1-11
「小夜子さんっ!」
思わず僕は立ち上がって、声をあげる。
僕の隣や、小夜子さんのすぐ後ろに待機していた警察の人達も立ち上がる。
けれど、それよりも早く小夜子さんはナイフを持った下田さんの一撃を受け流して、そのまま下田さんの手をぐるりと回転させた。
下田さんを一瞬のうちに腕を後ろ手にひねり上げて拘束してしまった。
「ああああああああああああああ!!!!!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいい!!!!!!!!」
野太い下田さんの悲鳴が公園に響き渡る。
「今の、暴行ですよね? それと、これは正当防衛になりますよね?」
いつもの明るい声で小夜子さんはベンチの後ろで呆然としている警察の人達に声をかける。
「あ、はい……下田裕一、殺人容疑および暴行の現行犯で逮捕する」
小夜子さんの言葉にハッとしたらしい菅原さんが下田さんに手錠をかけた。
「……小夜子さんって、格闘技とかやってるの?」
サスペンスドラマのクライマックスみたいな出来事の翌日、僕は朝食のシリアルをスプーンでかき混ぜながら尋ねる。
ドライフルーツやシリアルに牛乳が染み込むにはもう少し掛かりそうだ。
「子供の頃にお父さんが護身用にって合気道を習わせてくれて、今は段持ちだよ~」
ああ、やっぱり。
「明らかに素人の動きじゃなかったもんね」
突然繰り出された小夜子さんの無駄の無い洗練された動きは、まるでアクション映画のワンシーンみたいだった。
だから、小夜子さんはずっと余裕だったのかもしれない。
いざ相手が直接襲いかかってきても簡単に倒せるから。
「私、魅了体質というのもあって健康志向なのよ」
「健康志向?」
運動の習慣が健康に良いって事?
なんで今の話が魅了体質とその単語に繋がるんだろう。
僕は首を傾げる。
「どんな理由であっても死んだ時がその人の寿命だと私は思うわ。健康でもある日交通事故で死んだりするし、今日何事もなく過ごせたとしても、明日も生きてるとは限らない」
「それは、そうかもしれないけど……」
いつ死んでもおかしくないなら逆に健康も関係ないような……。
「要するに、自分の寿命を延ばそうとするという意味において、食事の栄養バランスを気をつけるのも護身術を身につけるのも同じ事だと思わない?」
「そうかなあ??」
なんだかしっくり来ないというか、納得いかない。
乱れた食生活は生活習慣病の原因にもなって、ある日突然の脳溢血に繋がる可能性がある、とかはお母さんが見てた健康番組でやっていたので知ってる。
ある日誰かに殺されないように護身術を習うのは、突発的に死ぬリスクを減らすという意味では生活習慣に気を付ける事と同じって言いたいんだろうけど……。
「前に、私のお父さんが不動産会社やってるって言ったでしょう? 私が魅了体質を発現するよりも前の小さい頃、元からある利権を潰して恨みを買ったり、他の会社の仕事を取ったとかで嫌がらせされたりなんてしょっちゅうあったの」
「え」
軽い昔話みたいなノリでいきなり物騒な話が出てきた。
なんだか雲行きが怪しい。
「それでよく家に怖いおじさん達が怒鳴り込みにきたり、特上のお寿司が百人前届いたり、頼んでない商品や汚物が送られてきたり、小さい頃からよくあったのだけれど……」
「そ、そうなんだ……」
思った以上に壮絶だった。
ヘビー過ぎてどうコメントしていいかわからない。
「家に来たおじさん達は実際に手を出したり決定的な言葉を言うと罪に問えるから、会話を録音・録画してチキンレースを楽しんでたし、お寿司が届いたら本当に知り合いの人達呼んでパーティーして、お店には次回からうち宛ての注文を受けないように連絡したし、荷物は受け取り拒否やクーリングオフして……楽しかったなあ」
「あれ? 今のそういう思い出なの?」
昔を懐かしむように小夜子さんが言う。
なんで今のエピソードが楽しかった思い出扱いなんだ。
色々とおかしいけど、こうやって今の小夜子さんが出来上がったんだろうなと思うと妙に納得できる。
もはや、気が強いとか、常識に囚われないそういう次元じゃない。
小夜子さんにとっての常識そのものが最初からズレている。
「でも、そんなある日お母さんが死んじゃったの」
小夜子さんが困ったような顔で言う。
エピソードの割に妙に明るい話かと思ったら、急に重くなった。
テンションの浮き沈みが激しい。
話の内容で言えば一貫してただただ重いけど。
「まさかそれって……」
小夜子さんのお父さんの商売敵の人達に……。
そこまで考えて、僕は悲しくなる。
魅了体質関係無く、生まれた時点でそんなハードモードなのに、更に小夜子さんに魅了体質まで発現したら、危険なんてもんじゃない。
そりゃ小夜子さんも護身術習わされるし、家族も過保護になるだろう。
「ううん、お父さんの仕事とは全く関係ない所での事故。お母さんは一族の人間じゃ無いから魅了体質でも無かったわ。だけど、魅了体質のおばあちゃんは周りを振り回しつつ長生きしたのに、お母さんはその半分にも満たない歳で死んでしまったの」
寂しそうな、悲しそうな顔で小夜子さんは目を伏せる。
「その時に私は思ったの。ああ、きっとこれがお母さんの運命で、寿命だったんだな、って」
「そう……」
「だからね、私はそれならそれでいつ死んでもいいように人生を楽しもうって思ったの」
「そっか……」
小夜子さんは急にいつものようにニッコリ笑って明るい声で言うけど、僕はそれが悲しく思えた。
「私ね、魅了体質のせいで頻繁に学校や職場で毎回人間関係が大変な事になってたのだけど、ある日その体験を元にほぼエッセイの小説を書いたら、賞をもらってデビューが決まったの」
「そうなんだ」
魅了体質も悪い事ばかりじゃないって言いたいのかな。
小夜子さんの弾んだ声に、僕はチラリと小夜子さんを見る。
「つまり、ストーカーさん達との日常はネタになるわ!」
弾けるような笑顔で小夜子さんが言った。
「そう……そう、なの……?」
また変な事を小夜子さんが言い出す。
何言ってんだこの人。
「大事なのは視点を変える事だわ。私は魅了体質のせいで何もしなくてもストーカーさん達がついてしまうけれど、それはつまり、他の人とは違う体験であり、物語を創作する上ではアドバンテージになり得るのよ!」
「な、なるほど……?」
全くピンときてないのに、つい小夜子さんの勢いに負けて頷いてしまう。
「例えば、この前のタンクトップ山田さん!」
「ああ、前にスーパーで会った……」
後で小夜子さんから聞いてわかった事だけど、タンクトップ山田は度々DMで小夜子さんにポエムを送ってくるアカウントのハンドルネームだったらしい。
「タンクトップ山田さんが熱心に自己主張するタイプのストーカーさんじゃなかったら危なかったわ。おかげですぐタンクトップ山田さんにDMで連絡を取って、タンクトップ山田さんの命を救えたわ」
「まあ、そうだけど」
さっきからタンクトップ山田さんの名前のインパクトのせいで、いまいち話の内容が入って来ない。
「ストーカーは身を助けるってやつね」
「そんなことわざ無いよ!?」
「今作ったわ!」
眩しい笑顔で小夜子さんは言う。
そんな意味不明なことわざ作らないで!?




