第1話 人殺しがやってきた
「ああ、なんか起きないかな」
窓の奥底を眺める男。
「舞台のように」
肘をかける。
「朝ご飯できたわよー」
起きるわけもないか。置いた肘を元に戻して足早にご飯へ向かう。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
外へ凍るような風がブンブンと音を立てて、オレの身体をまとう布の重なりを難なく潜り抜け、体温を低下させる。
「隕石の一つや二つ落ちてくればいいのに」
呆れるような声で若林はそう口にした。指をもんでから少しだけ上を見上げた。
「いつ舞台は始まるのだろうか」
苦笑するように若林は声を上げる。
「お前らもそっちの方が面白いだろうに」
若林は白い息を吐いた。
「それにしても、隕石は現実的じゃないよな」
若林は目をゆっくりと閉じた。
「裏門からこの学校に侵入者がー」
戸惑いに溢れる声たち。
「ナイフを手に持っている男がこちらに来ています」
ナイフを持った男がうなりを上げてこちらに向かってくる音が聴こえる。若林は腕を組んで小刻みに頷く。
「現実的なのはこっちか」
これならお前らも楽しめるだろ。だって、人はみな・・・そのとき、若林の言葉を阻むようにして柔らかい感触が脳へと浸透してきた。
「いたたたた」
おでこを指でなぞるようにして押さえる。若林はお手本のように手を差し出して見せる。
「大丈夫ですか!」
「すいません」
目の前の人物は会ったこともないというのにどこか懐かしさを覚えた。
「遅刻しそうで」
そう言うとその人は照れくさそうに顔を上げた。
「自分が不注意なばかりに」
中性的で整った顔立ちと揺れる長い髪から解き放たれるフローラル香りが若林の身体全体を優しく包み込む。少しでもこの人と同じ空気を吸っていたい。だが、若林は聞かずにはいられない疑問を同時に抱え込んでいた。
「あの、どうして君の制服は」
すると、持ち運ぶには不便そうな大きいバックから何かが落ちる。
「きゃっ」
咄嗟に放たれた声からも男性色は微塵も感じなかった。もしかしたら、目の前にいる人物は。
「その・・・」
いや、まさかな。若林は目の前の人物が落下させた物を拾い上げる。そして、それを手渡した。すると、目の前の美しい人物は頬を赤らめ、足をもじもじさせながらこう言った。
「これは・・・」
若林は疑問をアメ玉のように飲みこんで体を方向転換する。右足を前に出そうとした瞬間。
沈黙は破られた。
「食パンです」
食・パ・ン?
「私、すぐお腹が空いちゃう体質で」
お腹を規則正しいリズムでさする。その動作すら美しく思えるほど目の前の人物は美しかった。
「お恥ずかしながら授業中にパンを」
指を唇にそっと添える。若林はその一連の動作にあっけに取られる。
「本当に無粋だったね」
首をゆっくり横に振る。
「もともと私がこんな大荷物を持って走っていたのが悪いんです」
若林は少し考え込んでから口を開く。
「お時間、平気ですか?」
「時間やばいですよね」
若林は落胆するように返事をした。
「じゃあ、お先に」
嵐のような出来事だった。
「連絡先だけでも、聞いとくべきだったなあ」
若林の側にある小型の液晶テレビが声を上げる。
「三年前に起きた事件、大友一家刺殺事件の真相は舞台の・・・」
背後から近づく音を若林は無視した。
「おい、若林!」
ちょうど、この時期だったな。
「若林!」
犯人の顔が未だ、微かに記憶に残っているのは犯人もまた、美しい顔立ちをしていたから。
「もういい」
だが、それもまた一つ。少し足を弾ませながら学校へと向かった。
「おはよう」
三階建てのくせにやけにでかく見下ろしてきやがる真っ白な建築物。
「おはよう」
いつも使っているセリフだ。周りも同じセリフを使って、ガヤガヤと何かで盛り上がっている。
「若林、お前さっき無視したろ」
若林はめんどくさそうに声の方向に体を向ける。
「勝山庄司」
勝山庄司を一言で表すといい子ちゃんのくせに小さな液晶テレビを持ち運ぶという変わった趣味を持つ男だが。
「みんなチャイムが鳴る五分前なのだから早く席に着け」
若林は口角の上がった顔を机に伏せた。
「勝山、お前うるさい」
勝山はクラスメイトと談笑している。
「だから、もうすぐ授業始まるんだから」
「笑止」
現在、若林の視界は暗黒に染まっている。故に音だけが聴こえる世界に若林はいた。
「何だよ、俺はただ、当たり前をだな」
「笑止くん、君は人のこと言えないだろ?常に液晶テレビを持ち運び」
「庄司な!」
当たり前のやり取りを聴いている。
「オレは常に情報をだな」
だが、そこに一つだけ違う音がコツコツと音を鳴らしながら近いてくる。
「先生、遅いなー」
「は?遅くないわ!まだ、三分前だぞ?」
「いや、でもいつもあの先生はきっちり五分前に来るから」
勝山は身を乗り出した。
「先生、呼んでくるから」
「おい、余計な事するな!」
やがて、その音はまた異なった音を立て始めた。
「うわ、先生」
ドアの前で驚くように声を上げる勝山。
「お前ら、席につけ」
先生は平静を保って生徒たちに呼びかける。でも、クラスにいるみんながこの異様な空気を感じ取っていた。
「先生―。どうして、今日は先生が」
いつもこの授業は別の先生が担当していたからだ。
「お前ら、心して聞いてくれ!」
先生は机を叩いた。
「ええー」
誰かが一息だけ吸う音がした。
「このクラスに」
若林は顔を上げた。
「人殺しがやってくる」
もう幕は上がったらしい。若林は呟いた。




