27.うるせえくたばれ!
というわけで、ヴォイドは山羊夕月の肉体を捨てた。
捨てたというか、なんというか……。ここら辺は説明がちょっと立て込んでいるので後回しだが、とにかくヴォイドの魂を別の肉体に移し替えることにしたのである。使ったのは転がっていた白衣青年の死体と男子学生の飛び降り死体。景気良く二つ。うえい。パーツもいじって見た目をヴォイドに似せて、よっこらせと乗り移ってみた。なに、元から死んでいる身なのだ。幽体離脱〜のコントを実践したってなんの問題もない。モーマンタイ。
魔王ヴォイドの全盛期。
可憐な女子高生ではなく、黒髪の男である。暗黒色に染められた貴族の衣装をきたイケメン。自分で言うのもなんだが、ヴォイドは顔が良かった。べらぼうに良かった。じゃなきゃあんな運命を辿らない。ヴォイドは顔が良かったからこそ生き延びて魔王になったのである。ちょっとでもパーツが違っていたらゴミ箱送りになっていたことだろう。くわばらくわばら。ヴォイドは自分の姿形に感謝しながら、転がっていた死体二人分を使ってえっちらおっちらツギハギパッチワークをしたのであった。
「随分かっこよくなったねえ。ちょークール。せっかく用意した羊の皮は気に入らなかった?」
相対した『ジャッジメント』はひどく冷静だった。
ヴォイドとしてはここらでいっちょ驚かせたるか! といたずらっ子のように考えていたので拍子抜け。つまんねえ。泡吹いて気絶するぐらいのリアクションを期待していただけに、ヴォイドの気分は右肩下がりの急降下となる。頬を膨らませてぶーたれたいところだが、一端の成人男性の姿となってしまったヴォイドがやっても可愛くないのでやめといた。そこらへんの常識はある。女子高生の姿だったらやってたかもね。可愛いから。
「羊ってか山羊だろ」
「どっちにしろ生贄だよ。変わんないって」
「そうか? 名は大事なものだ。個体名なら尚更な」
「捨てたものを今更大事にしろって言われてもね」
「もったいない」
「あっそ。どうとでもどうぞ」
『ジャッジメント』はどこまでも冷たかった。自分の主義主張を曲げようとせず、ただ淡々とヴォイドの戯言を受け流す。つまんねえ。
それにしても。
少年十字軍の長が、こんな小さい女子だとは思っていなかった。
十にも満たぬであろう、金髪碧眼の少女。服装は似つかわしくない黒色のローブ。それと右手に木槌。格好だけ見れば裁判官のコスプレをしたただのガキだが、まあ、違うんだろうな。軍服やら文学系メリケンサックやらを見てきたヴォイドにとって目新しさはない。キャラは立ってるな、それぐらいの認識。
『ジャッジメント』という名に相応しい。
そんな少女。
まあ、だからなんだと言って仕舞えばそれまでだ。『ジャッジメント』が文字通り裁判官の格好をしていようが、そんなのは関係ない。名は体を表す。だからなんだ。戦いに意味があるか? 答えはない、だ。ここ、テストに出る。
だから、彼女の実力は、目で確認できていない。
今の所、ヴォイドの評価はコスプレ裁判官少女である。
「それで?」
ヴォイドは雑談を続けることにした。
どうせ『ジャッジメント』は死ぬ。なら、ここで色々聞いといた方がお得だろう。
「貴様は何がしたかったんだ。殺し追い詰め利用して、貴様は何を成し遂げたかった」
「魔王と勇者を殺したかった」
「アー……それ以外で」
「じゃあ、主人公になりたかった」
主人公。そんないいもんじゃないんだけどなあ。この夢見がち殺人犯は純粋に主人公の地位を羨んでいるらしい。おや、馬鹿もここまでくると面白いもんだね。彼女はただ主人公になるためだけに頑張ってきた。ヴォイドが作り上げた舞台を監督者として弄って、変えて、ここまで引き伸ばした。
「主人公になりたい理由は」
「……言う必要ある?」
「あるさ。単純に気になる」
