区別と差別は違う
十人十色、人には人の特徴ってのがある。推しの人が違っても、趣味が違っても、食の好みが違ってもそこに問題はないはずだ。
食の好みに絞って考えてみる。例えば友達9人いたとして、好きな麺類が友達の内5人がラーメン派、2人が蕎麦派、2人がうどん派だとする。うどんのお店が新しく出来て、友達誘って新規開拓しようって思ったら、アッシならうどん派の友達にだけ連絡する。うどん派なら、新規開拓にも付き合ってくれそうだからだ。これは好みがわかっているから区別をしているって話だ。
これが、どうせうどん好きじゃない奴にうどんを食わせたところで、良し悪しなんてわかるはずがないって思って声をかけないのだとしたらこれは差別である。
声をかけないって行動は同じだけど、その行動をとった人の気持ちってヤツが全然違う。
そして、その気持ちってヤツは声をかけない行動の細かなところに出てしまうのである。
例えば、友達が集まっているところで誘っていたとして、蕎麦派の友達が入ってきた時に
お前蕎麦派だろう?と言ってお前に話しても意味がないって雰囲気で話をしたら、そりゃ印象が悪くなるってもんだ。それを言われた相手は差別されてると思うだろう。
文字面だけではわからないが、その時のちょっとした仕草や言葉遣いで、その人の気持ちってのは伝わるもんだとアッシは思う。
区別と差別は違う。
区別してはいけないってのは、それはそれで窮屈になりそうだとアッシは思う。




