∮-8:仕返し
――売られた喧嘩は全力で買う。
それが我が家の仕来たりであって流儀。
その流儀に則り、噂でしか人となりを知らない男性から求愛を受けたは良いものの、いざ実際にその人と何をすればいいのかは判らない。ということにしておこうと思う。。
なので。
「とりあえず、お茶でも飲みませんか?」
自分でも些か頓珍漢な事を言っているなと分かってはいるけれど、コレはコレで仕方がない。
だって私はまだ子供も産めない子供であるし、今、私の目の前にいる麗しい人には、一生心を譲るつもりがないのだから。
「それとも、お酒の方が宜しいですか?因みに私は葡萄酒より、果実を絞って作ったジュースの方が好きです。」
「では、たくさん有るようなので、早速取って来ましょう。」
「まぁ、そんなご迷惑はお掛け出来ません。ですから、私も是非ご一緒させて下さい。」
私は私で、彼は彼でそれぞれ白々しい応酬のやり取りをする。
その一方で、私が別の敵の様子をこっそりと窺ってみると、例のご令嬢が、花も恥じらう麗しい顔を真っ赤に染め、悪鬼のような恐ろしい形相で、私を睨んでいた。
その目は彼に私が相応しくない。
本当に彼に相応しいのは侯爵家の令嬢である自分であると、雄弁に語っていた。
でも、私にはそんな事はどうでもよかった。
肝心なのは仕返しに必要な理由であって、嫉妬ではない。
そう思った所で、ハッと閃いた。
そして。
ふぅ~ん?
そう、そんっなに羨ましいの。
だったら・・・。
令嬢とその令嬢の取り巻き達であろう他家の令嬢達の嫉妬に駆られた表情を見て、にったぁ~、と、粘着質な笑みが自然に唇に浮かび上がったのは、その人達が私の報復相手の対象だったから。
多分今の彼女達なら、私に対して感じている激情から、致命的な何かを、衝動によってやらかしてくれるかもしれない。
そして彼女達は、やっぱり私の期待通りに、愚かしい行動を取ってくれた。
彼女達は私の思惑通り、私が出来たばかりの婚約者の腕に自分の手を預け、幸せそうな微笑みを浮かべながら、彼女達の前を通り過ぎようとした瞬間。
――バシャっ。
見事、彼女達は私の狙い通り、私に葡萄酒をぶちまけてくれた。
それは瞬時に騒ぎにはなったものの、その多くは直ぐに嘲笑にと取って替わった。
ぽたり、ぽたり、と、私の髪やドレスから滴り落ちてくる葡萄酒は、甘く・深い赤色をしている。
ねぇ、知らないでしょ。
分かってないからこそ、こんな無知な事ができるのよね?
私なら、もっと上手くやるのに。
残念ね?
この国では、他者にアルコールをぶちまける行為は、何をされても文句は言えない、愚かしくも、恐ろしい行動。
私は、私のすぐ横にいた婚約者に略礼した後、持っていた扇で彼女達の頬を強かに打ち殴った。
その直後に息を呑む音が聞こえたけど、もう遅い。
「手加減はしました。運が宜しかったですわね。私の扇が鉄扇ではなくて。――恥を知りなさい、侯爵令嬢たる者が私情に駆られるとは何事です。これでは下の者に示しがつきませんわ」
声高らかに告げれば、視界の端では、姉様は姉様で私以上に悪役の顔で、したり顔を浮かべていた。
私同様に、いえ、それ以上に姉様は私達家族を深く愛している。そんな姉上だからこそ、私が今どうしてこのような振る舞いをしているのかを、きちんと理解していてくれる。
姉様ってやっぱり素敵に完璧!!(抱き潰されるから言わないけど。)
私がうっとりと姉様を見つめていると、私に無視されているとようやく気付いた愚鈍な令嬢は、途端に姦しい声で喚き出した。
それを煩わしいと感じているのは、何も私だけじゃない。
現に・・・。
――あらあら、エスティエ家のお方であろうお方が・・・。
僅かに歪められた唇の端が、侮蔑を表している。
それにも気付く様子もなく、令嬢は吠え、喚く。
全く、彼女は淑女の嗜みと品格を、一体何処に忘れ捨ててきてしまったのだろうか?
そんな事を想い、感じつつ待っていると、ようやく彼女は私が待ち望んでいた言葉を吐き出してくれた。
「あ、貴女、私にこんなことをして赦されるとでも思ってらっしゃるの?私は、私の父はっ、」
――来たっ!!
そのフレーズだけを待っていた私。
だからその言葉を聞けた瞬間、思わず笑みが溢れてしまったのは仕方がないと思う。
そして、私のその笑みを見て、その時初めて私の狙いに気付き、慌て、令嬢を止める声が幾つか上がったけれど。 時、既に遅し。
「私の父は、大臣の片腕とも言われている侯爵なのよ?なのに、たかが伯爵の、それも格下の家の小娘が、」
…勝ったわ。
その瞬間、私は勝利を確信した。
そして、その予感は的中した。
昔、私はお父様にお前は強かで、強情で、恐い娘だと言われた事がある。
でもそれが何?
人って大体はそんなものでしょ?
隙があるからこそ人は貶められ、嵌められ、大きな穴へと落ちていく。
今回、令嬢が犯した失敗は主に二つ。
一つ目は我が家に喧嘩を打った事。
そして二つ目は。
「ねぇ、知っていて?確かに貴女は侯爵家のお嬢様。でも偉いのは、貴女ではなく、国民の為に頑張って働いているお父様であるという事を。――貴女は侯爵様の足しか引っ張っていないのよ?」
親が偉いのだから自分も当然偉いと慢心し、驕り高ぶってしまった事。
今はまだ理解出来ないかもしれないけれど(私だってその事に気付くのには時間がかかった。)、段々身に染みて解ってくると思う。だってほら、今だって、さっきまでは取り巻き達がいたけれど、もう、少しづつ離れてきてるじゃない?かわいそうね、でもこれが現実なのよ。
唇だけで声なく呟き、にっ、と、嗤ったは、私の後ろで何が起きているのかを知らなかった。
名前と瞳の色しか知らない彼が、その瞳の奥に、ある種の感情の光を浮かべ、宿したことを。
そして全てが、この日から始まろうとしていたことを。