ちょっと目線を変えて
まだまだ自衛隊セクハラ騒動の話は続きます。
今回被害を与えた側については、良い印象を持っていないと前置きした上で、ちょっと目線を変えて何故セクハラ行為に及んだのかを想像してみる。
加害者側はそれを軽率だと言ったが、軽率だろうがなんだろうがなんだろうが、疑似的だろうがなんだろうが、相手の意思と関係なく性的な行動をしたのである。
アッシの感覚だと、相手の同意なくそういう行動をとったら、相手は嫌がるだろうと思ってやらない事を選ぶのだが、彼らにはやれるのである。そこにはどんな違いが考えられるか?
まず嫌われて困った経験がないのではないか?アッシの幼少期はトラブルメーカーで、周りの人をとにかく困らせていた。それを周りの大人や親が咎め続けてくれて、なんで咎められるのかを考え続けてようやく、相手の嫌がる事をしたらアッシの立場が悪くなると思ってトラブル行動を減らしていった。
逆を言えば、彼らの周りにはそれを咎める大人や友達がいなかったという可能性もあるわけで、そういう咎められない環境下で育つ事の不幸の結果と言えるかも知れない。
もう一つは集団圧力だ。集団内部で嫌われるなどして孤立しない為にリーダーや誰かの意見に賛同して仲間意識を高める。仲間意識があると仲間以外の配慮は欠落する。
今回その現場に上官もいたという。上官がいる中でそういう行動が行われていたと思うと被害を受けた人の絶望感は相当のものである。上官が咎めないという事は組織としてその行動を容認しているのではないかと想像出来る。あくまで想像である。
自衛隊に入隊した人の中には途中で除隊する人達が何人かいる。本人の意思もあるし、適正もあるので、それは仕方ないと思うのだが、そこと今回の一件を結びつけると何やら思惑みたいなものがあるのではないかと妄想してしまう。あくまで妄想である。
どちらにしても、相手に嫌われるって事を全く気にしてないって事が、今回の行動の根幹にあるのではないかとアッシは思っている。




