最終話:これ、私からのクリスマスプレゼントです
どうしよう。
ハンカチを差し出す、しかし顔を隠してるので気づかない。
じゃあ洗濯機を拭こう……あれ?
──ぶよんとする白濁のスライムには、大量の細かい毛が混じっていた。
「これは……鼻毛?」
「口に出さないで下さい!」
「ごめんなさい」
しかし俺の謝罪は店員さんの耳に届かない。
「独り身のイヴでも、せめて女子らしくしようと気合入れてグルーミングしたのに! その洗濯機の中に隠れたい! ううん、いっそヒーター乾燥で焼き殺して!」
ああ、何となく事情は読めた。
カットした鼻毛を完全に拭い去るのは難しい。
洗っても、ふき取っても、それでもだ。
そこにきて、この冬場の乾燥した空気。
鼻腔に貼りつき、大量に残ってしまったのか。
最初に見つけたアレも鼻毛だったのだろう。
鼻を擦っていたらしいから、拭き残しが指を介してくっついてしまったのだ。
そして室内は暖房も加湿器も十分に効いている。
そのせいで貼りついていた鼻毛が元に戻り、鼻腔をくすぐったのだ。
「まあ、こんなのは誰にでもある事ですから」
そのタイミングはともかくとしてだが。
「そんなわけないじゃないですか! こんな恥ずかしい女にダーリンがいなくて当たり前です! だから私は『ちっぱい』なんです!」
最後は全く関係ないだろう。
支離滅裂だ。
「えーと、その……店員さんかわいいです」
「ほっといてください! どうせ私は売れ残った半額ケーキを独りで食べるのが似合いな女です! おうちに帰ったら一〇個くらい一気に頬張って死んでやります!」
それだけ頬張るのもそれで死ぬのも無理だと思う。
──店員さんがようやく顔を上げた。
「今日はもう、お店閉めちゃいます! 出てってください!」
出てってくれと言われても……。
そんな涙まみれの顔で叫ばれたんじゃ、ほっとけない。
店員さんは再び突っ伏した。
俺は一体どうすればいい……あ、まずい。
ついに雪が降ってきた。
ええい、ままよ!
「店員さん、この洗濯機買います。家まで運んで下さい」
「そんな買物はだめです! ちゃんと自分で納得して買わないと後悔します! こんなウマレテキテゴメンナサイな女に絆されないでください!」
……貴女はプロだ。
しかし耳を貸す気はない。
怒鳴らない程度に語気を強め、きっぱりと申し出る。
「いいから! 早く車を回して積んで下さい!」
店員さんが肩を下げ、うなだれながら立ち上がる。
「表で待っていて下さい」
そしてか細い声でそう告げると、裏口へとぼとぼ歩いていった。
店員さんが自分を恥じて泣くなら、俺がもっと恥ずかしいところを見せれば慰めになるかもしれない。
なんせ俺の部屋は超絶たる腐海、しかも掃除と洗濯のやりかけでぐちゃぐちゃ。
本来なら女性に絶対見せられない。
そんな部屋を掃除してくれる女性など妄想の中にしか存在しない。
普通は呆れ返って逃げ出すだろう。
でもいい。
このまま店員さんが泣きじゃくるのは見てられない。
さっきは少しだけ期待したけど……所詮は淡い夢。
店員さん、イケメンと言ってくれてありがとう。
だけど俺こそ、独りで半額ケーキを食べるのが似合いの男だから。
※※※
マンションに到着。
店員さんが工具箱を手にし、のたのたと俯きながら車を降りる。
「まずは古い洗濯機を下ろして置場を開けましょう」
──部屋に到着。
鍵を差し込みカチャリと開ける。
「どうぞ」
店員さんが玄関に足を踏み入れる──ガシャーンと派手な音。
床には落ちてしまった工具箱、その中から工具が飛び散っていた。
店員さんが屈み、工具を拾い集める。
ただひたすらに黙々と。
あきれ返ってしまって物も言えないといったところか。
「こちらの洗濯機ですね」
店員さんの動きは先程までと打って変わり、てきぱき。
手際よく洗濯槽の水を抜き、水道ホースにアースと外していく。
あーあ、やっぱり。
でもやる気だけは戻ったみたいだし、いっか。
古い洗濯機を降ろし、新しい洗濯機を運び入れる。
先程と逆の手順で備え付けた後は試運転。
動作を確認した店員さんがこちらを振り向く。
「これで設置完了です。万一動作不良等のトラブルが生じた際にはお申し付け下さい。お買い上げありがとうございました」
いかにも事務的な台詞。
そして事件が起こる前とは打って変わった仏頂面。
まあ、こんな人間が住むと思えない部屋を見せつけられれば当然だろう。
ここはケジメ。
名残惜しいけど、俺も事務的に返そう。
「こちらこそありがとうございました」
店員さんは会釈してから、出口に体を向ける。
「では私はお店閉めないといけないので、失礼します」
ちょっ、まだ店を閉めるとか言うのかよ。
いじけ続けるのもいい加減にしてくれよ。
「気にするなって言ってるじゃないですか!」
つい声を荒げてしまっていた。
しかし店員さんはそれを意にも介さない風に、何やら言葉を口にし始めた。
「こんな大量のゴミ袋を一気に出したら管理人さんに怒られるだろうし、私が持って帰って……」
「あの、ちょっと」
「私がいない時でも掃除できる様にこないだ入荷した掃除ロボット持ってきて……」
「え?」
店員さんがくるりと体を翻す。
その顔は既に笑っていた。
「だって店を閉めてこないと、部屋の掃除が夜までに終わらないじゃないですか」
「ええっ?」
まさか、今からこの部屋を一緒に掃除してくれるって言ってる?
「ふふ、御客様って優しいんですね」
「何のことでしょう」
俺が思考を巡らせた時、店員さんは俺の唇を見ていないはずだが。
「唇読まなくたって、わかりましたよ」
店員さんは照れたのか、頬がくっきりと赤らんでいる。
耳までも真っ赤にしている。
一方の俺も顔が熱い。
きっと今の俺は店員さんと同じ表情だ。
「いや、その……」
店員さんが立てた指をついっと俺の唇に当て、ふるふると首を振る。
「今は何も言わないでください──」
指を離すと、ポケットから何やら取り出し、手渡してきた。
「──これ、私からのクリスマスプレゼントです」
「マスク?」
「こんな汚い部屋、ホコリで病気になっちゃったら大変でしょう」
「は、はあ……」
ごもっともです。
「そしてお掃除終わったら、マスクを外して──」
店員さんが猫の様に目を細め、自らの整った顔を鮮やかに花開かせた。
「──御客様が私に思ってくださったこと、全部教えてくださいね!」