「そんな個人の知的好奇心だけで応えるほど、軽い理由じゃないよ。言ったところで主人公である魔王ヴォイドにはわからないだろうけど」
「わからんさ。わからないなりに理解する努力はしてやろう。して、なぜ貴様は主人公の席に固執している?」
「わかんないなら聞かないで。努力してもしなくても、どうせ『ジャッジメント』たちの気持ちなんてわかんないままだもの。言うだけ損だね」
「どうせもうすぐ使えなくなる口だろう。多少の損なぞ意に介さず、ちゃちゃっと言ってくれりゃあそれで済む話。ほら、答えろ。貴様がここまで物語を作り上げた理由」
「やだ」
「言えって」
「だからやだって言ってあげてるんでしょ」
「強情だな」
「魔王ヴォイドに言われたくないね」
ベーっと『ジャッジメント』は舌を出す。おや、年相応。ここだけ見ると可愛らしい少女だが、本性は主人公に執着するめんどくせえ女である。少年十字軍軍長である。つまり血みどろ。血塗れ。死体の山の上で高笑いしている化け物。
いや、怪物ではないんだけど。
「『ジャッジメント』たちはただ、魔王ヴォイドと勇者ギルバードを殺すためだけに頑張ってきたんだよ」
木槌をぎゅうっと握りしめながら。
「今日、それが叶う。こんなことで言い争っている暇があるなら、さっさと次のシーンに移りたいんだ」
「おいおい、そんなに焦るなよ。どうせ結末は変わらない。ここで会話を引き伸ばしたってなんの問題もない。それに、探偵がトリックを解説した後は犯人が犯行理由を述べるのが定石だろう」
「これ、探偵小説じゃないよ」
「そんなこたぁわかってる。ただの例えだ」
「そう」
「つめた……」
ヴォイドは泣きそうだった。悲しい。こんな悲しいことがあるだろうか。おいおいと嗚咽を漏らしながら泣きたい気分である。もっと優しくしてほしいものだね。
「殺してやる」
「どうやって」
「みんなの力を借りて」
「急にホビーアニメみたいなことを……。貴様は友情に熱いキャラだったかね」
「そんなことないに決まってるじゃん」
『ジャッジメント』はどこまでも冷静に、冷淡に、冷酷に。
ヴォイドを睨め付けながら、木槌を振るった。
「『増幅』──『理性なんていらない』」
……『ハッピーハート』?
ヴォイドは少々混乱する。どこからか甘い匂いがしてきたので一旦肺呼吸を止めて、混乱を再開する。はて、確か『ハッピーハート』とはレガリアが言っていた少年十字軍のお一人ではなかったか?
もしかして。
「『住み心地だけは良く』、『弱者でいたくない』、『知ってしまいたい』、『さっさと終わらせよう』、『受け流していこう』」
なあるほど。とっても趣味が悪い。仲間の力を借りたとは言うが、こりゃ借りたってか奪ったと言った方が正しいだろう。
このご時世で、科学が発達したこの世界で、魔法を使えるようになるほど絶望した少年少女ら。とても個人的で限定的で、まさしくミセルの『開封』のような、そいつの絶望が詰まった魔法。
本来ならば、『ジャッジメント』には使えないはずの魔法。
「他人の不幸は蜜の味かね」
「さあね。舐めすぎて味もわからなくなっちゃったよ」
「馬鹿舌が」
「魔王ヴォイドにだけは言われたくない」
『ジャッジメント』が木槌を振るう。どこにもぶつかっていないのに、かあんと音がする。
ヴォイドはなぜか重たくなった体で、『ジャッジメント』に好奇の視線を向けた。
「『自由に弾丸を操りたい』」
どこからともなく落ちてきたライフルの銃口が、まっすぐヴォイドに向けられて。
「これで死んでくれたら楽なんだけどな」
「死んでやろうか?」
『ジャッジメント』が黙って引き金を引いて。
ヴォイドはぼそりと呟いた。
「『水先案内人』」
……
ヴォイドの戦闘スタイルはとりあえずぶっ壊しとけ、である。
