」
「ああ、『スナイパーライフル』か。あれは『ジャッジメント』の手足だよ。独立してからはむしゃくしゃしていたみたいでな。まあ、ガキの癇癪だ」
「……じゃあ、あの虐殺は君ではないと」
「そうだな。どちらかといえば『ジャッジメント』のせい」
「その『ジャッジメント』やらはなんなんだ」
「魔王及び勇者をぶっ殺すことに命をかけた愚者」
「説明が下手」
「貴様に言われたくはない」
ギルバードはマギーとやらに教えてもらった情報と、ヴォイドが言ったことをまとめてなんとなくの事態が掴めたようでした。意味がわかりません。私は何にもわかっていないのに。当事者なのに、魔王になったこともあるのに、何もわかっていない。私だけ、知らない。
私は一体何に巻き込まれたのでしょうね。
「事態は把握できたかね」
「大体ね。君が発端ってこともよくわかったよ」
「何にもわかってないじゃないか! 俺は何もしてない。せいぜい街一つ氷漬けにしたぐらいだな」
「やっぱ君の仕業か……」
「バレた」
「バラしたの間違いだろ」
ギルバードはやれやれとでも言いたげにため息を吐いて、ヴォイドに向き直ります。どうやら私はおいてけぼりらしいと薄々察し始め、じゃあぼんやりと現実逃避しておこうと意識をシャットダウンした瞬間、ヴォイドに名前を呼ばれました。ちょっとだけ私の背筋が伸びました。
「おい、夕月」
「な、なんでしょう」
「貴様はどうしたい?」
「どうしたい、って」
そんなこと言われても、私に選択権なんて今まであってなかったようなものじゃありませんでしたか?
少なくとも私は自殺してから生き返るまで、自分で決められたことなんて両手で数える程度しかなかったような気がします。ただなんとなくヴォイドに従ってここまで生きていました。確かなのは、『ジャッジメント』を殺したのは自分の意思ってことだけ。それだけ。ヴォイドが唆したことを従順に、しかしはっきりと悪いことだってわかっていながら、私は実行したのでした。
だから、私は何も言えません。
私の人生をあんな風にしたやつへの復讐は終わってしまいました。だから後はただ、私は人を殺したという事実に打ちのめされ、魔王と少年の掛け合いに翻弄されているだけなのです。瓦礫の山と化したこの校舎の中心地で、呆然としていただけなのです。いっそある種の幻覚であると信じ込みたいほどのファンタジーに塗れたこの現実を俯瞰して、へえ〜……とどこか他人事に思っていた。私はどうしようもない人間ですね。恥の多い生涯を現在進行形で送っております。
「どうしたいと言うのはいささかアバウト過ぎたか……。よし、質問を改めよう。貴様はどちらについていきたい?」
「え、えと。それは」
「魔王か、勇者か」
……勇者。
ああ、あのギルバードとかいう少年は勇者だったのですね。納得納得。そりゃ魔王とも気軽に話せるでしょう。謎が一つ解けて一安心です。
さて、どちらについていけばいいのでしょう?
