1.
「おい、どこ歩いてんだ?」
「てめーみたいなチビが歩けるような道じゃねえんだよ」
(ひぃぃぃ、怖いよおおお)
それはもう、本当にお約束のような因縁の付け方でした。
アーデルハイトは夕方、母親に言いつけられた追加の買い物のために市場に行き、帰宅するために歩いていただけのはずでした。
少し霞んでしまっている薄い桃色のワンピースが少し重みを増し、影法師を黒々と伸ばしています。
「ここはハウラード様の縄張りだって当然知ってんだろうな?」
「しかも道の真ん中を歩きやがって。どんだけ図々しく生きてんだ?」
「すみませんすみません……」
アーデルハイトはとにかく低い背を更に縮こまらせ、平身低頭に謝るしかありません。
(とにかく生きて帰らなくちゃ)
勿論、何が悪かったのかは全く分かっていません。
「あ?謝るってことは、ハウラード様の縄張りだって知ってたってことだよな?」
「じゃあ、何すればいいか分かるな?」
(は、はうら……?誰なのそれぇ……)
全く知らない相手に、全く知らない人物の名前を出されても、とにかく怖くて思考がまとまらないのは、どう考えても仕方のないことでした。
(あの人たち絶対イタチ族だ……顎の下や首元に模様があるもの……)
アーデルハイトは怖くてプルプル震えましたが、周囲の者はいつもの仲間同士での争いだろうと見て見ぬふりをするだけ。
中には一方的な弱い者いじめに気付いた者もいたのですが、巻き込まれたくないのか、目を逸らして足早に去っていきました。
「す、すみません……」
アーデルハイトに言えるのはもうそれだけでした。
「有り金を全て出しな」
「は、はい……」
「ああん?たったの10ガルト?ガキの小遣いかよ?」
「ひぃぃぃ……すみません……」
どんなに凄まれても、アーデルハイトには本当にそれだけしか所持金がないのです。
ただ、彼らがアーデルハイトの年齢をわかっていなかったのも仕方がないことだったのかもしれません。
リス族は元々全員小柄で、他の種族には年齢が分かりにくく、50歳のリス族が20歳に見えると話題になったこともありました。
多くのリス族は喜んでいましたが、他の種族にとって、それは決して褒め言葉ではありませんでした。
どちらかというと、御しやすそう、支配下に置きやすそう、簡単に騙せそう、世間を知らなそう、筋力がなくてすぐ倒せそうという、蔑みの言葉でした。
アーデルハイトはまだ15歳でしたが、彼らは、(リス族ならどうせこの見た目でも40歳ぐらいだろ)なんて思って脅しをかけていたのです。
とても失礼なことに。
「いてっ!」
「なんだ?」
そんな時、空から栗が降ってくるなんて誰が想像するでしょう。
「おらぁ!どこの誰だ!出てこい!」
「隠れたって無駄だぞ!」
「ここはハウラード様の縄張りだからな!俺らに手を出したやつらは地の果てまで追いかけてやる!」
彼らが天を見上げた時、アーデルハイトも逃げることを考えず、一緒に上を見上げました。
怖くて足が動かなかったこともありますが、何が起きたのか一瞬では分からなかったのです。
「ありゃ蛇族……か?手に鱗の模様がある」
「爪も長いな……。ホルリッチ団か?」
「……チッ。蛇族かよ。運がいいな。チビ」
こうして、本当に何が起きたか分からないまま、イタチ族の者たちはあっさり引き上げていきました。
「な、な、なんだったのお……?」
何もかも終わるまで動けなかったアーデルハイトがようやく動けたのは、彼らが視界から完全に消えてからのことでした。
「早く帰らなきゃ……!」
(誰か知らない蛇族の人、ありがとう!)
アーデルハイトが絡まれている間に、空は少し暗さを増し、いくつかの星が見えるようになっていました。
小さな木の家が見えた時、ようやくアーデルハイトは本当の意味でホッとしました。
自分と同じ焦茶色の髪と目をした貫禄のある母親が、夕飯に添えるスープを煮込んでいます。
「ただいま!」
「おかえりハイジ、少し遅かったね」
アーデルハイトは、何故かハイジと呼ばれていました。
「それがね……」
アーデルハイトの話を聞いた母親は青ざめました。
「10ガルトは諦めな!それから、イタチ族にも蛇族にも近付かない、関わらない!今後もだよ。いいかい?」
「はーい」
でも、アーデルハイトは思ったのです。
(蛇族の中には、もしかしたらいい人もいるのかもしれないのに……。もし困っている蛇族の方がいたら、ほんの少しだけでも助けてあげよーっと)
アーデルハイトのその想いは、星々が輝く夏の夜空に消えていきました。
「おーい、ハイジ!木登りしようぜ!」
「いやよ!今から洗濯物を干すんだもの!」
「終わってからでいいよ!待っててやる!」
「お母さんがいいって言ったらね!」
「はいよ!」
家の手伝いをしていると、こんな風にすぐ声をかけてくるのが、隣のマテオでした。
「お母さん、洗濯物干し終わったから、マテオと遊んできていい?」
「ダメダメ!次はアイロンをかけて!」
「……はーい」
でも、アーデルハイトがマテオに応えられることはあまりありませんでした。
行きたくても、いつも母親の手伝いが終わらなかったのです。
(もう……誘ってくれないかも……。こんなに何度も裏切ったみたいになっちゃってるし……)
そう思っても、やはりマテオは翌日になると変わらず声をかけてくれるのです。
アーデルハイトの中では、いつしかそれは普通の挨拶と変わらない会話となっていました。