つまり周辺の被害を気にせず馬鹿みたいな威力の魔法をぶっ飛ばすってこと。端的に言えば火力馬鹿。後先考えぬ脳筋野郎。そもそも、街ひとつ氷漬けにしたやつが今更周囲のことを気にするかと言われたらせず、それ故に全てを瓦礫の山に変える勢いで魔法を放つのだ。それは少年十字軍の皆様を私用で殺した『ジャッジメント』も同じだったらしく、開始数分で学校はぶっ壊れた。
いやほんと。無惨なまでに。
ヴォイドは保健室だった場所の瓦礫の山からなんとか這い出る。あっぶなかった……。あのままだったらヴォイドは瓦礫に埋もれて死んでいた。こんなところで魔王が死んだら一生モノの恥である。不覚である。のたうち回って狂い死ぬかもしれない。とにかくヴォイドは文字通り這う這うの体で瓦礫から脱出したのであった。
「くそっ……『水先案内人』はやりすぎだったか? いや、お相手さんも後先考えずに連発してたからおあいこか」
粉塵に塗れた服をぱんぱん叩いて気持ちだけでも汚れを落とし、立ち上がる。おお……派手にやったな。夜の学校は天変地異でも起きたんかってぐらい気持ちよくぶっ壊れていた。それなりに好み。少なくとも、あの辛気臭い処刑場のような場所よりは。
「『条件付きの淘汰を』」
「『身の程知らずな炎』」
上から声が聞こえたので反射的に燃やした。電子的なブロックのような四角い何かが燃え尽きて瓦礫を構成する一部分になっていく。油断禁物。命大事に。相対しているのは少年十字軍の長、『ジャッジメント』なんだから、気は引き締めていくべきである。レガリアの時のようにはいかないんだから。
うず高く積み上がった瓦礫の上に、金髪碧眼少女がいるのが見える。木槌を持った可憐な女の子が、こちらをじっと見つめている。
「『自由に弾丸を操りたい』」
「同じ技とは芸がないぞ処刑人!」
「ああ、そっちもあったね。『裏切り者を殺させて』」
何やら思い出させちまったらしく、変な動きをする弾丸とくるくる回転しながら近づいてくる斧がヴォイドを狙う。とりあえず結界を張ってどうにかする。があん! と甲高い音が鳴って銃弾と斧が地面に落ち、ヴォイドは『ジャッジメント』を睨みつけた。
「貴様、趣味が悪いな」
「それほどでもないよ」
「他人の褌で相撲をとるなよ。貴様は貴様なりに絶望してきたのだろう? できるなら、死んでいった少年十字軍の魔法ではなく、貴様の魔法が見てみたいものだな!」
「見せてるじゃん」
「は? 寝言は寝ていえ」
「そっちこそ。戦闘中に居眠りは感心しないよ」
『ジャッジメント』は涼しい顔でそう言い退けた。はあ? ムカつく。ムカつくが、見抜けていないヴォイドもヴォイドだったので素直に口を閉じた。さっきから見せてると言われましても……うーん。あ、あれ? 仲間の『魔法』のコピー? あの、魔法とも呼びたくない荒削りな欲望の塊を、『ジャッジメント』が私的に使えるようにする魔法。なんだろう。最初に『増幅』とは言っていたけど、もしかしてそれかな。
「増やすだけの魔法か?」
「それともう一個だね」
『ジャッジメント』は木槌を二度振るう。かん、かんと音がする。
「『停滞』。みんなの絶望をそのままにした魔法だよ」
「……おえって感じ。やはり貴様の精神はまともではないな」
「そう。そんなことわかりきってるから、わざわざ言わなくていいよ」
『ジャッジメント』はどこまでも冷静だった。くそう。こっちはなんだかフラフラしているのに。反射的に魔法が使えないのに。なんでこいつピンピンしてんだろう? 最初のあれかなあ……『ハッピーハート』とかいうやつ。甘ったるい匂いがした、あの魔法。どうも上手く頭が働かない。危機に対して反応できない。他の『魔法』との重ねがけってセンもあるにはあるが……あー、なんだ? 意味わからん……。自分の思考なのに、わからない。理解できない。外国語の哲学書を読んでいる気分である。わけわかんねえ。どういうこと?