「決められないのなら」
と、ヴォイドが言いながら、私の首根っこを掴みます。優柔不断が座右の銘である私が質問に言い淀むことはよおくわかっていたのでしょう。魔王で、私の体を無遠慮に使っていた傍若無人ですからね。
だから、ヴォイドがとった行動はひどくシンプルでした。
「こちらで決めよう!」
私の首根っこを掴み上げて勇者に向かって放り投げたのです。
は? ありえません。少なくともか弱い(自分で言いたくはありませんが事実なので)女の子にとっていい態度ではないでしょう。宇宙空間かジェットコースターでしか味わえない、あの内臓がひっくり返るような気味の悪い感覚。それも一瞬で終わって、私はギルバードにキャッチされました。
お姫様抱っこの形で。
うわ、はず……。勇者ってやっぱこういうとこあるんですね。カッコつけイケメンというか、キザというか。一挙一動が王子様とでも例えましょうか。とりあえずギルバードは私をお姫様抱っこしたまま、ヴォイドに向かって叫びました。耳元だったので鼓膜が破れたかと思いました。
「ヴォイド!」
「なに! 怒るなギルバード! 今からちゃんと、説明してやる」
なぜか得意げになってヴォイドは言います。
「今から俺は世界を滅ぼす」
「……」
「そうさなあ……とりあえず北の方からゆっくりと。世界観光でもしながら、俺は各地で暴れ回ってやる。たくさん殺すし、たくさん死ぬ。全部壊れていなくなるんだ」
「……それを僕が止めろと」
「そうだ。期待しているぞ、勇者ギルバード。そのお荷物を抱えた状態で何人生かすことができるかな」
「ここで僕が君を殺せば誰も死なないとは思わないかい?」
「スポーツマンシップに則っていないのでNG。鬼ごっこだって最初に十秒数えるだろう?」
「魔王を殺すのにスポーツマンシップもなにもないだろ」
ギルバードはイライラしているようでした。まあ、今から世界滅ぼすから止めてね(笑)なんて言われたら普通にムカつきますね。そりゃそうだって話です。
魔王は勇者を試すためだけに世界を滅ぼすことにしたようでした。
考えない葦は考えないが故に感情的で、どこか幼児みたいで。だから、他人の迷惑も損害も考えず行動します。勇者と遊びたい魔王は世界に厄災を振り撒く。傍迷惑ですね。まさに傲慢。傲岸。驕傲。傲然。無遠慮に不躾に、他人の大切を踏み躙って高笑いをあげる、魔法のような生き物。
「さて、夕月。貴様は勇者の足を存分に引っ張ってくれ。期待しているぞ」
されても困る、という言葉は喉に魚の骨のように突っかかって出てきてくれませんでした。ヴォイドはふんと鼻で笑ってから、恭しくお辞儀をします。
「俺の遊びに付き合ってくれて感謝するよ、ギルバード」
「……どうせ否が応でもやらせるくせに」
「それでも、だ。年月が経って丸くなったかね」
それじゃ、とヴォイドは軽い軽い軽い挨拶をして。
どこかに消えました。
ワープでもしたのでしょうか。魔王だし、それぐらいはするんでしょうね。どうしようもなく摩訶不思議です。
そんなことより。
私は突っ込まねばならぬことがあります。
「あ、あの」
「なんだい?」
「おろしてくれません、か」
「……ごめん」
あっさりギルバードは私を降ろしました。もちろん丁寧に。首根っこ掴んで放り投げたヴォイドとはえらい違いです。ぺたりと地面に足をつけて、私は一息吐きました。ギルバードはなぜか苦しそうな顔をしながら、私に頭を下げてきます。急です。びっくりした……。そういうのはもうちょっと経ってから、せめて私の心拍数が落ち着いてからやってほしいのですが。ギルバードは意にも介さず搾り出すように告げました。
「巻き込んでしまってすまない」
「は、はあ……。ヴォイドがやったことですし、あ、あなたは悪くない、のでは」
「それでもだよ。本当に、ごめん」
頭を上げてくださいと言うまで、彼はずっと謝り続けました。やめてほしいです。私は誠実さのかけらもない人間なので、時たま聖人君子みたいな人間と関わると、自分の惨めさに気づいて死にたくなるので。うわ、私ってクズ! 死んだ方がいい! という思考に陥ってしまうので。それにギルバードは勇者です。なぜだか魔王に気に入られている少年。そんな大層な人間に頭を下げてもらうほど私は大した人間じゃないし、そもそも私は魔王に体を貸していた身なので、とにかく謝られることなんて微塵もなければ逆に私が謝らなければならなかったりして、混乱していました。
「こ、これから」
それでも私は質問します。疑問をこぼします。この勇者についていくと決めた(決められた?)からには、私は未来を把握しなければなりません。今までのように成り行きに身を任せていたら、きっと私はまた殺してしまうでしょうから。
そうならないように。
「あなたは、どうするんですか」
「……そうだね」
ギルバードはうんうん唸った後、なんとも言えない顔、有り体に言ってしまえば情けない顔で、私に提案します。
「腹ごしらえでもしない?」




