多様性は共存ができる事が大前提
多様性ってヤツが殊更求められる昨今である。そもそも多数派が少数派を貶したり存在を否定するのは違うだろうと思うが、だからといって少数派を多数派と同等に扱わなければならないってわけでもないと思う。
例えば、アッシはうっかり忘れが人より多い。以前は仕事のタイムカードの打刻を忘れる事が多々あり総務に迷惑をかけていた。何かを忘れるって事はやる気の無いって事だ!と一昔前まえなら多数派に大批判を受けてたところだが、時代のお陰でそこまで批判される事は無くなったが、それでも肩身が狭い思いを何度もしていた。
勤務管理を行う上で、必要な事を忘れるってのは、人によっては信じられない事だろう。でもアッシはそういう特性がある。では、そういう特性があるから打刻はしなくても良くなったかというと、そういう訳にもいかない。少数派の為に会社を運営していく為のシステムそのものを変える事はないのである。
そうなるとアッシが社会でやっていく為には、そこはシステムに合わせなきゃならない。とりあえず人とは違うやり方をする事で、打刻忘れはだいぶ抑える事出来るようになった。当然、なんでそんな事するんだ?って始めた当初は他人の視線が刺さる事があったが、これをやらなきゃ出来ないのである。そんな視線なんか気にしている場合ではない。
社会とアッシとのアンマッチを感じる事はあるが、それでも世の中の多くの人が順応して成り立っているのが今の社会である。それをアッシに合わせる事を求めるのは、流石に傲慢が過ぎると思う。多様性とは共存が出来る事が大前提で、互いが尊重できなきゃ成り立たないと思う。