今のヴォイドは本調子ではない。
だから、なるだけ引き延ばす。この『魔法』の効果が切れるまで。
「……貴様はなぜ、主人公になりたいんだ」
「だから、言ってもわかんないでしょ。だから言わない。これでこの話はおしまいだね」
「おいおい、喧嘩ふっかける側はそれでいいのかもしれないが、巻き込まれる側としてはそうはいかないのだよ。せめて相手を殺す理由ぐらいはあったほうが、夢見がいいってものだ」
「魔王ヴォイドの夢見なんて知らないよ」
「冷たいなあ」
ヴォイドはからから笑った。ここで会話に応じてくれるってことは、お相手もそれなりに疲れている証拠だろう。じゃなきゃその十人十色な『魔法』でもって、ヴォイドを殺している。いや、殺されてやる気は毛頭ないし、そもそもヴォイドにはヴォイドの目的があって『ジャッジメント』にかまけている暇はないし、だから。
だからヴォイドはさっさと『ジャッジメント』のファクターを知って、主人公らしくぶっ飛ばさなければならないのである。
「主人公に『ジャッジメント』たちの気持ちはわかんないよ」
「そうかね」
「そうに決まってる。言いたくもない」
「頑固」
「なんとでもどうぞ」
『ジャッジメント』は揺るがない。これも『停滞』の効果なのだろうか。心情の大幅な変化を抑えつけ、環境を滞らせる。いやだいやだ。ヴォイドにとっちゃやりにくいことこの上ない。まだ謎の浮遊感は抜けきっていないのである。酩酊感とでも言おうか。そういった、霧のようなものがするりと頭蓋骨の中に入ってくる感覚。気持ち悪い。さっさと追い出したいが、原因となった『魔法』もわかっていないのでは解析に時間がかかる。
つまり、面倒臭い。
かったるい。
「ところで、主人公の苦しみを貴様は知っているのかね」
ヴォイドはフラフラの頭で質問を絞り出す。『ジャッジメント』が目を細めたのがわかった。
「知ったこっちゃない、って言えるかな。パンもない貧乏人にとっては、ケーキの甘ったるさを嘆く貴族様の苦しみなんて想像すらできないからね」
「マリーアントワネットもそこまで言ってないと思うが……とにかく。貴様が執拗に主人公を望むが、それ相応のリスクについては知っているよなって話だ。まさかメリットだけ見て望んだのではあるまいに」
「リスク? リスクなんて知らない。『ジャッジメント』たちは主人公になれさえすればいい。その後のことなんて、考えてすらいないよ」
「蒙昧だな」
「だから何?」
『ジャッジメント』がイライラし始めているのが、少しだけ肌感でわかった。いい兆候だ。変化はとても好ましい。少なくとも、この場においては。
「そもそもだ」
ヴォイドは長い長いお説教を始める。世間様のことを何も知らない、まさに無知蒙昧お嬢様に厳しい現実を叩きつけて蝿のように殺してやろうと思い立ったからである。ぶんぶんぶんぶん鬱陶しいったらありゃしない。五月の蝿と書いてうるさいと読むのだ。いいかげんいやになってきた。これでも気は長い方だと自負しているが、そんなヴォイドでも我慢ならなくなったのだ。
さっさと死んでくれ。
付き纏いがこんなに不快だとは。新しい発見だね。ストーカーが法律で規制されている理由がよおわかる。この主人公毒されストーカー少女を即刻地獄送りにすべく、まずは精神面から叩き折ってやろう。どうせ殺すなら全部壊してから。この鬱陶しい蝿を切り苛んで殺してやる。
「……そもそも?」
「主人公になって、貴様は何がしたい? ああ、言わなくていい。理由がなんであれ、この話には関係ないからな。異性にモテたいとか、世界を滅ぼしたいとか、お金持ちになりたいとか、どうしても救いたい人がいるとか、復讐とか、善業とか、とにかくなんでもいいんだよ理由は。貴様の目的、理由、因子がなんであろうが、余にとっては至極どうでもいい」
「……」
「さて、話を戻そう。貴様が主人公になった後の話だ。貴様は主人公となり目的を達成し、さて、それからどうするつもりかね」
「どうする、って。そのまま主人公であり続けるよ。いや、あり続けることこそが『ジャッジメント』が主人公になるワケだもの。手段だね。『ジャッジメント』は永遠に主人公であり続ける」
