それぞれと、これからと。
“さようなら” 佳那は、呟きながら次の言葉を打ち込んでいた。
“私はまた、何時でも待ってますよ”
送信のボタンに指が触れれば、また次に繋がるかもしれない……
自分から仕掛けた罠だったはずなのに、悔しさなのか悲しさなのか、それとも惨めさなのか、自分でも整理のつかない感情がポロポロと零れ出す。
ただお互い足りない物を補い合うだけの関係。それ以外、亘に何かを求める気持ちなどなかったはずが、何時しか“もう少し居て欲しい”そんな欲が出てきたことへの不安が、妻への挑戦という形になった。気付くか気付かないかも分からない、自分の存在を文字通り匂わせる方法。それが当たったのかどうかは確認のしようが無かったが、意図した通り決着の時を迎える事が出来た。
亘と、亘の妻の気持ちを確認してみたかった。しかしそれはすでに、2人が並んで立つ姿を見た瞬間に“終わった”事を確信させていた。そこには、1組の夫婦が居た。当たり前の事だが、間違いなく、夫婦だった。佳那にはそう見えた。自分が築き上げる事ができなかったもの。それを見せつけられた気がした。もうそれで十分だった。
それなのに、虚勢から意地の悪いことを言ったにも関わらず、提案が意外にも受け入れられてしまった事に、一瞬戸惑い気持ちが揺らいでしまった……しかしそれを亘が断ち切った。それが当然なのだと、理解する気持ちが有りながらスッキリしないのは、次に繋がるかもしれないようなメッセージを送ろうとしているのは、亘をすでに本気で好きになってしまっていたからだろうか?自分には結局何も残らない虚無感からだろうか?
自業自得……あんな男に身を委ねた、あの温もりに逃げた、自分の浅はかさに、今度は笑いが込み上げてくる。
“さようなら”
それをどこかで自分も望んでいた。佳那は送り損ねたメッセージと共に、亘の存在を画面から“削除”した。
* * * * *
日常は、何も変わらない。
朝は家族揃って朝食を食べる。子供達は学校へ、亘は仕事に行く。由美子は皆が出た後、掃除、洗濯、買い物、食事の支度……と、家の仕事に忙しく過ぎる日々。
日々は……そうして過ぎていく。地味でつまらない事の繰り返し。しかし、それが何よりも大事であるとは、平凡な中では気付かない。
梅雨が過ぎ、夏が過ぎ、秋を感じたと思うと直ぐに冬はやってくる。凍った大地もやがては溶けてまた春がくる。自然は、自然の摂理など知っている訳でもないのに巡ってくる。
「あ、そうだ。また庭の草、伸びてるよ。ねぇ、パパ」
休日の朝の食卓で、何時もよりはのんびり食べている亘に由美子が訴える。
「えー、大翔、お前たまには草むしり……」
「ムリムリムリムリ!部活だっつーの!もう行くから!んじゃ頑張って!」
朝食を一気に食べ終えた長男がバタバタと無駄に大きな音を立てながら逃げるように家を出る。
「あっ!愛莉ちゃん。どう?たまには奉仕活動的な……」
「パパ!私、今年は受験生なの。塾もあるし、勉強しなくちゃならないんだから。ね?分かるでしょ?」
「あぁ。やりたくないのね。はいはい」
高校3年になった愛莉は“受験生”を都合よく免罪符に使う。
「じゃ、ママ一緒に……」
「私は家の中担当。パパは外担当、でしょ?それに、どうせやる事ないでしょ?」
「はい。そのとーり」
亘は諦めて、朝食が終わると草むしりをするための支度を整えた。
除草剤を撒いていても、春にはまた新しい草が生えてくる。逞しい生命力も、せっかく咲いた可愛らしい花も、容赦なく抜いていく。気付くと、前に根が張りすぎて抜けきれず、引きちぎった雑草からもまた新たに茎が伸びていて、一段と成長しているように見えた。
きっとまた、根っこはより強固になっているだろうと思うと、それだけ抜くのを止めた。どこまで成長するものか、見てみたい気持ちがあった。
暖かな春の陽射しでも、庭仕事をしているとやはりじっとりと汗ばんでくる。
愛莉がタオルを持って外に出てくると、
「ママが、これ。はい。汗ちゃんと拭いてよ!臭くなるんだからっ!じゃ、私、塾行くから。頑張ってねー」
とタオルを亘に渡すと自転車に乗り、そのまま出掛けて行ってしまった。
ランチはパスタだろうな、などと亘は考えた。会話は無くても今日は二人で向かい合って……
タオルで汗を拭き取ると、残り少し、亘はまだ若い雑草たちをきれいに抜き取り始めた。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。




