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男と私の関係が分からないよう、証拠は隠滅しなければならない。
だから私は、男と連絡を取る携帯は使い捨てのガラケーを選んでいた。
手帳に男との約束の日にちなどを書き残したこともない。
もちろん、日記などに男の痕跡を書き残すような馬鹿な真似もしない。
カモはカモ。金を搾り取れるだけ搾り取ったら、さっさと縁を切る。そして二度と思いださない。顔も名前もあっという間に忘れてしまう。そして、次の男を探す。
それが今、完全に私の首を絞めていた。
ひびの入ったスマホを見ながら、私は放心していた。このスマホは『仕事用』ではなく『個人用』だ。買い替えたのは三年ほど前だろうか。確かに型は若干古いかもしれないけれど、だからといっていきなりひび割れることもないだろう。
スマホに入っている情報は全て、カモとは一切関係ない。カモの情報が入った携帯は、仕事が終わると同時に破棄している。つまりこの男に関する情報も、一切ないということだ。――私の脳内にあるものを、除いて。
「……あんたがやったんでしょ、これ」
スマホのひびを指でなぞる。段差もない亀裂は、けれども確実に画面を真っ二つにしていた。
男は答えない。ただ、笑っている。
「ねえ、謝るから! だから答えなさいよ! あんたが私にくれたプレゼントっていうのはどれ!? 鞄!? コート!? ハイヒール!? それとも腕時計!?」
化粧品かもしれない、家具かもしれない、食べ物かもしれない。そういえばオーディオもテレビもDVDデッキも、どこかの男に買わせたものだ。――私の周りにあるものすべて、どこかの男に貢がせたものじゃないか。
男は答えない。指をさすこともない。ただ、笑う。笑い続ける。声も出さずに、左半面だけで、にたりと笑うだけ。口から血が零れ落ちて、けれど床には染みもできなかった。
――殺すつもりなんじゃないだろうか。この男は。私の事を。
「悪かったって言ってるでしょう!? ねえ、どれなの!? あんたが私に渡したものっていうのは、どれ!」
男は笑う。ただ、笑う。――何がそんなにおかしいのだろう。
「っ……、あんたはいつまでそうやって」
『――いっつも笑ってるよね。その笑顔、好きだなあ。何がおかしいの?』
自分の声が、頭の中で重なった。私は目を見開く。
――言った。昔、誰かに。そう、カモである男に。よく笑うよね、と。
その笑顔が好きだと、嘘もついた。
「いつも笑ってるよね、その笑顔が好き……?」
自分の脳内で再生された言葉を、そのままなぞる。男は満足したように、口を大きくあけて笑った。潰れている右半面は、赤い肉が糸でも引いているようにぐちゃりと伸びる。口内にあるはずの歯は、ほとんどが砕けていた。
――よく笑う男。いた。確かにいた。いかにも馬鹿っぽくて、恰好のカモだと思った覚えがある。だけど、それ以外何も思い出せない。顔はもちろん、名前も、遊びに行った場所も、――何をもらったのかも。
「ごめ、ん……」
気づけば、勝手に謝っていた。
「本当に思い出せないのよ。私はあなたに何を言ったの? 結婚をほのめかした? 両親が病気だって嘘をついた? ねえ、何をくれたの。ブランドものをたくさん貰った? それとも電化製品? 車? ――違う、もらったものじゃない。私はあなたと、なんの話をしたの。どんな嘘をついて、」
どんな嘘をついて、この男を自殺まで追い込んでしまったのだろう。
結婚かもしれない、両親の病気かもしれない。私はこの男に、何を言ったのだろう。
もう、思い出せない。そしてもう、取り返せない。
「……名前」
この男の名前、は、なんだったのだろう。この男は私の偽名を覚えていて、嘘の年齢も覚えていて、嘘の職業も覚えていて。なのに私は、この男のことを全く覚えていない。
「あなたの……あなたの、名前は」
そこでまた、スマホがぴしりと音を立てた。ひびが増えたスマホに、私は肩を震わせる。
男は、笑っていた。けれど今度は、冷静に考える。
――彼は、どうして二回も、スマホの画面を割ったのだろう。
『……あれ。蒔絵ちゃん、スマホも持ってるんだ』
誰かの、男の、声。
……そうだ。一度だけ、たった一度だけ、このスマホをカモに見られたことがある。男に連絡するときはガラケーを使っていたから、「スマホに乗り換えようと思うんだけど、操作できるか不安だから、しばらくガラケーも解約せずに持とうと思ってるの」なんて嘘をついた。男は「へー」としか言わなかった。特別疑っている様子もなかった、気がする。
ピンクのカバーがされたスマホを、男はしげしげと眺めていた。
「――……まさか」
私はヒビの入ったスマホを手に取った。画面が故障しているところ以外、特別変わったところはない。スマホにはパスワードを設定してある。もちろんそれは私の誕生日だとかそんな分かりやすい数字じゃないから、男はスマホのデータまでは見ていないはずだ。
……だとすれば。
私はスマホのカバーをはずした。スマホ自体には特に変わったところはない。
けれど、カバーの裏に、身に覚えのないシールが貼られていた。
それはプリクラだった。いつ撮ったのか、そしてどこで撮ったのかも覚えていない。二人で笑っているプリクラ。そのうちの一人は私で、私の顔の下に「まきえ」と書かれていた。
そして、私の隣で笑っている男。今は、右半面を失くしてしまった人。けれど左半面は、写真と同じ顔で笑っている。
彼の顔の下に、書かれている文字。私はそれを読み上げる。
「……じゅんぺい」
隣にいる彼を、見上げた。
男は、先ほどよりも悲しそうな顔で、笑った。