「ふうん……。ま、そこはどうでもいいな。とにかく! 余が言いたいことは『舞台から降りられなくなったことに気づいてももう遅い』ということだ」
「どういうこと?」
『ジャッジメント』は素直に首を傾げた。ヴォイドはそのままの勢いで喋る。ノリで口を動かす。
「主人公は死のうがなんだろうが舞台上にいなければならない。彼彼女がいてこその舞台で、演目だからな。観客はいつだって主役の動向を気にしている。主人公が活躍すれば拍手喝采だし、主人公が死ねば感涙極まるんだ。降りられない。降りたら舞台が死ぬから、降りることが怖くなる。言葉を変えてしまうなら、皆の命を背負っていることになるのだからな」
「……でも、魔王ヴォイドは背負ってなさそうに見えるけど。どちらかといえば殺す側だし、『トリックスター』のように物語を掻き乱す役でしょう」
「そこからなのだよ」
ヴォイドは名探偵のように人差し指を立てて振る。
「魔王は別に主人公の代名詞ってわけじゃないってことだ。ただ、この舞台の骨組みを作ったのが他でもない魔王ヴォイドだったから、こうなっているだけでな。真の主人公は勇者だよ」
魔王は主人公ではない。
魔王はこの舞台を作った、いわば原作者である。決して主人公ではない。監督者に近しい目線で、物語を動かしてきた。
「だから、何……!」
『ジャッジメント』は我慢ならなくなってきたのか、苛立たしげにヴォイドに吠える。新情報ばっかで混乱してるのかしらん。可哀想にねえ。
だって、『ジャッジメント』はひたむきに、魔王を主人公として見ていたから。
魔王なんて殺す必要なかったのに、わざわざ歯向かってきてさ。ぜーんぶ徒労。気苦労。骨折り損。勇者を中心に添えて計画を立てりゃよかったのに、『ジャッジメント』は何を気迷ったか、魔王を目標に据えて突き進んできた。だから言ったのだ。遠回りだって。どこか向いている方向が違うって。勇者をぶっ殺せば晴れて主人公だったのに、このクソバカ裁判官は方針を誤った。
「『ジャッジメント』のやることは変わらないもの! 勇者も魔王もどっちも殺して、『ジャッジメント』が主人公になるの。変わらないよ。魔王はどっちにしろ邪魔だから、殺す。それでいい。単純明快な理由だね。ここまでやってきたんだから、今更、そんな情報出されたって軌道修正は不可能だし」
「そうかい」
「そうだよ」
『ジャッジメント』が木槌を振るう。かんかんかん! と甲高い音がする。
「『閉じこもりたい』」
ボコボコ、瓦礫の山が不可思議な形に変わっていく。あれだ。超有名四角いサンドボックスビデオゲーム。クリーパーが爆発するやつ。のっぺりとした灰色の立方体になっていく瓦礫を見ながら、ヴォイドはなんとなしにそう感じた。おっと、こんなことを考えている場合ではない。立方体がヴォイドを囲む。どうやら押しつぶす算段らしい。
「『猫はどこに行ったんだ?』」
とりあえず完璧に覆われてしまったので、潰される前に己を曖昧にして逃げた。シュレディンガーさんありがとう。あと豆知識収集癖のある自分もありがとう。なんとなしにノリで作った魔法も、いざという時に役に立つ。するりと立方体から逃げ出したヴォイドはお返しと言わんばかりに『ジャッジメント』に殺意を向けた。
「『人馬の射手』」
百発百中の弓矢を作り出す魔法。ギラギラ輝くそれを、ヴォイドはなんのためらいもなしに『ジャッジメント』に放とうとする。
「『恐れられたい』」
怖いな。
ほんの少しの恐怖心、つまり矛先のノイズによって、弓矢は上手く当たらなかった。クソだな。即刻くたばってくれ。『ジャッジメント』は木槌を振るう。蠢く立方体に飛び乗って、少し距離を取ろうとしているらしかった。
「埒が開かん! 降りてこいクソガキ!」
「『ジャッジメント』をクソガキ呼ばわりしちゃうような魔王のとこには行きたくないかな!」
お互い叫びつつ罵倒する。どんどん『ジャッジメント』は離れていく。塔のように聳え立つ立方体の上で何やら叫んでいる。だるま落としの要領で蹴落とせないかと、不気味な立方体を蹴り付けてみたが、びくともしなかった。
「『閉じこもりたい』!」
立方体がヴォイドを殺そうと迫ってきた。ええい鬱陶しい! 同じ技は芸がないと言っとろうに!
