CASE3-8 「か、可哀相……? お、俺が……?」
「おはようございます~」
「あ……えと、おはようございます、スマラクトさん」
翌日、いつも通りの時間に出勤してきたスマラクトを店の前で出迎えたイクサは、拍子抜けした。
彼は、スマラクトが大いに落ち込んだり、思い詰めた表情で出勤してくる――いや、出勤すらしてこないのではないか……、と危惧していたからだ。
だが、フタを開けてみれば、スマラクトは遅刻もせず、いつも通りの態度とテンション――いや、寧ろ、いつも以上にウザく暑苦しいテンションで出勤してきた。……昨日の件で眠れぬ夜を過ごし、目の下にくっきりと隈をこさえたイクサは、彼のあっけらかんとした様子に、心中密かにイラッとしながらも、ひとまず、姿勢を正して、深く頭を下げた。
「スマラクトさん、昨日は、申し訳ございませんでした!」
「お……お……あの……主任?」
突然、自分に向けて頭を下げてきた上司の姿に、スマラクトは目を白黒させたが、はたと手を叩くと、自分もペコペコと小刻みに頭を下げる。
「……き、昨日のアレでございますな? いえいえ! とんでもないですぞ! 寧ろ、ワタクシがお詫びせねばなりません……!」
そう捲し立てると、彼はその身体を120度に曲げた。
「あ……あのぉ! 昨日は、勝手に帰ってしまいまして……誠に申し訳ございませんでしたぁあああっ!」
「あ……いや……こ、こちらこそ、すみません!」
イクサも、慌てて身体を折る。暫しの間、ふたりの男が競うように頭を下げ合う異様な光景が、“ダイサリィ・アームズ&アーマー”の店頭で展開される。
「申し訳ございませんでしたあああああぁっ!」
「俺こそ、どうもすみませんでしたあああああっ!」
「……あの~……、イクサ先輩もスマ先輩も、何やってるんですか……?」
「「――あ……」」
そんな最中にかけられたドン引き混じりの冷静な声で、ふたりの男はハッと我に返った。
視線を横にずらすと、出勤前のシーリカが、引き攣った半笑いを浮かべて立っていた。
――更に、
「……あのさ。謝り合うのは大いに結構なんだけど、お店の前では止めてくれないかしら? 変な噂が立っちゃうじゃないのよ……」
ガチャリと入り口の扉が開いて、困り顔で頬をひくつかせながら、美貌の女店主も顔を出した。
「あ……すみません、マイスさ――」
「ひ……ひいいぃっ! 誠に――誠に申し訳ございませんでしたあああああぁっ!」
イクサが、声を顰めたのに対して、スマラクトは、その身体を150度にへし折って、深く深く深く頭を下げた。
たちまち、マイスのこめかみに青筋が浮かぶ。
「……ひょっとして、わざとやってるのかしら? ――いいから、早く中に入って!」
「――! す、スマラクトさん! 取り敢えず、中に入ろう! さあ、早く!」
マイスの表情に危険を感じたイクサは、慌ててスマラクトの背中を押して、彼をドアの奥へ押し込んだのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「じゃあ、改めて……。昨日はすみませんでした、スマラクトさん……。頭に血が上ったとはいえ、あなたにひどい事を言ってしまって……」
就業前の薄暗いバックヤードで、イクサはスマラクトに深く頭を下げた。
そんな上司の姿を見たスマラクトは、狼狽しながら、頭を下げ返す。
「い……いえいえいえいえいえいえ! コチラこそ、大変スミマセンでしたぁ!」
「いえ! 俺の方が悪いから……」
「いえ! ワタクシが無神経でした! ――主任の可哀相な境遇に同情するあまり、過ぎた事を申してしまいました!」
「いやい……は?」
再び、頭を下げようとしたイクサは、スマラクトの言葉に引っかかりを感じて、思わず顔を上げた。
「か、可哀相……? お、俺が……?」
「はいっ!」
口の端をひくつかせながら問い返したイクサに、大きく頷くスマラクト。
「愛し、愛される女性も居らず、寂しいプライベートをお過ごしの主任に対して、人生の先輩としての忠告とはいえ、あのような言葉をかけてしまい……主任の神経を逆撫でさせてしまいました。さぞや、お気を悪くなさったと思います」
「……はい?」
