普段できないことができるとモチベーションが上がる
能登のキリコ祭りの開幕を告げる[あばれ祭り]が開幕した。今年は震災もあって開催に関して否定的な意見もあったが開催された。
[あばれ祭り]は2日間行われる。
1日目は炎燃え盛る松明の周りを[キリコ]と呼ばれる大きな燈篭を担いで廻る。
2日目は神輿が町を練り歩くのだが、道中ところどころで地面にたたつきけられるは、ゴリゴリ擦り付けられるは、川に投げ込まれるはとまぁボロボロにされる。
小さい頃にこの祭りを見てて、アッシは[こんな危ない祭りには参加したくない]と思っている。その気持ちは今でも変わらない。それでもその地域の人達は祭りが生き甲斐だと語り、勤め先が離れていようと祭りの日には地元に帰る人がたくさんいる。
何故、それほどまでにこの祭りに参加したいのか?と考えた時に普段では出来ない事が出来るからではないかと思う。
1日目の松明の時は、とにかく火の粉が舞う、松明の一部が崩れてキリコに降りかかるなんて時もある。火傷しない方がおかしいくらいだ。ただ、そんなところに普段は飛び込めなくてもこの日だけは行ける。むしろ飛び込むやつの方が度胸があると褒め称えられるのだ。
2日目の神輿をボロボロにするのもそうだ。しっかり作られた神輿をとにかくボロボロにするのである。物を壊したら器物損壊などと言われそうだが、この神輿に関してはそうはならない。
これでもかっ!ってくらい身体を酷使して疲労困ぱいとなっても、それで祭りが無事に終わればこれ以上とない達成感に包まれる。
そういった事が日常では出来ないから、この祭りで発散しているんだろうなぁとアッシは推測している。
実際にどうだかはわからないが、人にはそういう時間が必要なのではないかと思う。




