相手の気持ちを考える事の弊害
イタズラをしたり、悪さをしたり。相手に迷惑をかけてしまう人に対して、こういう言葉をかけて行動を咎める。
「相手の気持ちになって考えてみろ」
相手の気持ちなんか、その気持ちを正直に表現していると表明しない限りわかるはずないだろう。と思っている。人はウソを吐く生き物だ。「やめろよ」と言いつつもちょっかい出される事を喜んでいる人もいるらしい。人の気持ちは、想像して推測するくらいが限界だ。
子供の頃にとにかく相手の気持ちを考えてみろと言われ続けてきたので、アッシの知識の範囲で相手の言動、その時の表情から、相手の気持ち…というか、相手にとって何が嫌なのか。何が好まれるのか。って事を推測する様になった訳だが、気づけば相手の気持ちを優先して、アッシ自身の感情を後回しにする様になった。
そんなん言われても知らんがな!って今これを読んでる人は思うだろうが、もう少し付き合ってほしい。
アッシだってイライラはするし、相手の言動に不快感を感じる事がある。それはアッシに対する配慮に欠けた言動を向けられた時に感じる。それでも相手の気持ちを考えるのである。
素直な気持ちとしては、お前の気持ちなんて関係ないわぁ!と言ってやりたいのだが、それでも人との接点を持つ為に、その最適な距離感を保つ為の行動をとるようになる。
距離感を保つ為にアッシが採用している事は相手に無理に迫らないって事だ。
相手に迫らない生活をするとどうなるか。
友達は増えない。
パートナー候補とも出会えない。
実際そういう生活をアッシは過ごしている。
まぁお陰で常時心の平穏は保ててるけど、それだけだとね…と思うので、アッシの気持ちを優先しないとなぁと思う今日この頃です。まぁなかなか出来ないんですけど。
以上!他人にはどーでもいい話でした。