「『崩壊』」
ガラガラガラ! と音を立てて立方体のタワーが崩れ去った。ヴォイドを責め立てる他の立方体はとりあえず足払いと腕で対処。落ちてきた『ジャッジメント』は至極冷静で、ちょっとだけムカついた。
「『停滞』」
おっと、その手があったか。
滞った時間の中。ふわふわと、まるでスローモーションのように物体が落ちてくる。例に漏れず『ジャッジメント』もふわりと着地する。時間の進みが遅いとそんな芸当ができるようになるらしい。便利だな。ゆっくりな中、『ジャッジメント』は素早く木槌を振るう。
「『増幅』」
立方体が倍以上になった。ボコボコに地面が膨らんで、またヴォイドを囲う。
見飽きた。
「『巨悪なる終焉』」
一斉に全て崩れた。
うーん……最近使った魔法だからあまりやりたくなかったんだけど、しょうがないよなあ。使い勝手がいいのが悪い。そういうことにしておこう。こいつ相手にあまり出し惜しみしたくないからね。
「『殴り殺してやる』」
「最後は肉弾戦か!」
あぶね。咄嗟に張った結界により『ジャッジメント』の拳が止まった。本当に危ない。あの暴力系文学少女と同じ拳を何度も喰らいたくない。そもそもヴォイドは接近戦が苦手である。
「『蠍の毒針』」
魔法で作った蠍の尾っぽが『ジャッジメント』を上から叩き潰そうとして、逆に殴られて消えた。わお! 面白えことすんじゃん。素直に感動だね。
「おい! 貴様の目的はなんだ!」
ヴォイドは飽き足らず聞く。何度でも何度でも。どうせ答えは返ってこないと知ってはいるけれど、それでも聞かずにはいられないから、聞く。
だって、『ジャッジメント』が答えれば。
「言わないって、言ってるでしょ!」
『ジャッジメント』は殴りかかってくる。ヴォイドはちょっとづつ後退し、その隙に様々な魔法で殺せないかと様子を伺う。百発百中の弓矢は殴って折られ、炎は避けられ、氷は叩き割られ、もう一度尾を叩きつけても殴られた。防戦一方。でも答えてくれりゃいい。少なくとも、今は。『ジャッジメント』はヴォイドに一極集中しているから。
とりあえずヴォイドは彼女の右フックをなんとか躱し、それからどうすべきか一瞬だけ考えた。まだ浮遊感が抜けきっていない。足元がおぼつかない。悪化している? そんなまさか! あり得ないだろうとヴォイドが一蹴したその瞬間、『ジャッジメント』のパンチが脳みそを揺らした。
真正面から殴られたのだとわかったのは、綺麗な夜空が見えてからだった。これ倒れてる? 倒れてんな。だって背中痛いし。やばい。立ち上がれない。グラグラする。死因がいたいけな女の子のパンチってちょっとダサいような、そうでもないような。とにかくどうにかしなきゃなんだけど、ぐらつく脳髄は命令信号を体に送ってくれない。
「……いい眺めだね、魔王ヴォイド」
『ジャッジメント』が何か言っている。くそ。聞こえねえ。でも多分悪口だ。この状況で悪口じゃなかったらなんなんだって話だからな。
「『ジャッジメント』たちはいつだって消費される側だよ。適当な不幸と適当な悲劇を押し付けられて、ああ、可哀想だねって言われてから死ぬの。いやだ。耐えられない。消費しないでほしい。ちゃんと見てほしい。そう願うのはおかしいことかな、魔王ヴォイド」
「うるさ……」
「魔王ヴォイドの立場からしたらそうかもね。いつだって丁寧に扱われる主人公から見れば、『ジャッジメント』たちのお願いはひどく陳腐でチープに見えるかも」
ゆっくり聴力が回復する。まだ起き上がることはできない。それでいい。『ジャッジメント』の一人語り。犯行理由を吐き出した犯人の行く末なんて、地獄の底以外にはあり得ないだろう?
