CASE3-17 「おはよう、イクサくん」
「……ふわぁ……」
閉じた瞼を半分開いて、マイスは小さく欠伸をした。
目が醒めたばかりで頭の中が霞がかっている感じだが、何だか、随分と気分が良い。直前まで、とても楽しくて、心が弾むような夢を見ていた気がするが、それがどんな夢だったのかは不思議と思い出せなかった。
だんだんと意識がハッキリしてくる中で、マイスはふと疑問を感じる。
(……あれ? 何で――私、ソファに座ったままで寝ていたのかしら……?)
――と、
(……?)
彼女は、自分がもたれ掛かっているものの仄かな温もりに気が付き、頭を上げた。
すると――マイスの寝惚け眼に、青灰色の髪が映る。
「――ん! んんっ……? い――!」
次の瞬間、彼女は完全に覚醒し、飛び出さんばかりに目を剥いた。
「い……イ――イクサくんっ……?」
「……むにゃ……」
彼女がずっと枕代わりにしていたイクサは、驚愕するマイスにも気付かぬ様子で、暢気な寝息を立てている。
「ふえ……? な――何で……?」
状況が掴めず、咄嗟にソファから勢いよく立ち上がるマイス。支えを失ったイクサはソファに横倒しになるが、それでも彼は目を醒まさず、何やら寝言を呟きながらソファの上で身体を丸めた。
目を白黒させながら、イクサの寝顔を凝視するマイスだったが、昨夜の出来事を思い出してくるにつれ、その表情は和らいでいく。
(……ああ、そうか。私、あのまま眠っちゃったんだ……。イクサくんの肩を借りたまんま……)
彼女は、ふと柔らかい微笑みを浮かべた。
(それで、イクサくんはずっと私の横に居てくれたのか……)
マイスはソファの前に膝をつき、つと手を伸ばすと、イクサの青灰色の髪と、それから頬を優しく撫でた。
「……イクサくん、バカね」
そう呟く彼女の顔には、優しい笑みが浮かんでいた。そして、自分の目尻に浮かんだものを拭いながら、そっと言葉を継ぐ。
「――ありがと」
◆ ◆ ◆ ◆
「……ふわぁ……」
寝惚け眼を擦りながら、イクサはむくりと身体を起こした。そのはずみに、彼の身体にかけられていた薄手の毛布が、ハラリと床に落ちる。
「……あ、あれ……?」
彼は間の抜けた声を出しながら、キョロキョロと周りを見回した。だんだんとハッキリしてくる意識の中で、今自分がどこにいるのかを把握する。
「へっ? あれ――何で俺は、取締役室で寝てるんだ……?」
「おはよう、イクサくん」
「――ファッ?」
唐突にかけられた挨拶の言葉に、仰天するイクサ。目を飛び出さんばかりに見開いて、声のした方――暖炉の方へと顔を向ける。
「……ちょうど、お茶が沸いたわ。イクサくんはストレートがいい? それとも、ミルクティーかしら?」
「マ――マ……マイスさんっ?」
湯気を立てるポットを片手に、ニコリと微笑みかけるマイスの姿に狼狽えながら、必死で昨夜の記憶を脳内で反芻した。
――だんだんと、昨日の顛末を思い出す。
そんな彼の前に、芳しい香りを立てるティーカップが静かに置かれた。
「はい、どうぞ。……ストレートティーで良かった?」
「へ……あ、ああ――はい! だ、大丈夫っす、全然!」
彼は背筋を伸ばして、何度も頭を上下させる。マイスは、そんな彼の様子に苦笑いを浮かべながら、デスクに自分の分のティーカップを置き、チェアに腰掛けた。
「いただきます」
「あ――い、いただきます!」
マイスに続いて、慌ててティーカップに口をつけたイクサだったが、紅茶のあまりの熱さに、舌を火傷する。
「あらあら、大丈夫? イクサくん」
その様子に、思わず噴き出すマイス。
(……良かった)
――すっかり、いつもの彼女だ。
マイスの表情に、火傷した舌を口から出して冷やしながら、イクサは心の奥で安堵する。
「さて……と。これから、忙しくなるわよ、イクサくん」
ひとしきり笑ってから紅茶を一気に飲み干し、マイスはポンと手を叩いて言った。
イクサも、彼女の言葉に頷くが、
「あ、ハイ! そうですね……。でも、どこから手をつければいいか――」
十日間という期限を切られた“ガルムの爪”捜索の前途を考えると、不安を隠せない。
マイスも、顎に親指を当てて考え込む。
「――まずは、この建物内の徹底的な捜索ね。――今日は、臨時休業にしましょう。従業員総出で、全てをひっくり返す勢いで探しまくるわよ」
「……でも、万が一、今回の件が“紛失”ではなくて――」
イクサは、「言葉にしてしまったら、現実になってしまうのではないか」と思って、ずっと心の中に秘めていた考えを、恐る恐る口に出した。
「と、“盗難”……だったとしたら――。逆に、犯人に逃げる時間を与えてしまうのでは……?」
「……そこは大丈夫。昨夜の時点で、ちゃんと手は打ったわ」
マイスは、イクサの言葉に頷きながら、微笑んだ。
「昨夜、侯爵様に、街の四門に検問を張ってもらうようお願いしてる。侯爵家の威光を以てすれば、衛兵団に根回しするのも簡単でしょ。――多分、もう設置は終わってるはず」
「……なるほど。それなら、簡単に“ガルムの爪”を街の外に持ち出す事は出来ないでしょうね」
イクサは、マイスの言葉に頷く。――『既に、ガルムの爪が街外へ持ち出されている』可能性も、チラリと頭を掠めたが、万が一そうであれば、昨夜、紛失に気が付いた時点で詰んでいたという事だ。
――そんな過ぎた可能性は、今考えたところで仕方が無いし、考えるべきでは無いし、――考えたくも無い。
マイスもそう考えているのだろう。だからこそ、言葉に出さないのだ。
そう考え直して、イクサは、その可能性を胸の奥に押し込んだ。
そして、別の可能性を考えて、彼女に提示する。
「――でしたら、総員を店内の捜索に充てるのでは無く、何人かを外に出して、城下町の質屋や古道具屋を回らせた方がいいかもしれませんね。街の外に持ち出せないと知った犯人が、売り払おうとして現れる可能性がありますから……」
「――そうね。そうしましょう」
マイスは、イクサの言葉に大きく頷くと、スックと立ち上がった。そして、胸の前で掌を叩き合わせると、元気いっぱいの声で言った。
「じゃ、そうと決まれば、早速動き始めましょう。まず、一番最初にやるべき事は――!」
「い……一番最初にやるべき事――って?」
マイスの言葉に、首を傾げるイクサ。
そんな彼に片目を瞑ってみせて、マイスは悪戯っぽい微笑みを浮かべて言った。
「それはもちろん――朝ご飯を食べる事よ、イクサくん」




