馬鹿という言葉の由来
相手を蔑む言葉として"馬鹿"って言葉があるが、何故"馬"と"鹿"で相手を蔑む言葉となったのか?その由来とされるエピソードがある。
その昔、趙高という男がいた。趙高は秦の始皇帝の側近として仕えていたが、始皇帝の死後、始皇帝の残した遺言を捏造。操る事が出来る始皇帝の子供を皇帝に仕立て、そして始皇帝が遺言で後継に指名した子供、功績のある将軍や臣下を罪を捏造して処刑。そうして権力を掌握した。
ある時趙高が皇帝の前に一頭の鹿を連れてきてこう言った「珍しい馬がおりましたので、連れてきました」そして皇帝の周りにいる臣下に向けてこう言った。「私はこれは馬だと思うのだが、みんなはどう思うか?」
臣下の中には「いやいや、どう見たって鹿だろう」と言う者もいたがこれまでに趙高が行なってきた事を考えて「これは…馬ですな」と答える者もいた。
その後、趙高は"鹿"と答えた臣下は全て処刑した。
このエピソードには色々思うところはある。この時、秦が敵に攻められていて窮地に立たされている状況だった事もあり、趙高にしてみたら法や倫理観や常識なんてものもかなぐり捨てて、自分の為に動いていくれる臣下を見つけたかったという目論見もあったようだ。だとしても…という気持ちは湧くがそれが出来た時代であり、趙高はそういう事が出来る奴だったという事だ。
処刑とまではいかないが、似たような事なら現代でも起こりうると思う。権力を持ったら人が変わるって話はよくある話だ。権力がある人はそれを証明しようとその権力を無駄に行使しようとする。無駄に使う事でそれが自分にしか出来ない事だと実感して優越感を得る。そこには権力を託された責任感や使命感というのはない。あるのは私利私欲だけだ。
そうしたくなる気持ちはわからない訳ではないが、だからといってそれをやる事は決して良い事ではない。その気持ちがわかるのはあくまでも自分を律する為である。過去の失敗をこうして後世に残すのはその為だ。
"馬鹿"という言葉だが、これは"馬"と答えた人に向けたのか。それとも"鹿"と答えた人に向けたのか。それとも…