彼女は生きているだろうか。
捨てられた羊の皮は、瓦礫に埋もれて死んでなきゃいいけど。
「『ジャッジメント』たちの悲劇をなかったことにするな。『ジャッジメント』たちの不幸をエンタとして消費するな」
「……それが、貴様らの願いか?」
「そうだね」
ヴォイドは。
ちょっと笑いそうだった。
いや、こんなの笑うだろう。幼児の癇癪の方がまだ筋が通っているもの。『ジャッジメント』たちは確かに不幸で不幸でたまらなくて、いっぱい絶望してきたのだろう。しかしそれを消費するなとは! ちゃんちゃらおかしいことを言うもんだな、『ジャッジメント』。ヴォイドは多分さっきから流れっぱなしだったであろう鼻血を舐めとって、ふわっと笑った。慈悲深く微笑んでやった。
「くっだらねえ願いだな」
『ジャッジメント』の金切り声のような何かを遮って、ヴォイドは続ける。
「そもそもだ。人生はエンタでなくてなんなのだね? 貴様は他人に人生を娯楽商品として消費されることを拒んだ。しかし、なぜ貴様が拒む? 他人の絶望をいいように扱って、主人公の座を手に入れようとした貴様が、なぜ、それを願う?」
「う、うるさ」
「どんな人生だって適当に記憶媒体に保存すりゃ娯楽になる。それは百四十文字の短文でもいいし、写真とハッシュタグ塗れの画像でもいいし、縦長のショート動画でもいい。他人の人生を消費しない人生なぞ、あり得ぬだろう」
そもそも。
「主人公は最も消費される立場にあるが、そこはどう考えているのかね」
主人公になれば、絶望を軽んじられないとでも思ったのだろうか。
「……もういいよ」
『ジャッジメント』はどこからともなくライフルを取り出す。『スナイパーライフル』のやつかね。あの古臭い猟銃の先を、『ジャッジメント』は正確に、ヴォイドの頭に向けてきた。
「『ジャッジメント』が主人公になるんだから、魔王ヴォイドのおべんちゃらなんて関係ないものね」
「そうかい」
ところで、『ジャッジメント』は視野狭窄に陥っている。
視界が狭まる。意識が狭い。魔王ヴォイドに集中しているから、周りのことなんて気にしていられないのだ。戦いの中ではよくある話で、これが『ワーカーホリック』や『スナイパーライフル』だったらそれでも周囲の安全を欠かさなかっただろうけど、『ジャッジメント』はできなかった。
だから背後に迫ったボロボロの山羊夕月に短剣で刺されて死ぬのである。
ヴォイドは捨てた皮に魂を呼び戻しておいた。死者の蘇り。迷子になっていた魂を引っ張ってくるのは思いの外簡単だったな。いえい。大成功。『ジャッジメント』へのドッキリとして山羊夕月はひた隠しにしてきた。結界の中に閉じこもってもらった。生き返ったなんて教えたやらなかった。新鮮な反応が見たかったから。イタズラ心である。
んで、ここからが本題ね。……『ジャッジメント』の主義主張を聞いて、彼女はどう思っただろう? 絶望を最も利用された彼女は、『ジャッジメント』の独りよがりを聞いて、何を感じただろう? 答えは殺意である。自己中極まりない『ジャッジメント』を殺したいと思った。魔王はあらかじめナイフを渡していた。
だから『ジャッジメント』はかつての実験材料に刺されて死ぬ。
なに。
主人公が活躍するのは、おかしなことではないだろう?