「いや、確かに、主任に怒鳴られた時はしょっくで、思わず店を飛び出してしまったのですが……。あの後、ある女性に逢って、今回の件を話したところ、逆に諭されましてな……。『自分がモテるからって、モテない人にそんな事を言ってしまっては、どんな人でも怒ってしまいますよ』って……あの可愛らしい声で!」
「……」
呆然とした表情から一転、みるみる不機嫌な顔に変わりつつあるイクサの様子にも気付かず、スマラクトは、ウットリとした表情で、言葉を続ける。
「いやあ、その言葉でワタクシも、己の無神経さに気が付きましてな! 確かに、昨日のワタクシの一言は、彼女のいらっしゃらない主任にとっては、さぞや鼻持ちならない一言だったんだろうな……と」
「……」
「かの女性にも、キツく言われてしまいましてなぁ。『みんながみんな、あなたのように優しくて、心が広くて、ステキな人ばっかりじゃないんですよ!』……ってね! いや~、ホントにワタクシには勿体ない、素晴らしい女性で――」
「……これくらいにしておこうか、スマラクトさん……」
「……はい?」
俯いて、静かに自分の言葉を遮ったイクサに向けて、相変わらずのにやついた表情のまま、首を傾げるスマラクト。
――イクサは、ゆっくりと顔を上げた。その顔には、満面の笑みを浮かべていた。
「さ! そろそろ開店準備にかからないと、間に合わなくなるよ! ――スマラクトさんは、バックヤードの整理を頼みます! ……俺は、カウンターの方を片付けるからさ!」
そう、陽気な声で言うと、彼はくるりと振り返り、スマラクトの返事を聞く間もなく扉を開けて、バックヤードを出ていった。
――そして、満面の笑みのまま、バックヤードの扉を閉めたイクサは……一転、鬼神のごとき形相で、カウンターに向けて思い切り拳を振り下ろした。
ゴッという鈍い音がして、彼は己の拳の痛みに悶絶する。
「痛つつつ……!」
「はーい、どうどう。落ち着いて、イクサくん」
そんな彼の肩を、呆れ顔でポンポンと叩くマイス。
「……だ、大丈夫ですか、イクサ先輩……?」
心配顔で顔を覗き込んでくるシーリカに、痛みで涙を浮かべながらも微笑い返してみせるイクサ。
「……だ、大丈夫。すぐに痛みは引くから……」
「いえ、そうじゃなくて……さっきのスマ先輩とのやり取りの方……」
「あ……そっちか……」
シーリカの言葉に、彼の微笑は苦笑いへと変わる。
「……ま、まあ、大丈夫だよ。お、俺に彼女が出来ないのは事実ではあるし……。今居なくても、これから出来る可能性もあるでしょ? 俺はまだ若いし……何せ、あの人にも出来たくらいなんだからさ……」
「そ――そうですよ! イクサ先輩にだって、きっと……出来ますよ!」
イクサの言葉に、顔を綻ばせてニッコリと笑うシーリカ。続けて、「もし、出来なかったら、その時は……」と、何かを言いかけたが、すぐに顔を真っ赤に染めて俯く。
と、
「……イクサくん、ごめん」
突然イクサに謝ったのはマイスだった。イクサは、彼女の謝罪の言葉に、思わず目をまん丸にする。
「な――何で、マイスさんが謝るんですか?」
「いや……昨日、さんざん偉そうな事を言っちゃったけど……。確かに、あの調子で上から目線の同情風自慢を吐かれたら、確かにキレるなぁ~って。……もし、私があんな事を言われたら、思わず手が出ちゃったかも」
「……あはは……」
マイスの言葉に、シーリカは、冷や汗混じりの乾いた笑いを上げる。
多分冗談なんだろうが、彼女が言うと、冗談なのか本気なのか分からない……。
「……にしても、スマ先輩の彼女さんって、随分人が出来てる方の様ですね」
シーリカの言葉に、ピクリと眉を上げたイクサは、そのままフラフラとよろめきながら、無言でカウンターの奥へと消えていった。……どうやら、今の彼に『彼女』という単語は禁句のようだ。
マイスは、そんな彼の後ろ姿に、気の毒そうな視線を送ると、苦笑しながら、シーリカの言葉に答えた。
「まあ、そうねぇ。……正直、まだ信じられないけど……」
「あたしも、話で聞くだけだったら、信じてませんけど……。でも、実際に、私たちもスマ先輩が美人さんと待ち合わせしてるのを目撃してますし……。彼女さんが空想上の存在ではないのはハッキリしてますしね……」
「何か、一回、その彼女さんとお話ししてみたいわね」
マイスはそう言うと、悪戯っぽく微笑んだ。
「一体、あのスマラクトさんの、どこら辺に惹かれたのか……。ちょっと、聞いてみたいかも」




