他人を追い詰めるのは狩猟生活の名残
何のために他人を追い詰めるのか?を考えていたのだが、多分これが理由なのではないかと思った。
ゲームデザイナー桝田省二の著書、ゲームデザイン脳を読んでいてこの文言を見た。念の為に言っておくが、これは本人の言葉ではなくなんかの学術書に書いてあった文言だそうだ。
強姦は狩猟の代替行為
ヤバい香りがする言葉である。あらためていうが、なんかの学術書に書いてあった文言だそうだ。
ヤバい香りはするが、なるほどなぁと思うところがある。
人はその昔狩りをしていた。武器や罠をしかけて動物を追い詰めて殺し、その肉を食べて命を繋いできた。動物との戦いで張り詰めた緊張の後、焚き火を囲んで肉を焼いて食べる。この経験があったから、人は焚き火を見ると心が安らぐといわれている。
焚き火でも、人の内面に作用する効果があるので有れば、狩猟行為も同様の効果があるのではないか?
狩りが出来ない人は生き残れない。アッシらの遺伝子には狩りをしてきた人達の感覚が残っていて、今でも狩りをすると自分が生きながらえる事を実感出来るのではないだろうか。
しかしながら、この社会において狩りはしていない。共存共栄を良しとして、最近では持続可能ってヤツを求められている。狩猟行為は今では資格制だ。勝手にやったら犯罪である。何かを追い詰める願望は、フィクションの世界で満たすくらいしかないのかもしれない。
ただ、未だにその手のトラブルが出てくるという事は、それでは満足できないからかもしれない。
生きる為に何かを追い詰めずにはいられない。そういう考え方があるのではないか思う。




